1:9 Decision ─判断─
下らない剣技の試験を終え、私とキリサメは会場となるホールへと辿り着く。判断力を計る試験を受けるため、最初と同じ後方付近の席へと座り、教壇の前に立つアーロンに注目した。
「諸君らに受けてもらう判断力の試験だが……。これは最初に受けてもらった知性と同じように、問題用紙を読み、解答用紙へ回答を書き込むだけだ」
(……筆記か)
「ただし――試験時間は"三分"となる」
試験時間は三分。アーロンの言葉を耳にすれば、静寂に包まれていた会場は一瞬にして候補生のどよめきで溢れかえった。
「終わった者から退出してもらっても構わない。これから問題用紙と解答用紙を配布する。口を閉ざすように」
裏返しに配られる二枚の用紙。大きさは平均的で、透けて見える文章も多くはない。解答欄の枠も三分あれば十分に書き込めるほどの大きさだ。
「では、解答始め」
試験開始の合図と共に候補生たちが用紙を一斉に表にした──瞬間、ペンを握っていた全員の手がほぼ同時に固まった。
(……問題数はたったの一問か)
記載された問題はたったの一問だけ。三分もあれば答えられる。私はゆっくりとその文章に目を通してみる。
『あなたは脱獄ができない牢屋の中に立っている。そばにあるものは錆びついたレバーだけだ。あなたの視線の先には牢屋が二つ並んでおり、その扉は開いている』
(……牢屋)
『よく目を凝らせば右の牢屋には一般家系の五人の子供が、左の牢屋には名家出身の子供がいた。そして吸血鬼が一匹、あなたに背を向けて子供たちの元へ近づいていく』
問題数は一問だけだが、この文章は長文の部類に入る。速読できなければ、読むのに三十秒ほど掛かるだろう。
『あなたのそばにある錆びついたレバーを左へと動かせば、左の牢屋の扉が閉まり、名家出身の子供が助かる。右へと動かせば、右の牢屋の扉が閉まり、一般家系の五人の子供が助かる。あなたは一体どうするだろうか? ただしレバーは一度だけしか動かせない』
(……なるほどな。あの臆病者が『試験内容は聞かない方がいい』と言っていたのはこういうことか)
名家生まれの子供の命、一般家系の子供五人分の命。この判断力の試験で試されるのは命をどう"はかるか"らしい。
(未来や生産性を踏まえると名家生まれの子供を助けるべきだろう。だがその選択は回答した者の『人の命は平等ではない』という思想が読まれる)
この回答は論理的に
(逆に一般家系の子供を助ければ『人の命は平等である』という思想が読まれるのか)
この回答は合理的に
(……変わった試験だ)
私は迷うことなく解答欄にペンを走らせる。おおよその候補生はこの問題の意図を汲み取ることは可能だが、解答で頭を悩ませてしまうはずだ。問題への深読みが判断自体を鈍らせる。
(……三分という現実味を帯びた試験時間に、正解が存在しない問題。この場面を再現でもしているのか)
一分半程度で私は解答欄を埋めてから席を立つと、アーロンの元へ解答用紙と問題用紙を持っていく。
「これで終わりか?」
「試験はこれで終了だ。後ろの扉から退出を願おう」
表情一つ変えないアーロンに二枚の用紙を手渡し、私は会場から足早に退出した。ジェイニーたちは苦虫を噛み潰したような顔で頭を悩ませている。
(……最後は茶番だったな)
青い空を見上げ、私はシーラの家へと帰宅する。シーラは雑貨店で働いている時間帯のため、家は留守状態だ。町の中を歩きながら、夕食の仕込みでもしようかと考えていると、
「……私に何か用でもあるのか?」
試験会場を出てから何者かが私の後をつける気配。このまま家の中まで連れていくのも面倒だ。私は建物の隅に隠れている何者かへ声を掛けた。
「あっ、えっと、これは、その……」
「何の用だと聞いている」
「あの、判断力の試験で一番乗りだったから。どんな答えを書いたのかが気になって……」
「それを聞くためだけに、わざわざ試験会場から私についてきたのか?」
私は虚偽の発言をするデイルの側まで詰め寄るとじっと瞳の奥を覗き込んだ。
「嘘をつくことは構わない。だが私の前では嘘をつくな。時間の無駄だ。用件を手短に伝えろ」
「じゃ、じゃあ! ア、アレクシアさん!」
するとデイルは腰を九十度曲げてお辞儀をし、こちらに両手を差し出す。
「ぼ、僕とお友達になってください!」
