第14話

 午後三時二十五分、会議の予定時間を半分ほど過ぎたあたりで、ドアが勢いよく開き、若い職員が血相を変えて会議室に飛び込んできた。ちょうど防衛省が芦ノ湖周辺の地質断面図について説明をしている場面だった。一瞬振り返った清水はすぐに前を向き、原稿を静かに読み進めた。清水の後ろに控える審議官がメモを受け取る。

「……丹沢湖での観測結果と同様、異常物体は楕円体の形状を有しており、長軸長、短軸長ともに変化はありません。現在、ボーリング検査を実施しており——」


 口の字に並んだ机に、右から田ノ上警察庁警備局警備運用部長、清水防衛省防衛政策局次長、向かい側に奥から斉藤気象庁地震火山部長、吉池内閣府大臣官房審議官が座り、神妙な面持ちで原稿に目を落としていた。

 全員を見渡す位置にいる佐伯は、清水の報告を聞きながらもメモを受け取った審議官の眉間に寄ったのをはっきりと見た。余程の知らせかと思っている間に、審議官は中腰の姿勢で清水に近づき、話を続けるその手元にメモを置いた。


「——ボーリング調査により、更なる詳細なデータを……」清水の目がメモに移り、そこで声が止まった。瞳が見開かれ、呆然とした表情を浮かべるが、すぐに姿勢を正し、マイクに向かってメモを読み上げた。

「ボーリング調査中の部隊から報告が入りました。異常物体が突如活動を開始。地上に現出したと」

「それは確かですか」

「詳しいことは……」


 清水は後ろに控える審議官の方に体を向けるが、その審議官も首を横に振り、スマートフォンを取り出してどこかに連絡を入れ始めた。

「会議は一時中断しましょう。私も危機管理センターへ状況を確認します」

 佐伯は立ち上がり、後ろに控える伊原がすでに電話をしているのを確認し、会議室の脇に追いやられたテレビをつけた。チャンネルをいくつか巡る。昼の情報番組の上に、速報の文字が流れる。芦ノ湖に巨大な生物出現との情報。短い文章だが、そこにははっきりと生物と書かれていた。


「審議官、確認が取れました。確かに生物です」

「観測用ヘリが追尾中だ。東に向かっている」

 ほぼ同時に発言する伊原と清水の顔を交互に見ながら、濁流にでも飲み込まれたような感覚に陥った。ついさっきまで平静を装っていた事態が、まさに動き出した。動揺を押し殺し、浮き足立つ面々の顔を見ながら、ゆっくりと声をかけた。


「現在設置されている官邸連絡室を官邸対策室へ移行します。併せて、緊急の関係閣僚会議を開くよう、官房副長官に進言します。皆さんはそれぞれ情報を収集、分析し、会議の準備を指示してください」

 佐伯が声をかけるや、清水を先頭に参加者は早足で会議室を出て行った。

「私たちも官邸へ急ぎましょう」

「そうだな」


 伊原はすでにカバンを肩にかけ、焦れている様子だった。佐伯は自分の席に戻り、カバンを掴もうと手を伸ばした。指先が震えているのがわかる。浮き足立っているのは自分も同じだ。大きさも姿も、正確なことは何一つわかっていない。どのような対処をすればいいのか、その糸口さえ掴めるかどうかも怪しいのだ。これまでの危機管理など、なんの役にも立たないかもしれない。

 それでも、立ち向かうしかないのだ。カバンを手に取り、ドア付近でスマートフォンを睨みつける伊原に声をかけ、揃って庁舎を出た。

 内閣府のある合同庁舎から官邸までは、歩いて五分程度の距離にある。早足で歩きながら、伊原は危機管理センターに連絡を入れ、会議室の準備を指示していた。佐伯自身も、まずは溝口官房副長官補に官邸対策室への改組を伝え、緊参チームの招集を依頼した。流石の溝口も驚嘆を隠しきれず、多少狼狽した声だったが、伊原からの情報でフル稼働を始めたはずの危機管理センターの様子からも、尋常でない事態の様相は把握している雰囲気だった。


「大変なことになったな」

「ここまでの事態を想定できなかった我々の失態です。結局、危機を管理することはできませんでした」

 事務的な言い方に徹するつもりが、気づけばそうして弱音を吐いていた。治まったと思っていた手の震えが再発する。

「ただの掃除屋、以前君はそう言っていた」

 自身の煩悶を、そうして吐露したことがあった。どこまで伝わっているか半信半疑だったが、こうして溝口の口から出てくると、自分の言葉であるはずなのに、あまりに自虐的だと思える。


「危機管理とは、本来は事態を予測し、被害拡大を最小限に留めることにあると考えます。それをなすのが、どれほど難しいのか、痛感しています」

「想定はあくまで想定だ。現実がそれを上回ることはある。それでも事態に対処するしかない」

 溝口はそうして、どうやら自分を励まそうとしているらしい。自分のことを疎ましく思っているとさえ感じていた溝口にそう言われると、むず痒くなる。まるで若い頃のようだと思う。役職に就けば、こうして背中を押されることはなくなってくる。


「やることは山積みです」

 それでも、前向きな気持ちが自身に蘇ってくる。

「次はどうなると思う」

「市街地への被害は、なんとしても防がなければいけません。進路の予測と足止め策を大至急検討する必要があります」

「危機管理センターの舵取りは任せた。官房副長官には連絡を入れた。私は閣僚会議の準備を進めておく」

「わかりました」


 電話を切ったところで伊原と目が合う。「審議官。足止め策はどのように考えていますか?」

「自衛隊しかないだろうが、理屈をどうつけるか、難しいところだ」

「災害緊急事態の宣言、ということでしょうか」

「それにはまだ被害状況が不明だ。正直なところ、被害を出さないために出動してほしいくらいだ。しかし、武力行使の要件を満たせるかどうか、微妙なところかもしれない」

「そこは、防衛省に頼るしかありませんね」


「私たちは調整役だ。何があっても、事実から目を背けないよう、私自身気を引き締めなければな」

 自嘲気味に言う佐伯に、伊原は苦笑いを返した。

「正念場ですね」

「行こう」

 緊張で張り詰めた雰囲気が若干和らいだが、それでも伊原は気合十分といった感じだった。とにかく、官邸に急ごう、と佐伯はバッグの持ち手を強く握った。

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