8:24 Three Gorgon Sisters ─ゴルゴン三姉妹─
下層から聞こえてくる脱皮型と大蛇が蠢く耳障りな音。私たちはそれらを聞きながら東側の通路を突き進んでいた。辺りには穴らしきものは見当たらず、脱皮型が潜める場所は見当たらない。
「マジ、あの化け物と鉢合わせしなくて良かったわ……」
「あー、新副団長様? 会わねぇってことは逆にやばくね?」
「は? 何でよ?」
「敵の出ねぇ道はボス前ってことじゃんか」
脱皮型と大蛇を統率するナニカが待ち受けている。ランプとスマホの明かりが照らす闇の奥。どうも嫌な気配を感じる。
「そろそろ広い場所に出るよ」
数分ほど歩けば通路の終わりが微かに見えてきた。先頭を歩くラファエルの言葉に私とロック以外の騎士が息を呑んで、鞘に納めた剣へ手を触れる。
「ここは、宮殿の中……?」
「おー、すげぇ緑じゃん」
視界に映し出されたのは宮殿の内部。隅に立っているのは無数の燭台。電気とやらを利用しているのか、緑を基調とした眩い光源が宮殿内を照らす。
「ねぇ、ここ地下でしょ? 何で窓から光が入ってんの?」
「んぁ? スマホみてぇな光を使ってんじゃね?」
中央には貴族が歩くための緑の絨毯が敷かれ、その両脇には人が通れるほどの大きさを持つ窓。外側から窓を照らす緑の光は、蛇が波状運動する姿が描かれた模様を床へと映していた。
(二つの玉座と、あの時計は……)
宮殿の奥。そこには二つの玉座が目立つように置かれていた。玉座の後方には古時計やら懐中時計やらが無数に飾られ、その秒針を刻み続ける。
「マジに意味わかんない。こんなに時計を集めて何がしたいの?」
「それにどの時計も時刻が全然違うみたいだ。左端のは六時、右端のは十八時を指しているけど──」
先頭を歩いていたラファエルがそう言いかけた途端、その場に身体を硬直させる。私たちは玉座から数メートルほど離れた地点で歩みを止めた。
「……エル? なんかあったの?」
「……」
「エル?」
ベッキーがそう呼びかけるが反応はない。私は奇妙に思いベッキーの横を通り過ぎると、ラファエルの顔を覗き込んでみる。
「おい」
「……」
「目を覚ませ」
「ちょっ、エルを叩くな!?」
間近で呼びかけても反応はなし。ならばと試しにラファエルの右頬を軽く叩いてみたのだが、
「……妙だ」
「は? 何が妙なの?」
「この男は瞬きどころか呼吸すらしていない」
その感触はまるで石像と変わらない。死体のように冷めた体温。心臓すら動いておらず、ただ時計の飾られた壁を見つめている。
「あ? そいつ死んでんの?」
「知らん」
何よりも不気味なのは目を見開いた顔。天井に張り付いたナニカを見てしまったかのように驚きと恐怖に満ちているのだ。
「エル!? しっかりしてよエル!」
「呼びかけても無駄だ。今は周囲の警戒を──」
「ねぇあれ、なに……?」
そう言いかけた途端、呆然としたエリンが指差すのは天井。気が付けば私たちを照らすのは深緑の光、伝わるのは焼けるような灼熱。顔を上げると深緑の炎球が雨のように降り注ぐ。
「おっ、でっけぇ火の玉じゃん」
「言ってる場合……!?」
「走るぞ」
少しでも触れれば間違いなく灰に成り果てる。私たちは来た道を引き返し、灼熱の炎球の隙間を駆け抜けた。
「はぁ!? 出口がないんだけど……!?」
「こっちにもありません!」
しかし入ってきたはずの入り口がどこにも見当たらない。私たちはその場で振り返る。
「おっ、もっとでけぇ火の玉じゃん」
