8:25 The Abyss of The Serpent ─大蛇の深淵─


 私たちの前に吐き出されたのはトドメを刺したはずのステンノとエウリュアレ。目元に付けた傷も再生し、最初に出会ったばかりの状態で立っている。


「ど、どうするのっ!? 倒しても復活するなんて対処のしようが……」


 顔を青ざめて後退りをするエリン。現状を踏まえればあの二匹と交戦するだけ無駄。それに気が付いているロックは私の方へ視線を送ってきた。


「なぁ相棒」

「何だ?」

「さっきのでけぇツラ……あー、確か三女のメデューサだっけか? あいつ始末しねぇとなんちゃら蛇女も復活するじゃん?」

「あぁ」


 先ほど拾った大剣を担ぎながら私たちの前に立つロック。その鋭い視線はエウリュアレとステンノへ向けられる。


今回は・・・俺の番だ相棒、先に行け。そんで皇女さまとメイドを助けて──メデューサってのを始末してこい」

「な、何言ってるのよ! あんた一人であの怪物たちを相手にするのは……」

「……分かった」

「ま、待ちなさいって! あんたもこのバカを止めなさいよ!」


 私はこの場をロックに任せ、メデューサがいるであろう最深部へ進もうとすれば、エリンが喚きながら私の腕を掴んだ。


「メデューサとやらを始末しなければ蛇女共は不死と変わらん。これが現状の最善策だ」

「で、でも、それじゃあこいつは!」

「足止め程度にしかならんだろうな」

「足止めって!? あんた、それが分かって先に進もうと……!」


 転生者にとって死は最期ではない。死は私たちにとって手段の一つ。命を捨てて吸血鬼共に大打撃を与える特攻。公爵へ決定的な一撃を与える為に命を捨てて囮になる行為。そして死を受け入れながらも時間を稼ぐ壁役。


「まっ、稼げて数分ぐらいじゃね?」

「そうか」

「んじゃあな相棒。またあの世・・・で会おうぜ」

 

 こちらを振り返らないロック。私は静かにその背中まで歩み寄ると左拳で軽く叩き、


「……あの世ではなく来世・・だろう」

「はっ、やっぱ俺のこと好きじゃん」

 

 それだけ告げてそのまま奥の通路へと進もうとした途端、


「だったら私もここに残るわ!」

「あ?」


 エリンが短刀の草薙を構えてロックの隣に威勢よく立った。予想だにしていなかったのかロックは僅かに驚いた様子を見せる。


「これで十分ぐらいは時間稼げるでしょ!?」

「アホか小便女。死ぬんなら十分も数分も変わんねーだろ──」

「うるさい! 私だって、私だって花月騎士団の端くれなの! それにここであんたを置いていったら……私はこの先ずっと後悔するわッ!!」

「お前……」

 

 言葉を喉に詰まらせたロック。私は一瞬だけ足を止めてその会話だけ聞くと、再度駆け出して奥の通路へ進んでいく。


「おもしれぇ女。あー、名前もう一回教えてくんね?」 

Elinエリン Millsheミルシェ!」

「ふーん、エリン・ミルシェね。まっ、来世まで覚えといてやるわ」


 アレクシアがその場を去った後、ロックとエリンは向かってくるステンノとエウリュアレを見据え、


「んじゃあエリン。どっちが先にくたばっちまうか、我慢比べと行こうぜ」

「無理よ。私はあんたを、ロックを守って先に死ぬんだから」

「おっ、言うようになったじゃん。……じゃっ、よろしく騎士さま」

「上等ッ!」


 各々左右に展開して迎え撃つ態勢に入った。  



────────────────────



「シューッ……シューッ……」

「この蛇たちは一体……!」


 エメールロスタ付近にぽっかりと空いた大蛇の風穴。その内部を単独で駆け回るのは使用人のルミ・ブレイン。左手に握りしめるのは氷の結晶が刻まれた銀の短剣。


(こんなところで時間をかけている場合じゃ……!)


