8:9 Rami Blain ─ラミ・ブレイン─
「──ワンコ、新米ワンコ」
ラミの呼びかけで私は我に返る。立っていた場所は本棚の前。ラミはスマホの光源で私を照らし首を傾げた。
「何をしてるの? ラミはワンコに待てと命令した覚えはないわ」
視線を向けるのは本棚の上から三段目。先ほどまとめ終えた書物が積み重なっている。黒薔の茶会とやらに誘われる前、出口まで運んだはずだ……としばし口を閉ざしてしまう。
(……私は幻影でも見ていたのか?)
書物を読み漁っている時、既に私は幻影に囚われていたのか。原理は何一つ不明だが、意識だけがあの奇妙な空間へ飛ばされていたのだろう。
「気にするな。少し考え事をしていただけだ」
「そう。なら早くここから出るわよ。ラミの息が埃で詰まりそうだわ」
左脚に刻まれた黒薔薇の証。私は一度だけその紋章に触れると書物を両手に抱え、ラミと共に薄暗い書庫を後にした。
「新米ワンコ、次はラミの仕事を手伝いなさい」
「……私は客人のはずだが?」
「主は客人ね。けどワンコはラミと同じ使用人でしょ。ほら、その書物を部屋に置いてきなさい」
私は面倒事を押し付けられたためこの場で身分を明かそうか迷ったが、不都合が生じる可能性を否めない。渋々用意された客室に書物を置くと、ラミの同伴を務めることにした。
「仕事とは何だ?」
「城下町へ買い出しに行くの。朝方バカ皇子に頼まれたわ」
「お前に務まりそうもない」
「務まらなかったらラミに頼んだバカ皇子の責任よ」
流れるような責任転嫁。私はそんなラミを横目で眺めつつ、数分ほど時間をかけ城下町へ顔を出した。活気に溢れた民衆が街中を歩き回り、秋月騎士団とやらの騎士が所々で城下町の警備を務めている。
「エメールロスタは空気が張り詰めていたが……。この国は随分とまともだな」
「ラミもそう思うわ」
「なぜここまで差が出ている?」
「『このアダールランバは民衆が豊かな生活を送れるよう可能な限り税を軽くし、他国との商談を積極的に行うことを重視する。国交は支配よりも強しだ』……ってバカ皇子がラミに教えてくれたわ」
民衆の暮らしやすさを第一に考え、他国と友好的な関係を結ぶ方針。言葉にすることは簡単だが、それを実践するには途方もない苦労が強いられる。特に吸血鬼共が蔓延るこの世界では。
「あと、こうも言っていたわ。『エメールロスタは民衆から可能な限り税を徴収して、軍資金に費やしている。あの姉は頭が固いから国交よりも支配を追求したがるんだ』って」
「どうりで差が出るわけだ」
姉弟だというのに正反対の思考。私は少しだけ考える素振りを見せた後、隣を歩いているラミに視線を向ける。
「お前はあの男の
「何を言ってるの? バカ皇子の中身はバカ皇子でしょ」
「……そうか」
「バカ皇子の中身にクリームでも詰まってると思ったみたいね。流石のラミでもそこまで食い意地は張らないわ」
恐らくクレスという皇子の中身には別世界の人間がいる。不敬女と似つかない性格に、違和感を覚える言動の数々。キリサメのように
「おば様、ラミが繁盛していないボロ店に遥々来てあげたわよ」
「あらぁ、ラミちゃんじゃないのぉ。いつもありがとねぇ」
「気にしないで。ここの食材は美味しいもの」
「そりゃあよかったよぉ」
ラミが顔を出したのは年を召した老婆が店主の食材店。それなりに古い建築のようで木製の床がぎしぎしと音を立てる。
「隣の子は新しい使用人かい?」
「違うわ。他の国の使用人よ」
「そうなのぉ、残念ねぇ……。ラミちゃんにお友達ができたと思ったのに」
「多分これからも期待に沿えないわ。だってラミに友達なんて必要ないもの」
主に仕入れた農作物を売りに出しているようで、網目の籠に野菜やらが詰められて台の上に置かれていた。
「それよりもいつも通り……この店の食材、全部買っていくわね」
「買い占めるのか?」
「そうよ」
「……何往復するつもりだ」
「馬車を連れてくるのを忘れていたわ。ラミはうっかり屋さんね」
肝心な荷運びを忘れていたラミ。店の外まで出ていくと適当な馬車を呼び止め、御者との交渉を始める。私はそれまで店に置かれた農作物を眺めていると、