「マジでやばすぎッ!! このままじゃ巻き込まれッ──」
風を切りながら向かってくる巨大な炎球。私はやむを得ないと地を蹴り、巨大な炎球と対面すると、
「──
「えっ? 何で炎があいつから……?」
血涙の力を発現させ、蒼色の獄炎で同じような炎球を右手に作り出す。そして向かってくる深緑の炎球と正面から衝突させた。
(……あの犬共と似ている)
互いの炎球がほぼ同時にかき消され五分五分の力量。私の脳裏に過るのは実習訓練で遭遇した一ノ眷属ケルベロスとやら。
「……! 何か来るわよッ!」
そんな他所事を考えているとベッキーの声が耳まで届く。玉座からこちらまで伸びてくるのは六本の腕。手には蛇の模様が描かれた大剣が握りしめられている。
「腕が伸びるってことはゴム人間じゃね?」
「知らん」
ロックにそう返答してから短刀を引き抜けば、六本の腕は蛇のように宙を漂い、大剣を振り回し連撃を繰り出してきた。私は距離を測りながら身軽な動作で回避する。
(……受け止めるのは愚策か)
風を切る音と石の床が砕ける音。吸血鬼で例えるなら伯爵かそれ以上の怪力。私は逆手持ちに切り替えた短刀で大剣の軌道を逸らす。
「ベッキーさん、援護に入りましょう!」
「は? ……あぁもう! やってらんないわよほんとッ!!」
すべての腕が私へ注意が向いているのに気が付いたエリン。騎士の剣を抜いて果敢にも西側の腕へ、ベッキーもやけになりつつも東側の腕へ斬りかかった。
「てやぁあぁあーーッ!!」
「こんのぉおぉッ!」
エリンとベッキーの一太刀によって瞬く間に手首から先が斬り落とされ、二本の腕が玉座の方角へ引っ込んでいく。これで六本のうち残されたのは四本。
「おっ、んなら俺も便乗するわ」
ロックは普段の調子でそう述べると短刀を抜刀しながら、狙いを定めた腕へと一瞬で距離を詰める。流れるように振り下ろされる刃が手首を斬り落とせば、
「あ? 俺にキレてね?」
残された三本のうちの一本が大剣でロックの首目掛けて薙ぎ払う。私は空いている方の手で長刀を抜刀し、その腕を斬り捨てた。
「俺のこと好きじゃん」
「抜かせ」
そして私とロックが互いの背後を補うようにすれ違い、残り二本の腕をほぼ同時に斬り落とす。大剣はすべて地面へ転がり、腕はすべて玉座へと引っ込んだ。
「へェ、なかなかやるねェ~?」
賞賛と期待が込められた声。私たちは自然と二つの玉座へ視線を向ける。見えるのは二人ではなく──
「コドモたちのエサにしようかなァって思ったけどォ……。ボクたちの晩御飯にしちゃおっかネエ様?」
玉座を挟むように置かれた燭台に灯される緑の光源。映し出される左の玉座から聞こえる声の主。その主は上半身が真っ白な肌の裸体の人間、下半身は大蛇となる蛇女。蛇特有の蜷局を巻き、二つに割れた舌を出しながらこちらをじっと見つめている。
(……あの蛇女が腕の正体か)
左と右で三本ずつ生えている腕はすべて切断され再生している最中。どうやら先ほどの腕はあの女のものらしい。
「えぇそうね。
「お姫様とメイド……。まさかミール様のヤミのことじゃ……?」
蛇女に返事をするのは右の玉座に足を組んだ女性。真っ白な肌が透ける黒の婦人服を身に纏い、蛇のような眼球を持つ。何よりも奇怪なのは毛髪がすべて生きた蛇という箇所。
ベッキーは会話の中で発せられた「お姫様とメイド」という言葉に顔を険しくさせながらそう呟く。
「誰だお前は?」
「あら、ごめんなさいね。自己紹介が遅れてしまったわ」