 喰らい付こうと穴から迫りくる無数の蛇を次々と斬り捨て、奥へ奥へと少しずつ進んでいく。そこまでして彼女が大蛇の風穴を進もうとする理由。


『アホ共へ。

 お花の大好きな皇女さまが『ヒステリックなメイド』と『なんちゃら騎士団』を引き連れて、大蛇の風穴の最深部まで行こうとしてんぜ。放っておいたらふつーに全員死ぬんじゃねぇの?

 アフェードロストのなんちゃら騎士より』


 アフェードロストから届いた手紙。そこに書かれていた内容が理由だった。


(ヤミが、ヤミがこの奥にいるのに!)


 大切な妹が危機に晒されている事実を知ったルミは、居ても立っても居られずにエメールロスタを飛び出し、大蛇の風穴へ無謀にも飛び込んだ。


「クシュルルッ……」

(相手にするだけ無駄ですね)


 脱皮型が続々と穴から捕食器官の蛇を伸ばし、そのおぞましい姿もルミへと見せつける。しかしルミは狼狽える様子もなく、最小限の交戦で先へと進むことにした。


「シュルッ、クシュルルッ!!」

「……ッ! 私の邪魔ばかりをッ……!」


 進行先に立ちはだかる一匹の脱皮型。ルミは不快だと言わんばかりの顔で銀の短剣を右手へと持ち替え、二本の左腕を斬り落とそうとすれば、


「「──!」」 

 

 視野に入れてなかった脱皮型の右腕が、何者かの銀のナイフによって切断される。ルミは何が起きたのかと驚いていたが、銀のナイフを持つ相手も同様に驚き、


「ラミ……?」

「……あなたがどうしてここにいるの?」


 お互いの正体を把握するとその場に立ち止まった。銀のナイフを指の間に挟んで持つのはラミ。ルミは銀の短剣に付着した返り血を拭うようにその場で一度だけ素振りする。


「それは私の台詞です。ラミ、大蛇の風穴に何の用が?」

「関係ないでしょ。どうしようとラミの勝手だから」

「理由が何であろうとこの場所は危険です。今すぐ引き返し──」

「「クシュルルルルッ」」


 疎遠となった姉妹の口論が始まる寸前、二人の背後に脱皮型が一匹ずつ下りてくると、その湾曲した刃を振り下ろしてくるが、


「「──ッ!」」


 互いを庇護ひごするようにラミは銀のナイフを投擲し、ルミは銀の短剣を二度斬り上げ、背後に迫っていた脱皮型を同時に始末する。


「……ルミも見たんでしょ。あのふざけた手紙」

「ええ見ました。ラミも見たんですね」

「超大バカ皇子から盗み見したの。じゃなきゃこんなジメジメしたところにラミは来ないわ」

 

 二人が次に見据えるのは最深部まで続く通路の奥。包み込むのはどこまでも広がる暗闇。ルミのランプとラミのスマホが僅かに先を照らす。


「後は、おば様の為よ」

「……? カルメラ様に何があって──」

「おば様は殺されたわ」

「殺された!? 一体誰に……?!」

「毒蛇よ。……この大蛇の風穴を住処にする、毒蛇」


 幼少期から可愛がってくれたカルメラの死。ラミの口から告げられた事実はルミの表情を強張らせるのに十分だった。


「ここからはラミ一人でやるわ」

「あなた一人にやらせるわけにはいきません」

「あら、ラミの御守りでもしてるつもり?」

「ええ、私はあなたの長女ですから」


 二人が見つめる先は末広がる暗闇。それらをかき分けるように二人は足並みを揃えると、妹のヤミの元へ向かうために薄暗い下り坂を駆け抜けていった。 



────────────────────



(……深いな)


 ロックとエリンと別れた後、私は整備されていない下り坂を駆け下りていた。決して速度を落としていないというのに、未だ出口すら見えてこない穴底。深淵とも呼べる闇の深さに私は眉を顰める。


