6:8 Hydra C ─ヒュドラC─


 私の右腕を自身の肩に回すキリサメ。信じられない光景に目を疑いながら、呆然とした顔でキリサメの顔を見つめる。


「なぜ、生きている……?」

「あー、説明は後だ! 今はヒュドラを倒すぞ──」

「まさか吸血鬼共に魂を売ったのか?」

「ち、ちげぇよ!? 俺は人間だって!」


 蒼色の文字を侵食させたパニッシャーを宙で操ると、キリサメの背中へ銃口を突きつけた。私の右腕に伝わるのは人肌の温もりと心臓の鼓動。嘘を付いていない、とパニッシャーの銃口を離す。


「……なぁ、あいつはヒュドラだよな?」

「あぁそう名乗っていた。首を斬り捨てれば数を増やし、その再生力もスキュラとは比べ物にならん。情報もない状態で交戦した結果……この有様だ」

「ヒュドラは眷属の中でも上位に入るぐらい強いんだよ。その強さの秘訣は能力の多様さでさ。情報もないまま戦っても勝ち目がないんだ」

 

 勝ち目がない。キリサメがそうハッキリ断言したため、私はヒュドラの中央の頭部を見つめた。ゼリー状の頭部は真っ直ぐこちらを見つめ返してくる。


「お前の頭にヒュドラの情報は?」

「バッチシ入ってる!」

「そうか。ならこの場で──」 


 情報となる頭は私を隣で支え、不足するものは自由が利く右脚のみとなった。私は事足りるとその場で呼吸を整え、もう一度意識を集中させる。


「──あの"気取った蛇共"を始末する」


 影から飛び出す仮面を付けた女の頭部。本から飛び出す蒼色の文字。迫りくるヒュドラの獣の頭部たちを迎え撃つ。


「痴れ者が一人助太刀したとて、汝等うぬらにセッシャを討ち取ることなどできぬぞッ!」


 前回交戦した際にオオカミツルヘビサソリの頭部は二匹に増殖をしている。私はそれらの頭部に女の頭部を衝突させ、その場に踏ん張った。


「数が増えるせいで迂闊に手を出せん。何か策を出せ」

「頭部と首を切断した後、切断面を血涙の力で燃やすんだ! これで頭の増殖は防げるはず……!」

「本当にその策でいいのか?」

「あぁ、俺を信じてやってみろ!」


 自信に満ち溢れたキリサメ。私は半信半疑になりながらも狼の頭部の首元へ女の頭部を巻き付け、加減無しで引き千切る。


「今だ! あの部分を燃やせ!」

「──Infernoインフェルノ


 金槌で叩かれるような頭痛に耐えながら、女の頭部へ蒼色の獄炎を纏わせた。そして狼の頭部へ繋がる首の切断面へ張り付ける。


「さても面妖なことをッ! だがセッシャにそのような策など無意味──」


 狼の頭部を今度は三匹に増殖させようと再生を始めるヒュドラ。しかし狼の頭部は一向に増える様子はない。むしろ一匹すら再生もしなかった。


「なッ、何故なにゆえこのようなことがッ!?」


 ヒュドラが再生できないと驚きの声を上げる最中、私は女の頭部を切断面から引き離す。


「なるほど。焼いて塞げばいいのか」


 引き千切った切断面は獄炎に焼かれ、再生を阻止するよう傷ごと塞がれていた。向こうが再生する前に、こちらが先に怪我を塞いでしまえばいい。


「よっし! このままあいつの頭を減らすんだ!」

「あぁ、言われなくてもそうする」

  

 治癒で相手を追い詰める逆転の発想。ヒュドラがその策に怯んでいる隙に、私は他の鶴、蛇、蠍の頭部を一斉に引き千切り、獄炎を纏わせた女の頭部で、その切断面を焼いてしまう。

 

