6:3 Windless Valley ─無風の渓谷─


「おーおー、ここが無風の渓谷か。これっぽっちも風が吹かねぇって話は聞いちゃあいたがァ……こりゃあ真夏に来たら暑さで頭がイカれちまうぜ」

「例の別れ道まで少し先に進む必要がある。一時間か二時間ほどかかるらしい」

「んじゃあ、とっとと進むとするか。季節が変わっちまう前になァ」


 Ceciliaセシリア Bathoryバートリからの手紙に記された約束の日。私とメルは無風の渓谷の入り口まで辿り着き、奥地までの順路を再確認していると、 


「な、何でこの私が、クソ女と鴨に付いていかないといけねぇんだよぉおぉおぉーー!?」


 すぐ背後でジュリエットが渓谷に向かってそう叫んだ。私とメルはその場で振り返り、地団駄を踏んでいるジュリエットへ視線を移す。


「あ? なーに叫んでんだジュリエット? 山彦やまびこはもうちょい先に進まねぇと聞けね──」

「こんのクソあまぁあぁ! 全部お前のせいだろうがぁッ!!」

「バーカ、あたしはクソババアからちゃんと許可は貰ってんだよ」


 怒声をぶつけてくるジュリエットをなだめるように、メルはヴィクトリアとのやり取りをこう語った。


『クソババア、あたしとジョーカーだけじゃあムードが足りねぇ。引きこもりのジュリエットも連れていっていいかァ?』

『ふっ、いいじゃないか。子供は風の子とも言うだろう? ……行き先に風は吹いてないけどねェ』

『クスクスッ、上手いじゃねぇかクソババア』


 連れ出すための下らない動機を耳にしたジュリエット。両肩をぷるぷると震わせた後、メルへ威勢よく掴みかかると顔を上げて睨みつけた。


「ふざけてんのかクソ女ッ!? なーにがムードが足りねぇだぁ?! 私を何だと思ってやがる!?」

「サーカスに動物曲芸どうぶつきょくげいってのがあんだろ? アレで例えんならァ……チャリをいでる子熊みてぇなもんだぜ」

「んだとこのクソ女ッ!? 私はどう考えてもライオンだろうがぁッ!?」

「……そこに腹を立てるのか」


 二人の喧騒を背中で聞きながら無風の渓谷を突き進む。私は高い岩壁に囲まれた森林を歩きつつ、すぐ隣を流れている小川を観察した。


「にしても……その制服、お似合いだぜジョーカー」

「そうか」

「何言ってんだよクソ女! この私が発明したんだから当たり前だろうが!」

「おいおい、デザインしたのはあたしだぜ?」


 私が強引に着せられたのはクルースニク協会の制服。上はフードが付いた黒色のコートに、下は黒のショートパンツに黒のタイツ。足元は膝丈まで届かない黒のブーツ……というように黒一色。


「実験台にされた私からの助言だ。冬に備えて保温性を高めろ」

「お、おい! お前が言われてるんだぞクソ女!?」

「あ? あたしがラフを提出したとき、ホームパーティーみてぇに盛り上がってたのはどこのどいつだァ?」


 この制服は特殊な繊維のおかげで通気性や耐久性には長けているが、保温性が皆無だった。今の季節が冬であれば間違いなく凍えている。ましてや真冬に渓谷へ訪れること自体、自殺行為となり得るだろう。


(……着心地はリンカーネーションの制服の方が優れているな)


 そんなことを考えながら小川の側にしゃがみ込み、右手で川の水を掬い上げる。


「そういやジュリエット。んでそんなでっけぇリュックを背負ってんだァ? あたしらは日の出を拝みに来たんじゃねぇぜェ」


 ジュリエットは自分の身体より一回り大きな背嚢はいのうを背負って歩いていた。何を詰め込んでいるのか、とメルはジュリエットの背嚢を何度か叩く。


「お前たちと違って用心深いんだよ! 渓谷の奥地に何が待ってんのか分かんねぇだろうが!」

「あぁそうかい。あたしは荷物運びを手伝わねぇからなァ、引きこもりィ」

「勝手にしやがれ! 私はぜってぇお前の手なんか借りないし、貸さないからな!」

 

 聞き飽きた喧騒。私は二人を同伴させるべきではなかったと後悔し、掬い上げた川の水を口に付けた。


(……天然の炭酸水か?)


