お姉様に恋した私は、振られて現実を知りました

六条菜々子

伝えられない恋心

「初めまして。莉々子と申します」

 学園についたあと、シスターになる人を紹介すると言われて、目の前に現れたのは、私よりも背が高くてすらっとした女の人だった。

「初めまして。本日よりお世話になります、あかねと申します」

 初めてその人にかけた言葉は、前もってお母様に考えていただいたものだった。だからこそぎこちなく、棒読みになってしまったことだけは、はっきりと覚えていた。

「お姉様のもとで、精一杯頑張らせていただきます」

 莉々子お姉様は、少しだけ微笑んでいた。


 私の家は、決して裕福とはいえない環境だった。それにもかかわらず、私がこの女学園に通えるようになったのは、奨学金制度があったからだった。通常の学費のうち、三分の一のみで通うことができる特別補助を利用して、一般入試を受けた。特別補助の基準がかなり高く、その基準を満たす成績で合格できたのはすごいことだと、義理の両親は言って褒めてくれた。

 つまり、莉々子お姉様と接することは、本来ありえないことだった。そもそも、住む世界が違うのだ。しかし、その当時はそんなことまで考えられるような頭がなく、ただ周りに従うだけだった。


 その学園は、小中高一貫校だった。ここには、ある制度が導入されていた。通称『姉妹制度』と呼ばれていたそれは、学園生活に早く慣れるために、本当の姉妹のように過ごすパートナーをつくるというものだった。

 その仕組みがあるからか、「姉妹同士で話すときは下の名前で呼ぶように」と生活指導の先生から厳しく教えられた。

 また、服飾義務というのが設けられており、学園に在籍中は制服以外の着用を認められなかった。もちろん、運動着に着替えるなどの行為は認められたが、それも専用の制服が用意されていた。


 心が休まるのは、莉々子お姉様とのお茶の時間だけだった。これも義務付けられている項目のうちに入っており、休息義務と呼ばれていた。そのため、一日に最低一回はこの時間をつくる必要があった。

 義務に反する行為をした生徒は、単位認定試験に落ちたり退学処分を受けたりしていた。この学園では、通常の授業加点よりも義務遵守加点のほうが比率が大きかったのだ。それゆえに、生活に慣れることができない生徒は、自主退学せざるを得ない環境だった。

「莉々子お姉様の入れてくださるレモンティーは、本当においしいです」

「ありがとう」

 この時間だけが、私が学園生活の中で自由だと感じられる時間だった。こうして莉々子お姉様とお話しできることが、なによりも楽しく感じていた。いつか、この時間がなくなると分かっていても、このままずっと続いてほしいと思っていた。


 学業優秀で、文武両道。隙を見せようとしない莉々子お姉様は、いつだって私のあこがれだった。成績順位で一位以外だったのを見たことがなかった。私が入学してからの七年間、莉々子お姉様はずっと成績優秀賞をとっていたのだ。


 いつしか、莉々子お姉様へのあこがれの気持ちが恋心に変わっていることに気づいた。しかし、素直にその気持ちを持つことは許されることではないことと分かっていた。だからこそ、この気持ちは封印しないといけないという私と、伝えなければ一生後悔するという私に挟まれて、戸惑っていた。それと同時に、なぜ好きになってしまったんだろうという、後ろめたさによる不安があった。

 莉々子お姉様にとって、私はあくまでも『妹』であり、それ以上の関係を築くことはできない。その距離感を、心地良いと感じていないわけではなかった。ただ、この苦しくなるほどの感情が収まる気配は、全くなかった。


 中学生になった私は、あることに気づいてしまった。それは、莉々子お姉様が今年でいなくなってしまうということだった。大学受験を控えていた莉々子お姉様は、休息義務以外の時間にあまり会ってくれなくなっていた。以前は、定期試験の前のどれだけ忙しいときであっても、時間をつくってくれていたのに。


 あっという間に季節は流れて、いつしか冬になっていた。このころの私は、かなり弱気になっていた。心のどこかで、もうどうしようもないと思っていたのだ。だが、ここで引いてもいいのかという自分も、わずかながらにいた。


 いつも通りの休息義務の時間のことだった。年末が近づいてくるとともに、私の中で焦りが出始めていた。

「私、莉々子お姉様のことを尊敬しています」

「ええ、存じているわ」

「でも、それ以上に莉々子お姉様のことが……好きなんです」

 頭が感情に追いつくころには、すでに遅かった。普段から考えてることや感じていることを莉々子お姉様に話していた私が、この気持ちを隠して過ごせるわけがなかった。受け入れられないと分かっていても、それでも伝えるしかなかった。

「まわりに女の子しかいないから、そう思うんだわ」

「…え?」

「まだ、早いのよ」

 私は、莉々子お姉様の言葉の意味を理解できなかった。確かに、私の気持ちは莉々子お姉様にとって不都合な真実なのかもしれない。それに、この感情は抱いてはいけないものだと頭では分かっていた。しかし、それを心が許してくれなかった。

「もう、この話は終わりにしましょう……」

 莉々子お姉様は、空になったティーカップを流し台へもっていった。ティーカップを洗う水は、莉々子お姉様に伝えた私の気持ちも流しているようだった。


 その後もさり気なく好きだということをアピールし続けたが、すべて聞かなかったことにされていた。次第に休息義務の時間での会話も減っていき、気がついたときには莉々子お姉様は学園から卒業していた。

