第11話

「審議官、落ち着いてください」と斎藤が間に入った。佐伯は沸騰しそうになる頭を僅に振り、目を瞬いた。困惑する斎藤と伊原の顔を視界に入れた佐伯は、「すいません。続けてください」と言い、深く息を吸った。

「我々としても、これを直ちに公表するつもりはありませんが、政府として、本格的に調査をしたほうがよろしいかと。このまま静観していても、事態は緩慢に悪化していきます。気づいた時には遅い、ということになりかねません」


 斎藤の意見はもっともだった。生物にしろ、そうでないにしろ、傍観をしていていいものではない。佐伯自身、これ以上の疑念を持って事に当たるのにも抵抗があった。

「調査はします。西明野町の災害を繰り返してはなりません」佐伯は机から手を離す。「そこで、ぜひ気象庁にも協力をお願いしたい」

「分かりました」

 佐伯は会議日程の候補を幾つか上げ、気象庁を出た。


 佐伯はすぐに国土交通省の長谷川審議官に連絡を取った。通常ならば地方の二級河川は各都道府県が管轄しているのだが、この事態に国土交通省からも応援を頼みたかった。しかし、長谷川は了解してはくれなかった。

「政府が震源移動を否定している以上、芦ノ湖の件で国土交通省が出張っていくのは違和感がある」

 長谷川の論理に、佐伯は対抗する論理を持ち合わせていなかった。むしろ予想通りとも言え、それがかえって激情を惹起しかけることにもなる。


「しかし……!」

「落ち着け。お前の気持ちもわかるが、権限と役割を飛び越えた瞬間、行政組織は死んでしまう。ひいては国民に疑念を持たれることにもなるだろう」

「それは、その通りだが……」

「直接手出しはできないが、総務省を通じて神奈川県の県土整備局には話を通しておく。あまり期待はするな。何かをしろ、ともするな、とも言えない」

 話を取り持ってくれるだけましだと、佐伯は思い直した。すまない、と言って佐伯は電話を切った。


 同じ大学の同期である長谷川とも最近は電話のやりとりくらいしかしていない。互いに官僚として出世し、今や国を動かす立場になった。学生時代のようにはいかない。国には国の、自治体には自治体の、それぞれの現実があるのだ。長谷川の言うように、一方の論理だけで突き進もうとすれば、行政機構は崩壊し、機能不全に陥るだろう。


 一つ息を吐く。こちらの様子を不安げに窺う伊原を見て、少々バツの悪さを感じる。

「さっきはすまなかった」

「いえ……。私も半信半疑です。ですが、真実がなんであれ、震源の移動という事実を、過小評価しない方がいいと思うんです」


 伊原は時折佐伯の方に目を向け、途切れ途切れに言葉を紡いだ。何が起きているのかわからないなかで、逸見も伊原も事実から目を逸らさないようにしている。一方の自分はどうなのだろう。震源が移動しているという事実、観測音波に呼応するような超低周波が検出されたという事実、そのどちらも、普通ではない何かの存在を強く示唆している。震源の移動は受け入れているのに、超低周波が示唆する生物活動が受け入れられないのは、バランスを欠いているのかもしれない。


「そうだな。鬼が出るか邪が出るか。いずれにしても、可能性の芽を摘むようなことは慎むべきだった」

「全然気にしてませんよ。それより、国土交通省の長谷川審議官とはお知り合いだったんですね」

「学部が同じだったからな、腐れ縁だ。直接の関与は断られたが、間には入ってくれそうだ」

「役者が揃ってきましたね」

「内閣府、気象庁、神奈川県、我々と、あとは……」


「あとは防衛省ですね」伊原が言う。「清水次長、何て言いますかね」

「あれは昔から、自分の世界に篭って話をするところがあるからな、こちらが下手に出ない限り、協力はしないだろう。気象庁が掴んだ手がかりだから尚更だ」

 佐伯は話しているうちに陰鬱な気持ちになった。清水は、大学は違うが、省庁の幹部養成研修で何度か顔を合わせたことがあった。一緒に仕事をするのは気の進まない相手だった。


 やれやれと思う。仕事だと割り切るのは簡単だが、人間関係は簡単に線引きできるものではない。ため息を吐き、佐伯は諦めたように清水に電話をかけた。こちらが名乗ると、清水はひどく嫌そうな声で言った。

「気象庁の報告はすでにこちらの耳にも届いている。生物の可能性もあるそうだな」

「そうです。もはや防災ではありません。あれ程巨大な物体が都市に現れたら、被害は西明野町の比では済まないでしょう。早急に対応策を講じる必要があると考えます」


「それは分かっている。こちらでも準備を進めているところだ。一両日中には、防衛省として対策案を提示できるはずだ」いつもの皮肉めいた口調はすっかり影を潜めていた。どういう風の吹き回しだろう。

 会議の候補日をいくつか告げると、明後日だ、と気怠い声が返ってきた。

「では明後日、十五時に中央合同庁舎第八号館会議室にお越しください」


 通話を終えると、その様子を見ていた伊原は意外そうな顔を佐伯に向けた。

「スムーズに行きましたね」

「ああ。雨でも降るんじゃないのか」佐伯が言う。その予想は当たり、その日の夕方から、ひどい雨が降り始めた。雨は強弱を繰り返しながらしつこく降り続いた。春の天気は気まぐれだ。晴れの日が続いていたのに、結局、二日後の会議当日もあいにくの空模様だった。

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