「おのれ、おのれ痴れ者共めッ!」


 これでヒュドラの残された頭部は獅子シシワシ山羊ヤギカモ。そして中央に位置するゼリー状の頭部、この五つのみだ。


「次はあの鷲の頭を集中的に狙ってくれ!」

「なぜ鷲の頭部を?」

「あいつは攻撃を仕掛けてこないけど、上から俺たちの行動を観察して、他の頭に情報伝達をしてるんだ! 先に狙った方がいい!」


 言われてみればあの鷲の頭部はただ佇むだけだった。その役割が私たちの行動の伝達となれば、鴨の頭部がゼリー状の頭部をすぐに護衛できたのも納得がいく。


「……今度は貴様が落ちる番だ」

「ピィイィイィーーッ!!」


 愉悦感に浸りつつこちらを見下ろす鷲の頭部。私が女の頭部を一斉に襲撃させると、威嚇しながら獅子の頭部の元へ逃げていく。


「グァア"ァア"ァオ"ォウ"ウ"ッ!!」

「……ッ」

 

 獅子の頭部ごと鷲の頭部を囲んだ途端、威厳を示すように獅子が大口を開けて咆哮する。たったそれだけの咆哮で、囲ませていた女の頭部は一斉に吹き飛んでしまった。


「あの獅子は何だ? 他の頭部と何もかもが違う」

「獅子の頭にはPrideプライド Areaエリアっていう習性があるんだ。縄張りに入らなければ何もしてこないけど、縄張りに入ったら容赦なく仕掛けてくる……ヒュドラの頭の中では一番厄介で、最強の頭かもしれない」


 一度の咆哮で女の頭部が耐えられずに吹き飛ばされる。キリサメの言葉通り、ヒュドラの中で相手にするのが最も面倒な頭部だ。


「グァアァオ"ォウ"ッ!!」

「……歯が立たんな」


 女の頭部で四方八方から仕掛けるが、獅子の頭部は機敏な動きかつ一度の噛みつきで跡形もなく消滅させてしまう。敏捷性も殺傷力も、圧倒的に獅子が上回っていた。


「アレクシア、Prideプライド Areaエリアは生物にしか反応しない! だから武器を操って獅子の頭を狙うんだ!」

「あぁ」


 蒼色の文字を侵食させたノクスとパニッシャー。私はそれらを女の頭部の陰に隠しながら、獅子の頭部を仕留めるために距離を詰めさせたが、


「メェエェ~!」

「あの山羊、雑食か」

   

 山羊がこれ見よがしに割って入るとノクスとパニッシャーを口に含み、何食わぬ顔で噛み砕く。私は横目でキリサメの様子を確認してみると、山羊の想定外の行動に唖然としているようだった。


「マ、マジかよ……!? 山羊の頭はあんな習性じゃなかったはず……!」

「ストーカー卿とやらに改良されたのだろう。獅子を容易く狩れんようにな」

「くそっ、どうやって鷲の頭を叩けばいいんだ……!?」


 山羊の頭部は獅子に手を出させまいと武装を喰い尽くし、鷲の頭部は全体に情報を伝達する。厄介な山羊の頭部を先に潰そうにも、獅子の頭部に守護されるせいで手を出せない。


「あの三匹を無視して本体の頭部に仕掛ければいいだろう」

「それが、ダメなんだ」

「なぜだ?」

「ヒュドラ本体の頭を倒しても、他の頭が残っていたら何度でも復活する。だから先に鷲の頭や獅子の頭を倒さないと……!」


 ヒュドラ本体を始末するためには他の頭部を潰す必要がある。だが他の頭部はすぐに再生をし何匹でも増殖していく。私は情報も無しに敵う相手ではない、と思わず顔をしかめた。


「だが血涙の力では押し切れん。私の武装もすべて山羊に喰われている」

「くっ、何も思いつかねぇ……! 考えろ、考えろよ俺!」


 使い物にならない右脚のせいで身動きは取れない。強引に接近戦を持ち掛けたところで返り討ちにされる。そもそも戦えるような武装は全て山羊の胃袋の中。どうしようもない状態に、キリサメは自身を鼓舞しながら思考を張り巡らせていると、


