6:5 Karkinos ─カルキノス─

 擬態型の食屍鬼が彷徨う"死神の息吹"と呼ばれる渓谷の中。私たちは白煙が立ち込める地帯から何とか抜けられ、酸素を供給するためのマスクを取り外す。


「おいクソあまぁ!? 目を覚ませよぉッ!」


 担いでいたメルを地面に降ろすと、ジュリエットは何度もメルの身体を揺さぶった。私は奥地へと続いているであろう坂道を見上げる。


「んぁ? あたしは何をして……」

「め、目を覚ましたか! お前、どんだけ私たちの足を引っ張ったと思ってんだ?!」

「あぁ、あたしは気を失っちまってたのか。どうりで閻魔様と顔の距離が近かったわけだァ」


 呑気に身体を起こしたメル。私が道中で起きた出来事や死神の息吹の正体を説明すると、白けた様子で重い腰を上げた。


「クソ女、地獄の閻魔に何て言われたんだ?」

「あ? あー……『二度と来んな』だとさ」

「何だよ、厄介払いされてんじゃねぇか! まー、私には閻魔様の気持ちがよく分かるぜ! クソ女を引き取るなんて御免だもんな!」


 何食わぬ顔で目を覚ましたことに気が緩んだのか、ジュリエットは腹を抱えて笑う。メルは機嫌の良いジュリエットに首を傾げ、「何でこんな笑ってんだ」と言いたげにこちらの顔を見つめたが、


「……渓谷の奥地はすぐそこだ。談笑はすべて終わらせてからにしろ」


 私は敢えて気が付かないフリをして上り坂を進み始めた。メルとジュリエットも顔を見合わせ、賛同の意を示すように後を追いかけてくる。 


「そういやジョーカー、聞くのを忘れていたがァ……この先で誰が待ってんだァ? 恋人でも待ってんのかァ?」

「待っているのは私の片割れだ」

「おいおい、あたしはあんたに双子いるなんて聞いてねぇぜ?」

「私も最近知った」


 言葉を交わしながら辺りの景色を一望してみる。上り坂の両脇で無造作に転がる岩石。そこに付着した苔を奥地からの湧き出ているであろう濁流が削り取っていた。


「どうしてお前の片割れはこんな奥地に呼び出したんだよ? クソみてぇに危険な場所で再会する、なんてアホじゃねぇか」

「……私を試しているのだろう」

「あぁ? あんたの何を試してんだァ?」

「そこまでは検討もつかん。だが"自分が試す立場"だと思い込んでいる時点で、高慢なのは確かだろう。そして高慢な連中は──大抵吸血鬼共の肩を持つ」


 目の保養が削られる様を眺めつつ、辿り着いたのは渓谷の奥地。中央には巨大な沼、円状に取り囲むのは断崖絶壁の崖。熱気を含んだ白煙が薄っすらと立ち込めていた。


「そ、底が見えないぞ……」

「クスクスッ、落ちたら閻魔様と会えるぜ。……片道切符だけどなァ」


 崖の下を覗き込めば、視界に映り込むのは真っ暗闇の奈落。これ以上は先に進めないため、恐らくはこの場所が奥地だ。私は辺りを歩き回り、手紙の主であるCeciliaセシリア Bathoryバートリとやらの姿を探す。


「ジョーカー、あたしら以外にだーれもいないぜェ。ドタキャンでもされちまったかァ?」

「……だとすれば、私たちを殺そうとここへ呼び出したわけじゃ──」

「チェキチェキッ! よくここまで来たな、オマエら!」


 どこからともなく聞こえてくる陽気な男の声。私たちは巨大な沼の方へ視線を移すと、艶のある赤色の甲羅を輝かせながら、手の平サイズのカニハサミをこちらに向けていた。


Karkinosカルキノス様と出会ったが最期……オマエらはここで"チェッキメイト"だぜ──」

「んで、どーすんだァジョーカー? クルースニクまで一旦引き返すかァ?」

「……もうしばらく探索してもいい。何か痕跡が残っているかもしれん」

「いーや、私は帰るのに一票入れる! そんで次は私をここに連れてくるんじゃねぇ!」

 

