6:1 Attendant ─付き添い─


 ヴィクトリアと相見あいまみえた翌日。私はクルースニク協会の一室へ顔を出す。休養中のクレアとイアンがベッドで眠りにつき、その窓際でメルは喧騒を起こす男共を眺めていた。


「おーおー、お友達の見舞いでもしにきたのかァ? "グローリアの犬様"よォ」


 ニタニタとした笑みを浮かべながらメルは私のこちらに歩み寄る。私は休養中の二人を交互に見てから、メルと視線を交わした。


「……手当てはお前が?」

「クスクスッ、あたしはこう見えても器用なんでね」

「芝居をしてまでこの二人を避難させ、律儀に怪我の治療までする。性根が腐っている女の行為とは思えんな」


 不信感を抱きながらそう言及するとメルは仏頂面ぶっちょうづらをして、開いていた部屋の扉を閉める。


「言っておくが、あたしはお人好しの善人様じゃねェ。んでもって、あんたとの一時的な協定関係もとっくに終わっちまってる」

「なら何故手を貸した? 私たちの手助けをしてお前が得られるものは何もない。あの老婆に裏切りを勘付かれれば……確実に始末されるだろう」


 腕を組みながら扉に背を付けたメル。私は澄まし顔を浮かべ、メルの仏頂面をじっと見つめた。


「王の間へ入る直前、あたしは色男に頼まれちまった」

「何を……?」

「『もし俺が死んだら、ジョーカーに手を貸してやってくれ』ってな。んなありきたりなことを口走るキザ野郎、あいつが初めてだったぜ」


 メルは天井を見上げながらキリサメの言葉を思い返し、右手で黒髪を掻き分ける。キリサメの話を上げた途端、部屋の空気が少しだけ濁ったように感じ、私は窓際まで移動した。


「……余計なことを」

「死人の頼みなんざァ聞いてやるつもりはなかったが……あたしはあの男から貰うもん貰っちまってる。だからあんたとこいつらに手を貸したのさ」


 思わず大きな溜息をつく。顔を少し上げれば、窓の外で繰り広げられていた喧騒は決着がついたようで、男共は既に解散していた。道端に残されたのは飛び散った血痕のみ。

 

「にしてもあんた、よくあのクソババアを説得できたな。どんな手品を使ったんだ?」

「それは──」

「おやおや、お揃いじゃないかァ」


 私がメルの問いに答えようとした時、部屋へヴィクトリアが顔を出した。私は意識せずに金色の杖を警戒すると、その場でゆっくり振り返る。


「何の用だ?」

「休息の時間を与えてやったんでねェ。わんこ共の策略やらなんやらを……すべて吐いてもらおうか」

「……あぁ」


 スパイとして送られた私たちに勘付いたのではなく、ヴィクトリアと対話していた狐の女が失態を犯したことは明白。私は隠し通す必要もないと、今回の任務についてすべて話した。


「情報の為にアカデミーの生徒を派遣ねェ? ふっ、あたしゃあそんなこったろうと思ったよ」

「そもそもこのクルースニク協会に原罪や公爵デュークの情報はあるのか? とても情報網を張っているようには思えんが……」

「ほら、"ココ"にあるだろう?」


 ヴィクトリアが指で示したのは自分の頭。書物に記された情報ではなく、老婆の記憶が情報となるらしい。とても不明瞭なものだ、と私は呆れてしまう。

 

