Recollection : Sphinx ─スフィンクスの記憶─


※この物語は五ノ眷属であるスフィンクスの過去の物語です。



 何百枚と重ねられた真っ白な紙は肉体となり、一枚一枚に浸透するインクは血脈となり、書き綴られた文字は臓器となる。それがオレたち本という存在だ。


『旅人は風に吹かれ、今日も気ままに旅をする』


 だが紙とインクと文字だけでは本とは呼べない。それは"インクで文字が書かれた紙"だ。オレたち本にとって必要不可欠な存在がまだある。


「……この一文、絶妙過ぎない?」


 その存在とは紙へ心を与え、本へと仕上げる作家。彼らの存在はオレたちにとってまさしく生みの親のようで、生涯を共にするパートナーとも言えるだろう。


(単調な文、悪くないと思うが……) 


 一文目、二文目と執筆を続けているこの男こそがオレの写し鏡。まだ名も無い紙だったオレを書庫で買い、羽ペンを握りながら頭を悩ませている。オレが悪くないと思うのは、この人間の映し鏡だからか。


「あー! 好きな本を読み終わって、衝動的になんか書きたくなったのはいいけど……書けば書くほどセンスがないって絶望するなぁー!」

 

 独り言をぼそぼそと呟きながら頭を抱えている。他者の記した本から影響を受け、書き始めた新米らしい。


「というより『旅人は風に吹かれ』って何なんだ……? 旅をするって一体どこを旅するんだよ?」

(この新米、さては題材すら考えずに書き始めたな)

  

 新米の作家は資料も作らず書き始めることが多いと聞いた。己の感性に従い、気の向くままに書こうとする姿勢は良し。だが辿り着く先を決めておかなければ、一冊の本では収まり切らない。


「そうだ……! この物語の主人公をオレ自身にして、オレが本当に色々なところを旅すればいいのでは? そんでそれをそのままに本にすれば……」


 題材の内容を空想の名称であるフィクションにするか。現実の名称であるノンフィクションにするか。この男は後者を選び、自叙伝じじょでんをオレへ書き記すことに決めた。


「あっ、どうせなら本の中だけでも勇ましい感じにしよう。紳士のような振る舞いに、どんな状況でも落ち着いて、顔は誰もが憧れる百獣の王で……っと」

(この改変は……どちらに区別されるのだ?)


 架空の主人公を創り上げ、新米作家との旅が幕を開けた。


『旅人は始まりの村Astraアストラを去り、風に吹かれるまま森を歩く。自分を探し、自分を見つめ直すために、この世界を知るために』

「うっし! ここからオレの物語が始まるぞぉー!」


 新米作家の故郷はRosaliaロザリアという大陸に存在するAstraアストラと呼ばれる村。顔を上げれば星空が綺麗に浮かんでいる。


「ほら、これも持ってて! 村の外で何があるのか分からないんだから!」

「お、おぉ! ありがとうございます!」

「ほんと、身体には気を付けるんだよ!」

(……新米作家よ、貴様は愛されているのだな)


 更に温厚な者が多く、新米作家は近隣の村人に愛されていた。旅立ちの時、食料や金貨を与えてもらえるほどに。


『旅人は川の上流を求め、森の中を歩き続けた。目指すはSimenaシメナと呼ばれる港町だ』

「まぁ、まだ森の中を歩いてるけど」

 

 アストラは森林に囲まれているため方角を定めにくい。しかし川の上流が村の北に、川の下流が村の南へと続いている。新米作家は川を辿りながら、北の方角へ向かう。


「おおー! この丘から見る景色は最高だなぁー!」


 三時間ほどでシメナへ辿り着き、新米作家は一本松が生えた丘の上を駆け回る。季節が春と夏の変わり目のせいか、草原は青々と茂っていた。


『旅人は青々と茂る草原で片膝を突くと、高らかに草笛を鳴らし、小鳥と協奏曲を奏でた。彼方からやってくる潮風は獅子のたてがみを撫でる』

「よっし、これは力作! 草笛鳴らせないし、鳥の鳴き声も聞こえないけどいっか!」


 自叙伝にて誇張し過ぎた表現をオレは罪だと思わないが、この男はそれでいいのだろうか。オレは自分に書き記されていく物語を読みながら、独りでそう考えていた。 

 