(これは……)


 やっとのことで足元が平地へと変われば私はゆっくりと速度を落とす。やや視界に映り込むのは人影。それも二人や三人という規模ではなく、百人は優に超える数。  


(騎士団長やらと同じ状態、か……)


 口を大きく開いて天井を見上げる双子の子供。その子供たちを守ろうと両手を広げる母親。天井に向かって斧を振り上げる老人。剣を抜く寸前で固まった騎士たち。安否を確認してみるがどれも反応はない。


(石と変わらんな)


 例えるなら塗料で彩られた石像。試しに力を加えてみるが人間一人とは思えないほどに重量がある。私は周囲を見渡しつつも歩を前へ前へと進め、


(メデューサとやらはどこにいる?)


 最深部らしき広い空洞が目の前に広がった。天井を見上げれば東側の壁と西側の壁を繋ぐような天然橋がいくつも掛けられ、その上には石像となった人間が並べられている。

 崖から下を覗いてみれば赤い瞳の模様をした蛇共が死体に群がるウジのように蠢く。


(……いや、まずはあの花園女と使用人を見つけるのが先だ)

 

 ミールとヤミをこの最深部まで連れて行ったと蛇女共は述べていた。私は血涙の力の一つ『Fractalフラクタル』を発現させ、手から蒼い蔓を伸ばし通路となった岩まで飛び上がる。

 

(人間を採取する意図でもあるのか……?)


 手が届かない場所に掛けられた天然橋。並べられた人間たちが自力で上ったとは考えにくい。つまりメデューサが何かしらの理由でわざわざ並べたということになる。

 

「……!」


 唐突に響くのは岩石が砕ける音。私は東側の天然橋へと飛び乗れば、先ほどまで乗っていた足場が瞬く間に崩壊し、人間たちは崖の下へと自由落下する。そして表情や体勢が変わる様子もなく、蛇共の群れに呑み込まれるように沈んでいく。


(足場が老朽化していた? だが落下位置はすべて蛇共の群れに──)

「ん、ここは──うわあ"ぁあ"ぁあぁぁあーーッ!?! ん"ッぐぉおおおッ!!?」

「きゃあ"ぁあ"あ"ぁああーーッ?!! うッん"ん"ん"ん"ーーッ?!!」

 

 その途端、蛇共の底から次々と聞こえてくる人の悲鳴。口の中へ蛇が潜り込んだのか悲鳴はすぐに呼吸が詰まる音へと変わる。


「まさか……」


 更に崩れ落ちていく天然橋。乗せられていた人間たちは餌を求める蛇共目掛けて落下する。私は西側の壁へ叢雲を突き刺してからその上に飛び乗ると、左手で顔の左半分を押さえ仮面を装着し、


「──Masqueradeマスカレイド


 仮面を付けた女の頭部を影からいくつも具現化させる。女の頭部で落ちていく人間を咥えさせ、空いている右手では蔓を伸ばして持ち上げ、複数回に渡り足場へ乗せていくのだが、


「ひぃいいぃいぃッ!?!」

「だ、だれかッ──ぐぎゃぁあぁあああッ!?!」

(……手が足りん)


 膨大な数に手が回らない状態。崖の下から響き渡る悲痛な叫びに私が顔をしかめていると、


(……足場にも限界があるか)

 

 避難場所として乗せていた中央の足場へ微かに亀裂が入る。乗せられる人数の限界寸前。ならばと私は右手の蔓を収めると本を具現化させ、


Omenオーメン


 発光した蒼色の文字を足場へと無数に刻み込み、崩れぬよう支えることにした。


(……あれは)


 視界の隅に映り込むのはミール、ヤミ、ラファエルの三人。私はすぐさま女の頭部に指示を出し、三人が餌にならないよう咥えさせるのだが、


「い"ッや"ぁあ"ぁぁあ"あ"ッ!!」

「ん"ん"ん"んーーッ!!?」

(……許せ)


