5:25『ヴィクトリア・ウィルキー』
~本名:偽名~
アレクシア・バートリ:
キリサメ・カイト:
イアン・アルフォード:
クレア・レイヴィンズ:
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「ジョーカー! カイトが死んだって、嘘だよな……ッ!?」
「イアン、落ち着いて!」
村の出口でミネルヴァの一件を話すと、イアンは鬼のような形相で顔で私の両肩を揺さぶる。クレアはイアンを押さえ込み、メルは傍の大木へ蹴りを入れた。
「あのクソ野郎がァッ! あたしがあんときに
「……最初にあの女が妙だと勘付いたのは私だった。お前たちに責任はない。この話は終わりだ」
「けど、私たちもカイトくんと一緒にジョーカーのところまで戻ってたら……」
「話は終わりだと言っている。過去を振り返っても死人は戻ってこない。私の考えが甘すぎた……今はそれでいい」
私はその場で強引に会話を終わらせ、クルースニクの方角へ歩き出す。本来ならばキリサメの遺体を埋葬するべきだったが、その気力すら湧かなかった。それにこの世界は──あの男が住んでいた世界じゃない。
(……シーラに、顔向けできんな)
クルースニク協会へ帰還するまで私たちの間に会話はない。魔女の馬小屋を潰したのは確かだが、代償として失ったものがあまりにも大きすぎた。
「血の臭い……?」
「あぁそういや……魔女が信者共に『クルースニク協会を襲撃』させたらしいぜ」
教会の扉を開く前に血の臭いが鼻元を漂う。この臭いは信者のものか、それともクルースニク協会に待機していたジュリエットのものか。私はこの目で確かめるために扉を開くと、
「お、おい、何だよこれ……?」
「全部、信者たちだよね?」
信者共の無数の死体が教会の隅で山積みにされていた。イアンは呆気にとられ、クレアは思わず口を押さえる。
「この有様は間違いねェ。信者たちを
「おや、随分と遅いお帰りじゃないかメル」
メルの声を遮るのは何者かの声。電球に照らされた死体の山から姿を現したのは、目元を黒い布で覆い、金を素材にした杖を突いて歩く老婆。白色の修道服から一見修道女のようにも見えるが、
「あの女がヴィクトリアとやらか」
「ご名答。世界一強いババアだぜ」
修道服は信者共の返り血に染まっていた。しわしわの肌が目立つ老いた肉体に、少しでも小突けば崩れてしまいそうな歩き方。とても信者共を葬ったとは思えない。
(……あの女、只者じゃない)
しかし老いた肉体に纏わせる覇気の量は人知を超えていた。その他にも寿命をものともしない生命力や、不屈の精神力、燃え盛る闘志が感じ取れる。
「メル、そこにいる小便臭いチビ共は誰だい?」
「ババア、こいつらはなァ──」
「おぉそうだったそうだった。先にこれを見せてやらないとねぇ」
ヴィクトリアは思い出した素振りを見せると、こちらの足元まで黒い物体を転がしてきた。私たちはその何かをハッキリと認識する。
「初めましてが抜けてるじゃないかァ──グローリアのわんこ共や」
黒い物体はヒビ割れた狐の面。シメナ海峡を渡るときにティアが顔に付けていたものに違いない。メルを除いた私たち三人は一瞬だけ顔を強張らせた。
「あんたら、まさか……」
「おや、鼻が詰まってるようだねぇメル。このわんこ共からするだろうに……腫物が腐ったような臭いが」
ヴィクトリアは金の杖から剣を引き抜く。細剣にも近い形状をしている剣は、恐らくあの皇女と同じ金剛石を材料としたものだ。
「腐った腫物は──綺麗に削いでやらないとねェ」
明確な殺意が向けられるとヴィクトリアの覇気が一段と増す。私はノクスを右手に構えると、空いている左手をクレアの方へ差し出した。
「……お前のノクスを寄越せ」
「えっ、あの人と戦うの……?」
「あの女に言葉は通じん。信者共の死体を見ればそれぐらい分かるだろう」
クレアは渋々ノクスを渡してくる。私は両手に握りしめたノクスを逆手持ちにし、先手を打たれぬようにとヴィクトリアへ距離を詰めた。