 出直すべきか否か。私たち三人がこれからについて話し合っていると、赤色の蟹がその場に跳ね回る。


「チェキチェキッ! オイ、オイ! カルキノス様が見えてないのか!?」

「ジュリエット、あんたはどうせ引きこもりたいだけだろォ? それになァ、運動不足が乙女のアクセサリーになる時代はとっくに終わって──」

「オーイ! オォオォオォイッ!」


 煩わしくこちらに向かって叫んでくるため、私たちは仕方なく赤色の蟹へ視線を移した。


「おいジョーカー、あの『御柱3:50』みてぇに叫ぶのがあんたの双子じゃねぇかァ?」

「……アレが私の片割れ?」

「チゲェ、オイラはカルキノス様だ! 軽くチェキッと捻り潰してやるぜい!」


 赤色の甲羅から生えた胸脚きょうきゃくを素早く動かし、私へ突進をしてくると、ブーツの先をハサミで叩き始める。


「チェキチェキチェキィイィッ!! どーしたぁ、カルキノス様にチェキってんのかぁ?!」

「アホか! 人から蟹は産まれねぇ! どう考えったってこの野郎はお前の双子じゃないだろ!? でも喋れるなんて変な蟹だ──」

「チェキってやんぜェェェーーッ!!」

「うるせぇな、こいつ」

「チェッキィイィイィーーッ?!」


 ジュリエットは話を遮られたことで苛立ち、私の足元で奮闘しているカルキノスを全力で蹴り飛ばした。カルキノスは妙な奇声を上げながら数メートル先で転がると、その場で動かなくなる。


「あーあ、知らねぇのかァジュリエット。『人を殺せば罪人、自然を殺せば罰当たり』って言葉」

「わ、私は殺そうとしたわけじゃねぇ! つーか、こんな簡単に死ぬなんて思わねぇだろうが!」

「おーおー、どんだけ弁解したって死んだもんは帰って来ねぇんだぜェ」


 言い争いをしている二人を他所に、私は転がっているカルキノスの元まで歩み寄り、右手で甲羅を鷲掴みにして持ち上げた。


「チェキありぃッ!!」

「……」


 瞬間、私の親指をハサミで挟んだ。どうやら死んだふりをし、私たちの隙を狙おうとしたらしい。


「ドーダドーダッ!? カルキノス様のハサミの威力はァッ!?」


 親指が圧迫されるだけで切断される様子はない。私は溜息をつくと、カルキノスを鷲掴みにしたまま右手を振り上げ、


「失せろ」

「チェッキィイィィイーーッ?!!」


 硬い地面へと叩きつけた。カルキノスの身体は叩きつけられた衝撃で何度か跳ねると、再び動かなくなる。


「あの野郎、私よりも明確な殺意があるだろ……」

「クスクスッ、今のでジョーカーは人殺し、罰当たりと役が揃ったぜェ。罪人としての役満を達成したってわけだァ」


 私は動かなくなったカルキノスをじっと見つめると、もう一度側まで歩み寄って持ち上げてみた。


「チェキありぃッ!!」

「失せろ」

「チェッキィイィィィイーーッ!?!」

 

 やはり死んだふり。先ほどと同様に親指を小さな鋏で挟み込んできたため、今度は露出した岩盤に叩きつける。


「おーおー、あの蟹は不死身かァ」


 カルキノスを拾い上げれば、鋏でこちらの親指を挟み込む。私はその度に岩盤へ叩きつけた。奇妙なことに痛がる様子も見せず、威勢よく向かってくるのだ。


(……岩盤の方が砕けている?)


 よく観察してみると岩盤の方が粉々に砕けていた。このカルキノスの甲羅はその辺に転がっている岩よりも頑丈に作られているらしい。


「チェキチェキッ! この"九ノ眷属カルキノス"様を相手にここまでやれるなんて、ナカナカだなオマエら!」

「眷属? お前は眷属なのか?」


 巨大な沼の方角へ投げ飛ばすとカルキノスは自身のことを九ノ眷属と名乗る。眷属という言葉に私は雷鳴刀に右手を添え、メルも反射的にノクスを構えた。


「あったりめぇよう! カルキノス様は眷属の中でもチェキッとチェキを倒せんだぜい!」

「貴様の話などどうでもいい。私はセシリア・バートリにここへ来るよう手紙を貰った。手紙の主はどこにいる?」

「チェキチェキッ!? んならオマエはアレクシア・バートリかァッ?!」


 驚きのあまり一度だけ大きく飛び跳ねるカルキノス。私の名を知っているとなれば、私の情報は事前に伝えられている。未だにセシリアの意図は読めないが、無駄足ではなかったと私は確信した。