 反対側の市民まで手が回らず、蛇の深淵から悲鳴が反響するように聞こえてくる。思わず歯軋りの音を立て、三人を最深部の出口付近へと移動させた。


『シャボン玉ァ飛ンダァ~♪ 屋根マデ飛ンダァ~♪』

「──ッ!」


 瞬間、どこからともなく聞こえる幼い歌声。左右から岩壁に締め上げられ喉元と両脚へ鋭利な岩牙。何が起きたのかと理解するのに時間はかからなかった。


『屋根マデ飛んでェ~♪ コワレテ消エタァ~♪』

(壁から、蛇の頭部を……っ)


 私の全身を一口で噛みついているのは蛇を模った岩。背後から鋭利な牙が喉元と両脚を貫き、身体を噛み砕こうと顎の力を込める。


『シャボン玉消エタァ~♪ 飛バズニ消エタァ~♪』

(右手は使えんな)


 具現化させた本を握る右手は避難させた人間たちの足場を担う。私は女の頭部を手繰り寄せると背後の壁へと突進させ、岩の蛇を粉々に破壊し、壁に突き刺してあった叢雲を引き抜かず離脱をするが、


ウマレテスグニィ~♪ コワレテ消エタァ~♪』

(……やるしかないか)


 あらゆる方角から岩の大蛇が襲い掛かってきた。避け切れないと女の頭部を正面から大蛇へ衝突させて対処する。だが大蛇の頭部が砕ける度に女の頭部も消滅してしまう。


風々カゼカゼ吹クナァ──』

(メデューサ本体はどこにいる……?)


 女の頭部が完全に消滅した後、一匹の大蛇が突進を仕掛けてくる。左手の仮面を解除し、フラクタルの蔓で手繰り寄せたのは長刀叢雲。

 受け流す構えで上手く軌道を逸らせたが、後続の大蛇を対処しきれず、噛み潰されないよう左腕と両脚で上顎と下顎を押さえ込んだ。


『──シャボン玉ァ飛バソ』

「……ッ」


 その隙を狙う岩の大蛇。真横から直進で接近し私の肉体へ牙を立てて噛みつく。そして反対側の壁に叩きつけ、動けぬよう捕縛した。


『キャッキャッ♪ シャボン玉、壊れなかった♪』

(この声は恐らく……)


 無邪気な声と共に天井に浮かび上がるのはエウリュアレを喰らった女の顔。縦の模様が刻み込まれた蛇の瞳、人と変わらぬ高い鼻、そして綺麗に生えそろった牙。私はその女を睨みつける。


「貴様がメデューサとやらか?」

「ソウだよ。ワタシは二ノ眷属Medusaメデューサ。ホンモノの、二ノ眷属」

「……本物だと?」 


 私がそう聞き返せばメデューサはその巨大な顔を天井からこちらへ近づけてきた。長い首のようにも見えるがやはり顔と同じく血が通っていない。

 