『シメナ海峡の船旅。降りかかる豪雨と神雷の中で、旅人を喰らおうと海の怪物クラーケンが現れる』

(……クラーケン)


 船乗りたちを恐怖の底へ叩き落した海の怪物。この男がオレに書き記していく情報によれば、数年前に出没したらしい。


『旅人はクラーケンの腕をエメラルドの大剣で斬り裂くと、何十倍もの巨体を一振りで真っ二つにした。クラーケンを打ち倒し、旅人は海に平穏をもたらしたのだ』

「ふっふっふ、流石はオレだな。クラーケンも倒してしまうなんて」

(……もはや"フィクション"となったな)


 まごうことなき晴天。雨の一粒すら降らず、欠伸が出るほどゆったりとした船旅。新米作家はハンモックに揺られながら、細々と筆を走らせている。


『旅人はLostBearロストベアへと降り立つ。クラーケン討伐のお礼に、と心優しき船長から譲り受けた地図を開き、まずはMesaVillaメサヴィラと呼ばれる村を訪れることにした』

「まっ、ホントは地図を拝借してきたんだけど」

(……ついには盗人ぬすっとと成り下がったか)


 オレに心を与えた作家はとんでもない悪人かもしれない。今は善悪の区別もつくが、いつの日か悪を悪とすら認識できなくなるのだろうか。


『東の方角にある森の奥地にその村はひっそりと存在する。村の人たちは旅人を快く迎え入れ、綺麗な部屋とふかふかのベッドを用意してくれた』 

「あー、なんか故郷を思い出すなぁ……」


 メサヴィラの村人は書き記した通り、人柄の良い者たちばかりだった。新米作家の為にわざわざ物置を掃除し、宿泊可能な部屋へと変え、食事や水も提供をしてくれたのだ。


「みんな、元気にしてるといいけど……」


 思えばこの新米作家はまだ若く、成人とは言えない容姿をしている。しかし身寄りとなる親族を独りも見かけていない。オレが知る限りでは、日々声を掛けてきたのは村の人間のみだった。


『村人の温かさが心に染みた旅人はどうしようもない孤独を感じ、夜空を窓から見上げる。故郷のように綺麗な星空は拝めず、旅人は孤独を抱き枕にしながらベッドで眠りにつく』

「はぁ、今日はもう寝よう。なんかこう、どっと疲れたし……」


 この日の夜、オレは初めてこの男の文章から孤独を汲み取る。活気に溢れるような自叙伝を燃え盛る炎に例えるのなら、孤独とはそこに村時雨むらしぐれが降るような感覚。度々訪れ、度々消える──それが孤独というものなのだ。


「よぉし! 今日は村の人から教えてもらった"風の渓谷"って場所に行ってみるかー!」


 その証拠にひと眠りすればこの男は呑気な顔をし、メサヴィラを旅立った。ロストベアを北の方角に進むには、"風の渓谷"と呼ばれる谷を抜ける必要があるらしい。新米作家はペンを握りながら渓谷へと足を踏み入れ、


「……すげぇ」


 その光景に圧倒される。吹き荒れる風と鉄砲水が、長い年月をかけて深く掘り出した砂岩。滑らかな地層が渦を巻いた模様を描く岩壁。まさに"自然の神秘"そのものだ。


『旅人は風の渓谷に目を奪われた。大自然が生み出した産物は、言葉に例えられないほどに不思議なもので、魅了されるほど美しかったのだ』

「……旅してて、良かったな」


 心の底で抱いていた不安と恐怖をやっとのことで吐き出せた清々しい顔。この男は風の渓谷で一段と成長し、見物しながら谷を抜けていく。


「安全な道は上る方で、下る方は命を落とす……っと」


 風の渓谷は"上り"と"下り"の別れ道がある。下りは風の渓谷の更に奥地へと進み、上りは渓谷を北へ抜けられるらしい。村人は迷わないよう、親切に地図まで渡してくれたが、


