第6話
四月に入り、空気はいよいよ春本番の様相だった。ブラインド越しに伝わる日差しは清々しいほどに暖かく、麗かな季節を謳歌しているようだった。
内閣府のある中央合同庁舎第八号館、その会議室はしかし、穏やかな雰囲気とは無縁だった。内閣府と合同で週に一回開かれる定例の奥多摩地震に関する復興対策会議、その議場で佐伯が口火を開いた。
「本震の発生からそろそろ五ヶ月が経ちますが、何か動きはありましたか?」
佐伯の声に、内閣官房の参事官や事務官たちは一様に口を閉ざした。仕方がない、という雰囲気で内閣府の吉池審議官が答える。
「いえ、何もありません。震源と思われる異常物体は、以前丹沢湖北縁の地下で沈黙したままです。果たしてあれが本当に震源なのか、政権内でも懐疑論が出始めています」
「そうか。そうだろうな」佐伯はぼそりと言う。「奥多摩地域の復興については何か?」
佐伯は誰にともなく言ったが、流石に吉池にいつまでも話をさせるわけにはいかないと思ったのか、内閣府災害対策緊急事態対処担当の一人、飯塚参事官が口を開いた。
「はい。旧奥多摩湖の復興工事は現在基礎工事のための地質調査が続いています。湖はかつての二倍の面積に拡大しましたが、土砂を投入して元の大きさに戻すのか、それとも大きさはそのままにして、周辺整備へ予算を割くのか、国交省でも議論しているところです」
「分かった。今回の災害で西明野町の住民の大半が亡くなり、自治体機能も停止したままだ。総務省とも連携し、周辺自治体との合併も含め、残された被災者の生活基盤整備を急ぐよう、取り計らってください」
佐伯は会議という名目のこの淡々とした報告会はいい加減終いにしようと考えていた。災害の発生から五ヶ月、一般に公表できないことが多すぎるが、政府として対応すべき事柄は一通りやってきた。後は所轄省庁に権限を委ねてもいい頃合いだろう。内閣官房の危機管理を統括する内閣官房副長官補からも、一定の方向性を決めるように指示を受けているところだった。芹沢官房長官や遠藤総理も痺れを切らす頃だろう。
ネット上では震源の移動という情報は未だ一人歩きをしている状況だったし、一刻も早く事態を沈静化させたいという気持ちは政府の総意としてあった。
発言が一通り揃ったということで、吉池が「では、各自仕事に戻ってくれ」と言い、会議は解散の運びとなった。そこへ、ドアをノックする音が響く。
「どうした?」吉池が浮かせた腰を椅子に戻す。ドアを開けたのは、内閣府参事官の後藤だった。飯塚の後輩で、同じく災害対策緊急事態対処を担当している。
「失礼します。吉池審議官……」
「何かあったのか」吉池が発言を促す。後藤は焦燥を浮かべているように見えた。
「はい。陸上自衛隊東部方面総監部からの報告です。丹沢湖北縁部の異常物体が移動を開始したと」
「方向は?」
佐伯が問いかける。後藤は手元のメモを見ながら答えた。
「ほぼ南です。到達点は不明ですが、芦ノ湖の方角とのことです」
「分かった。吉池審議官、防衛省の清水審議官に連絡をお願いします」佐伯は吉池にそう言いながら、スマートフォンを操作する。「官房副長官補へ繋いでくれ」
「佐伯です」電話口に出た溝口官房副長官補は、「動いたか」と短く言った。
「はい。至急、官邸連絡室を設置してください。私はこれから官邸に向かいます」
内閣には、危機管理にあたって決められたプロセスがある。緊急事態が発生した場合、内閣情報集約センターから発せられた第一報連絡を受け、首相官邸に設けられた官邸危機管理センターに緊急参集チームが招集される。国内で発生する様々な緊急事態を想定し、二十四時間体制で事態に対処するための危機管理センター、その運営や情報の取りまとめを担うのが、佐伯の大きな役割のひとつだった。
「緊参チームへの連絡はこちらでやっておく。事態を見誤ることのないように」
「わかっています。それでは」
溝口の濁声が耳に絡みつく。言われるまでもないが、所詮事後対処しかできない危機管理など、一体何の意味があるというのか、その矛盾と闘う気概を、溝口が持っているのかどうか、佐伯は未だ見極めることができない。
官邸危機管理センターは首相官邸の地下にある。大規模自然災害、航空事故などの重大事故、爆弾テロなどの重大事件、そういった事象に対し、政府の各行政機関との連携、調整を一手に担う部門だ。
フロアの執務スペースでは、常駐する職員が鳴り止まない電話に出て、一方で電話をかけ、そして続々と到着する自分のような上役をあしらっていた。
「避難準備なんか出さないでください。対処方針が決まったのち、改めて通達がありますので」
「ヘリはそちらで用意してください。観測結果は随時こちらにも回してください」
佐伯は部下から一通りの様子を聞き取った後、幹部会議室へ入った。
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