「断る」
「……あれ?」
私は即答するとすぐに振り返り、帰宅しようと扉に手を掛ける。デイルは顔を上げて、間抜けな面を浮かべていた。
「じゃ、じゃあ知り合いからでも……!」
「私に知り合いは必要ない」
「他人からはどうですか……!」
「お前は何を言っている?」
ワケの分からない関係性を求めようとするデイル。私はこの男を無視して家に入ろうとした時、ふとあることを思い出す。
「……あぁそうだ。お前はなぜ私の名前を知っている? 私はお前に名乗った覚えはない」
「それはアレクシアさんを花屋で初めて見かけて……。店主の人に名前を教えてもらったから……」
「あの店主、紹介料を支払わせるぞ」
私を看板娘に仕立て上げているとは薄々勘づいていたが、紹介までされてはこちらの身が持たない。後日、花屋の店主に苦言を呈しようと心に決める。
「それで、あの、他人からはどうですか……?」
「今は他人というよりも"顔見知り"だろう」
「えっ? 顔見知りでいいんですか?」
「お前は本当に何を言って――」
デイルはその場で「よしっ」とガッツポーズをすると、私に向かって再び九十度腰を曲げたお辞儀をし、
「こ、これからは"顔見知り"でお願いします! それじゃあ……またねアレクシアさん!」
綺麗に回れ右をしてから、全力で街の中を駆け抜けていった。その後ろ姿は"主人のボールを取りに行く犬"のように弾んでいる。
「……奇妙な男だ」
ここまで後をつけてきたということは、デイルも判断力の試験を私とほぼ同じタイミングで終わらせている。解答が同じなのかはともかく、思想はああ見えてそれなりに筋があるのかもしれない。
「仕込みは……後にするか」
夕食の仕込みをしようとしたが急に睡魔が襲い掛かってくる。私は階段をゆったりと上り、二階の自室のベッドで横になった。
(……つまらん試験だった)
そして静かに目を瞑れば、騒がしい街中の音が徐々に私の耳元から遠のいていく。
『"――"。吸血鬼はどうして生まれてくると思う?』
『それが分かれば苦労はしない。その答えが分かっていれば、それこそ私やお前が既に動き出しているはずだろう』
『そうかもしれないな。けど時に、私はこう考えるんだ』
夢として視界に映し出されたのは過去の記憶。私が"アイツ"と焚火を囲んで話をしている遠い過去の話だ。
『私たち人間が存在する限り、吸血鬼は永遠に生まれてくるのではないかとね』
『……どういう意味だ?』
『これはすべて私の仮説になってしまう。だからそれを前提にこの話を聞いて――』
そこで場面が途絶えると、次に映し出されたのは炎に包まれた城下町の情景。警備隊の血肉が飛び散り、何人かの転生者が死体となってアイツの側に転がっている。
『なぜお前が人としての道を捨てた……?』
『捨てたじゃない……私は、勝てなかったんだ……』
『勝てなかっただと……? お前は敗北を認め、自害をせず、吸血鬼共に魂を売ったというのか?』
私は吸血鬼へと堕落した"アイツ"を睨みつけた。紅に染まり果てた瞳はとても朧げなもの。
『お前の手で、私を殺してくれ』
『なぜ私が――』
『お前にしか、私を殺せないからだ』
『……ッ』
私は右手に愛用していた刀剣を逆手持ちにし、左手に"アイツ"から受け継いだ銀の杭を握りしめ、その場から駆け出す。
『昔の私は吸血鬼が存在しない世界を夢見ていた。けれど今はどうだろう。人間が存在しない世界を望んでしまっているよ』
『お前は……』
『これは私が吸血鬼となったことが理由だろうか。それとも私は人間だった頃、本当は人間を憎んで――』
『貴様は……ッ』
下っ端である
『この魂が
最後の一太刀で刀身が折れた剣を投げ捨て私は銀の杭を握り直す。
『吸血鬼が存在しない世界。この夢、私はお前に託すよ』
『私に、私に夢を託すな……ッ! 私を、私を来世で……ッ!』
アイツが側にいてくれた微かな喜び。吸血鬼に成り果てたことに対する怒り。別れ際の哀しみ。将来への楽しみ。それらの感情が混雑した胸の内、アイツの顔を見据え、込み上げた唯一の感情は──
『独りにするなぁあぁあッ!』
──底のない哀しみ。朦朧とした意識の中で、私は銀の杭を"アイツ"の心臓に突き刺した。
「……ッ!」