婦人服の女は玉座から立ち上がると左手に深緑の炎球を具現化させ、蛇女は再生した六本の腕に新たな大剣を握りしめ、身体をうねらせ婦人服の女の隣に移動する。
「アタクシは愛しの
「ボクはネエ様の次女──二ノ眷属
「……やはり眷属か」
二ノ眷属を名乗るステンノとエウリュアレ。改良された食屍鬼が彷徨う時点で眷属が関与していると憶測は立てていた。だからこそ驚くことはないが、
「相棒」
「何だ?」
「あの蛇女たち強そうじゃね?」
「……あぁ」
二ノ眷属は無風の渓谷で遭遇した九ノ眷属ヒュドラよりも一筋縄ではいかぬ猛者の威圧を漂わせている。ロックの問いかけを肯定せざるを得ないほどに。
「クッククッ、ようこそ大蛇の風穴の深淵へ。アタクシたち『ゴルゴン三姉妹』でもてなしてあげる」
(……やるしかないか)
蛇の瞳に宿る殺気。私が透明な刀身の状態で長刀と短刀を構えれば、ロックたちはステンノたちを見据えて身構える。
「殺してくれとアタクシに願うまでじっくりと──」
「助けてくれとボクに願う間の一瞬で──」
ステンノから次々と放たれる深緑の炎球。接近してきたエウリュアレが振り下ろそうとする大剣。私はまず大剣を先に処理するためエウリュアレの背後へ回り込もうとしたが、
「「絶望しろ」」
「……ッ!」
身体の動きが突然鈍くなり、背後へ回り込む前に大剣が目前まで迫りくる。長刀で受け止めようにも腕が思った通りに動かず間に合わない。
「どいてッ──きゃあぁぁあッ?!!」
「ベッキーさんッ……!!」
私を突き飛ばして前に立つのはベッキー。薙ぎ払われた大剣を騎士の剣で受け止めるが、当然耐えられるはずもなく宮殿の壁まで吹き飛ばされ気を失ってしまう。
「相棒、何をぼーっとしてんだ──」
「退け」
いつの間にか接近していた深緑の炎球。駆け寄ったロックを蹴り飛ばし、蒼色の獄炎で相殺しようとしたが、
「──ッ」
血涙の力を発現させようとした時には私の身体へ深緑の炎球が衝突していた。全身が焼けるような苦痛に顔をしかめる。
「──
考えるべきは炎上による損害を最小限に抑える。私は炎上する前に全身を発火させて蒼色の獄炎で身を包み、深緑の炎をかき消したのだが、
「後ろよ!」
(また身体が鈍く……っ)
嘲笑うようにエウリュアレが背後から大剣を振り下ろしてきた。エリンに言われる前から気が付いてはいたが、身体が鈍いせいで振り向くことすらできない。
「よっと!」
大剣が私の頭部を割ろうとする寸前、飛び出してきたロックが私の身体を抱え、大きく後方へ飛び退いた。
「……礼を言う」
「ていうかマジで何してんだ相棒? なんちゃら騎士団よりも隙だらけじゃん」
「何故か思うように身体が動かん。恐らくあの眷属共が関係しているとは思うが……」
先ほどまで立っていた位置に突き刺さる大剣。エウリュアレは六本の腕を器用に動かして大剣捌きを見せつけてくる。
「ククッ、バートリ卿の血を継いでいるのにその程度?」
「知っているのか」
「ボクとネエ様はキミのことを教えてもらったからネ──偉大なる
「公爵……」
私は公爵にとって懸念すべき存在だと認知されているらしい。その事実を踏まえれば、私の情報は吸血鬼共に広がり始めていることを意味する。
「……なぁ相棒」
「何だ?」
「頭がもじゃもじゃした蛇女の背後、よく見てみろよ」
ロックが小声でそう伝えてきたため、言われた通りステンノの背後を観察した。見えたものは奥まで続く通路、そして宮殿の中央に硬直していたラファエルを脱皮型の食屍鬼が運んでいく姿。
「なんちゃらが言ってたお姫様とメイドってのは、あの奥に連れて行かれたっぽくね」