「二ノ眷属はワタシだけしかイナイもん」

「何を言っている? 貴様には姉妹がいるはず──」

「オネエちゃんじゃない。あんなの、オネエちゃんじゃないッ!!」


 そう言いかけた途端、怒声にも近い言霊をぶつけられる。私は思わず口を閉ざすとメデューサは不気味な笑みを浮かべた。


「ワタシのオネエちゃんはだーれにもマケない。すっごくツヨくて、ヤサしくて、ワタシをマモッテくれる。ソレが、ワタシのオネエちゃんだもん」

「……なるほど。どうりであの蛇女を喰い殺したわけだ」

「キャキャッ! チガうよ、ワタシはオネエちゃんをツクり直しただけ! いっぱいヒトをタベて、ワタシがダイスきなオネエちゃん、オニイちゃんにね!」


 図体に見合わない無邪気さ。言葉の節々に含まれる狂気。過去に何度もステンノとエウリュアレを喰い殺し、その度に作り直してきたのだと悟る。 


「……そーだ、ねぇねぇ! オネエちゃんはワタシのオネエちゃんになってくれるでしょ?」

「何を言っている?」

「ダイジョウブだよ! オネエちゃんはシャボン玉じゃなかったもん! すーっごく壊れにくいし、ワタシのオネエちゃんになれる!」


 そう言いながら不気味な笑みを浮かべれば、視界の隅で動くのは足場に乗せられた人間たち。


「……あれ? 俺はどうしてここに?」

「暗くて何にも見えないわ……。誰か、誰かいないの?」

「おかーさん、おとーさん? どこ、どこぉっ!?」


 その全員が状況を把握しきれないままうろうろと歩き回る。なぜ元の姿へと戻したのか。メデューサの意図が読めず、私はしばし眉を顰め、


「それに──オネエちゃんはヤサしいもんね?」

「……ッ」

 

 意図に気が付き、本を持っていた右腕を引っ込めようとした。しかし間に合わず壁から飛び出した岩型の大蛇に右腕を噛みつかれる。岩の牙が上腕と前腕に突き刺さり、全身を駆け巡るのは肉が抉れる苦痛。


「オネエちゃんはヤサしいからァ……。いっぱいのシャボン玉をマモろうとガマンするんでしょ?」

(馬鹿げた真似をっ……)

「キャキャッ! 変なチカラを止めたらハナしてあげるよ? ほら、どうするのヤサしいオネエちゃん?」


 本を手放すことでオーメンの効力を失ってしまう。それが意味するのは何も知らぬ人々の足場が崩壊するということ。私がこの場で耐えなければ足場は崩れ、あの人間たちは蛇共の餌になる。


「……ッ」

「キャッキャッ! スゴイスゴイ! すっごくガマンづよいねオネエちゃん!」


 私の立場を理解したうえで、岩の大蛇が突き立てる岩の牙が動き始めた。右腕の筋肉を引き裂き、正常な関節を粉々に壊そうと顎の力を強めていく。


「貴様ッ……」


 左手に握りしめていた長刀で身体を捕縛した蛇を幾度も突き刺すが、痛覚が通っていないのかまったく狼狽えない。


(──インフェルノ)


 ならばと全身を蒼色の獄炎で纏う。しかしそれでも岩の大蛇は狼狽えず、私の身動きをじっと封じるままだった。


「おい、何だあの炎は?」

「明かりかしら……?」


 暗闇を照らす蒼色の炎。足場でうろうろとしていた者たち全員がこちらを見上げる。

 

「走れ……ッ」

 

 先ほど背後から噛みつかれた際に声帯を負傷している状態。この状態では掠れた声しか出せず、到底人々たちへは届かない。


「ほらほら、ヤサしいオネエちゃん? このままだとオテテがコワれちゃうよ~? ハヤく本を離さないとぉ~!」

(……打開策が、見えんな)

「キャキャッ! オネエちゃんほんっとにヤサしいね~! ワタシ、ヤサしいオネエちゃんダイスキだよっ!」


 右腕の痛覚すら失われていく感覚。その最中でも血涙の力『Spiralスパイラル』で右腕を再生しながら耐えていたのだが、


「でももういいや、コワレちゃえ」

「──ッ」


 手加減していた大蛇の咬合力こうごうりょくが一気に強まり、私の右腕は血飛沫を噴き出して使い物にならなくなる。当然オーメンの効力もかき消され、


「うおゎぁあぁああッ!?! 崩れるぞぉおぉッ!!?」

「きゃああぁああぁッ……!?」

「おとぉーさん! おかぁーさぁあぁんッ!!」


 人々の足場は跡形もなく崩壊し、無数の蛇が蠢いた餌場へ落下していく。私は壁に長刀を突き刺してから『Fractalフラクタル』の蔓を伸ばそうとしたが、


「ソンナことしなくていいよ。だってシャボン玉だもん。いつかはコワレちゃうから」


 メデューサの右頬から岩の蛇が飛び出し左腕を壁へと拘束する。完全に身動きが取れない状態となった私は、

 