「……ちょっと、冒険してみるか?」


 この男は厚意を無駄にしようとする。過剰な冒険心は身を滅ぼすことを知らぬ。オレは「この男が選択を誤らぬように」と祈るが下りの道を選んでしまう。


「はぁはぁっ……なんか、進めば進むほど呼吸しづらいなっ……」


 危険を顧みず、下りの道を突き進む新米作家。奥地へと近づけば近づくほどに、呼吸が荒くなっていく。そのワケを、この時のオレには理解ができなかった。


「こ、このままだと窒息しそうだっ……そろそろ、引き返してっ──」

「おい、人の餓鬼。ここで何してやがる?」


 新米作家が引き返そうとした時、奥から長い銀髪を持つ男が現れる。上にはシャツを一枚だけ羽織り、筋肉質な肉体が垣間見えていた。


「俺は"独り"を楽しんでんだよ。人の餓鬼、まさか邪魔しに来たんじゃあねぇだろうな?」

「ち、違います! す、すぐにどこかにいくんで──」

「おせぇ、おせぇよ人の餓鬼。すぐってのは、一秒も必要ねぇだろうが。もう一秒、経っちまってんだよな」


 オレも新米作家もこの男が只者ではないと悟っている。苦しまず、悠々とそこに立ち、オレたちを紅の瞳で睨みつけてきたからだ。そうこの銀髪は、この男は、紛うことなき"吸血鬼"。


「人の餓鬼、ここで"死に晒せ"」


 右拳を振りかざし、新米作家に詰め寄ってくる銀髪の男。オレは本のなり損ないとして旅を終えるのか。


「その拳を降ろして」

 

 しかし諦めと生への執着に応えるかのように、新米作家の前に不可思議な女が現れ、銀髪の男を言葉のみで静止させた。黒色のローブ、フードから覗かせる青髪と紅の瞳。この女もまた、同じ吸血鬼。


「あぁ? Bathoryバートリ、何でお前がここにいる?」

「彼を追いかけてきたのよRuthvenルスヴン。乱暴者なあなたから守るために」


 銀髪の男をRuthvenルスヴン、物寂しさに溢れた女をBathoryバートリ。お互いにそう呼び合い、言葉を交わしていた。


「変わらねぇな。まだ"負け犬種族"の肩を持ってんのか?」

「いいえ、人は神に愛された栄光ある種族よ。あなたが拒まず向き合えば、人の愛に触れることができるわ」

「ほざけ。負け犬種族の愛なんて胸クソわりぃだろ。そもそも愛なんてものはなぁバートリ、自愛・・で十分なんだよ」

 

 ルスヴンという名の男は拳を下ろすと、気に食わぬ面持ちでバートリに背を向ける。


「チッ、また孤独になれる場所を探さねぇと……」

Scarletスカーレット卿が言っていたわ。『四卿貴族でまたお茶会をしましょう』って」

「けっ、"寝言は寝て言え音痴野郎"」

  

 風の渓谷の奥地へ消えていくルスヴン。オレは首の皮一枚繋がったと安堵していれば、新米作家にバートリが歩み寄った。


「ここは危険よ。奥地へ進めば進むほど、あなたたちにとって生き辛い環境が待っている。風の渓谷を抜けたいのなら、別れ道まで戻りましょう」

「は、はい……!」


 吸血鬼は人類の敵である。新米作家はその吸血鬼から手厚い施しを受け、風の渓谷を抜けることに成功した。その道中で新米作家は『本を書くために旅をしている』とバートリへ話す。


「もしよかったらその本を読ませてもらえない?」

「えっ? ま、まだ半分も書けてないですよ?」

「ええ、構わないわ。あなたがどんな本を書くのか……少し興味があるのよ」

 