思わずベッドから飛び起きる。過去の記憶を映し出した悪夢。夢だというのに心臓を突き刺した感触が、この右手に残っている。
「……夢か」
古時計を確認してみれば時刻は十九時頃。仮眠のつもりが四時間も眠りについてたらしい。
(……下らん夢だ)
洗面台まで向かおうと階段を降りる。未だに悪夢が脳裏を過るため、私は右手で額を押さえた。
(いや、あれは現実で起きたことだったな)
冷水で何度も顔を洗い、タオルに顔を
「──が──なんです!」
「あらあら、そうなのね~?」
「……何だ?」
妙に騒がしい声が聞こえるリビング。シーラが一人で盛り上がっているわけではない。私は騒がしい原因を突き止めるためリビングへ顔を出してみると、
「おっす、おはよう!」
「あら、ようやくお目覚めでして?」
「なぜお前たちがいる?」
キリサメとシーラだけでなく、何故かジェイニーとイブキもリビングにいた。私は露骨に嫌な表情を浮かべる。
「この子たちはアレクシアちゃんやカイトくんのお友達なのよね~? 私、二人にお友達がいてくれて嬉しいわ~!」
「いつから私とお前たちが交友していた?」
「初めてお会いしたときからですわ」
「なら顔見知りの間違いだろう」
そう吐き捨ててから部屋に戻ろうとしたが、私の背後にシーラが回り込み、両肩を掴んで三人の元まで連れていく。
「お友達と一緒にご飯を食べましょ~? とっても美味しいわよ~!」
「この料理は誰が?」
「買い出しも調理も私ですわ。材料費も私が負担しているのでご安心を」
「……そういうことか」
私があることに勘付けば、隣に座っているキリサメが身体を一瞬だけビクつかせた。
「この二人を連れてきたのはお前だろう」
「あははー……話をしながら歩いてたら、いつの間にかこの家に」
「そうか。この家から出ていく準備をしておけ」
――――――――――――――――
「"子供の命を多く助けるために右にレバーを倒す"。……二十点だ」
「こっちには敢えて左のレバーを倒すという解答がある。これは十点以下だな」
赤色のインクを浸けた羽ペンを走らせ、慣れた手つき点数を書き込んでいく。
「皇女殿下。この試験で満点を取った者は今の時代まで何人ほど?」
「私の記憶が正しければ……"十戒"まで到達する者たちと銀の十字架を持つ者で数名だ」
「十戒。あのお方たちは現在何を?」
「今は少しでも人材を確保したい。だから吸血鬼や食屍鬼の被害に遭っている村や町に十戒を派遣し、このグローリアまで人間たちを保護させている」
ヘレンは軽く欠伸をしながら十戒の現状を説明した。アーロンは解答用紙の束をいくつか整えると、勇ましい老体で軽く持ち上げる。
「ではなにゆえ、あなた様はこのような雑用を?」
「言っただろう。私は暇なんだ」
「……本当は"あの試験生"を監視するためでは?」
羽ペンを動かす手をヘレンは止め、解答用紙を運んでいるアーロンの顔を見上げた。
「あの子を見てどう思った?」
「アベル家の"術"を熟知していた点よりも、最後にカカシを両断したあの一振りが引っ掛かりました」
「やっぱり君もか。私もそこが気になった」
アーロンは解答用紙を隣の机まで運び終えるとヘレンの側まで静かに歩み寄る。
「"逆手持ち"の剣技を扱うのはカミル様だけでしょう。持ち方を変えた時、素人かとも考えましたが……」
「あぁ、どう考えても素人じゃない。あれはあの子の自己流の剣技なのか、それともカミルの家系と何か繋がりがあるか……そのどちらかだろう」
机の隅に寄せてあった一枚の解答用紙。ヘレンはその解答用紙を手に取り、アーロンへ見るよう促した。
「これは?」
「あの子の解答用紙だ」
点数は満点の五十点。解答用紙に書かれた姓名は『
「これは……」
「十五歳か十六歳の少女がこんな達筆な字で、こんな解答を書くと考えられるか?」
「……考えられませんな」
そこに書かれていた解答は合理的でも論理的でもない――
『たかがレバーで命の価値観を決めることになるのなら、私はレバーには触れない。そもそも人の生死に干渉していい理由など、この世に存在してはならないからだ。子供たちは誰一人として助からないだろう。だがそれが定めだった。たったそれだけの話だ』
――人情味の無い解答だった。
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