「……おい鴨共!」

「ジュ、ジュリエット?」

「私をこの変な頭に乗せやがれ!」


 ジュリエットが私たちの元へ駆け寄ってきた。安全な場所へ避難させたのか、メルの姿はどこにもない。


「何をするつもりだ?」

「……私があのライオンをぶっ飛ばす」

「ま、待てってジュリエット! 獅子の頭は凶暴なんだ! 近づいたらどうなるのか──」

「私があんなクソライオンに負けるはずねぇだろうが! いいから黙って私を乗せやがれ!」


 強情な態度を取るジュリエットは、一歩も引く様子がなかった。私は口を閉ざしながら、一匹の女の頭部をジュリエットの前へ控えさせる。


「なぁジュリエット、ほんとに大丈夫なのか?」

「うるせぇッ! お前は人の心配よりもその陰気な顔が治るかを心配しやがれ!」

「ひ、人が心配してんのに、お、お前……」


 頬を引き攣るキリサメを他所に、女の頭部へ飛び乗ったジュリエット。私がその両手へ視線を移せば、確かに恐怖で震えていた。


「おい」

「あ? 何だよ?」

「あの獅子に発明家の恐ろしさを教えられるな?」

「……ふんっ、当たり前だろうが! 二度と顔を出せないぐらいボコボコにしてきてやる!」


 ジュリエットがそう意気込んだのを合図に、私は女の頭部を再び獅子の頭部へと襲撃させる。


「アレクシア、ジュリエットを正面から向かわせるのは……!」

「理解している」


 獅子の頭部を惑わすために女の頭部を別々の位置へと交差しつつ、ジュリエットが乗った女の頭部を後方へ回り込ませようと試みた。


「グァア"ァオ"ォオ"ォウ"ゥウーーッ!!」

「……ッ」


 だが憤怒に満ちた獅子の咆哮により、女の頭部は薙ぎ払われるかの如く吹き飛ぶ。私は全身を駆け巡る衝撃に表情を歪ませる。


「ふっぐぁあぁあ……ッ!?」

「ジュリエット!」

 

 ジュリエットも女の頭部の髪の毛にしがみつき、獅子の咆哮を必死に耐えていた。


「もう一回だ! もう一回近づけてくれッ!」


 何とか耐えた後、こちらへそう呼びかけてくるジュリエット。私は軽く頷いてから、獅子を取り囲むように女の頭部を向かわせる。


「グァオォオッ!!」

「……やはりあの頭部だけ異端だな」


 次々と女の頭部がかき消されていく最中、私はジュリエットを死角へ回り込ませることに成功し、襲撃する機会を窺うと、


「今だな」


 獅子の頭部が下を向いた一瞬の隙を狙い、ジュリエットを乗せた女の頭部を背後から奇襲させる。


「グァオ"ォオ"ウ"ゥッ!!」

「……! ジュリエットッ!」


 獅子の頭部は敢えて気が付かないフリをしていたようで、振り向きざまに女の頭部へ噛みつき、右頬を引き千切った。キリサメはジュリエットの身を案じ、思わず声を上げる。


「あれ、ジュリエットはどこに……?」


 しかしジュリエットの姿が見当たらなかった。下に落ちたわけでも、獅子に喰われたわけでもない。私は「まさか」と獅子の頭部を見上げてみれば、


「よ、よぉクソライオン……ッ」

「マジかよ!? 獅子の頭に飛び移ったのか……!?」


 ジュリエットは獅子の象徴であるたてがみにしがみつき、振り落とされないよう歯を食いしばっていた。


「グァオウッ! グアァアオォウッ!」

「こんのッ……大人しく、しやがれぇ……ッ!!」  


 獅子の頭部は振り落とそうとその場で激しく暴れ回る。だがジュリエットはその手を決して離さず、


「グァア"オ"ォオ"ウ"ゥウゥ……ッ?!」


 たてがみに隠れた額へノクスを深々と突き刺した。獅子の頭部は苦痛に満ちた鳴き声を上げる。


「私は、私は守られてばかりのガキじゃねぇッ! 私だって、私だって戦えんだよぉッ!」

「グァア"オ"ォウ"……ッ!」

「要らない子なんかじゃ、要らない子なんかじゃねぇんだぁあぁッ!!」

 

