第16話
首相官邸で行われた緊急閣議の後、危機管理センターに自衛隊の攻撃が決定したと通達が入った。すでに災害派遣として箱根周辺に展開されていた各部隊には、住民の避難誘導に加え、巨大生物への攻撃に備えた陣地の設定が伝達され、作戦の内容も伝えられていた。
「普通科の歩兵部隊で足を止め、対戦車ヘリコプターと戦車部隊の多重攻撃で相手を圧倒。本当にそんなことが可能なのでしょうか」
通達を見ながら、伊原が疑問を口にする。
「誰にも予想はできないだろう。致命傷を与えられるのか否か、それは正直、やってみないとわからない。相手が鈍足なのが唯一の救いだ」
「ええ。まだ箱根湯本の手前です。部隊はそのあたりに展開されると聞きましたが」
「普通科の歩兵部隊が川の合流付近、戦車部隊は谷を臨む高台に配置、か」
自分で答えながら、まるでフィルムを誤って咀嚼した時のように、佐伯は口の中に違和感を抱いた。その正体は未だ掴めず、考えを巡らせているうちに、危機管理センターのモニターに芹沢官房長官の姿が映った。
「会見、始まるみたいですね」
普段なら国民向けの記者会見を見ることはないのだが、今回に限っては、行政の人間として政府の気構えを知りたかった。官房長官は、冒頭巨大生物の出現および侵攻について説明をしたのち、自衛隊の出動に関する政府見解を述べた。
「今回の巨大生物は、その存在そのものが、我が国の存在、国民の生命、自由および幸福追求の権利を根底から覆す明白な危機であること。これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。必要最小限度の武力行使に留まるべきこと。以上の要件を満たすものと考え、自衛隊に防衛出動を命令しました」
官房長官は時折カメラや記者や目を配りながら、慎重に原稿を読んでいた。さきの会議で葛木統括官が話したことが、政府見解として伝えられた。自衛権の発動、それは戦後自衛隊が組織された時から、これまで一度たりとも発令されなかった、日本国の禁忌だ。それに手をかけることの意味を、これを聞いているどれほどの国民が理解しているのだろう。
しかしその煩悶は、刃となって自身に返ってくる。対策室の会議で、葛木統括官の見解を追認したのは自分だ。木村の意図はともかく、政府の公式見解に自分の意見が僅かにでも介在しているとすれば、もし今回の作戦行動によって国民への被害が出た時、それでもこの決定に自信を持てるのだろうか。
考えることから逃げてはいけないが、今これを考えても仕方がないのかもしれない。全ては国民が決めること、それが民主主義だ。国民の負託を受け、その場に立つ芹沢は、続く言葉を紡いでいた。
「巨大生物は、現在のところ芦ノ湖から国道一号線に沿って東に進路をとっています。まもなく箱根湯本へと差し掛かるところまで侵攻しています。現在、足柄下郡箱根町および小田原市全域に避難指示を発令しています。住民の皆さんは、自衛隊、警察、消防その他行政職員の指示に従い、速やかに避難をお願いします」
芹沢官房長官は淡々と、しかし時に言葉を切り、誰が何をするのか、明確に話をしていえた。一通り説明が終わると、質疑の時間に入る。新聞社から投げかけられた質問に答える官房長官の姿を視界の端に捉えながら、佐伯は危機管理センターの正面モニターに映る巨大生物の異形にも意識を向けていた。官房長官の言う通り、巨大生物は大平台付近を抜け、箱根登山鉄道を蹂躙しながら進んでいた。地形の起伏に戸惑う素振りを見せながら、それでもゆっくりと歩みを進めている。
「部隊の展開、間に合うでしょうか」
「この映像だけではわからないな。だが、作戦の指揮は総理が直接執るという話だから、さすがに間に合わせるだろう。災派の時点で部隊出動を命じていれば、そろそろ着く頃だ」
佐伯は十六時半を回った腕時計を覗き、言った。歩兵部隊である第三十四普通科連隊も第一戦車大隊も、御殿場市にある板妻駐屯地、駒門駐屯地をそれぞれ本拠地にしている首都防衛の主力部隊だ。箱根の山は装甲車も戦車も越える。
「審議官、カメラが動きます」
「引いたな。攻撃が始まるのか」
小田原市の天候を映すカメラを最大望遠で箱根に振っているとは聞いていたが、ゆっくりと後退する画面を見ると、改めて生物の巨大さを実感する。谷間に悠然と立つ生物と比べれば、人家などはその足元に転がる石ころでしかない。逃げ遅れた人がいるのかいないのか、このスケールでは全くわからない。峰を挟んで右側に立つ、高圧電線を支える鉄塔と同じくらいの体高を有する生物が実在することに、この映像を持っても説得力に欠けている。
「これが自衛隊の車両でしょうか」
伊原が指したのは、生物の足元から百メートルほど市街地側に離れた場所だった。確かに、褐色の車らしいものが数台映っていた。
「上から攻撃のタイミングの連絡は入ってないのか?」
佐伯はそばにいた事務官に声をかけた。突然話しかけられた職員は咄嗟に周りに目をやったが、誰も首を縦に振るものはおらず、彼自身も「すいません」と断りを入れた後、「こういう場合、攻撃開始の後に連絡がくるものと思います」と寂しげに答えた。
「そうか」
情報収集が仕事の中心であることは分かっていたが、情報とは所詮何かの結果なのだと痛感する。始まりと終わりを告げる情報は、結局ことが起こり、終わるタイミングにならなければわからない。佐伯は画面をじっと睨んだ。そこで、あたりをつけた場所で小さな火花が散った。細い煙のようなものが生物に向かって一直線に伸び、遅れて生物の胸元で小さな爆発が起こった。
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