「……それが?」
「さっきゴルゴン三姉妹って言ってたじゃん? 残り一匹はあの奥にいんじゃねぇかなって」
長女のステンノ、次女のエウリュアレ。三姉妹と名乗るならば三女が存在する。私は通路の奥をじっと見つめつつ、ロックへ一瞬だけ視線を向けた。
「何が言いたい?」
「んぁ? 先行けよ相棒ってこと」
「……正気か?」
「いーや、俺は正気じゃねぇよ」
私の右隣で短刀を器用に回しながらそう答えるロック。相手は未だに判明しない何かしらの力を持ち、眷属という階級に居座る二匹。対してこちらは私を除けば、転生者のロックと戦えるかどうかも怪しいエリンという見習い騎士一人。
「私を先に進ませる意図は?」
「そんなもんねぇけど」
「……分が悪くなるだけだ」
「まっ、どうにかなんじゃね」
楽観的なロックに苦言を呈しても態度は何も変わらない。ならばと私はその提案を却下しようとしたのだが、
「わ、私も戦うッ……!」
騎士の剣を構えたエリンが自身を鼓舞しながら私の左隣に立った。
「んぁ? やれんの小便女?」
「や、やれるわよ! 私だって、騎士なんだから!」
「へー、でも震えてね?」
「う、うるさいっ!」
恐怖と緊張で小刻みに震える両手。その姿を目にした私はエリンを下がらせようとする。
「相棒、小便女はこれでも
「……」
「……早く行けよ相棒。あの皇女さま喰われたら雪月花は一生戻らねぇままだろ」
その言葉に私とエリンはロックの方へと思わず顔を向けた。ロックは至って真面目な顔でステンノとエウリュアレを眺める。
「あんた、雪月花のこと気にかけて……」
「ちげーよアホ。ケツ追っかけてる女が雪月花の故郷に用があんだよ。辿り着くには雪月花の連中が手を組まなきゃ無理じゃん」
「お前は自分の身を案じるべきだろう」
「別に死んでも構わねーよ。どーせ来世でまたこのケツ追っかけるだけだし」
調子に乗って私を尻を触ってくるロック。私は反射的に右脚に力を込め、ロックの尻を蹴り上げる。
「私の
「はっ、元一番弟子の間違いだっつーの」
その瞬間、上空から降り注ぐのはステンノの深緑の炎球。私は後方へ大きく飛び退くとエリンとロックはそれぞれ左右に回避する。
「ククッ、アタクシたちもお喋りに混ぜてくれないと寂しいわ」
「ネエ様にドーカン! ボクたちだって立派なレディーなんだよ?」
「あ? レディーじゃなくてメスの間違いじゃね?」
目指すべきはステンノの背後にある通路。距離は数メートル以上。相手はエウリュアレが前線を張り、後方でステンノが援護射撃をする陣形。破るためには不意を突く一手が必要になる。
「──
「おっ、炎上芸の次はエスパーか」
その一手を打つには血涙の力が最善。私は右手に見開き状態の本を具現化させ、落ちている六本の大剣へ蒼色に発行する文字を刻み込む。そして自身の周囲へと漂わせた。
「さっきから気になってるんだけど、あんたのその力って……」
「話は後だ」
エリンにそう返答し、空いていた左手で長刀を逆手持ちで握る。まずはあの眷属特有の奇妙な力に関する対抗策が必要だ。
「ハハッ、スゴいスゴい! その余興で思う存分ボクを楽しませてよネ!」
エウリュアレが蛇の下半身を波状運動させながら高速で距離を詰めてくる。私はその場から駆け出し三メートル、二メートルと距離を縮めたのだが、
「──!」
「アレ? どうして踏み出さなかったノ?」
嫌な予感がし反射的に後方へ飛び退く。瞬間、二歩進んだ先では振り下ろされた大剣が二本突き刺さった状態。その間は一秒足らず。