 返り血を浴びながら何度も何度も獅子の額へノクス突き刺すジュリエット。キリサメはその光景に唖然とし、私は消された女の頭部を再度出現させ、蒼色の獄炎を纏わせた。  


「だから、だからここでクソライオンを、獅子の野郎をぶっ飛ばして……ッ!」


 ジュリエットが取り出したのは二つのスナップボム。口でピンを引き抜き、獅子の両目を突き破りながら両腕を突っ込み、


「このジュリエット様を──認めさせてやるんだよぉおぉッ!!」

「グァア"ァオ"ォオ"ォウ"ゥウーーッ!?」

「ジュリエットーーッ!!」


 自分自身を巻き込む形で獅子の頭部を跡形もなく爆発させた。私はこの機会を逃すわけにはいかない、と切断面へ女の頭部を張り付け、蒼色の獄炎で焼いて塞ぐ。

 

「アレクシア、ジュリエットを……!」


 キリサメが指差す方角には爆発に吹き飛ばされたジュリエット。宙で弧を描きながら崖際へ向かっていく。


「……間に合うか?」


 女の頭部は移動速度が遅いため恐らく間に合わない。それでも私は一か八かで一匹の女の頭部を向かわせた。


「よっとォ……!」


 だが人影が颯爽と現れるとジュリエットを軽々と受け止める。


「メル……!」

「あの女、目を覚ましたのか」


 ジュリエットを受け止めたのは気を失っていたメル。キリサメは歓喜の声を上げ、私は視線をヒュドラの方へ移す。


「ク、クソ女っ……やっと、気が付いたのかよっ……」

「わりぃなジュリエット。閻魔様と交渉してきたんだがァ、やっぱ引き取ってもらえなかったぜ」

「ふ、ふんっ、だから言っただろうがっ……クソ女を引き取るやつなんて、いねぇって……」


 無理をしながら空笑いするジュリエット。メルは神妙な面持ちでジュリエットの小さな額へ右手を乗せた。


「あんたは要らない子じゃねぇぜ」

「……」

「クソババアがどう思ってんのかは知らねぇがァ……あたしにはジュリエット、あんたが必要だ」

「そうかよ……んなら、良かった……ぜ……」


 メルは気を失ったジュリエットを安全な場所へ寝かせると、私たちの元までばつが悪そうに歩み寄る。


「色男ォ、あんたもあいつに助けられたんだろ?」

「……! じゃあメルもあいつらに……」


 この二人の命を救った者は同一人物。私が口を閉ざしまま会話に耳を傾けていると、メルはノクスを右手に握りしめ、私の左隣に立った。


「わりぃなジョーカー。閻魔様から遅延証明書を貰ってきてやったから、途中参加でも許してくれよ」

「……やれるのか?」

「こちとら大事な相棒傷つけられてんだァ。やれるとかやれねぇの話じゃねぇ──やらなきゃなんねぇのさァ」


 奇術の力で黒色の雷を肉体に纏うメル。右隣で私を支えているキリサメは、殺意を剥き出しにしたメルに思わず息を呑んだ。


「グァッ、グァアァアッ!?」

「ピィーーッ!?」


 私は残された鴨の頭部と鷲の頭部を引き千切り、その切断面を獄炎で焼いてしまう。これでやっと本体らしきゼリー状の頭部を叩けるようになった。


「ものにふりたる言動……さては眷属のあだを成す異世界転生者トリックスターか」

「あぁそうだ! だからお前のことを知ってるんだよ!」

「ふむ、セッシャはまんまと御強おこわにかけられたわけか」


 ヒュドラは沼に沈めていた全身を露にし、こちらに向かって前進してくる。私は女の頭部を周囲に控えさせた。


「だがしかしッ! この程度でかさにかかろうとするなど不束の極みだ!」


 ヒュドラの体内が泡立つかのように円形の膨らみが次々と巨体に浮かび上がる。今にも破裂しそうなほどの膨張は、焼いて塞いだ首を辿り始めた。


「じ、実はさ……黙っていたことがあるんだ」

「何を黙っていた?」

「ヒュドラのスライムみたいな頭についてなんだけど……」


 キリサメは険しい表情でヒュドラの様子を眺めつつ、私にこう打ち明ける。


「あれは、俺の知らない頭なんだ」

「……つまり?」

「今からヒュドラに何が起きるのか、こっから先の戦いで俺が役に立てるのか──正直分からない」


 円形の膨らみは焼いて塞いだ箇所まで到達すると、中から突き破るようにして破裂した。


でよ、セッシャのオトート分ッ!」


 そしてヒュドラの巨体を覆っていた鱗や皮までもが吹き飛び、中からゲル状の液体が地面に垂れる。輪郭だけ残した半透明なゼリー状の巨体。まさに"蛇の皮を被っていた"という表現が似合う。

