8:8 Black Rose Tea ─黒薔の茶会─
キリサメと別れた後、私はラミに連れられ地下の書庫まで向かっていた。掃除が行き届いていない廊下を歩き、私はラミの背中を見つめる。
「城内が汚い。お前たち使用人は掃除の基礎も知らんのか?」
「掃除はラミの担当外よ。他の使用人に聞きなさい」
思い返せばエメールロスタでは頻繁に使用人を見かけていた。しかしこの城ではラミ以外の使用人を見かけていない。私は事情があるのだとラミの隣に並んだ。
「使用人はお前だけだろう」
「新米ワンコ、今は二人よ」
「私を含めるな」
問い詰めてみるとラミは遠回しに私の言及に肯定した。やはりここまで掃除が行き届いていないのは露骨な人材不足らしい。
「なぜ一人だけしかいない? あの皇子とやらが原因か?」
「違うわ。悪いのは出ていった使用人たち方だもの」
「……出ていっただと?」
そう明言するラミの表情は腹立ちを彷彿とさせる。私はそんな横顔へ視線だけ向けつつ、ラミと歩く速度を合わせた。
「あの子たちはラミのことが気に入らないみたい。バカ皇子の世話をしているラミのことが」
「……お前はあの皇子とやらの世話すらもしていないだろう」
「新米ワンコ、あなたもラミが仕事を放棄してると言いたいのね」
「そうとしか言えん」
他の使用人たちはラミが仕事をせずにこの城で過ごしていることが気に食わなかったのだろう。出ていった原因は恐らく使用人にあるまじき怠惰な態度。
「ならお前はなぜ使用人になった?」
「なりたくてなったわけじゃないわ。ラミたちブレイン家の宿命よ」
「なるほど。お前たちはブレイン家として、アーネット家の側近を勤めるよう義務付けられているのか」
エメールロスタで見かけたルミもブレイン家の端くれだった。どうやら雪月花の事項ではブレイン家の使用人が一人は仕えることになっているらしい。グローリアで例えるならヘレンという女とカミルという男の間柄だ。
「賢いわね新米ワンコ。それなりに教養はあるのね」
「……仕事を放棄するのはその義務を拒んでいるからか。自由な女だ」
「だってラミの人生はラミが主役でしょ。自由に生きて何が悪いの」
「あの皇子はお前の生き方を容認しているのか?」
「バカ皇子はああ見えて頭が柔らかいもの。ラミがどう生きようと何も言わないわ」
クレスは皇子として『玉座に座る資格は誰にでもある』という考えを唱えていた。その考えに惹かれているからこそ、扱いづらいラミがクレスに付いてきているのだろう。
「お前はルミ・ブレインという使用人を知っているだろう。同じブレイン家の人間だ。接点もそれなりにはあるはず──」
「ラミが分からず屋のことなんて知るわけないでしょ」
「……何があった?」
ルミの話題を上げた途端、食い気味に言葉を遮るラミ。私は表情を険しくさせながらラミにそう尋ねた。
「何もなかったわ。姉妹としての血縁も、思い出も」
ラミは吐き捨てるように私へそう答え、古びた扉の前に立ち止まる。
「新米ワンコ、この下が書庫よ」
薄汚れた木製の扉を開けば広がるのは先の見えぬ暗闇。薄っすらと下りの階段も見える。ラミは入り口に置かれた木の机からスマホを二台取り出した。
「……そのスマホは光源か」
「そうね。ランタンよりお手軽に使えるもの」
ラミは手慣れた手つきでスマホを操作すると円形の箇所から眩い光を放つ。私は一台だけ受け取り、ラミの後に続いて書庫への階段を一段ずつ下りていく。
「この書庫に普段から出入りする者は?」
「こんな埃っぽいところに顔を出す物好きはバカ皇子ぐらいね」
「……あの男は何の用があってここへ?」
「ラミが知るわけないでしょ」
地下の書庫へ辿り着けば所々に蜘蛛の巣が張り巡らされ、埃の被った本棚が私たちを出迎えた。管理も掃除もされていない書庫に私はため息をつく。
「どの本棚に何の書物があるか分かるか?」
「新米ワンコ、ラミの仕事はバカ皇子のお世話だけよ」
「……下らん弁明だな」
手当たり次第にそれらしき書物を探すしかない。私は階段の近くで待機するラミに背を向け、本棚と本棚の間へ歩を進めることにした。
(過去に皇子がこの書庫へ顔を出していた……。となれば何かしら模索した痕跡が残されているはず)
スマホの光源で足元や本棚を照らし、積もりに積もった埃の痕跡を調べる。すると私の憶測通り、その道を歩いたであろうブーツの靴底が跡として残されていた。
(……向こうの本棚か)
その跡を辿って奥まで進んでみれば、とある本棚の前で靴底の痕跡は消える。私は顔を上げてスマホでその本棚を照らした。
(……三段目が妙に小奇麗だな)
