第4話

「来週から大型連休に入るが、去年の災害といい、この間、横浜の方で起こった爆発事件といい、何かと世間は騒がしい。みんな不安だろうが、今日はいいニュースがある」

 普段から大仰な言い方をする教師だったが、暗い顔が一点、あまり見せない笑顔を浮かべた池崎は、そこで一旦廊下に出た。


 担任が教室に戻ると、案の定、後ろから制服を着た男子生徒が入ってきた。緩やかにウィーブした髪はグレー、瞳は緑色をしていた。やや彫りのある目元と細い鼻、薄い唇。教室もさすがにざわつく。ミランダがいるとはいえ、壇上の彼は百パーセント外国人の顔をしていたのだ。

 前に座るミランダの頭が、ゆっくり左右に揺れている。ミランダにとって、この展開は逆に好ましくないのだろう。葛西は笑いを堪えるのに必死だった。少々遅くなったが、普通に転校生が紹介されることになった。


「いろいろ事情があって十日ほど遅れてしまったが、今日から新しくこのクラスに加わることになった、エアリアス フォークトくんだ」池崎はそう言うと、黒板に『Earias Voigt』と綴り、エアリアスに挨拶をするよう促した。

 フォークトという苗字は確かドイツ系に多いと聞いたことがあった。葛西はミランダの背中を小突く。「ドイツ人か?」葛西の声にミランダが頷く。ひとつのクラスにドイツ系が二人、かなり偏った配置だが、ミランダがいるからそうした、と考える方がむしろ自然かもしれない。


「エアリアスです。ドイツのハノーファーという街からやってきました。幼少の頃に日本に滞在していたので、この通り日本語を話せます。父の仕事の都合や学校の手続きに手間取って少し遅くなりましたが、皆さんよろしくお願いします」

 エアリアスは軽くお辞儀をした。イントネーションに若干の違和感はあったが、それでも外国人だということを差し引けば完璧に近い日本語だ。コミュニケーションには不自由しなくて済みそうだ。


 池崎がうんうんと頷き、エアリアスに向けていた視線を教室に戻した。

「日本とドイツでは文化や慣習が大きく違う。お互いに違和感や疑問を抱くことがあるかもしれないが、それも大切な経験だ。もし分からないことがあったら、ミランダ」池崎がミランダの名前を呼んだ。ミランダが姿勢を正す。頭が揺れ、左側に一纏めにした涅色の髪が肩に乗った。「彼女がミランダだ。日本人とドイツ人のダブルだから、君の良い理解者になるだろう。色々と聞いてみるといい」


「ありがとうございます」エアリアスは教師に会釈し、ミランダに向かって微笑んだ。教室の空気が一瞬華やぎ、女子生徒の嬌声にも似たため息がそこかしこで漏れ出した。目の前に座るミランダがどんな表情をしているのか、葛西は気になった。


 それからずっと、ミランダは機嫌が悪かった。授業中、転がった消しゴムをとってくれるように頼んでも無視をされ、休み時間は机に突っ伏したままぴくりとも動かなかった。自分で推理をしておいて、それが合っていたのだからいいじゃないかと思ったが、答えが向こうから普通にやってきたのが気に入らないのだろう。

 今も、エアリアスに校舎の案内を頼まれたのに、その対応はそぞろで、ほとんどの説明は葛西が行なっていた。


「音楽室とか理科実験室とか、そういう教室は大概特別棟にあって、移動が煩わしいけど、まあそれは仕方がないかな」

 一通りの説明をして、教室に戻るところだった。昼休みは短い。いざ校内を回るとなると、噂を聞きつけた多くの生徒が行く先々でエアリアスを物珍しそうに眺め、ちょっかいを出してきた。特別棟に着いた時にはすでに終了十分前、五階建ての校舎の二階までしかいくことはできなかった。


「そうか。大体分かったよ」エアリアスは涼しい顔で葛西に一瞥を向ける。

「それにしても高校生になって転校っていうか、家族で日本に来たんだろう? 大変だったよな」

「そうだな。だが、こうして日本に再び来ることができてよかった。君たちに出会えたこともそうだし」


 エアリアスの口調はどうも芝居がかっていて、葛西はどのような言葉を返せばいいのかわからなかった。外国人と直接話す機会などこれまでないに等しく、しかも向こうのほうが日本語に堪能な気配がするのだから、話せば話すほど、違和感が蓄積されていくようだった。

「エアリアスって、ハノーファーから来たって言ってたよね」教室に着く直前、一人後ろをついてきたミランダが初めてエアリアスに話しかけた。振り返ると、鋭い目つきのミランダが腰に手を当てていた。


「ああ」

 好戦的なミランダに対して、エアリアスは努めて冷静だった。

「うちのお父さんもそこ出身なの」

「そうか。父がドイツ人か。日本では何を?」

「大使館に勤めてる」

「そうか」エアリアスが目を細める。「一度お会いしたいものだ」


 日本で同郷の人と知り合う機会などそうそうあることではない。エアリアスの顔を見ていると、やはりドイツが恋しいのではないかと思う。

「うちのばあちゃんちでジャガイモ育ててるんだけど、今度持ってくるよ」

「アキラ。それはステレオタイプというのだ」曰く、日本人が何時でも米ばかり食べているわけではないように、ドイツ人もジャガイモばかり食べているわけではない、ということらしい。


 葛西は苦笑いを浮かべる。じっとこちらを睨んでいたミランダの目尻がすすと下がり、ここぞとばかりに大笑いをした。

「あんた面白い人だね。ドイツ人にしては」


 引きつったままの葛西を横目に、ミランダは嬉しそうに言う。小さい頃からずっとそういった類の嫌味や心ない言葉をかけられ続けただろうミランダにとっては、エアリアスの意趣返しは爽快だったに違いない。

「君も、その血を引いているはずだがね」

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