「ラミちゃんはすっごく良い子でねぇ」
店主の老婆が私のそばまでゆったりとした様子で歩み寄ってきた。腰を痛めているのかやや中腰気味だ。
「こんな繁盛しない古い店に、いつもいつも買いに来てくれる優しい子なんだよ」
「あの女はこの店の常連なのか?」
「そうだねぇ。他のお店の方が安く済むのに……ラミちゃんはここが潰れないようにっていつも来てくれてねぇ」
老婆の言葉通り、他の店ならば格安で済む農作物ばかりが揃えられている。まとめて買うとなれば、倍の差が生まれるほどまでに。
「ここにある農作物は元々この価格で売りに出していたのか?」
「ほんとはこんなにしなかったけど……。大蛇の風穴が増えてからは、仕入れ先がめっきり減っちまってねぇ……。こんな老いぼれと繁盛しない店に並べてはくれな」
「……なら仕入れ先はどこだ?」
「ぜんぶ自家製だよ。城下町から少し離れた山林で畑を耕しててねぇ……んだもんで、最近は腰が痛くて痛くて……」
私は店の隅に置かれていた木の椅子を手に取り老婆のそばまで運び、その手を握ってゆっくりと座らせた。
「おや、ありがとねぇ。お嬢ちゃんも優しいんだねぇ」
「なぜそこまでして店を続ける? 身体を壊したら元も子もないだろう」
「そうだねぇ……。雪月花やラミちゃんが家族とこの店に来てくれる姿をもう一度見たいからかねぇ」
「……姉妹と?」
感慨深げにそう語る老婆。その瞳に映り込むのは店の外でこちらに背を向けているラミ。
「雪月花がまだ一つだった頃……
老婆が衣嚢から取り出したのは一枚の写真。そこに映り込んでいたのは幼い顔つきのラミとルミ、後はおどおどとした妹が一人。そして雪月花らしき三人が映り込んでいた。
「……?」
目に留まったのは三姉妹の使用人の前に並んでいる雪月花。左から少年のクレス、まだ出会ったことのない『久遠の春花』、そして右端にあの氷の皇女スノウが並んでいる。
「この女は氷の皇女か?」
「あぁそうさ。幼い時のスノウちゃんだよ」
私が疑念を抱いたのは微笑みながら映り込んでいるスノウに対して。エメールロスタで出会った時とは雰囲気も顔つきも違う様子に、私はしばし黙り込む。
「昔はあんなに怖い子じゃなかったのに……」
「……何かあったのか?」
「吸血鬼に故郷を奪われた時、雪月花は両親を亡くしてねぇ。それから『雪月花の瓦解』が起きて……ずぅーっとあんな感じさ」
雪月花の故郷であるアモンアノールとアモンイシル。あの不敬女は故郷を失ってから何もかもが一変したらしい。
「けどねぇ、あたしには分かるのさ」
「何が?」
「スノウちゃんは一番上のお姉ちゃん。だから一人で抱え込もうとしているって。昔はしっかり者で責任感も強かったから……あたしにはそう見えるんだよ」
スノウについて老婆がしみじみとそう語る。私の脳裏に過るのはエメールロスタを旅立つ前、氷月騎士団の団長と交わした会話。
『アダールランバは皇女殿下の弟君が統治する国。ロザリアの民も迎え入れてくれるはずだ』
『弟ならあの不敬女の血を継いでいる。信用ならん』
『確かに血は継いでいるのだが、少し変わったお方なのだ。それに皇女殿下も元々あのようなお方ではなかっ──いや、今の言葉は忘れてくれ』
ローレンが言いかけていた文脈からするに、この老婆が語っているスノウの変わりようは真実らしい。
「あの子たちを見守るのは、主人を亡くしたあたしにとっての生き甲斐だったよ。あの子たちも変わらないといけないんだろうけど……ちょっぴり寂しいねぇ」
「……そうか」
そして店主の老婆は雪月花やラミたちと交流が深かった。私は心なしか表情を暗くさせる老婆に短い相槌を打つ。
「そういえば聞いていなかったな。お前の名は何だ?」
「あたしは
「……村?」
「無風の渓谷を超えた先にある
メサヴィラ。私は聞き覚えのある村の名と老婆の家系に眉を顰める。
「その娘の名は?」
「
「……いや、聞いただけだ」
このカルメラという老婆が捨ててきた娘は恐らく