「威勢がいいわんこじゃないか」
首元を狙い斬りかかるが、ヴィクトリアは金の杖で軽く受け止め、金剛石の細剣で斬り上げようとする。私は半身で剣を避け、老いた肉体へ回し蹴りを打ち込もうとしたが、
「ほぉ、威勢がいいだけじゃないようだ」
「……ッ」
この女は肉体でわざと回し蹴りを受け、高速で細剣の突きを繰り出した。私はノクスですべて捌き切ってから、すぐさま距離を取る。
「貴様、目が見えているのか?」
「若気の至りで失明しちまってねェ。今が朝か夜かも婆さんには分からないもんだい」
「……冗談は止せ」
「まったく、つまらんわんこだねェ。年寄りの冗談を笑わないなんて」
私からすれば笑えない冗談。失明しているというのに私の位置を事細かに把握し、蹴りを老体で受け止めても動じない。おまけに反撃する余裕すらあるのだ。
「ほらわんこ、伏せの準備をしなァ」
(……化け物が)
老体とは思えない速度で距離を詰めてくるヴィクトリア。私は振り下ろされる細剣を二本のノクスで受け流そうとするが、
「……ッ!」
想定外の体勢で身体を回転させ、鞘である金の杖を薙ぎ払ってきた。私はその場にしゃがみ込み、上段蹴りをヴィクトリアの顎に放つ。
「よく動けるわんこじゃないかァ」
「……馬鹿げた女だ」
しかしヴィクトリアは私の上段蹴りを頭突きで迎撃してくる。力が衝突し合った反動で、お互いに床を擦りながら距離を取った。
「貴様、動術を使えるのか?」
「ふっ、年寄りには若いわんこの言葉は難しいねェ」
「惚けるな。あの動きはトレヴァー家の"機動"を組み合わせたものだろう」
ヴィクトリアが見せた想定外の体勢からの一撃。トレヴァーの動術である機動をものにしなければ、再現するのは不可能に近い。
「おぉそういえば……そんなものもあったねェ。歳をとると忘れっぽくなっちまう」
「まさか、動術の存在を忘れていたのか?」
「わんこには分からんだろうけどねェ、婆さんが忘れるか忘れないかは──酒の
金剛石の剣を逆手持ちへと切り替えるヴィクトリア。機動だけでなくブレイン家の"逆動"まで習得しているらしい。
(……やるしかない、か)
人間の極致と言っても過言ではない実力。私は一度だけ深呼吸をすると二本のノクスを握り直してから、ヴィクトリアの元まで駆け出し、
「ワンと鳴きなァ」
「黙れ」
金剛石の剣で斬り上げた一撃を二本のノクスで受け止めた。刃同士の衝突に青白い火花が散り、私とヴィクトリアは互いに睨み合う。
「わんこ、いい闘志じゃないか。この老い耄れを
「……貴様」
「けどわんこや。婆さんの名を知っているだろう?」
動術を肉体へと染みつかせ無意識のうちに多用するためには、何十年、何百年と鍛錬と実戦を積み重ねなければならない。間違いなくこの女は、
「──ッ」
「あたしゃあ
それらを乗り越えてきた。ヴィクトリアはノクスの刀身を金剛石の剣でへし折ると、私を礼拝堂の壁まで吹き飛ばす。
「ジョーカー!」
「くっそ! 今、助け──」
クレアとイアンが私に駆け寄ろうとした瞬間、黒色の雷が直撃し、二人はうつ伏せに倒れ込んでしまう。背後には右手に黒色の雷を纏わせたメルが立っていた。
「メル……な、んでっ……?」
「クスクスッ、あんたらに言い忘れていたことがあったぜェ」
「何の、ことだよっ……!?」
「格を区別するための名称さ騎士様よォ。
メルはニタニタとした笑みを浮かべ、うつ伏せに倒れたイアンとクレアの背中に左手と右手を触れる。
「その名称ってのが"
「はぁっ? 蛇、だってっ……?」
「あぁ蛇ってのはなァ──"裏切りを繰り返す卑怯者"のことさァ」
両手に黒色の雷をバチバチッと走らせるメル。イアンとクレアが悟った顔で目を見開くと、
「自己紹介を復習させてやんぜェ。あたしは
「うぁあぁあぁああッ!!」
「きゃあぁあぁあああぁッ!!?」
メルは流暢に語りながら二人の肉体に雷を流し込んだ。しばらく教会に叫び声が響き渡ると、イアンとクレアは気を失ってしまう。