 

「……なるほど」

「あんなカオナシを見て、何が分かったんだァジョーカー?」

「奈落の底に流れていた赤い川と、這いずり回るゲル状の生物……。私が推察するに貴様らは──」


 半透明な巨体をゆらゆらと漂わせているヒュドラ。私はゼリー状の巨体を見上げ、中央の頭部を睨みつける。


「──浮遊生物か」

「浮遊生物……って"プランクトン"のことだよな」

「そういうことみてぇだな色男ォ。流れてた赤い川ってのはァ……プランクトンが増殖しまくった時に起こる赤潮あかしお現象って言いたいんだろジョーカー?」

「あぁ」 

 

 赤い川の正体は浮遊生物の増殖により酸素を欠如した川。私はメルとキリサメの言葉を肯定するように頷く。


「奈落の底にはゲル状の生物が住み着いていた。私たちを捕食する肉食だが、恐らくあの生物も──」 

「その通りだ痴れ者共。奈落の底に住み着いているのはセッシャのオトート分だ」


 ヒュドラは私の言葉を遮ると、九つのゼリー状の頭部を一ヵ所へと集合させる。


「セッシャたちは海中を漂う浮遊生物。強者の糧に過ぎぬ弱者だ」

「……その浮遊生物が皮を被っていたわけか」


 奈落の底を住処にしていたゲル状の生物は浮遊生物が巨大化した姿。そしてヒュドラは更に成長を遂げ、皮まで被り始めた浮遊生物の最終形態。


汝等うぬら存念ぞんねんが手に取るように読めるぞ。何故なにゆえ、セッシャたちが進化を遂げたのか。何故、弱者共が痴れ者共の仇と成すか……と疑念を抱いているだろう」


 ヒュドラは九つの頭部を一つに統合させ、ゼリー状の巨大な人間の頭部を形成する。眼球が詰まっているはずのくぼみには触手の生えた壺が、酸素を取り込むための口内には触手がびっしりと生えていた。


「おーおー、SANサン値チェックでもしておくかァ色男ォ?」

「こ、こんなのに今更驚くはずないだろ! ……ちょっと不気味だけど」


 ヒュドラの姿は異形の一言に尽きる。しかし何千、何万もの種類が存在する浮遊生物の名前どころか、姿すらはっきりと認識したことがない。浮遊生物の世界ではこの歪な姿が当然なのだろう。


