6:9 Cecilia Bathory ─セシリア・バートリ─


 蒼い蔓で包み込んだヒュドラの本体を粉々に潰せば、雄叫びと共にゼリー状の頭部は爆散するように弾け飛ぶ。私もその衝撃で後方へと吹き飛んだが、


「うおっと……大丈夫かアレクシアっ!?」


 キリサメが私の身体を上手く受け止めた。ヒュドラが頭部を再生する気配はない。私は一度だけ深呼吸をすると、血涙の力をすべて解除する。


「おーおー、ヒュドラ様はちゃんとくたばったみてぇだなァ」

「おいメル! そのスナップボムは爆発するんじゃ……!?」


 ゲル状の液体が雨のように飛び散る最中、ピンの抜けたスナップボムを持って、こちらに歩いてきた。キリサメが声を上げるとメルは「バーカ」と返答し、


「こいつァダミーだ。中身はこの通り……空っぽさァ」


 スナップボムの中身を私たちへ見せてくる。用途は知能を持った相手への虚仮威こけおどし。メルは密かに中身を改良していたのだろう。


「んで、ヒュドラ様はどこにいんだァ?」

「んー? なんかそれっぽいのも見当たらないし、まさか崖から落ちたのか……?」


 三人で巨大な沼付近を捜索してみるがヒュドラの姿は見当たらない。私は右脚を引きずりながら、ふと辺りに散らばるゲル状の液体へ視線を向ける。


「おいおい、ボス戦後の会話がまだだぜェ。ヒュドラ様はマジで地獄の底に逝っちまったのかァ?」

「もしそうだったらやばい……。血涙の力を手に入れないとアレクシアの怪我が治らな──」

「貴様がヒュドラか?」


 焦燥感に駆られたキリサメの言葉を遮り、ゲル状の液体へそう呼び掛けた。メルは私の頭がおかしくなったのかと、眉間にしわを寄せながら首を傾げる。


何故なにゆえ……このような無様な姿を、セッシャだと見抜けた……?」

「カルキノスとやらの方へ触手を伸ばしたままだ」


 周囲へ無数に飛び散ったゲル状の液体の中で、カルキノスが転がる方角へ唯一触手を伸ばしていた。その姿に違和感を抱いたため、試しに声を掛けてみると案の定ヒュドラ本体。 


「……目を覚ませ」


 私は指先に切り傷を付け、足元にある液体へ血の雫を一滴だけ垂らす。


「うぐぬぉッ、ぐぬぁあぁッ!?!」


 苦しみに悶える声と震えるゲル状の液体。私はその光景を黙って眺めていると、


「セッシャは、バートリ殿の……ッ」


 自身の出生を思い出したようで伸ばしていた触手を私へと向けてきた。


「そしてキデンはバートリ殿の娘か……?」

「あぁ」

「そうか、そうだったのか。セッシャとしたことが……痴態を晒してしまいかたじけなかった」


 差し伸べてきた触手の先端に付着していたのは白く濁った水滴。ヒュドラは飲めと言わんばかりに、じっとこちらを見据えている。


「バートリ殿は討ち取られたのだろう。セッシャからしてやれることは、血涙の力をキデンへ託すことのみだ」

「理解が早いな。世迷言でも語り始めると思ったが……」

「もはや何も言うまい。バートリ殿が『吸血鬼と人の共存』を望んだ時、このような終幕を辿ると……セッシャはとうに見越していたのだ」 


 私は濁った水滴を右の指先に乗せ、ゆっくりと飲み込んだ。すると軽度の頭痛が脳内を駆け巡ると共に、使い物にならなかった右脚が骨格を取り戻し、あらゆる怪我が瞬く間に完治する。