私の視線が止まったのは上から三つ目の段。少し前に読み漁られたのか、書物がしっかりと並べられている。私は試しに左端の書物を手に取り、中身に軽く目を通してみた。
(この書物は『アダールランバの歴史』か)
第二のアダールランバと呼ばれるこの国。それがどのようにして築かれてきたのかが書き記されている。私は別の書物へ目を通し、必要なものと不必要なものを選別し始めた。
(求めているのは世界情勢の書物だが……都合よく見つかりはしないか)
整理されているのは雪月花に関わる書物ばかり。書庫全体を粗探しすれば見つかる可能性はある。だが一人で捜索するとなれば骨が折れるだろう。キリサメやあの皇子に手伝わせるべきだ。
「……?」
書物の中身を軽く読み漁っている最中、ふととある文章に目が留まった。
『
(栄光の分裂……)
栄光の分裂。その文脈を辿ってみるにこれは世界規模の出来事。雪月花の中で起きた事例ではないのは確かだ。
(……今は千年の空白に欠片を埋め合わせるしかないか)
私は上の階でじっくり読もうと書物を重ね、両手に抱えながらラミの待つ書庫の出口へと向かう。
「必要なものは見つかった。上の階に戻るぞ──」
が、そこにラミの姿はない。私は一人で上の階に戻ったのかと呆れつつ、階段を上ろうと一歩を踏み出した瞬間、
──パリンッ
書庫の奥から花瓶の割れる音が聞こえてきた。ラミが奥まで潜り込んだ可能性。私は脳裏にその可能性が過り、抱えていた書物をそばの机に置く。
(どうも嫌な感じがする)
花瓶が割れた途端、書庫に濁った空気が漂い出した。宙に舞う埃による汚濁ではなく、不吉を予期させる混濁に近い。私は慎重に歩を進め、花瓶の音が聞こえた場所まで辿り着く。
(……ただの花瓶か)
無残に飛び散った花瓶の破片。本棚の上に飾られていたものが急激な気圧の変化で落ちたのだろう。私はそう結論付けて、出口まで戻ろうとした時、
「……?」
本棚の陰に隠れているナニカを見つけた。花瓶の中に入っていたものが飛び出したのか。私は少しだけ目を凝らし、そのナニカを認識する。
「……黒い、薔薇」
転がっていたのは一輪の黒い薔薇。黒の花弁を散らし、薔薇としての面影は何もない。恐らく花瓶に飾られていたもの。私がそんな考察を始めた時、
「誰だ?」
後方からコツンッとヒールで歩いたような足音が鳴った。私はすぐさま振り向くとその方向へ歩き出す。
(……何が起きている)
見えてきたものは飾り台に載せられた花瓶。生けられた花は一輪の黒い薔薇。先ほど通った時は置かれていなかった。周囲を警戒しつつ、飾り台まで一歩ずつ歩み寄り、
(充電切れとやらか)
スマホに充電切れとやらが訪れ、辺りを照らしていた光源が消え失せる。視界が暗闇に閉ざされたが不幸中の幸い、私の瞳は吸血鬼の性質を備え持つ。暗闇でも視界に不便はないはずだが、
(……何も見えんな)
本棚、天井、壁、床。あらゆるものが暗闇によって見えなくなっていた。唯一視界に映るのは黒い薔薇が生けられた花瓶のみ。
「あぁヒュブリス。ようこそ
艶めかしい女性の声が私の耳まで届いた瞬間、視界の閉ざされた暗闇に長机が置かれた。私の向かい側には花瓶に生けられた黒い薔薇が姿を現す。
「……お前は黒薔薇の使徒か」
「クッククッ、『誰だお前は』と問い詰めてはくれませんのね?」
「趣味の悪い薔薇に美学を感じるのはお前ぐらいだろう」
「それは違いますわヒュブリス。美学を感じるのはワタクシだけではありませんの」
その言葉と共に長机へ一定間隔で置かれるのは黒い薔薇が生けられた花瓶。数は私の花瓶を含めて十人分のものだが、場所によって黒い薔薇の本数が異なっている。
「美学を感じるのは──ワタクシ
この場に集っているのは黒薔薇の使徒。私は血涙の力を発動しようと試みるのだが、
(……動けんな)
血涙の力を発現させるどころか身体を動かすことすらできなかった。
「ハハッ、いいネいいヨ! 黒薔薇の使徒にあのヒュブリスちゃんがやってクルなんテ! 面白い面白いネ!」
「うるさいお前、黙ってて。そのきしょい笑い声が頭に響く」
「いいでしょうヨ! 面白くないヨリ、面白い方がマシだよネ!」
「面白くないしきしょいだけだろ」
無理してから笑いをする無神経な男の声。苛立つように文句を述べる冷めた少女の声。男の声の傍にある花瓶には五輪の黒い薔薇。少女の声の傍にある花瓶には七輪の黒い薔薇が生けられている。
「しかしながら侮っていましたね。
「素晴らしい手並みでしたぞ。私は感銘を受けるがあまり、彼女を私の伴侶に迎え入れようかと考えてしまいましてね。まさに彼女は黒薔薇の光となるべき存在ですな」
「良かったですねヒュブリスという人。貴方の埋葬は是非とも私が務めましょう。土の下で、安らかに眠れるよう希少品もご用意します」