(残像が微かに見えた。ネクロポリスの修道女とは違うか)
ネクロポリスで出会った修道女の空間移動に酷似しているが、エウリュアレの残像は僅かに捉えられる。つまり今のは『速度を急激に上昇させた行為』に近い。
(……物は試しだ)
文字が刻まれた大剣を二本だけ操りエウリュアレの首元を狙う。一本目は注意を逸らすための横から大振り。二本目は確実に仕留めるための下から斬り上げ。順序を考えた上で大剣を操るのだが、
「ハハッ、ザンネーン! 外れでした~!」
(今のは……)
しかし何故か操作していた大剣がほぼ同時に動き、刃と刃が喧騒するように衝突し合い火花を散らす。ロックは私に手を貸すために動き出そうとするが、
「おっ……?」
身体が思うように動かせずその場で怪訝な表情を浮かべた。隙を作らぬよう無数に放たれるのはステンノの深緑の炎球。私に迫って来るのはエウリュアレの六本の腕。
「危ないッ!!」
「ウゲェッ!?」
エリンが全力で投擲した騎士の剣がエウリュアレの頭部に突き刺さる。私は蒼色の文字をその剣に刻み込ませ、
「失せろ」
「ウギャアァアッ……!?」
エウリュアレの頭部を真っ二つに斬り裂いた。その様子を視認したエリンはロックの元まで駆け寄ると左腕を掴み、
「おっ、なんか動けるようになったわ」
「そういうのいいから避けてッ!!」
向かってくる深緑の炎球を寸前で回避させるが、炎球がその場で爆発を起こす。ロックとエリンの周囲で煙が立ち込め安否は確認できないまま。
(……先にこの蛇女だ)
他人の心配をしている場合ではない。私は周囲に漂わせていた大剣で一斉にエウリュアレへ斬りかかろうと試みるが、
「ヨくも、ヨクもボクの顔にキズをつけたなァッ!?!」
前が見えているのか大剣を振り回してすべて捌き切った。視界の隅で動くのは立ち位置を変えるステンノ。
(なぜ移動を……?)
ステンノはまるでこちらの姿が捉えるように移動している。疑念を抱いた私は気が付かれぬよう、エウリュアレの身体の陰に隠れながら、ステンノの視界に入らないよう立ち回った。
「くッ、こんのぉッ!! ちょこまかとウザったらしいんだよネッ!!」
(……蛇女が奇妙な動きもせず、身体が鈍くなる感覚もないな)
エウリュアレは私の猛攻を防ぐことで手一杯なうえ、動きの速度を急激に変える様子もない。更に突然身体が鈍くなるような感覚も訪れることがなかった。
「あぁッ、やっと見えてきたよ! 今度はキミの顔をツブしてあげるッ!!」
「……ッ!」
頭部が完全に再生した途端、操っていた大剣が言うことを聞かなくなり、エウリュアレの動きが急速に変化する。私はその場で軽く身を回転させて、奇襲と変わらぬ剣技を避けたのだが、
「──ッ」
「ハハッ、捕まっちゃッたネ!」
蛇の下半身で私を捕縛するとそのまま締め上げる。右手に握りしめていた本を床に落とし、オーメンの効力が解除され、浮かんでいた大剣は床へ落下してしまう。
(またこの感覚か……)
血涙の力を発現させようにも身体が鈍くなり動かない。やはりと言うべきかステンノの視覚に入っている。というよりエウリュアレが私がステンノへ見えるように位置を調整しているのだろう。
「テイコウしなくても大丈夫~? ボクがちょっとホンキを出しちゃえば、全身がコナゴナになっちゃうんだよ?」
「──ッ」
全身の骨と筋肉が嫌な悲鳴を上げる。私は鈍くなった身体に伝わる苦痛に半目になりつつ、長刀を握りしめた左腕を動かそうと試みる最中、エウリュアレは二つに分かれた舌で私の左頬を舐め上げる。