『バートリ卿が、バートリ卿がこんな悪魔の子を産むはずがないわッ! あなたは、あなたはバートリの名を飾った偽物ねッ!?!』
バートリ卿が命を落としたのは異世界転生者が原因だ。私は盲目となっていたミネルヴァをこの手で迷わず殺している。
「今頃ミネルヴァも、あたしみたいなやんちゃな子になってるのかねぇ」
「……どうだろうな」
「ふふっ、若気の至りってのは恐ろしいもんさ。娘を置いて出ていくなんてあたしはきっと地獄行きだよ」
別の言い方をするのならこの老婆の娘を私が殺した。そうとも言えるだろうが、この場で冷酷な事実を告げることはできない。
「……お店が潰れる前に、寿命を迎える前に一度は見てみたいものだねぇ。雪月花がまた一つになって、ラミちゃんたちが姉妹仲良くする姿を」
「……皇子はここには来ないのか?」
「顔を出してくれるのはラミちゃんだけさ。クレス坊ちゃんはこの国を建立してからめっきり見てないよ。ちょっとは顔を見せてほしいもんだねぇ」
心の底から願うようにボソッと呟いたカルメラ。私は口を閉ざしたまま、馬車の御者と交渉するラミを見つめる。
「あたしはいつも思うよ。雪月花が一つだった頃が一番幸せだった」
「そうか」
「お嬢ちゃんも思わないかい? 本当の幸せっていうのは、過去になってから気づくって」
「……否定はしない。だが過去に縋りついたところでないものねだりに過ぎん」
本当の幸福。私は少しだけ自身の過去を振り返る。しかし脳裏に浮かぶのは血と泥に塗れながら吸血鬼共を始末し続けた過去。そして恩師であるテレシアを自身の手で眠らせた過去。
「ふふふっ……」
「何を笑っている?」
「お嬢ちゃんと話していると主人のことを思い出してねぇ。頑固で愛想がないところがそっくりだよ」
「……そうか」
私は何と言葉を返せばいいのか迷い、当たり障りのない返事をする。その際にエメールロスタの騎士団長から貰った金貨の袋を思い出した。
「この金貨を店の足しにしろ」
「お嬢ちゃん、こんなにいっぱいの金貨をどこで……?」
「エメールロスタで色々とあっただけだ」
「……ごめんねお嬢ちゃん、あたしはこんな大金受け取れない。気持ちだけで十分だよ」
受け取るつもりのないカルメラ。恐らく若人から大金を貰うことに抵抗があるのだろう。だが私はそれでも強引にカルメラの膝の上に置く。
「これだけあれば、後は生にしがみつくことだけだろう」
「……えっ?」
「自分で言ったはずだ。雪月花が一つに戻るまでに懸念すべきは……店が潰れるか、寿命を迎えるまでだと」
「そうは言ったけど……」
「なら私と約束しろ。しぶとく生きてやるとな」
カルメラは金貨の袋を両手に乗せてこちらの顔を見上げてくるが、私は視線を交わすことはしない。ただカルメラの顔は、亡き主人の面影を私に重ねて微笑んでいるように見えた。
「……あの女には何も言うな。後々面倒なことになる」
「分かったよ。ありがとねぇお嬢ちゃん」
カルメラが私に感謝の言葉を述べた時、御者との交渉が成立したラミが店内に姿を現す。そして会話を交わしていた私たちに気が付き、その場でやや首を傾げた。
https://kakuyomu.jp/users/Kozakura0995/news/16817330651571519005
「何を話していたの?」
「世間話だ」
「そうだったのね。それよりも馬車を捕まえたわ。新米ワンコ、食材を運ぶのを手伝いなさい」
私はラミにそう命令されると、店の中に置かれた食材をすべて馬車へと詰め込む作業を始める。
「おば様、また来るわね」
「今日はありがとね。ラミちゃんに……そうだった、お嬢ちゃんの名前は──」
「私のことはいい。どうせすぐにこの国から旅立つ」
「……そうかい。じゃあこの国に用事があった時は、またこの店に顔を出しなよ」
カルメラもメサヴィラ出身ならばバートリ卿について知っている可能性が高い。変に名乗って勘づかれるのも厄介だ。私はそれらを踏まえて名乗らず、馬車に乗ったままカルメラの店を後にした。
「新米ワンコ、おば様と仲良く話してたみたいね」
「世間話をしただけだ」
