第15話

 危機管理センターは、鳴り止まない電話と職員の怒号で一触即発の様相を呈していた。職員たちに様子を聞きながら、それでも佐伯の目は正面の巨大モニターに吸い寄せられる。そこには箱根の山並みが映し出されていた。雨で霞む空気の中にあって、その中心、折り重なる峰の間に、そこだけ鈍く光る物体が佇んでいた。時折、思い出したかのように動き出し、その度に周りの木々が揺れ、倒れ、霞む。


 観測用ヘリからの情報によれば、体高百二十メートル。その巨体に似合わず、頭に相当する部分は小さく、ワニを思わせる突き出した口からは、鋭い犬歯が覗いていた。しなやかに伸びる首から下は、打って変わって筋肉質でがっちりとした体格をしていた。ラグビーボールを縦にしたような体から伸びる腕は逞しく、やや前屈みの体を太く長い脚が支えていた。


「まるで、ドラゴンですね」

 電話の取り次が終わったところで、伊原がモニターを見ながら言った。

「翼はないようだが、そう見えるな」

「現実とは、思えません。金色の鱗なんて、それこそアニメか映画の世界ですよ」

 驚きを通り越して呆れた声を出す伊原に、佐伯も首肯で返した。


「これから官邸対策室で会議だ。緊急の閣僚会議もある。情報は逐次まとめて、何かあれば会議中でも構わないから教えてくれ」

 官邸地下の会議室には、すでに緊参チームの面々が揃っていた。木村のそばに控えながら、またモニターに視線を移す。先程と同じ映像だったが、巨大生物は立ち止まる頻度が減ったように見えた。時折何かを探すように首を左右に振ってはいるものの、それは自分の進む道が正しいことを確認する動作のようで、その足音がこちらにも伝わってくるような錯覚を覚える。


「映像の通り、巨大生物が箱根に現出、小田原に向かって進行中です。箱根地区には、すでに自治体から避難指示が発令されています。今後の方針を含め、緊急閣僚会議の土台となりますので、忌憚のない意見をいただきたいと思います」

 木村が議場を見回す。最初にマイクに手をかけたのは亀岡警察庁警備局長だった。

「まずは目的でしょう。動作から見ても何かを探しているように見えます。市街地に何かがあるのか、それを突き止めるのが早道なのでは」


 次に身を乗り出したのは防衛省の葛木統括官だった。

「侵攻阻止こそ今すべきことです。自衛権の発動には相手の武力攻撃が必要ですが、ただ大きいことだけでも十分な脅威です。このまま市街地へ侵攻すれば間違いなく被害が出ます。例えるなら、すでにミサイルが発射されているのと同じです。国民の生命、自由及び幸福追求の権利が損なわれる危険があります」


 葛木は声こそ落ち着いていたが、交戦的な言葉には肌を粟立たせる気迫を感じた。これは自衛隊の武器使用に関する三要素のひとつか、と見当をつける。その存在を持って脅威とする、という理屈は、潜在的危機の是認として一時期国会を賑わせる論戦にも発展したが、ミサイルの例は確かにわかりやすい。


「もちろん被害は防がないといけませんが、あの巨軀を維持するだけの代謝やエネルギー源には未知の現象が関与している可能性があります。無闇に攻撃をすることは、かえって被害を拡大するかもしれません」

 考え事を巡らせている間に、気象庁次長が穏健的主張をする。とはいえ、今のこの状況で、この意見が通ることはないだろう。次長は発言するとすぐに俯き、特に反応を伺おうともしない。


「そうですね、ここはやはり市街地への被害拡大防止を最優先にしましょう。相手の目的は不明、それを推し量るすべは今のところありません。自衛隊の運用については、閣議の場で判断されるでしょうが、統括官のおっしゃる通り、自衛権発動の要件は一定程度満たせるものと考えます。佐伯さん、あなたの意見を伺いたい」

「私、ですか」

 木村が突然こちらに水を向け、佐伯は戸惑いを口にした。


「君は最も近い場所でこの状況を見ているはずです。思うところもあるでしょう」

 目の奥に怪しげな光さえ感じ、佐伯はしばし考えた。こちらに来る途中、伊原と話していた内容を思い出す。確かに、自分はすでに決めていたのかもしれない。

「私は、統括官と同じ意見です。あれは脅威です。手をこまねいていては被害が拡大するばかり。兵器以外であれの侵攻を阻止することはできないと考えます。次長の懸念ももちろんですから、作戦は段階的に、部隊運用は柔軟になされるべきでしょう」


 一息で言い、じっと木村を見る。木村は小さく頷き、議場へと視線を戻した。

「警備局長、まずは攻撃という方針でよろしいですか」

「構いません。目的の把握は、敵を退けてからでも遅くありません。ただし、次の侵攻を未然に防ぐことも重要ですから、敵行動の分析は続けていただきたい」

「わかりました。閣僚会議では、自衛権の発動と住民の避難計画が主たる議論となるでしょう。それぞれ、閣僚会議の準備に当たってください。以上で会議を終了します」


 終了の合図とともに、出席者はいそいそと立ち上がり、その場を後にした。

「発言の機会をありがとうございます」

「私は、溝口さんに言われただけです。危機管理のなんたるかを、君に諭されたと。この難局には君が必要だ、とね。関係閣僚会議は任せて、今は危機管理センターで情報収集を続けてください」

「わかりました」


 頭を下げる。木村はそのまま会議室を出て行き、しんとした会議室にひとり残された佐伯は、今日という日がどうなるのかを考えた。自衛隊の火力は通用するのか、住民の避難は間に合うのか、巨大生物の正体は何なのか。おそらく、これに関わる誰もがそれを考え、それぞれの組織で最善を尽くそうと努力している。

 自分の仕事は、それを支えることだ。対処方針が決まれば、あとは円滑に事態が回るように調整するだけだ。佐伯も会議室を出て、センターへ戻った。モニターには静かに巨体を揺らす生物の姿が引き続き映っていた。立ち止まり、周囲を見渡し、歩く。それを繰り返し、少しずつ市街地へと近づいている。


「佐伯審議官、閣議のあと、すぐに自衛隊の攻撃が開始されるとのことです。すでに神奈川県からの災害派遣要請により各駐屯地を出立していると」

「かなり動きが早いな。防衛省はなんと言ってる?」

「特には……」

「会議が途中だったが、ボーリング調査とは何をしようとしていたんだ」

「生物の可能性が出てきてからは、刺激するような調査は控えるように通達したはずです」


「調べておいてくれ。何かを隠しているのかもしれない」

「わかりました」

 閣議と並行して行われる作戦準備、閣議決定のあと速やかに防衛出動に切り替える算段なのだろうが、揚げ足取りばかりの野党の顔色、そして政治不信に陥った国民の目、その両方を極端に気にする現政権に、そこまでの度胸があるのだろうか。

 何か、別の力学が働いているような違和感を、佐伯は拭い去ることができなかった。

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