「ハハッ、ボクはこまかーく肉を切り刻んで食事するタイプだからサ。関節の一つ一つを折り曲げたり斬り落としたりするんだよネ」
(……詰みが近いか)
「バートリ卿のコドモってどんな味がするのか楽しミ。ネエ様にもワケてあげるからネー!」
「ククッ、分ける部位は熱が通りやすいところを頂戴ね」
肺が押しつぶされそうになり乾いた空気を吐く。意識は朦朧とし全身の神経が機能を失っていく。
「おいなんちゃらヘビ」
人生の詰み。そんな言葉が浮かぼうとした時、立ち込める煙をかき分けるようにエウリュアレへ飛び掛かるのは、
「俺の女に──手ぇ出すんじゃねぇ」
「ウゲァアッ!?」
拾った大剣を振り下ろすロック。締め上げていた蛇の下半身を縦に両断すると、私の身体を抱えてエウリュアレと距離を取った。
「……礼を言う」
「うい」
そして自力でその場に立つと血涙の力の一つ
「相棒、満身創痍だけどやれんの?」
「……問題ない」
「んじゃ、『先に進ませ大作戦』は辞めて『蛇女お掃除大作戦』しちまうか。そっちの方が手っ取り早そうじゃん?」
「それで構わん」
左手に握っていた大剣を構えるロック。その瞳に宿るのは絶対的な自信。私は何も言わずにやや痺れる肉体を奮い立たせる。
「あのなんちゃらヘビってやつは俺が引き付けるわ。奥にいるヤツは頼んだ」
「……何か策でもあるのか?」
「まっ、何も考えずに突っ走ればいいぜ」
不敵な笑みを浮かべながら無数の炎球を放つステンノ。そして完全に下腹部を再生させたエウリュアレ。その二匹を私たちは見据え、
「行くぞ」
「んぁ、やってやろうぜ相棒」
その場から駆け出した。向かってくる炎球は速度が急激に変化するが、私とロックは斬り捨ててそのまま前進する。
「ハハッ、ボクを無視しないでよネッ──」
「無視してねぇんだよなぁ」
私に向かって薙ぎ払われるエウリュアレの大剣。ロックは両手持ちに切り替えた大剣で、庇うように迫りくる大剣を弾き飛ばす。
「アタクシを仕留めようとしても無駄よ?」
(やはりこの蛇女が……)
ステンノとの距離を詰めようとすれば例の如く身体が鈍くなる。やはりこの感覚はステンノが原因。しかしその事実に気が付いていたのは私だけではなく、
「今だ! やっちまえ小便女!」
「……分かった!」
「なッ、いつの間に……!?」
ロックも既に気が付いていた。ステンノの傍にある柱の陰から飛び出すのはエリン。握りしめているのは短刀草薙。
「てやぁあぁああッ!!」
「キャアァアッ!?!」
「ネエ様ぁあぁーーッ!」
一太刀を入れたのはステンノの目元。真横に斬り裂かれたことで紅色の血液と共に視界が塞がれる。すると私の身体は何の不自由もなく動くようになった。
(……妙な力を使う為に必要なものは
力の詳細は不明だが扱うためには目が必要になる。もっと言えば対象を目で捉えることが条件。頭部を潰された時のエウリュアレ、妙に私を視界に入れようとするステンノ。すべての行動に納得がいく。
「エ、エウリュアレ! アタクシを守りなさい!」
「はいネエ様ッ──ウギャアァアッ!?!」
「ほいっと、目玉潰れたら何もできねぇんだろ?」
ステンノに気を取られたエウリュアレの背後から飛び掛かり、こめかみに短刀を突き立て、並んだ眼球を一刺しするロック。これで邪魔者はいない。
「このッ、このぉッ!! よくもアタクシの目をッ……!!」
「未来永劫、この世に生まれ変わることなく──」