「……グローリアの人間はお前の記憶を求めていたということか」

「あたしゃあわんこ共と違う。若い頃にロストベアの最北端まで旅をしたことがあるのさァ。"百聞は一見に如かず"とはよく言ったものだねェ」


 ロストベアの最北端。この大陸がそもそもどこまで続いているのか。私はそんな考え事をしていると、ヴィクトリアは金色の杖を私のパーカーに向けてきた。


「わんこや、無風むふう渓谷けいこくに向かうのだろう?」 

「あぁ、この手紙の主が待つ奥地までな」

「そうかい。奥地となると手こずるかもしれないねェ」


 私が衣嚢いのうから取り出した手紙を覗き込むメル。キスマークが付けられた封を目にすると、頬を引き攣りながら口元を押さえる。


「なぜ手こずる?」

「奥地までの下り道に観光気分で足を踏み入れちまえば……ころっと"窒息死"しちまうもからさァ」

「窒息死だと……?」

「あぁその話、あたしも知ってんぜ。確かその辺のクソ共が『あそこには"死神しにがみ息吹いぶき"が充満してる』とか『奥地には死神が住みついてる』だとかほざいてたな」


 死神の息吹が充満する道。吸い込めば窒息すると説明を受けた私は、考える素振りを見せながら、床を這っている小さな蜘蛛を見つめた。

 

「メルや、このわんこに付いてってやりなァ」

「おいおい、どういう風の吹き回しだ? グローリアの犬に手を貸すなんて、クソババアらしくねぇぜ」

「……小童こわっぱにはまだ貸し借りの恐ろしさが分からないだろうけどねェ。あたしゃあ貸し借りを作るなんて御免なのさ。"同好会"もどきの教団を蹴散らしてくれた分、こっちが借りを返済しなきゃあ気が済まない」


 ヴィクトリアはそう返答しつつメルを鼻で笑うと、金色の杖で部屋の外を指し示す。私は顔を上げ、手紙を衣嚢いのうへと仕舞った。


「わんこや、出発はいつだい?」

「……五日後だ」

「そうかい、五日後……。メル、ジュリエットに"例のモノ"を五日以内に仕上げるよう伝えてきなァ」

「はいはい、足腰が弱いクソババアの為に動いてやるよ。あー、かったりぃ」


 気怠そうに部屋から出ていくメル。足音が遠のいていくのを確認したヴィクトリアは、弾力を失い乾燥してしまった顔でこちらを凝視する。


「百年以上も前、無風の渓谷は"かぜ渓谷けいこく"と呼ばれておった。無風の渓谷となったのは、風が吹かなくなったから」

「……」

Hybrisヒュブリスや、前世から現世に転生するまでにぽっかりと空いた千年。たった千年で何が起きたのか。あんたは何も知らないだろう」


 私は返答代わりに小さく頷くとヴィクトリアは、先ほどまで私が見つめていた小さな蜘蛛を粉々に踏み潰した。


「若い頃のあたしも無知なもんだったが、それもすべてグローリアのわんこ共のせいさァ」

「お前が指しているのはリンカーネーションに所属する人間のことか?」

「ふっ、リンカーネーションねぇ……」

「そもそもあの組織は何だ? なぜ私たち転生者の本来の名を剥奪し、リンカーネーションを"一つの組織"として装うとする?」


 追及するようにヴィクトリアまで詰め寄ると、私の左脚に刻まれた紋章に触れ、真剣な眼差しを送ってくる。


「ヒュブリスや、この紋章は決して人には見せてはならないよ。吸血鬼共を始末した後に、粛清の証も書いてはいけない」

「……何故だ?」

「転生者は千年の間で存在意義が変わっちまったのさ。あの頃のように……転生者は神共に近しい存在じゃない。それだけは覚えときなァヒュブリス、あたしゃあ若い頃に何度も"詰み"かけてるからねェ」


 私が知らない千年の間に何が起きたのか。ヴィクトリアは深くは語らず、そのままこちらに背を向けた。


「焦らして何になる? この場ですべてを話せ」


 焦らそうとする態度が気に食わない、と私はヴィクトリアの肩を掴んだ。振り返らせようとするが、その老体は像の如く微塵も動かない。


「そう慌てちゃいけない。無風の渓谷から生還した時、あたしゃあ知っていることをあんたに話すつもりだよ」

「……今の私に知る資格がないとでも言いたいのか?」

「ふっ、どうだろうねェ」


 私が肩から手を離せば、ヴィクトリアは廊下へ一歩だけ踏み出し、懐古するように顔を右上へ逸らした。


「ヒュブリスや、随分と変わっちまったじゃないか。昔のあんただったら誰彼構わず、拷問で情報を吐かせただろうに。あの頃の刺々とげとげしい性格はどこへ消えちまったんだい?」