「いぎぃああぁあぁあッ?!! やめろッ、俺から離れろぉおッ!!!」

「いやぁぁあ"あ"ッ!? いッ──うッんぐぅううぅうッ!?」

「い"たいッ、い"たいよッ……!! おとぉさぁん、おかぁさぁあぁあんッ!!」


 ただただ餌となって沈んでいく者たちの声を聞くことしかできない。私は無意識のうちに左手で拳を作る。


「キャッキャッ! イラナクなったオネエちゃんとオニイちゃんをタベて、ワタシもうお腹いっぱいになっちゃった!」

「……要らなくなった?」

「キャッ、そうだよ? みんなみんな、ワタシのオネエちゃんやオニイちゃんになってくれなかったもん」


 気に入った者だけをこの最深部まで誘っていたメデューサ。その顔はどこか物寂しそうだった。


「ダカラ、もうイラナいでしょ? イラナいから、タベちゃうの」

「どういう意味だ……?」

「キャキャッ! シラナイんだオネエちゃん! このすーっごくヒロいおうちは──ワタシのお腹の中だってコト」


 蛇の瞳を黄金色に輝かせこちらの顔を覗き込んでくるメデューサ。満足そうな顔で舌なめずりをする。 


「オネエちゃんが入ってきたイリグチはぁ、ワタシが開いていたクチでぇ~。オネエちゃんが歩いていたのは、ドウクツじゃなくてワタシのお腹のナカなんだよっ!」

「なら大蛇の風穴とやらが増え続けているのは……」

「ワタシがもっともっとゴハンをいっぱいタベたかったから! んーっと、アトはオネエちゃんとオニイちゃんが欲しかったから!」

 

 大蛇の風穴はメデューサの口。襲い掛かってきた脱皮型や崖の下に群がる無数の蛇は生体防御の免疫を担当する細胞。人間で例える赤血球や白血球。すべてを辿ればメデューサに帰結するらしい。


(つまりここは──メデューサの胃袋)


 深い深いこの空洞で地上の人間たちを喰らい続けてきた深淵そのもの。ヒュドラとは比にならない馬鹿げた存在。決定的な一打を与えるには情報・・が無ければ不可能。


「キャッキャッ! おててがコワレちゃったけどオネエちゃんはへーきだよね! だってシャボン玉じゃないんだもん!」

(……だが)


 ここで詰む・・わけにはいかない。目の前に吸血鬼共に従える眷属がいるのなら始末するまで喉元へ喰らい付く。両手両足が使い物にならず、満身創痍の肉体になろうとも。


『こういう時はさ──俺がお前を支える脚になるよ』

(不正直者め)


 私の傍に三本目の脚はもういない。脳裏を過る様々な言葉。単一、孤立、暗闇、一人、単独、苦痛、独り、暗闇、孤独──結局は普段の状態へ戻っただけに過ぎない。そう言い聞かせ、目の前に漂うメデューサの顔へ冷めた視線を送る。


「キャキャッ、アソぼーよオネエちゃん! ワタシずっとタイクツしてたの!」

「……あぁ、相手をしてやる」

「ホントホントッ?! ナーニでアソぶの、ナーニでアソぶの?」

「貴様と私で競い合う娯楽の一環。この娯楽の勝敗条件は──」


 そして体内に這わせていたフラクタルの蒼い蔓を操りながら、八尺瓊勾玉という名の焙烙玉ほうろくだまの栓を抜くと、


「──先に地獄ゲヘナへ叩き落とした方の勝ちだ」


 メデューサの顔の前へ放り投げ、自身を巻き込む覚悟で大爆発を巻き起こした。

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