第5話

 放課後、委員会の仕事を終えて帰ろうとしたところで、スマートフォンにミランダからのメッセージが飛んできた。すぐに教室に来い、と高圧的な文字が並んでいて、葛西は何か粗相をしただろうかと頭を抱えながら、教室に戻った。

 校庭では野球部やサッカー部の掛け声が響き、特別棟からは吹奏楽部のチューニング音がする。いつもの放課後である。部活動に所属していない葛西は、そうして青春を謳歌する生徒たちの横をのんびりと気怠く歩くことに背徳感と罪悪感を抱えながら帰ることが、最近快楽に変わっていることに気づき、それもやむなしと自分を慰めていた。


 やることがなければ帰る方がいいし、できることならスポーツも芸術もお断りしたい気持ちの方が大きかった。帰ってゲームでもしよう。そう思っていたのに、突然の呼び出しである。ミランダは放送部に所属していて、今日は活動のある日だったはずだ。どうしたのだろうと思いながら、廊下を歩く。


 二年四組の教室のドアは開いていた。「早かったね」自分の席で頬杖をついていたミランダが葛西に気づき、体を起こした。

「どうしたんだよ、急に」葛西は教室に入り、ミランダの隣の机に寄りかかる。

「エアリアスのこと。なんかおかしくない?」

「なんかって、何?」


 抽象的で感覚的な問いかけに、おうむ返しで答える。

「分からないよ。でも、胸騒ぎがするの」

 ミランダは腕を胸の前で組み、掌で二の腕あたりを掴む。灰青色の瞳は硬い光に溢れ、俯き加減であっても強烈な印象を葛西に与えた。

「それは、あの地震の時みたいなものか?」


 今朝とは違う真剣な眼差しに、半年前のことが蘇る。担任が朝言っていた災害、去年の十一月に起こった奥多摩の地震があった頃、ミランダが酷く落ち着きをなくし、取り乱していた時期があった。具体的に何があったのか、その時は聞いても答えてくれることはなく、家族や親戚に被害が出たのか、P T S Dの類なのか判然としないまま、自然と平常を取り戻していく様子を、葛西は忸怩たる思いで寄り添うしかなかった。


 ミランダも、葛西がそうして緩やかに接していたことは察していた様子で、あえて聞くことはなくても、こちらに八つ当たりをしてくることはなかった。

「あれとは……ちょっと違う、かな。でも……」

 ゲルマン民族の血が騒ぐ、などと冗談めかしてくれれば気の利いた返答もできるのだが、ことは案外深刻なのかもしれない。言い淀むミランダの視線を追い、葛西も床に視線を落とした。木目調のタイルに映るミランダの影が揺れる。考えを巡らせているのだろう。


「エアリアスが何かしてくるようなら、俺がぶっ飛ばしてやるよ」

 自分の口から物騒な言葉が出て、我ながらどきりとする。

「そういうんじゃないけど、ありがと」殊勝な声でそう言うミランダは、ふうっと肩の力を抜き、組んでいた腕をほどいた。「帰ろ。途中でパフェご馳走してくれたら許してあげる」

「許すって、なんだよ」


 葛西のツッコミを無視し、ミランダが立ち上がる。すっかり元に戻った様子のミランダに、葛西はひとまず安心した。

 パフェの話は冗談ではなかったようで、学校最寄りの立川駅近くにあるファミリーレストランを素通りしようとした葛西は、肩にかけたバッグを後ろに引っ張られ、危うく転びそうになった。文句を言っても、にたにたと笑うだけのミランダに辟易し、そのまま店内に連行される。


「ミックスパフェを一つと」

「ドリンクバーを……」

「私も」

「じゃあ二つ」

 注文を終え、早速といった様子でミランダがドリンクを取りにいく。その後ろについて、葛西もカウンターへ向かう。プラスチックのグラスに氷をカラカラと入れ、コーラを注ぐ。ミランダはどうやら紅茶を選んだようだ。


 席に戻ると、しばらくは無言だった。ミランダは片手でスマートフォンを持ちながら、けれど画面には目を向けず、ずっとストローの袋を弄んでいた。葛西は会話の糸口を見つけることができなかった。敵視さえしていたパフェが、これほど待ち遠しいと思ったことはない。


 何があったのか、地震の時と同じで、ミランダは自分から言うことはないのかもしれない。それでもいいと思う反面、一抹の寂しさを感じてしまう。踏み込んではいけない領域は人それぞれあって、それはもちろん葛西にもある。だからといって、ただ放っておいていい、というのは何か違う気がする。


 考えがまとまりきらないうちに、「ミックスパフェ注文のお客様」と店員がトレイにパフェを乗せて現れた。

「はーい」とミランダが呑気な声を出す。

「ご注文は以上でお揃いですか?」店員の声に、二人揃って頷く。店員は伝票をくるりと丸めて机の上の筒に押し込み、そそくさと離れていく。


「かぐや姫」

 ミランダがぼそりと言う。その言葉に、かっと耳元が熱くなる。

「それは忘れてくれ」

「忘れられないね。『この伝票ってさ、なんかかぐや姫みたいだよな』って真顔で言った罪は重い」


 ミランダはまたにひひと笑い、自分の指と同じくらい細いスプーンを手に取り、生クリームを掬い取った。ぱくぱくぱく、と見る見るうちにパフェが嵩を減らしていく。キラキラと光るスプーンとミランダの口元に吸い寄せられそうになる視線をわざと逸らし、葛西はじっとコーラの入ったグラスを覗き込んだ。


「アキラは、いろいろ考えすぎなんだと思う」

 唐突に話し始めたミランダに、葛西は視線を上げた。

「私、元気なかったのは確かだけど、すぐに引いちゃったり、そう言う気遣いしなくていいから。もっと、普通でいいのに、って思っちゃう」

「俺にとっては、これが普通なんだけどね」

「そういうところ。言ったでしょ、パフェで許すって」

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