「……」

「まったく、時間ってのは人を変えちまう遅効性の毒だねェ」


 見当違いだったと言わんばかりに肩を落とし、そのまま部屋から出ていくヴィクトリア。私はベッドの上で寝息を立てているイアンとクレアの様子を窺う。

 

「私は、誰なんだ?」


 今の自分がヒュブリスとして生きているのか。それともアレクシアとして生きているのか。私は戸惑いながらも左目を押さえた。


「ここまで迷うのは、血涙の影響か?」


 眷属が流した血の涙を既に四滴取り込んだ。思い返してもみれば、血の涙を取り込めば取り込むほどに、奇妙な誤作動を起こしやすくなっている。


(近い将来、血の涙をすべて口にしたこの肉体は……一体どうなる?)


 仕舞っていた黒色の眼帯を装着し、左手が無意識のうちに転生者の紋章へと触れた。アレクシア・バートリの吸血鬼の瞳、ヒュブリスとしての転生者の紋章。その双方が反発し合うような気がしてならない。


「今は、考えるだけ無駄か」


 私は汚れた木の椅子へ腰を下ろすと、二人が目を覚ますまで外の景色を眺めることにした。



────────────────────



 クルースニクの町外れを歩くのは、疲労が垣間見える顔の人物。折れた刀身が納められた鞘を力一杯に投げ捨てる。


「……ヴィクトリア・ウィルキー、やはり常識に反した実力ですね」


 その人物はティア・トレヴァー。狐の面を剥ぎ取られた彼女は、片手で額を押さえながら港の宿屋へと向かっていた。


「あの四人が殺されるのも時間の問題です。至急報告しなければなりません」


 しかし周囲からの気配を察知し、ティアはその場で足を止める。そして気配のする方角へ振り返った。


「……何か用ですか?」

「散々な目に遭ったみたいだから、ちょっと様子見しに来ただけよ」


 木の陰から姿を現したのは原罪のニーナ・アベル。ボロボロのティアを嘲笑うと木に背を付ける。


「魔女の馬小屋は無事に壊滅したわ。あんたが送ってきた生徒のせいでね」

「そうですか。異世界転生者トリックスターを利用する魂胆が気に食わなかったので丁度良かったです」

「よく言うじゃない。実習訓練の情報を私たちへ流通させ、ドレイク家の救援要請を裏で破棄。おまけにシメナ海峡で意図的に眷属と鉢合わせするよう仕組んだ──グローリアの裏切り者・・・・が」


 裏切り者。その一部分だけを強調するようにニーナが述べると、ティアは脚に付けられたホルスターへ手を触れた。

 

「あぁ忘れていたわ。その前にあんた、人間が根城にしているグローリアへ"原罪の一人"を潜り込ませたわね」

 

 ティアは言葉を返さずに背を向け、再び港までゆっくりと歩き始める。ニーナはその後ろ姿をじっと見つめた。


「"アイツ"は元気にしてる?」

「……」

「まっ、せいぜい上手く順応させなさい。そうすれば、あんたとの契約は守ってあげるから」


 ニーナが突拍子もなく紅の杭を投擲すると、ティアはホルスターに入った杭を引き抜き、振り返りざまに弾き返す。そして狐の面が外れた顔でニーナを睨みつけた。 


「最後に忠告よ。その内、あんたたちにとって面倒事が一つ増える」

「……面倒事ですか?」

「一番の被害者はアレクシア・バートリ。あんたたちがどう対応するのか……高みの見物をさせてもらうわ」


 暗い暗い陰へと消えていくニーナ。辺りから気配が消えたのを確認し、ティアは嘆息たんそくをもらし、


「どちらにせよ、これ以上の面倒事は抱えきれませんね……」


 積み重なった問題を一つずつ解決するために歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る