6:11 Fugitive ─逃亡者─


 私とキリサメはヴィクトリアたちに後を任せると、無風の渓谷を抜けるため奥地までの道中を逆走する。


「うおっ、なんだよこの死体……!?」

「擬態型の食屍鬼だ。あの女が始末したのだろう」


 ヒュドラが消滅したことで二酸化炭素の白煙はすっかり流れ去り、徘徊する擬態型の食屍鬼はソニアによって殲滅されていた。加護の聖炎で強行突破したのか、死体の状態は黒炭と酷似している。


「はぁはぁっ……き、きっついな……!」

「立ち止まれば置いていく」

「わ、分かってるって!」


 呼吸を荒げているキリサメを横目に坂を駆け上がり、私たちは別れ道まで戻ってきた。そして渓谷を抜けるための上り坂へその一歩を踏み出そうとした時、


「遅かったですね。てっきりソニアの餌になったのかと」

「ティ、ティアさん……」


 前方で待機するのは四ノ戒Tearティア Trevorトレヴァー。上り坂の先で私たちを見下ろし、長い黒髪をなびかせた。


「こっちの道は駄目だアレクシア! こっから北に向かうんじゃなくて、メサヴィラとかあの辺に逃げて──」

「私は貴方たちに危害を加えるつもりはありません」

「……えっ?」

 

 言葉の通り、ティアは私たちへ殺意や敵意を向けていない。呆気にとられるキリサメを他所に、私はあの女の素顔を隠す狐の面をじっと見据える。


「言葉だけでは信用できん。行動でその証拠を示せ」

「では、これでどうですか?」


 不信感を抱きながらそう要求すると、ティアは布に包まれた袋を二人分持ち上げる。そしてこちらの足元へ雑に放り投げてきた。


「武装?」


 袋の中身はリンカーネーションの制服やルクスαなどの武装一式。拭えない不信感にしばらく俯いていれば、ティアはゆっくりと私たちへ歩み寄る。

 

「なぜ私たちへ手を貸す? 誰の差し金だ?」

「いいえ、これは差し金ではありませんよ。私の独断に過ぎません」

「独断だと? 私たちに手を貸したところでお前に何の得もない。わざわざ十戒という身分を危うくさせてまで、私たちへ手を貸す理由でもあるのか?」


 それこそティアは不利益を被ることを酷く嫌悪するだろう。私はどうしても納得が出来ず、眉間にしわを寄せたまま顔を上げた。


「貴方は誤解をしています」

「……誤解?」

「悪意のある編集によって偽造されたあの動画は、貴方だけを追い詰めるものではありません。リンカーネーション……皇女であるヘレンの立場をも揺らがせます」

「どういう意味だ?」


 ティアは自身の懐からスマホを一台取り出すと、私たちへ画面を見せながら偽造された動画を再生する。


「市民にとって貴方の存在は『人にふんする吸血鬼』です。この制服から市民は『吸血鬼がアカデミーへ入学していた』のだと予測するでしょう」

「……それで?」

「仮にリンカーネーションへの反発が起きた場合……今まで隠蔽してきた『本試験で子爵が紛れ込んでいた件』や『ドレイク家の件』について露呈します。これを隠蔽していたのは皇女のヘレンです」


 動画に映り込む私は制服姿。加えて本試験や実習訓練の一部始終すら映されている。私の存在が吸血鬼として認識されれば、まず間違いなくリンカーネーションという組織自体が反発されるだろう。


「これは貴方を陥れるためでもあり、私たちの信頼性を失わせるための策略。ここまで話せば分かりますよね? 何故リンカーネーションが貴方を狙っているのか」

「……信頼を取り戻すためには、私を吸血鬼として・・・・・・殺すしかない。それこそ町中の断頭台でな」

「う、嘘だろ?! それじゃあ、もしアレクシアが捕まったりしたら……弁解もできずに処刑されるってことか!?」

「そうなります。貴方一人の命とリンカーネーションや皇女の立場。天秤にかけた時、どちらを優先するかは明白でしょう」


 あくまでも生け捕りを優先し、抵抗すれば殺すこともやむを得ない。リンカーネーションはあの動画による騒ぎを一早く収めるため、私を血眼で追いかけてくるはずだ。


「ですが私は公然の場で貴方を処刑するのは愚策だと考えています」

「その理由は?」

「仮に貴方を処刑したところで『人に扮する吸血鬼』が存在する事実が広がれば、人が人を心から信頼できなくなるはずです。それは私たちにとっても致命的な欠点となります」

「ならこの事態をどう収拾する? 何か他に考えでもあるのか?」


 私がそう尋ねれば、ティアは右手の人差し指を私の額へと触れさせた。


「貴方の存在を──容認させることです」

「……正気か?」

「正気です。動画が偽造された以上、貴方が吸血鬼ではないと否定することはできません。なので容認させます。危険な存在ではなく、私たち人類に加担する希少な存在だと」


 私は冗談かと表情を険しくするが、ティアの眼差しに揺らぎはない。吸血鬼でありながら人でもある私の存在を、本気で容認させようとしている。


「ですが準備に少々時間がかかります。それまで貴方たちは逃げ続けてください」

「あの、いつまで逃げ続ければいいんすか?」

「恐らく一ヶ月後には捕まるので……最低でも一週間は」


 一ヶ月後に捕まる。ティアは右手の人差し指を私の額から離すとそう断言した。私は布に包まれた袋を両手に抱え上げ、小首を傾げる。

 