やや高飛車な女の声に野太い男の声。女の声の傍にある花瓶には黒い薔薇が十輪。野太い男の声のそばにある花瓶には、溢れんばかりの黒い薔薇が十六輪生けられている。
「フフフッ、黒薔薇の光……。光が闇へと堕ち、人間共へ絶望が来るその日が……とても待ち遠しい限りですわ」
「……私には、興味がナイ。裏切れば、消すだけダ」
「その時はワタシの悲歌で弔いましょう。人間共の心臓に、絶望という名の毒を染み付けて」
透き通るような高い女の声と痛みに耐えるような低い女の声。高い女の声のそばの花瓶には十六輪の黒い薔薇だけかと思いきや、その後方に数え切れないほどの黒薔薇の花束が薄っすらと映っていた。
低い女の声の傍の花瓶にも十六輪の黒い薔薇。そして後方に黒薔薇の花束が映し出される。しかし見比べると高い女の声よりも量は少ないように見えた。
「ククッ、ヒュブリス……。まずはワタクシから貴女へ愛を差し上げましょう」
「愛だと?」
「貴女がカムパナから奪い取った愛ですわ」
私の前に一輪だけ生けられていた花瓶まで黒い薔薇の蔓が伸びてくると、黒い薔薇をもう一輪だけ生けさせる。恐らくこの一輪はカムパナが所持していた分だ。
(書庫に転がっていた花瓶と薔薇の残骸は……カムパナのものか)
割れた花瓶と散らした黒薔薇の花弁。この長机から退かしたからこそ、あのような状態になったのだろう。
「ワタクシの愛が欲しければ人間共を殺し続けるか……。それとも他の黒薔薇の使徒から愛を奪い取るか。ククッ、好きな方を選んでくださいまし」
「……貴様からの愛に興味はない」
「そう遠慮なさらずに……。そう、例えばNo.9から愛を奪ってもいいですのよ? ねぇ、No.9
「シカ、ドゥルイ、メイハンズァ」
「あら、そうですの」
「ブラッス、ンドィア、グルブルァイア……」
「ククッ、良かったですわねヒュブリス。ヴォモスはやる気十分のようですわ」
今まで耳にしたことのない言語に私は表情を険しくさせる。何を喋っているのか微塵も理解が及ばない。だが艶めかしい女の声が曰く、私が仕掛けてきたときは迎え撃つつもりなのだろう。
(……あの花瓶の人物は、喋らないのか?)
たった一つだけ言葉を発さない花瓶。十三輪ほどの黒薔薇が生けられている。私がその花瓶をじっと見つめていると、
「そうでしたわ、自己紹介が遅れましたわねヒュブリス」
艶めかしい女性の声が私の名を呼んできた。視線をそちらの方角へ向ければ、やっとのことで私は気が付く。
「ワタクシはNo.1──
マニアと名乗った女の花瓶には黒薔薇が一輪だけ。しかしその背後には数十メートルは優に超える黒い薔薇が咲き誇り、無数の太い茨が触手の如く漂っていることに。よく周囲を見渡してみれば、私たちを覆い尽くすように太い茨が取り囲んでいる。
「貴様が下らん復讐劇を企てた首謀者か」
「ククッ、厳しいお言葉ですわね?」
「事実を述べただけだ。吸血鬼共に好き放題されている状況下……転生者同士で呑気に
そう言いかけた瞬間、背後から一本の太い茨が伸びてきた。そして私の花瓶に生けられる二輪の黒い薔薇に巻き付き、折れない具合で力を込めると、
「……っ」
まるで心臓を締め上げられるかのような苦痛に私は思わず吐血した。
「ヒュブリス、よく覚えておいてくださいまし。ワタクシは貴女の人生をいつどんな時でも散らすことができますわ」
「貴様、どんな小細工を……っ」
「ククッ、転生者については貴女よりも心得ていますもの。心臓の手綱を握ることなんて造作もないですわ」
「まさか……貴様は薔薇協議会の人間か……?」
私ですらも知らない転生者の性質。それを把握しているのは私よりも転生回数を重ねた薔薇協議会の人間のみ。
「クッ、クククッ! あぁ、懐かしい響きですわ。薔薇協議会……かつてはそのようなものもありましたわね」
「……なるほど。黒薔薇十字団とやらは薔薇協議会の残党か」
「ククッ、いずれ知ることになりますわ。肉塊と血に塗れた暗闇の元で」
長机がマニアの声のする方角から消えていく。机に並べられていた花瓶も少しずつ暗闇に飲み込まれ始めた。
「ヒュブリス、ワタクシは期待していますわ。黒薔薇の使徒として人間共を殺し尽くす──貴女のご活躍を」
「待て。私は黒薔薇の使徒になるつもりは──」
「いいえ、もう貴女は黒薔薇の使徒ですわよ。ワタクシたちと同じ、
視界がすべて暗闇に閉ざされる。そこで最後に聞いたマニアの言葉は、
「では次回の
茶会の終幕を告げるものだった。
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