「……お前もスキュラやスフィンクスと同じ考えなのか」

「やはり会っていたのだな。燃え盛る獄炎、どこまでも伸びる蔓、美しい女の顔、刻まれた文字を吐き出す本……。あの者共は何処へ?」

「消えた。私に血涙の力を託してな」


 ヒュドラは私の返答を聞くと伸ばしていた触手を引っ込め、ずるずるとカルキノスの元まで這いずり始めた。


「……バートリの娘、今すぐこの場から立ち去れ」

「なぜだ?」

Ceciliaセシリアは、あの娘はキデンを策に嵌めようとしている」


 セシリアという名をヒュドラが呟くと、沼の前に立っていたキリサメが一瞬だけ頬を引き攣る。私は仕舞っていた手紙を取り出し、這いずるヒュドラに見せつけた。


「そのセシリアとやらはどこにいる? お前やあの蟹はセシリアに何を聞かされた?」

「セッシャたちはこう命令されている。『この奥地へ片割れが姿を見せた時、構わず始末しろ』と」

「……この手紙は罠だったか」

「だがセシリアの野望はまだ始まってすらいない」


 ヒュドラはカルキノスの側まで近づくとゲル状の液体でその甲羅ごと覆う。


「セシリアは何をくわだてている?」

「もはや遅い。既にキデンは策に嵌められた」

「……お前は私に何が言いたい──」


 そう言いかけた途端、巨大な沼が水飛沫を上げれば人影が飛び出した。私たちはその人影を自然と目で追う。


「セシリアの野望。それはキデンの存在を──」


 人影は青色の長髪をなびかせ、宙で綺麗に何度か回転すると、


「──人間のかたきへと下落させることだ」


 背を向けたまま着地をし、履いていた黒のブーツでヒュドラを踏み潰した。包み込まれていたカルキノスは衝撃で崖際まで吹き飛ぶ。


「君たちに格言を与えよう」


 逆十字架の装飾品で髪を結び、黒を基調とした衣服のスカートは膝丈より上の丈。足元でヒュドラを踏み潰したことなど気にせず、私の方へ振り返ると、


「──美少女を待たせてはならない。常に美少女を待つ立場であれ」


 そう微笑みかけてきた。私は持っていた手紙を適当に投げ捨てる。


「誰だ貴様は?」

「私は君が待ち望んでいた美少女だよ」

「そうか。貴様がセシリアとやらだな」


 この女は間違いなくCeciliaセシリア Bathoryバートリ。一言二言の言葉を交わし、気味の悪い手紙を送った本人だと悟った。 


「そう、ついに美少女同士の再会……感動の再会だ。月夜の元で再会したかったが、まさかこの奥地には月の光すら届かないなんて。まったく、ムードを何も分かっていない」

「……」

「美少女同士の再会といえば三日月の元、生き別れた双子が巡り合う……というのが定跡。しかし片割れくん、どうして髪を切ってしまったんだい? 美少女には長い髪が似合うだろうに」

「……よく喋る女だ」


 流暢に喋り続けるセシリアに私は表情を険しくさせる。同じバートリ卿から生まれたのだろうが、ここまで内面が異なっているとは予想だにしなかった。


「あぁ忘れていたよ。美少女からのプレゼント、君は受け取ってくれたみたいだね」

「……? 何の話だ?」

「そこに立っているだろう? パートナー・・・・・という名のプレゼントが」

「まさか貴様……」

 

 私が視線を移した先はキリサメ。なぜこの男が生きているのか。その疑問に関与しているのはセシリアだと察する。


「しかし非常に残念だよ。美少女に相応しいパートナーというのは……『如何に美少女を際立たせられるか』だろう? 君のパートナーは美少女を際立てる役回りが向いていない。パートナーとしては三流だよ」

「貴様の下らん理想像など興味ない。私が聞きたいのはこの男をどうやって蘇らせたかだ」

「よし、君に教えてあげよう。美少女に相応しいパートナーがどんな人物であるべきかを」

 

 成り立たない会話を交わしながらセシリアは軽く手を叩くと、その後方から一人の男が歩いてきた。


「……」

「彼の呼び名は美少年くん。美少女に相応しいパートナーの理想形だ」


 暗い雰囲気を漂わせながらキリサメと似たような制服を着ている。私が見た目から異世界転生者トリックスターだと理解すれば、メルも眉間にしわを寄せつつ、暗い男を警戒した。