「一ヶ月以上は逃げられないと?」

「不可能です。私が貴方の立場でも一ヶ月後には捕まります」

「言い切れる根拠は?」

「グローリアの体制を崩壊させようと企む人物。その人物が恐らくヘレンの上につくことになります。こうなればヘレンが直々に貴方を拘束しようと迫るでしょう」


 とある人物がHerenヘレン Arnetアーネットに命令を下す。その根拠はとても簡素なものだったが、実習訓練で伯爵と相まみえたヘレンの姿が脳裏を過ぎり、納得せざるを得なかった。


「それと霧雨海斗、異世界転生者トリックスターに与えられた使命。おおよそは理解しましたね?」

「まぁ、何となくは分かったんすけど……。ティアさんは異世界転生者なんですか?」

「……私はTearティア Trevorトレヴァーです。それ以外の何者でもありません」


 キリサメにそう問われたがティアは曖昧な答えを返すと、狐の面に右手を触れながら視線を逸らす。


「私からの話は以上です。この武装と共に渓谷を抜け、北へ逃げ続けてください」


 クルースニクの方角へ歩いていくティア。私とキリサメは顔を見合わせ、無風の渓谷を抜けるための上り坂を駆け上がった。


「これからどうすんだ? 北を目指すって言っても、どこかで食糧とか水を確保しないと……」

「まずはSenzaゼンツァと呼ばれる町へ向かう。それまでは野宿や狩りをしてやり過ごす」


 地図を確認してみればSenzaゼンツァという名の町に赤い印が付いている。恐らくヴィクトリアは「ここに向かえ」と指示したいのだろう。


「の、野宿か。キャンプ地みたいにテントとかは……?」

「そんなものはない」

「で、ですよねー!」


 町の方角は無風の渓谷から北北西。徒歩で一日か二日程度かかる距離。私は地図を仕舞うとキリサメと共に無風の渓谷を駆け抜け、森の中で立ち止まった。


「なぁその火傷、そのままにしてていいのか?」

「いずれ治るだろう」

「いやいや、簡単な治療ぐらいはした方が……あっ、そうだ! アレクシア、ヒュドラから新しい力を貰っただろ?」


 キリサメはいい案だと言わんばかりに、私へ血涙の力を試すよう促してくる。正直あまり気乗りはしなかった。


「そう都合のいい力だと思わんが……」


 だが物は試しという言葉があるように、どんな力であれ試用する価値はあるだろう。私は大きく深呼吸をすると意識を集中させる。


『バートリ殿の娘よ。ついにセッシャがキデンの一部となる日が来たか』

(……)

『キデンの言霊でセッシャは業物へと昇華する。さぁ、セッシャに新たな名を与えるのだ』


 脳内に映し出されたのは宙に漂う一匹の浮遊生物。半透明な巨体をゼリーのように震わせ、私へそう語りかけてくる。


「アレクシア、その力の名前は──」


 意識を集中すればするほど体内から僅かに蒼色の光が漏れ始めた。脳内に映し出された浮遊生物も蒼色に発光する。


「──Spiralスパイラルだ」

(……Spiralスパイラル


 名を与えた途端、蒼色に発光した巨体にいくつも穴が空くと、海水が流れ出てきた。体外へ溢れ出る程、その巨体は徐々に縮まっていく。


『御意、あずかり給ったセッシャの名はSpiralスパイラル。主であるキデンの名はAlexiaアレクシア Bathoryバートリ。キデンと共に修羅の道を歩もうではないか』 


 その肉体が本来の浮遊生物へと変わり果てれば、私を取り囲むようにして蒼い光の粒が無数に点滅した。


『バートリ殿はキデンに想いと宿命という名の重りを与えただろう。キデンがどのような修羅の道を歩むのか些か期待している』

(……お前は趣味が悪い)

『しかしキデンには境遇や環境を物ともせず、自身を貫き通そうとする強い意志がある。セッシャはその宿命への抗いを──ここでしかと見届けさせてもらうぞ』


 無数の光の粒が私の肉体に吸収されると、意識は現実へと呼び戻され、ゆっくりとこう呟く。


「──Spiralスパイラル

 

 すると聖炎でただれていた皮膚や火傷を負った皮膚が少しずつ再生を始めた。私はその光景に目を疑ったが、キリサメは「良かった」と胸を撫で下ろす。


「よくこの力が肉体の再生だと分かったな」

「ヒュドラの特徴って再生力の高さだからさ。血涙の力もそうかなって思ったんだ」

「……そうか」


 再生した火傷の箇所を確認してみれば皮膚の色がやや青みを帯びていた。どうやらすぐに完治というわけにはいかないらしい。


「……私は、人間なのか?」


 私は無意識のうちにボソッと呟いてしまう。今までの力も大概だったが、今回の再生能力は人間という実感をより遠ざけた。


「ん? 今なんか言った──」

「私は着替える」

「ちょ、ちょっと待て! 俺の前で着替えんなよ?!」

「私は何とも思わん。気に入らないのならお前が離れろ」


 クルースニク協会の制服を脱ぎ捨て下着姿となれば、キリサメは顔を赤くしながら急いで背を向ける。


「分かったって! 俺は向こうで着替えるから覗くなよ!」

「私の着替えを覗いておいて自分の着替えを覗くなというのか」

「お前が断りもなしに脱ぎだすのが悪いだろ!? あー、これからこういうことが毎日続くのかよ……」


 ブツブツと文句を言いながら草むらの陰に消えていくキリサメ。私はティアに渡されたリンカーネーションの制服を拾い上げ、


「……今日から逃亡者か」


 そよ風が吹いてきた方角へ顔を向け、制服へ着替えることにした。

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