「おい、この鴨共をどうすんだァ?」
「そうだねェ……部屋に閉じ込めておきな」
「オーケーババア。ジュリエット、そこにいんなら運ぶのを手伝いな!」
西側の扉から顔だけ覗かせていたジュリエットは一瞬だけ肩を跳ねると、無言でクレアの衣服を両手で掴み、ズルズルとどこかに引きずっていく。
『メルには気を付けた方がいいよ。彼女はこのクルースニクで異常な存在だから』
情報屋であるプローブの一言が脳裏を過ぎった。あの一言はメルが裏切りを繰り返す
「じゃあなジョーカー。ババアと最期のディナーを楽しみなァ」
ただ言葉や表情とは裏腹に、メルが送ってきた視線には「生き延びろ」という意味が含まれているように感じた。恐らくイアンとクレアに手を掛けたのも、重傷を負わせないため。
「しかしこの辺境にスパイを送るなんて、グローリアのわんこ共も相当焦っているように見えるねェ」
メルとジュリエットが礼拝堂から姿を消すと、ヴィクトリアは壁に手を突いていた私の方へ顔を向ける。
「あんたもそう思わないかい──
「……貴様、私のことを知っているのか?」
「知っているとも。あたしゃあ、あんたと同じ──」
金剛石の剣を鞘へと納め、元の金製の杖に戻したヴィクトリアは、修道服の右袖を捲り、肘から肩の位置を見せつけてきた。
「──本物の"転生者"だからねぇ」
「……!」
そこに刻まれていたのは転生者の証である紋章。私はこの時代で初めて転生者と遭遇したことに安堵し、両肩の力を抜いた。
「……だが模様が僅かに違うな。何だその証は?」
「あぁこれかい?」
ヴィクトリアが人間の極致まで辿り着いていることに納得をしつつ、私はその紋章の模様が違うことに気が付く。
「グローリアのわんこ共が複製した紋章と、本物の紋章。二つを重ね合わせるとこうなるのさァ」
「……重ねると?」
「
私にそう断言したヴィクトリアは修道服の懐から葉巻を取り出すと口に咥え、その先端に火を点けた。
「隠蔽しようとする理由は何だ?」
「あたしゃあそこまでは知らんよ。婆さんでも分かるのはグローリアが外見だけってことさ。あんたにゃあ分からんだろうけど、内側はどこまでも腐っちまってる」
「腐っているというのは人材育成の方針がか?」
「ふっ、あたしゃあ今の皇女が気に食わないのさァ」
ヴィクトリアは葉巻の煙を吐きながら杖の矛先を教会の天井へ向ける。
「……気に食わない理由は?」
「ヒュブリスや、おかしいとは思わなかったのかい? 本試験で吸血鬼が紛れ込み、実習訓練で眷属や原罪が襲撃し、隣の領土に眷属がいたというのに手放しにしていた──あの女のすべてが」
天井に向けた杖は一ミリもブレない。ヴィクトリアは葉巻の白い煙を見上げ、ほくそ笑んだ。
「"セリーナ"が皇女だった頃にそんな事態は一度も起きなかった。おかしくなり始めたのはあの女が皇女になってからだろうねぇ。あたしゃあ、あの女に嫌気が差したからこっちに来たのさ」
「……そうか」
「あぁ忘れられないねぇ。吸血鬼共がグローリアへ襲撃したあの日、サウスアガペーでセリーナを殺した──」
そう言いかけるとヴィクトリアはゆっくりと口を閉ざす。そして杖を降ろしてから足元に落ちているノクスの刀身を見つめた。
「しかしヒュブリスや。千年の間に腕が
「……」
「あんたはあたしよりも動術を上手く使えるだろうに……手を抜いているじゃないか。老い耄れ相手に苦戦しちまうのはあんたらしくないねぇ」
「……手は、抜いていない」
私の曖昧な返答にヴィクトリアは沈黙すると、杖の矛先を私のパーカーとやらの衣服に向ける。
「おや、そこに入っているのは手紙かい?」
「……手紙?」
『"
「この手紙は……」
手紙の差出人は、私にとって生き別れた双子でもあり、同じバートリ卿の血を継いだ──
「……もう一人の娘、か」
──
5:Kresnik Society_END
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