 バートリは本であるオレに興味を示し、歩きながら旅人の物語を読み込んだ。新米作家は初めて自作を読ませ、落ち着きもなくそわそわとしている。


「旅人は人間? それとも竜人りゅうじん族や獣人じゅうじん族?」

「あのぉ……リュウジンやジュウジンっていうのは?」

「私のパートナーはあなたと同じ作家なの。その人が描く世界には人や吸血鬼以外にも様々な種族が住んでいて……この旅人はその中の竜人や獣人の容姿にとても似ていた」


 読み終えたバートリは新米作家に本であるオレを返した。竜人や獣人という種族は、バートリーの"パートナー"が描いた空想上のもの。非常に想像力が豊かな人間だ。

 

「実は、その、旅人はオレ自身と照らし合わせていて……」

「……」

「オレ、自分がどこで生まれを知らないんです。旅を始めたのも本当の自分を知るためで……だから旅人は人間の肉体に獅子の顔っていう、正体が分からない感じにしました」


 バートリは静かに新米作家の話へ耳を傾け、オレは新米作家に親族がいないワケに納得をする。旅を始めたのも作家としての道を歩もうとしたのも、見切り発車ではなかったらしい。


「……人の心に寄り添い、弱い者の為に力を奮い、多くの人に愛される旅人。あなたに似ていたわ」

「オレに、似ていた……?」

「ええ、本当のあなたもきっとそういう人よ。だから旅の終着点に──あなたの哀しみは残らない」


 不安を募らせていた心のもやが晴れていく。バートリの慈しむかのような言霊は、新米作家を一段と成長させる。


「あ、あのぉ……あ、ありがとうございました! 出来ることは限られてるけど、何かお礼をさせてください!」

「気にしないで。私は好きであなたを助けたの」

「で、でも命を救ってもらいましたし! このままだと申し訳ないというか……」


 別れ道へ引き返せば、吸血鬼であるバートリの嬋媛せんえんな容姿や親身しんみな対応に心を打たれた新米作家が、是非とも礼をさせて欲しいと申し出をした。


「……じゃあ、あなたが持っているその本に書き記してほしいわ」

「この本に……? 一体何を書けばいいんですか?」

「『人との共存を望み、人を愛する吸血鬼も存在する』って書いてほしいの」


 胸の内から絞り出した言霊。呆然としている新米作家に、バートリは"紅色の雫"を象ったインク瓶を渡す。


「えっと、これは?」

「旅の御守りよ。インクとしても使えるわ」

「あ、ありがとうございます! 何から何まで色々とお世話になっちゃって、何とお礼を言えばいいのか……!」


 煌めきを宿す紅色の雫。新米作家の目には"インク瓶"として見えていただろう。しかしオレにはただのインク瓶ではないように見えた。

 

「またどこかで会えた時は、本の続きを読ませてもらうわね」

「もちろんです! また会う時はもっと色んな場所を旅して、オレ自身も旅人も……立派な姿を見せられるようにします!」

「ええ、楽しみにしておくわ」


 バートリはそれだけ言置いいおくとメサヴィラの方角へと歩き出す。新米作家もその後ろ姿を見送ってから、本であるオレにこう書き記した。


『旅人の窮地を救ったのは儚げな吸血鬼。どこか哀しげな表情に、人と変わらぬ慈愛に満ちた心を持ち、旅人へこう告げた──人との共存を望み、人を愛する吸血鬼もいると』

「……あんなに優しい吸血鬼もいたなんて。オレもまだまだ世界を知らないってことかぁ」

 

 風の渓谷を超え、オレと新米作家は終わらぬ旅を再開する。


『風の渓谷を抜けた旅人はSenzaゼンツァと呼ばれる町へ訪れる。綺麗な水辺に心地よい風が吹く自然豊かな町。天真爛漫に振る舞う子供たちの姿は、旅人の疲れを癒すのに十分だった』

 

 最初に訪れたのはSenzaゼンツァと呼ばれる町。土作りに適し気候に恵まれた環境が故に、数多くの農場が広がり、農作物や畜産物を北の国と商談しているらしい。


Senzaゼンツァを旅立ち、次に目指すのは"生者しょうじゃの町"。生きとし生ける者を受け入れ、どの町よりも信心深く、独特な者たちが住んでいた。旅人は十字架だらけの宿屋を不気味に感じ、翌日には町を旅立つことにする』