「こりゃあジンソクに──チェッキメイトしてやんねぇと!」


 そう言ってカルキノスは巨大な沼に飛び込む。メルとジュリエットは余裕そうな顔で私の両脇に立った。


「あの"臆病なライオン様"に比べりゃあ、硬いだけの蟹なんざァスマホ弄りながらでも勝てんぜェ」

「何だよ、眷属ってのも大したことねぇんだな! まっ、この私が出るまでもないか!」

「……」


 カルキノスが眷属として立ちはだかるのならこれほど楽なことはない。しかしどうも引っ掛かるのは、"巨大な沼にあの小さな蟹が一匹で暮らしている"という点。


「出てこいッ! 我が"オトート"よォ!」

「おーおー、連れてくんのは子ガニかァ? それとも"さるかに合戦"みてぇに栗や蜂でも連れて──」


 カルキノスは沼から飛び出してくると何者かを大声で呼び寄せた。メルはニタニタと笑みを浮かべそう挑発すると、


「今スケダチ致すぞォ──"アニジャア"ッ!」


 巨大な沼が水飛沫を高らかに上がる。私たちのくだしていた視線は、沼から現れた"ナニカ"に惹き付けられ、顔と共に少しずつ上昇した。


「……何だあいつは?」 


 沼を覆い尽くすほどに巨大な胴体は魚類のような黒いうろこを纏い、そこから伸びる九つの首は大蛇のようにうねる。首の先には『獅子・鷲・鶴・蠍・蛇・狼・山羊・鴨』の頭部。


「アニジャ! このれ者共がセッシャたちの敵かァ!」

「チェキチェキッ、そうだともオトートよ!」


 何よりも不気味なのは中央に位置する頭部だ。無色のゼリーで頭部の表面を覆い、目や鼻などのパーツは輪郭がなぞられているのみ。まるで"マネキン"のような顔。


「おいおい、"さるかに合戦"で蟹が九頭竜くずりゅう連れてくるなんて聞いたことねぇぜ」

「セッシャはクズリュウではないぃッ!!」

「ふぎゃ……ッ?!」


 メルがボソッと呟いた一言を聞いていたようで、九つの頭部で一斉にこちらを睨みつけてくる。ジュリエットはその気迫に後退りをした。


「セッシャは九ノ眷属Hydraヒュドラ! アニジャのオトートだッ!」

「あ、あぁそうかい」


 頬を引き攣りながら私の方へ視線を送ってきたメル。私は雷鳴刀の鞘に左手を添えて、右の人差し指を持ち手に触れた。


「さぁ我がオトートよ! チェキってやろうぜい!」

「オォッ! 参るぞアニジャア!」

「カルキノス様とオマエのコンビなら、すぐにチェッキメイ──」


 威勢よくカルキノスが声を上げ、ヒュドラが勇ましくその一歩を踏み出し、


「「あっ……」」


 小さなカルキノスを巨大な足で踏み潰した。ヒュドラだけでなく、何故か私の隣に立つジュリエットも同じ反応をする。


「「……」」


 ヒュドラとジュリエットは視線を交わし、ゆっくりとカルキノスを踏み潰した足元を見る。


「チェ、チェキッてんな……オトートよ……」

「ア、アニジャアァアァアーーッ?!!」


 足を上げればそこには岩盤に埋まるカルキノス。人の声と共にそれぞれの頭部から獣の鳴き声が発せられ、私たちは両耳を押さえた。


「カ、カルキノス様は……も、もう動けねぇ……」

「ア、アニジャアッ!」

「な、泣くなオトートよ……チェキッとしろ……」

「……私たちは何を見せられている?」


 今まで相手にしてきた眷属はここまで愚鈍ぐどんではない。気が抜けるような茶番に私は思わず顔をしかめる。


「我がオトートよ……オイラのように戦え、チェキらしく……」

「ア、アニジャアッ……!」

「どんな相手だろうとチェキるな……チェキらしく、チェキチェキしろ……ガクッ」

「アニジャ!? アニジャアァアァアーーッ!!」


 そのままカルキノスは気を失っただけだ……が、ヒュドラは死んだと勘違いしているようで、こちらへ一歩ずつ近づいてくる。 


「……よくも、よくもアニジャをぉおぉッ!!」

「い、いや待て待て! お前がアホしただけだろうが!?」

「許せぬ、許せぬぞォッ!! れ者共ォッ!!」 


 鳥頭なのか、それとも責任転嫁をしているのか。ヒュドラは私たちへ怒りの矛先を向けてきた。先ほどは愚鈍なやり取りが原因で何とも言えない空気となっていたが、急に辺りの空気が張り詰める。


「セッシャは九ノ眷属Hydraヒュドラ……ッ! オトートして、眷属として、アニジャを殺めた罪を──」


 私は九つの首の内、鶴の頭部だけが妙な動きをしたのを察知し、


「──そのイノチで支払わせてやるぞォ!!」


 矢のような速さで迫りくる鶴のくちばしを、雷鳴刀の刀身で受け止めた。

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