 口の中に広がるのは泡が弾けるような感覚。ただの川の水ではないことを奇妙に思いながらも、私はその場に立つと上流の方角を見つめた。


「どうしたジョーカー? なんか気になることでもあったのかァ?」

「……今はない」


 先に進めば進むほどに目の保養となる森林は消え、狼藉ろうぜきたる岩々が連なる景色となる。小鳥のさえずりは亀裂から噴き出す煙の音に、大木からゆらゆらと落ちる木の葉は、岩壁からの転がり落ちる落石へと変わった。


「う、うおぉおぉッ?! なんじゃこの模様はぁッ!?」

「おー、こりゃあ絶景だぜ」


 道中で薄暗い洞窟へと足を踏み込めば、ジュリエットはその光景に驚愕する。何百年という年月をかけて削られたであろう滑らかな砂岩に、地層が渦を巻くような模様。自然が創り上げた神秘に私は言葉を失った。


「……過去に風が吹いていた、というのは事実のようだな」

「んでそんなことが分かんだァ?」

「砂岩の模様をよく見ろ。雨と風の流れをなぞっているだろう」

「クスクスッ、あぁそういうことか。勉強になったぜジョーカー先生」


 顔を上げてみるとこの狭い渓谷内を日の光が差し込んでいる。私はこちらを照らしている太陽を半目で見つめ、スマホで写真撮影をするメルの横を通り過ぎた。


「お、おい! も、もう行くのか?! もうちょっとだけ見てってもいいだろ!?」

「私たちの目的は観光じゃない」

「そりゃあそうだ。ほら、行くぜジュリエットちゃん」


 名残惜しそうにするジュリエット。私は幼児のような反応に呆れて先へ進むと、メルはジュリエットを引きずりながら私の後に続く。


「しっかし、微塵も風が吹いていないなんて不気味なもんだぜ」

「死神のせいじゃないよな……?」

「あ? 何言ってんだァ、ジュリエット?」

「お前が前に言ってただろうが!? 渓谷の奥には死神が住んでる……とか!」


 ジュリエットはやや怯えているのか、上擦った声を精一杯に出した。メルはその事に気が付いたようでニヤニヤとした笑みを浮かべ、ジュリエットに顔を近づける。


「おいおい、死神はあんたが嫌いな"お化け様"とは違うんだぜェ? もしかしてジュリエットちゃん、小便漏らしちまいそうなのかァ?」

「なッ……私を馬鹿にしてんのかクソ女!? 私は別に怖がってなんか──」

「おぉ、そこに死神様がいるぜェーーッ!!」

「ふぎゃあぁああぁッ!?!」

 

 切羽詰まった演技で誰もいない場所を指差せば、ジュリエットは叫び声を上げて、メルへと抱き着いた。そしてジュリエットは嵌められたことに気が付くと、


「こんのッ……クソ女がぁあぁああぁッ!!」

「おーおー、今日は一段と元気じゃねぇかジュリエット」


 メルの制服を引き千切らんばかりに掴み上げると、前後に高速で揺さぶり始める。


「ジョーカー、一応聞いておくがァ……モノホン死神がいたらどうすんだ?」

「私の邪魔をする者は始末するだけだ。例えそれが死神とやらでもな」

「そりゃあご立派な座右の銘なことで」


 その後、私たちは凹凸の激しい岩場や角度のある上り坂を歩き続けた。特に厳しい局面には衝突せず、一時間程かけて無事に例の別れ道へと辿り着く。


「上りは無風の渓谷から更に北へ向かうための道だ」

「んでもって、下は死神様が待ってる冥土か」


 私たちは渓谷の奥地を目指して下りの道を歩む。かなり足場が悪く、少しでも気を抜けば転がり落ちてもおかしくない。


「メイド姿の死神様が待ってんならァ、あたしらはウェルカムだけどな」

「下らん洒落は必要ない」

「おいおい、今はムードを上げる下り・・も徒歩での下り・・も必要だろォ?」

「うるせぇぞッ! 上りだとか下りだとか頭がいてぇ話をすんじゃねぇ! 黙って進めねぇのかアホ共が!」

 

 何とか平坦な足場まで降りてくると気温が急上昇し、辺りに白煙が立ち込める。私が後方を振り向くとメルはやや息を切らし、ジュリエットはその場に座り込んで呼吸を乱していた。