私は長刀を逆手持ちに切り替えると八咫鏡で紫外線を吸収させる。そして深緑の炎球を暴発させるステンノの心臓箇所に狙いを定め、
「──永久に眠れ」
「キャア"ァア"ァア"ッ!?!」
斜めに斬り裂いて肉体を真っ二つにした。崩れ落ちる肉塊と甲高い悲鳴。灰となって消えていくステンノ。
「ネエ様……」
「おっ、戦意喪失したんじゃね?」
エウリュアレは力を失くしてその場に座り込む。ロックは大剣の矛先をエウリュアレに向けて私へ微笑んできた。
「ア、アァアァッ……」
「んぁ? 家族殺されて意気消沈してんの? まっ、どーせお前も始末されるんだし変わんなくね──」
「ア、アァアァァアァアーーッ!!」
「……あ?」
姉が始末されたことで哀しみと怒りに浸っているのではなく、ただただ恐怖に怯え始めるエウリュアレ。その反応にロックも首を傾げる。
「んで急に怯えてんの? 俺らがブギーマンにでも見えた──」
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイッ!! メデューサ、違うんだよメデューサッ!! お姉ちゃんなんだよ、ほんとに、ボクらはほんとにメデューサのお姉ちゃんなんだッ!!」
「……おっ、なんか揺れてね?」
エウリュアレは恐怖のあまり涙を流しながら、天井を見上げて六本の腕で手の平を合わせ懇願し始めた。懇願する相手は『
「その蛇女から離れろ」
「んぁ? 言われなくてもそうする──」
「助けて、ボクらを助けてよぉッ!!」
「離せっつーの! さっきまで殺そうとしてきたヤツを助けるアホなんていねーよ!」
ロックは衣服を掴んできたエウリュアレの腕を大剣で斬り落とし、私の方まで気味悪がりながら後退してくる。宮殿の揺れはより激しくなり、エウリュアレの表情は恐怖に支配されたものへと成り果ててしまう。
「もう一度チャンスをちょうだいッ!! ボクとネエ様で、おネエちゃんをやり直したいんだッ!! お願いメデューサ! ボクとネエ様で、次こそはメデューサのおネエちゃんになるからッ!! だから、だからッ……」
「なによ、あれ?」
エウリュアレが見上げる天井。そこに浮かび上がるのは精巧な女の顔。現実なのかそれとも幻を見ているのか。宮殿の一部として生きているかのように、巨大な顔で、鋭い視線でエウリュアレを見下ろし、
「ボクとネエ様をタベないでぇえぇえぇえーーッ!!!」
口を開きながら急降下するとエウリュアレを丸ごと呑み込んだ。聞こえるのは上顎と下顎を動かす間接音。骨や肉を噛み砕く音とエウリュアレの断末魔。私たちは言葉も出ず、その女の顔を眺めることしかできない。
(あの女がメデューサか……?)
スキュラやヒュドラとは比べ物にならないほどに奇怪かつ巨大。そんな女の顔に呆気に取られていると噛み砕いた何かを吐き出して、天井の一部として戻っていく。
「……今、何を吐き出してったの?」
メデューサがその場から姿を消すと視線は吐き出したナニカに向けられる。私は見覚えのある影に目を細めた。
「ククッ、挨拶が遅れたわね。アタクシは愛しの
「ボクはネエ様の次女、二ノ眷属
「う、嘘でしょ……。あいつら、どうして生きて……?」
立っていたのはステンノとエウリュアレ。メデューサから吐き出されたものは長女と次女。私たちの脳裏に浮かんだ言葉は、
「相棒」
「何だ?」
「あのでけぇの潰さねぇと──蛇女たち
不死という最悪かつ馬鹿げた名詞だった。
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