第8話

 変な気を回すな。詰まるところ、ミランダの言いたいことはそういうことなのだろう。それならば、と葛西は短く息を吸う。それが何を指しているのか曖昧なまま、具体的なことを聞くことにした。


「……それで、エアリアスが何かしたのか?」

「放課後にね、エアリアスが二階の渡り廊下で電話してたの。人目を避ける感じだったけど、たまたまそばを通った時に、『芦ノ湖』って言うのが聞こえて」

「芦ノ湖って箱根の方の湖の……?」

「たぶん。観光地だし、そういう場所が話題になることはあるだろうけど、声の感じはそんな呑気な雰囲気じゃなくて」


「何か他に、ミランダにも心当たりがあるってことか」

「私の伯父さん、国家公務員で防災とかそういうのに関わってるんだけど、最近箱根の方にばっか行ってるって、伯母さんが愚痴ってて」

「箱根っていえば、確か火山活動が活発になってるってニュースで言ってたような」


「うん。普通に、現地調査とか、そういうのに同行してるのかもしれないけど」

「そうじゃない可能性、……ってあれか? 去年の地震の震源が動いたってやつ。でもあれはデマだって、この間ニュースでやってたぞ」

「うん。——そういうことにしてる、っていうか、そうするしかないんだろうなって」

 ミランダの言い方は、内情を把握しているもののそれで、ただの噂好きで通る範疇を越えていた。


「なんだよそれ、また例の秘密か」

 抱えきれない疑問に、自然と声が震え、険を増す。

「そういうわけじゃないけど、震源が動いたっていうのは本当なの。今、あれは芦ノ湖にいる」

「いるって、生き物なのか」

「生き物……多分そう」


 葛西の言葉を反芻し、自分の中で咀嚼する雰囲気は、こちらではないどこかの世界とのつながりをも想像させる。

「なんなんだよ、ミランダ。どうしてそんなこと……」

「私にもわからないの。そう感じる、そうとしか思えないとしか言いようがなくて」

 地震を引き起こすほどの力を持った生き物、そんなものいるなずがない、と安易に否定できる雰囲気ではなかった。


「……分かった。聞くって言ったのは俺だ。でも、俺がそれを信じるかどうかは……時間をくれ」

「ごめん」

「……それで、俺は何をすればいいんだ?」

「すぐにエアリアスが動くとも思えないけど、何かあったら、その時は手伝ってほしい」


「分かった。……それより、エアリアスと芦ノ湖のそれとの関連を調べる方法はないのか?」

「……ないことは、ない。帰ったら、調べてみるつもり」

「そうか。それは、その、危険じゃないのか」

「心配しなくても大丈夫。危ないことはしてないから」

「それならいいんだけどさ」


 ミランダの悲しそうな笑顔を見ていられなかった。葛西は自分でも聞き取れないほどの小さな声で言い、目を伏せた。ミランダの抱える何かが、大きな溝となって二人の間を引き裂いているような気がした。手がかりはミランダの中にしかなく、それを見ることができない自分に、一体何ができるのだろう。

「何か分かったら、すぐに連絡する」

 ミランダはそう言ったが、結局その日、深夜になってもスマートフォンは無言を貫き、葛西は寝不足のまま朝を迎えた。


 教室に入ると、すでにミランダは机に座り、頬杖をついてスマートフォンをいじっていた。ひとまずほっとして、そうすると今度はどうして連絡を遣さなかったのか、と非難する気持ちが芽生える。もやもやとした気持ちが沸々と胸の奥から迫り上がり、バッグを机にどかりと降ろしても、苛々と燃える内奥の炎は治らなかった。


「ミランダ」

「アキラ、おはよう」

「昨日は何もなかったのか」

 こちらを振り返るミランダの屈託のない顔に、思考よりも先に言葉が険を伴って飛び出した。ミランダの表情が一瞬固まり、すぐに右眉が吊り上がる。


「何かあったらって、言ったじゃん」

 そう言って唇を窄ませる。こちらの言わんとするところを理解してもなお、急速に不機嫌モードになるミランダに、しかし葛西も引けない。

「それでも、連絡くらい寄越せよ。何があるのか、本当はわからないんじゃないのか?」

「だから、心配ないって言ったじゃん」


 先ほどよりも大きな声に、教室で談笑していたクラスメイトの何人かが振り向く。雑談の喧騒が一気に引いて、そこで予鈴が鳴る。上目遣いにこちらをじっと睨みつけていたミランダが前を向き、また頬杖をつく。

 首を左右にゆらゆらと揺らし、落ち着かない様子だ。葛西はそんなミランダの後頭部をじっと睨みながら、気づかれないように小さく息を吐いた。


 遠巻きに様子を伺っていた友人達の嘆息と共に、教室にもざわめきが戻った。そのタイミングで池崎が教室に入ってきた。

「ホームルーム始めるぞ」

 池崎の号令で、席を立っていた生徒も銘々自席に腰掛ける。池崎は教室をざっと見渡し、全員の出席を確認する。近々進路調査が行われること、放課後に遊び歩く生徒への小言、そして明日の避難訓練のこと、伝えることを一方的に話すと、池崎は教室を出て行った。


 池崎が話す間も、そして今も、ミランダはずっと首を左右に振っていた。葛西はその後ろ姿にかける言葉を見つけられず、不満を湛えた息が鼻腔を震わせた。

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