 次に訪れたのは生者しょうじゃの町。信心深い者たちが多く住んでおり、昼と夜にかけて数回も祈りを捧げる光景を目にした。しかし不可思議なのは……墓地らしき場所や棺桶が一切見当たらないことだ。


『生者の町を旅立ち、北西へと向かった旅人はAdarアダール RambAランバの国へ訪れる。Gloriaグローリアに劣らぬ勇ましい城と人々で賑わう城下町。旅人はしばらくこの国に滞在することにした』


 Adarアダール RambAランバは一人の王が統治する国。王の住む城はグローリアの城と酷似しているが、城下町の広大さはアダール・ランバの方が上だ。


「んー、次はこっからずっと東へ向かうと別の国があるのかぁ。距離も随分と離れてるしなぁ。というか、何で馬車とか通ってないんだ? 仲が悪いのか?」


 ここから遥か東に向かえばEmelエメール Lostaロスタと呼ばれる国がある。その国は一人の女王が統治し、大陸ロストベアでは最東端に位置する。しかし国同士を経由する商談も馬車も何一つ存在しないのだ。


「まぁいっか! とにかく、このまま北に向かえばいいだろ! 北には綺麗な泉とか、絶景を拝める山があるみたいだし!」


 オレとこの男は一年、二年、三年……と様々な場所を旅した。新米作家、という言葉も似つかなくなり、その姿は旅人そのもの。本としてのオレも一ページ、二ページとその枚数を減らしていく。


「げほっげほっ……あぁ、呼吸がしづらいな……」


 しかしロストベアの最北端まで辿り着いたというのに、この男は疫病を患ってしまった。致死性が高く、三日ほどで歩けない状態となってしまう。


「くそっ……まだ、これからだってのにっ……」


 治療をするための薬は愚か、最北端には人が住む村や町もない。旅人の前に広がるのは、新たな大陸へ繋がる海。旅人は海辺近くの大木に背を付けて座り込み、吐血を繰り返す。


「オレ、結局自分が誰なのか、なにも分からなかったなぁっ……」


 数年も旅を続けたというのに、この男の出生について何も得られなかった。オレは何とも言えぬ感情が込み上げてくる。これは"悔しさ"と呼ばれる感情だろうか。


「でも、そうかっ……分からなくても、オレはっ……」

『旅人は──』

「くっ……こんな時に、インクが切れてっ……」


 この男は本であるオレを開き、震える手でペンを走らせる。しかしすぐにインクが切れてしまい、旅人は項垂れたが、


「そうだっ……!」


 思い出したかのようにバートリから渡された紅色のインク瓶を取り出す。そして再び、震える手を落ち着かせながらペンを走らせた。


『旅人は手に入れた。喜怒哀楽を与え、亡者を呼び起こし、幼き日々へと帰ることができる大切なモノを。死を迎えるまで永遠と生まれ、永遠に消えることがないモノを。それが旅を続けた"答え"であり"意味"になると』

(……何なのだ、それは?)


 オレには何を指しているのかが分からない。旅人は物語を終わらせようと最後のページを開き、続けてこう書き綴る。

 

『そう、この旅で手に入れたかけがえのないモノ。それは──』

「うッ……!?! げほッごほッ!!」


 答えを書き終える前に旅人はその場に横たわった。紅色のインクが辺りに飛び散り、本であるオレは見開きのまま、草の上へ落とされる。


(……答えてくれ、旅人よ。この旅で手に入れたモノとは何だ?)

「……」

(旅人、旅人よ。物語はまだ終わっていないぞ)


 動かなくなった旅人。目の当たりにした人の死ぬさま。本に書き記された一文一文の情景が蘇り、


(目を覚ませ。目を、覚ましてくれ……!)