雪兎ユキト……あいつが俺を生き返らせてくれた」

「あたしもだぜェ。あの根暗様に現世へ引きずり戻されちまった」

「……何だと?」


 隣まで歩み寄ってきたキリサメの一言。私は聞き間違いかともう一度尋ねれば、セシリアはユキトの左肩を手で叩き、誇らしげな笑みを向けてくる。


「美少年くんの奇術トリックで君のパートナーを蘇生・・したのさ」

「蘇生……」

「私は美少女だ。例え宿敵だとしても手を差し伸べることもある。それに君は私の大切な片割れくんだ──」


 私は悠々と語っているセシリアを無視すると、地を蹴ってユキトの目前まで詰め寄り、右手を伸ばした。


「片割れくん、美少女はこっちだぞ?」


 しかしセシリアは私の右手首を掴み、ユキトまで届かないよう阻止し小首を傾げる。私はユキトを真っ直ぐ睨みつけた。


「……この男は存在してはならない。人間の死を無かったことにする奇術など、この世に存在するべきじゃない。だからこの場で消す」

「美少女より美少年に興味を示すなんて。君も貪欲だ──」

「よく聞け。貴様は善意であの二人を蘇生した。だがその善意は世界の均衡を崩す愚かな行為だ。不平等な死を、更に不平等なものへと変えてしまう。たかが善意で──人の生死に手を下すな」


 セシリアを無視しながら殺意を込めてユキトへそう訴えかける。ユキトは予想だにしていなかった、と息を呑んで後退りをした。


「まったく、君にこの格言を与えよう。『美少女に注目されるのではなく、常に美少女を注目する立場であれ』と」

「下らん」

「なら美少女が君と熱い握手を交わしてあげよう。このスマートフォンは餞別せんべつとして受け取ってほしい」


 私が伸ばしていた右手に自身の左手を重ね、強引に握手を交わすセシリア。そして私へスマートフォンを握らせると、キリサメの方まで投げ飛ばした。


「実は美少女から片割れの君にサプライズがあってね」

「……サプライズ?」

「スマートフォンの画面をよく見てみれば分かるさ」


 セシリアに促されるがまま、私は握らされたスマートフォンの画面を確認する。近くに立っていたキリサメやメルも画面を覗き込んできた。


『はぎぃあッ、だ、だずげでッ……!! だずげでぐれぇえ"ぇえ"ぇッ!!』

「これ、動画だよな……?」


 キリサメの言葉通り、スマホの画面に流れたのは動画と呼ばれる機能。しかし私はそこに映し出された動画に目を丸くする。


『ま、まっで、まっでぐれぇえ"ぇえ"ぇ!!』

「うげっ、んだよこんなクソ気分悪くなる動画はァ? 低評価ばっかついて収益止められんぜェ」

「……」

「ん? この廊下を歩いてるのってアレクシアか?」


 見慣れた廊下、聞き覚えのある食屍鬼、見覚えのある神父。背を向けて歩いてるのは幼少期の私だ。助けを求める神父を見捨てている。


『がはっ……ぐぁ……ッ』

『圭太ぁあぁああぁッ!!』

「な、何で俺たちが映ってるんだ?」


 次に映し出されたのは本試験の動画。私がルクス零式を振り下ろした後、イブキが倒れ、キリサメが叫ぶ姿が順番に流される。気掛かりなのは『まるで私がイブキを斬ったようにも見える』という点。


『ぐッ……あぁあぁ……ッ!?』

「この映像は……! 血涙の力が目覚めた時の!」


 ケルベロスの血の涙を口にし、私の肉体が再生していく場面。過去の私が酷い頭痛に悶えている。しかし原罪のステラ・レインズもアーサーも映り込んでいない。これでは私が吸血鬼共の一味として見られてしまう。


『ぐッ、げほッ、ごほッ!!?』

『それが全力の抵抗か?』

「ウェンディ! これはドレイク家の……!」


 次に移り込んだ場面はウェンディの首へ乗せた右脚に体重をかけ、気管を締め上げる私。周囲にキリサメやセバスたちの姿はない。傍から見れば、少女を殺そうとする非道な行いだ。