 自分の気持ちに気づいてしまってから過ごす莉々子お姉様との時間は、苦痛だった。なおかつ、その気持ちを伝えてしまったがゆえに、関係が悪くなってしまったのは、完全に私の責任だった。


 夜、眠る前に莉々子お姉様のことを思い出す日もあった。そうなると、いろいろな感情が心の中を渦巻いて、とても眠れるような気分ではなくなっていた。

「もう、会えないのかな」

 思わず口にしていたのは、そんな弱々しい言葉だった。あのとき、本当に気持ちを伝えるべきだったのか、莉々子お姉様のことを考えると伝えるべきではなかった。そういった、後悔しても仕方のないことばかりが、頭の中を駆け巡っていた。


「最近暗いよ。どうしたの」

 話しかけてきたのは、私と同じ一般入試組の理香子だった。学園の中では唯一といっても過言ではないほど、仲のいい友人だった。

「莉々子お姉様に会えないのが、寂しいのよ」

「あなた、本当に莉々子お姉様のことが好きなのね」

 理香子は、優しい目をしていた。彼女のシスターは理香子とは相性が合わなかったらしく、結局なんの進展もなく、姉妹制度の期間が終わったとのことだった。しかし、それが私は羨ましかった。なぜなら、もし莉々子お姉様との仲が悪ければ、こんなに悩む必要も後悔する必要もなかったはずなのだ。

「でも、仲がいいにしても、度が過ぎるのはだめよね」

「どういう意味?」

 そう言いながら、理香子が指さした先にいたのは、同じクラスの女の子とそのシスターだった。

「あの子、自分のシスターと付き合ってるらしいよ」

「え……それって」

「まあ、いけないことだよね。告げ口するつもりはないけど」

 そのときの私は、どこかに嫉妬とよく似たような感情があった。なぜそれをお互いに許しているのかが、理解できなかった。


 自宅から学園までは、電車とバスを使って通っていた。莉々子お姉様は、家の車で学園へ来ていた。何度かその光景を目にしたことがあるが、それを見るたびに住む世界が違うことを思い知らされていた。私の手が届くような存在ではなかった。そんなことは、ずっと昔から知っていた。

「あの、すみません」

 考えことをしていると、目の前に立っていた同い年くらいの男の子が話しかけてきていた。

「はい……なんでしょうか」

「これ、受け取っていただけませんか」

 男の子がかばんから取り出したのは、小さな封筒だった。

「なんですかこれ」

「中身を読んでほしいんです」

 封筒の中から出てきたのは、小さな便箋びんせんだった。中にはいろいろなことが書かれていたものの、要約すると『一目惚れしました。好きです、付き合ってください』とあった。

「ごめんなさいね。私、こういうことに興味がないの」

 興味はあった。私でも男の人を好きになることはあるのだろうか、という意味だったが。

「それじゃあね」

 便箋を封筒に戻して、男の子に返すと、きょとんとした顔が見えた。


 高校生になると、勉強漬けの毎日だった。そんな日々で、みんなが興味を持っていたのは、各々の恋愛事情だった。その意見交換をするのは、決まって休息義務の時間だった。

 それぞれが好きな芸能人などを挙げていくなかで、一人だけ私のほうばかりを見てくる子がいた。特に気にしないようにしていたものの、放課後に突然声をかけられたことがあった。

「あの、あかねさん」

「ん? どうしたの?」

 私が反応すると、その子の顔が真っ赤になっていった。もしかしてと思いながらも、その可能性について考えることはやめていた。しかし、彼女の発言でそれは裏付けがとれてしまった。

「わ、私。あかねさんのことが……好きなんです」

「うん。それで?」

 あの子にはひどいことをしたと、今でも思っている。だが、そうするしか自分の心を守る方法を知らなかった。

「それで…? えっと……」

「付き合ってほしいとか、言わないよね」

 この子に、私と同じ想いをしてほしくはなかった。わがままだとは思うが、私のことを嫌いになってほしかった。そうすれば、その感情はなかったことになるのではないかと、その当時の私は本気で思っていた。

「聞かなかったことにしてあげるから、もうそんなこと私に言わないでね」


 莉々子お姉様が卒業してから、六年が経った。その間にいろいろなことがあった。けれど、そのことを莉々子お姉様は知らない。その日あった出来事を、包み隠さず話していた莉々子お姉様は、私のそばにもういなかった。


 卒業式が無事に終わり、卒業証書を受け取った私は、校庭に来ていた。クラス別に写真を撮ったあとで、私は校庭に広がっている桜を眺めていた。そのとき、ふと横からの視線を感じてそちらを向いてみると、どこかで見たことのあるような姿があった。

 目の前に現れたのは、背が高くてすらっとした女の人だった。綺麗に整えられたスーツを着て、私のほうへと歩み寄ってきていた。

「どうして、ここにいるのですか…?」

「だって、今日は大切な妹の卒業式ですから」

「莉々子お姉様……」

「すっかり大きくなったわね、あかね」

 これは、『恋心』を伝えるための再会であると、確信した。


「恋愛禁止の義務が、一番つらかったわね」

 もう莉々子お姉様に、自分の気持ちを伝えても義務違反ではないと、そう思うだけで私は感情が溢れて止まらなかった。

「莉々子お姉様……会いたかったです」

 卒業した私は、莉々子お姉様と同様に学園規定の義務がすべて失効となった。もう、なにも気にせずに自分の気持ちを伝えることができる。そう思うと、一度流れた涙は留まることを知らなかった。

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お姉様に恋した私は、振られて現実を知りました 六条菜々子 @minamocya

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