馬車の向かい側に座っているラミに声を掛けられ、私は平凡極まりない言葉を返せば、馬車の揺れで木箱からトマトが溢れ出し、ラミの足元まで転がっていく。
「意外だわ。世間知らずで反抗期で愛想が悪いワンコが……頭脳明晰なおば様と話が合うなんて」
「一流の偏見だな」
「だってそうでしょ? おば様はああ見えて手練れの店主だもの。こんなに美味しい野菜を
(……あの老婆、この女には黙っているのか)
ラミは転がってきたトマトを拾い上げると誇らしげにそう呟いた。だがカルメラは野菜を仕入れたのではなく自身で育てたものを売り出している。今の発言からするにラミはカルメラの深い事情までは把握していないようだ。
「新米ワンコ、帰ったら次は城内の掃除よ」
「……」
「掃除が終わったら夕食の準備を手伝いなさい」
「私はお前の使用人ではない──」
城門まで辿り着いた瞬間、窓ガラスが砕ける音が耳まで届く。私とラミは反射的に馬車から飛び降り、そびえ立つ城を見上げた。
「今の音はどこの部屋から?」
「バカ皇子の自室よ」
「案内しろ。どうも嫌な予感がする」
そして城内へと二人で踏み込み、何十段もの階段を駆け上がる。収まりがつかない妙な胸騒ぎ。長年の勘を頼りにするのなら──これは吸血鬼共の気配。
「……城内に吸血鬼共がいる」
「新米ワンコ、寝言は寝て言いなさい。今はまだ昼頃でしょ?」
「お前こそ
ラミに言葉を返して登り切った階段の先。鉄の錆びた臭いが鼻元まで漂ってくる。
「死んでいるわね」
「……」
私たちの視界に映ったのは秋月騎士団の遺体。状態を確認してみると頭部や胴体に小さな穴が空いた痕跡、胴体が肩から腰にかけて斬り裂かれた痕跡が残されていた。
「……ニーナ」
「新米ワンコ、分かったことでもあるの?」
「吸血鬼共の正体は原罪だ」
「待ちなさいワンコ。原罪がラミたちの城にどうして……?」
「知らん。だが狙いはあの皇子か、それとも──」
キリサメという異世界転生者。そう言いかけ、東の方角から微かに聞こえてくる破壊音。私とラミは顔を見合わせるとその場から駆け出し、音のする方角へ向かう。
「忘れていたわ。ラミは動術が大の苦手よ」
「私に『前線を張れ』とでも言いたいのか?」
「ワンコも知っているでしょ。素敵な言葉があること」
「それは何だ?」
「適材適所よ」
私たちの前方に見えてきた光景は中庭。そこでは軽傷を負った騎士団長のガブリエルと原罪のニーナ・アベルが交戦していた。中庭の隅ではクレスがキリサメを守護する姿が映る。
「訓練が足りないんじゃない、騎士団長さん?」
「そうかもね! 僕に喝を入れてくれてありがたいよ……!」
紅の杭に白銀の剣を弾き飛ばされるガブリエル。ニーナはそのまま紅の杭をガブリエルの心臓目掛けて突き刺そうとしたが、
「ならお前は狙撃手か?」
「違うわ」
足を止めたラミが腕を振りかぶって投擲するのは野菜のトマト。そのままニーナの頭部に直撃するとあっという間に弾け、真っ赤な汁が飛び散った。
「あぁー……面倒、面倒ね。誰よ、私にトマトを投げつけた死にたがりは?」
ニーナの腕が止まる。私は騎士の遺体から剣を拾ってニーナに投擲しながら廊下を駆け抜けた。ニーナは縦横無尽に回転し、自身に向かってくる剣をすべて避け切るが、
「ラミは──超一流の
ラミが左脚のホルスターから引き抜いた銀のナイフを投擲し、ニーナの脳天を的確に射抜いた。ガブリエルはその隙を狙い、私が投擲した剣の持ち手を右手で華麗に掴む。
「嬉しい贈り物をどうも」
「戯言はいい。お前に合わせる」
「流石は使用人さんだね」
私の言葉を聞いたガブリエルはニーナの首筋を目掛け、繰り出すのは右から薙ぎ払い。私は最後に左手で拾い上げた剣を逆手持ちに切り替え、
「あぁ残念、あと少しで──」
ガブリエルの反対側からニーナの首を目掛けて剣を振り上げ、二本の剣で挟み込む形にし、
「──あんたを殺せたのに」
キリサメに向かって微笑むニーナの首筋を噴き出す鮮血と共に刎ねた。
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