『ひぎッ、あぐッ、うっぐッ!?!』

「これはジェイニーさんの家で、決闘したときの……」


 動画に映り込む私は、ジェイニーの髪の毛を雑に掴み、石の床へ後頭部を何度も叩きつけていた。名家の人間を容赦なく痛めつける光景は、私に対して嫌悪感を覚える者も多くはない。


『もういい、黙れ』

『ごぼぼッ、げほッ、あッがッ──』

「こいつァ……ミネルヴァのクソ野郎だな」

 

 動画の私はナイフでミネルヴァの頸動脈を斬り捨て、喉元を押さえながら息絶えていくミネルヴァを眺めていた。そして残り数秒、最期に映し出された動画は、


『いッ、ぐぅあぁあッ……!?! なん、でッ……!?』

「お、おい、何だよこれ……!? こんなの、まるでアレクシアが俺を殺して……!」


 私がパニッシャーを発砲し、キリサメがもがき苦しむ姿。私がパニッシャーを発砲したのは恐らく吸血鬼共にならぬよう施した弔い。キリサメがもがき苦しむ姿はミネルヴァにナイフを刺されたときだ。


「……これがサプライズとやらか?」

「まだサプライズは残っているよ。美少女は常に人を笑顔にする存在だ」


 セシリアが指を鳴らすと突っ立っていたユキトが、隠し持っていたスマホを何十個も地面へ投げ捨てる。


「このスマートフォンをグローリアに住む人間たちへのプレゼントする。これが美少女からの最大のサプライズだ」

「スマホをプレゼント? そんなことをして何が──」


 キリサメはハッと何かに気が付き、落ちているスマホを拾い上げ、画面を何度か指先で叩いた。


「もちろん──その動画も込みだとも」

「……貴様」

「美少女は行動も早い。既にグローリアでは……美少女からのプレゼントで大盛況間違いなしだ」

 

 ユキトの後襟うしろえりを右手で掴んだセシリア。険しい表情を浮かべる私に誇らしげな笑みを浮かべ、


「アレクシア・バートリ。君の居場所は──この美少女の隣だけだよ」


 私とは真逆の右目を紅色に輝かせると崖際まで飛び退き、そのまま愛想よく片手を振りながら落ちていった。


「……厄介なことになったな」

「だ、大丈夫だって! 俺たちでこれは編集された悪意のある動画だって説明すれば──」

「色男ォ、動画と編集を説明したところで、グローリアの犬共が納得してくれるとは思えねぇぜェ」 

「……っ!」


 メルの意見にキリサメは言葉を詰まらせる。そもそもグローリアの人間はスマートフォンの存在すら知らない。更に内部の編集やら動画やらを説明したところで、簡単に理解するはずもないだろう。


「どーすんだァジョーカー。一旦クルースニク協会まで戻るかァ?」

「……今考えている」

「あぁ、これからは慎重に行動した方がいい! あんな動画を拡散されたら、普通敵だと思われておかしくな──」

「何だい何だい? ゴミ屑共をぶっ潰してやった次はぁ……でっけぇゴミ屑を見つけちまったじゃないか」


 着ているのはリンカーネーションの制服だが、色はすべて赤色。左右に携えられた二本のルクスαも赤色。長髪の色や瞳の色すら赤色だ。


「誰だお前は?」

「こんばんはお嬢さん。あたしは一ノ戒Soniaソニア Rainesレインズさ」

「十戒!? 何でこんなところにいるんだよ……!?」

「さてお嬢さん、まずてめぇはゴミ屑だ。ゴミ屑は存在する価値がない。存在する価値がないってことは生かす意味もない。生かす意味もないってことはぁ──」


 一ノ戒Soniaソニア Rainesレインズ。この女は仕舞ってあったスマホを片手で握り潰すと、鞘に納められた二本のルクスαを引き抜き、


「──ここでぶっ殺してもいいってことだろぉッ!?」


 身長が百八十は超える筋肉質な肉体で構え、ゴミを見るかのような目で私へ微笑みかけてきた。

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