「はぁはぁっ……つ、疲れたぜ……」

「んな大荷物持ってくるからだ。足を引っ張らないうちにここへリュックを置いていきなァ」

「ば、馬鹿やろう! そんなことできるか!」


 地表から噴き出している白煙に指先を触れてみれば、火傷を避けられないほどに高熱。私は辺りをしばらく見渡しながら、


(……何かがいる)


 先ほどから向けられている視線に険しい表情を浮かべた。正確な位置までは掌握できないが、確実に何者かがこちらを物色・・している。


「この辺りで長居するのは危険だ。早く抜けるぞ」

「ほら、さっさと立ちなァジュリエット。ここに置いていくぜェ」

「わ、分かってんだよクソ女ッ!」


 噴き出す煙に触れないように奥へ奥へと早足で突き進む。砂漠地帯とは比べ物にならない程の暑さに、私は額から一滴の汗を流した。


「噂で聞いた"死神の息吹"ってのはこの煙のことかァ?」

「……どうだろうな」

「おいおい、"窒息死"しちまうってのはガセネタかよ。あのクソ山羊ヤギ、あたしに馬糞ばふんを握らせやがっ──」

「ふぎゃあ?!」


 後方から聞こえた叫び声。振り返ってみればうつ伏せに倒れているジュリエット。どうやら派手に転んだらしい。


「何してんだァジュリエット? 転んでもあたしは手を貸さねぇぜェ」

「そ、そんなつもりで転んだんじゃねぇ! う、後ろから誰かに押されたんだよ!」

「あ? 後ろから?」


 必死に訴えかけてくるジュリエットに私たちは小首を傾げつつ、後方を見渡しながら人の姿を確認する。しかしそこには噴き出す白煙のみ。


「クスクスッ、私たち以外にだーれもいないじゃねぇか。あんたはただ石ころにつまずいただけだァ」

「この私がこんなガキみてぇな転び方するわけ──」

「わーったよ。そんなに言うんなら、あたしがジュリエットちゃんの後ろを歩いてやる。これでノープロブレムってやつだろ?」


 半信半疑のメルが最後尾を歩き、間をジュリエット、先頭を私が歩くという陣形にし、死神の息吹が立ち込める道を突き進んだ。進めば進むほど汗を一滴、二滴と流していく。


「ふぎゃあッ!?!」


 黙々と歩いていると再度聞こえたのはジュリエットの叫び声。私は「またか」と振り返り、うつ伏せに転んでいるジュリエットを見下ろす。


「おーおー、派手に転んでんなジュリエットちゃんよォ」

「こ、こんの、クソ女ぁあぁあぁッ!! お前、私の背中を押しやがったなぁ?!」

「あ? あたしは何もしてねぇぜジュリエット」

「ウソついてんじゃねぇッ!! 今、私のことを思い切り突き飛ばしやがっただろうがぁ!?」


 ジュリエットはよっぽど鬱憤が溜まっていたのか、怒り狂いながらメルへと詰め寄った。しかしメルは何も心当たりがないようで眉をひそめるだけ。

 

「あたしは大マジだぜ。ジュリエットの後ろでちんたら歩いてただけだァ」

「しらばっくれんなよッ!? お前がさっきみてぇに私を突き飛ばしたじゃねぇか──」

「数分前はお前が最後尾を歩いていた。同じ要領で突き飛ばされたというなら、その女の犯行だとは考えられん」


 私は言い争いをする二人を静止し、白煙に包まれた周囲を一望する。


「んじゃあ、あたしらの周りをお化け様がウロチョロしてんのかァ?」

「お、お化けぇ……ッ!?」

「……いや」


 視界の隅で微かに揺らいだ白煙。私はパニッシャーの銃口を向け、即座に引き金を引く。何も無い場所へ飛んでいくはずの銀の杭は、  

 

「──ォア"ァッ!!」

「ふぎゃあッ、何だあの野郎は……ッ!?」


 空間へ深々と突き刺さった。聞こえてきたのは喉の奥から絞り出した呻き声。赤色の血液も辺りに飛び散る。ジュリエットはあり得ない光景に思わず声を上げた。


「ォッア"ァア"ァア"ァア"ア"ァウ"ッ!!」


 雄叫びと共に姿を見せたのは細長い手足に長い胴体。白色の肌に突き刺さる銀の杭を引き抜くと、白目をギョロギョロと四方八方へ動かし、


「ォオ"ォッア"ァアァアァウ"ーーッ!!」

「……亡者になれん死に損ないだ」


 周囲の景色と馴染むように"擬態"を始めた。

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