「セッシャたちは最底辺の弱者として、自然界の食物連鎖へ、セッシャたちを侮る人間共へ一揆を起こすッ! 痴れ者共、セッシャたちの覚悟をしかと受け止めるがいいッ!」

「……来るぞ」

「いざ──参らんッ!!」


 こちらへ一斉に触手を伸ばしてくるヒュドラ。私は控えさせていた女の頭部を正面から衝突させる。 


「色男ォ、あの海の魔物みてぇなのをぶっ飛ばす方法はあんのかァ?」

「待ってくれ! 少し考えてみる!」

「あぁそうかい。んじゃあ、こっからはあたしとジョーカーの踏ん張りどころってわけだなァ」


 メルが迫りくる触手を雷を纏わせたノクスで斬り落とし、私は女の頭部を操ってヒュドラ本体へ突進を仕掛けた。


「食物連鎖の頂点に立ちながら、セッシャたち最底辺の弱者に劣らぬなどと烙印らくいんす……ッ! 人として覚悟も足りぬなど──しだッ!!」

「……私ごと取り込もうとしているのか」


 ヒュドラは私たちへ喝を飛ばすと女の頭部へ触手を巻き付け、自身の頭部に取り込もうとする。私は身体を引き寄せられ、その場で踏ん張った。


「そうだ! 聞いてくれアレクシア!」

「何か策でも思い付いたのか?」

「あぁ! ヒュドラの本体の頭を直接狙うんだよ!」

「……どういう意味だ?」 


 キリサメは巨大なヒュドラの頭部を指差し、続けてこう説明を加える。


「九つの頭を融合させたのは本当の頭を隠すためで……どこかに本体の頭が紛れ込んでるんだよ! だからそこを狙えば多分……!」

「クスクスッ、んなら本体を炙り出すためのいい作戦があるぜ」

「……話してみろ」


 メルが思いついた作戦とやらを一通り聞き、私はキリサメは「それしかないな」と頷いた。


「実行するぞ」

「あぁやってやろうぜ!」

「忘れんなよォ、あたしらは三位一体だぜェ」


 メルが巨大な沼に向かって駆け出した時、私は右手に握りしめていた上製本を投げ捨て、代わりに蒼い蔓をヒュドラの口元へ伸ばす。


「出過ぎ者めッ! セッシャたちを相手に命を投げ出すつもりかッ!?」

「……ッ」

「ぐッ、すげぇ力だッ!!」


 触手と蒼い蔓が絡み合い、私とキリサメはとてつもない力で引き寄せられた。何とかその場で堪えているが、それでもジリジリと地面を擦りながら距離は近づく。


ゆるがせにしない精神を持たぬことを、セッシャたちの糧となりあの世で悔やむがいい!」

「そろそろ限界か」

「……ッ! アレクシア!」


 触手が何本も私の四肢に拘束する。唯一の支えとなった左脚が浮いた瞬間、私は隣に立っていたキリサメを突き飛ばした。


「うぶッ、ごほッ……」


 口の中へゼリー状の触手が突っ込まれ、ヒュドラの本体へ下半身が取り込まれていく。私は両腕から蒼い蔓をキリサメへ伸ばせば、


「負けるかぁぁあぁーーッ!!」


 力強く掴み取り、全力で逆方向へと引っ張った。キリサメの力だけでは所詮時間稼ぎにしかならない。


「ヒュドラ様よォ、お楽しみのところご忠告だぜェ」

「痴れ者め、セッシャに何用──」


 だが時間稼ぐだけで十分だった。その理由はメルの手筈が整ったからだ。


「あんたの兄貴、爆破しちまうぜ?」

「なッ、アニジャア……ッ!!?」


 メルが視線を向けた先には、気絶したカルキノスの側にピンの抜かれたスナップボムが転がっていた。ヒュドラは大声を上げると、すぐさまカルキノスへ注目する。


「……見つけたぞ」


 ゼリー状の巨体の中で唯一大きく動いた右頬の奥。私は口に突っ込まれた触手を噛み千切ってから、両腕を頭部へ突き刺し、蒼い蔓を奥まで伸ばした。


「ぐぬッ!?」

「これが貴様の本体だな」


 触れたのは円球の固形。私は逃がすまいと蒼い蔓で包囲網を作ってから捕獲する。


「クスクスッ、兄貴を尊敬してんのはあんただけだァ。そうだろォ、ヒュドラ様よォ?」

「ぐぬぬッ、痴れ者どもめぇえぇッ!! アニジャを利用するなど卑劣だぞぉおぉ!」

「この言葉を覚えておけ。利用できるものを利用する。食物連鎖の頂点に君臨するための、生きるための術だ」

「ぐぬぉおぉおおぉッ!?!」


 私は蒼色の蔓に獄炎を纏わせると、両腕に力を込めてヒュドラの本体を締め上げた。触手が首に巻き付いてくるが私は狼狽えない。


「セッシャたちが、痴れ者共の上に立つべきだッ!! 弱者の心を読み取れるセッシャたちこそ、その器に相応しいッ!!」

「貴様らがどれだけ成り上がろうが、所詮は最底辺の浮遊生物に過ぎん。それに吸血鬼共に魂を売った時点で──人の上に立つ資格も器もない」

「ぐッ、ぐぬぉおぉッ!! セ、セッシャが……こ、このような痴れ者に、後れを取るなどぉおぉッ!!」

「未来永劫、この世に生まれることなく――」


 ジタバタと暴れているヒュドラ本体を私は離さず、私は両腕へ更に力を込め、


「──永久とわに眠れ」

「おッ、おのれぇえぇえぇえぇッ!!」

 

 そのまま蒼い蔓でヒュドラ本体を粉々に潰した。

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