 オレは初めて"哀しみ"を知った。人が哀しみを抱いた時、涙を流すワケを理解した。奥底で渦巻く負の感情は苦しみとは違う。


(ぐッ、ぐぬぉおぉおおぉ……ッ!?)


 初めての哀しみを知った瞬間、オレの身体は激しく燃え盛る。バートリから渡されたインク瓶で書かれた文字が、深く深くページに刻み込まれていく。


(答えを、答えを見つけなければ……! オレが、オレが──)


 旅人が書き切ることができなかった答え。オレは哀しみと使命感を抱いたまま、


(──解明しなければならない)


 昏倒こんとうしてしまった。



―――————————————



「ぐぬぬ、この勝負は負けられねぇ……!」

「愚か者。貴様はオレには勝てないぞ」


 人間の肉体に獅子の顔。オレは目を覚ませば、本の中に登場する旅人の姿になっていた。ワケの分からない非現実的な状況下で姿を現したのは、


「またトランプで遊んでいるのね」

「……バートリか」


 紅いインク瓶を旅人に渡したバートリだった。


『バートリよ、これはどういうことだ? 本だったオレが何故この姿になった?』

『……インク瓶の中身は私の"血涙"。それがあなたの哀しみに共鳴したの』

『オレの、哀しみに……?』

『ええ、本当ならあなたじゃなくて……その人に共鳴するはずだったわ。けれど、哀しみは無かったみたいね』


 最期まで哀しみを抱かなかった旅人の為、最後まで書き切れなかった答えの為、オレはバートリの元で暮らし、探し求めることにしたのだ。


Sphinxスフィンクス、もっと手を抜いてくれ!」

「これ以上手を抜けば、オレに『負けてくれ』と頭を下げているのと変わらないぞ」


 オレに五ノ眷属Sphinxスフィンクスという名を付けたこの男。以前からバートリと共に暮らしていると聞いた。旅人と同様に作家という道を歩む影響か、想像力は豊かなものだ。


「はいはい、俺の負けだな! くっそー、これで何連敗目だよ……?」

「愚か者め。これで五十七連敗目だ」


 オレ以外にもバートリの住処には不可思議な者たちがいた。三つ首の巨大な犬、眼球の無い少女、白い肌の女。どれも眷属の名を与えられ、ワケがあってここに住んでいるらしい。


「あーそういや……Enigmaエニグマの答えは見つかったのか?」

「ぬ? エニグマとは何だ?」

「"暗号"や"謎"って意味だよ。前にスフィンクスが"答え"を探してるって聞いたから、進捗どんなもんかなって」

「……エニグマの答えは、まだ見つからないな」

 

 トランプのカードを机に置いたこの男は、オレに"エニグマ"という聞いたことのない言葉を使ってきた。エニグマ、響きは悪くない。


「答えが見つかったらどうすんの?」

「その時はオレは本の姿に戻る。バートリと、そう約束した」


 本として生まれ、本として眠る。オレはバートリと『答えを見つけるまで』という契約を交わし、この住処に滞在しているのだ。


「"バトちゃん"はその答え分かってるんだろ?」

「ええ、知っているわ」

「教えてあげればいいじゃん」

「彼にとって"答え"は生きる意味よ。それに、謎は自分で解いた方が楽しいもの」


 微笑んだバートリ。オレは視線を逸らし、何となくトランプのカードを一枚引いた。オレは手元に現れた一枚のカードを見つめる。


(……Jokerジョーカー、また引き損なったな)


 引いたのは"Jokerジョーカー"のカード。勝負の分かれ目や大事な局面で一度も引いたことが無い。今回のゲームでまた引けなかった、とジョーカーのカードを山札へ戻す。


("旅人は風に吹かれ、今日も気ままに旅をする")


 ふと浮かんだのはすべての始まりであるあの一文。聞こえているか旅人よ。オレの手で最後の答えを見つけ──


「もう一ゲーム! もう一ゲームだけやらせてくれスフィンクス!」

「ほぉ、いいだろう。愚かな申し出だったと後悔するがいい」


 ──物語を終わらせてみせるぞ。 

 


 Recollection : Sphinx_END

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