「ファゴット、バトルドーム、春巻」

 ファゴットを吹く人間のことをファゴッティストと言う。僕はそのファゴッティストだ。大学の吹奏楽サークルで、ファゴットを吹いているから。


 ファゴットは、吹く、ということから分かるように、笛の一種である。リコーダーやフルートほど小さくはないし、お手軽でもないし、でかいので値段も相応だが、吹奏楽の世界ではそれなりの格のある楽器であって、モーツァルトが書いた協奏曲の楽譜が残ってたりもする。とはいえまあ一般的に広く世に知られているようなものではない。


 しかしそんなことは別にいいのだ。僕の実家は金持ちで、息子にファゴットを買い与えるくらいのことはお茶の子さいさいで、そして僕は言うほどファゴットがうまくもないが、僕はただ指揮者コンダクターの白亜先輩とお近づきになりたいからというだけの理由で吹奏楽部に入っただけで、そんな真剣に音楽に打ち込んでいるわけではないのだから。いや、底意があってやっているということがバレない程度には真面目に練習しているし、発表会とかにも参加はしているが、それはそれ。


 ところで、白亜先輩は言った通り、吹奏楽部で指揮者をしている。もとは音楽学校の志望だったらしいが、指揮者の世界というのは楽器演奏者の世界以上に厳しいので、そういうことになり、挫折を経て今があるらしい。僕は興味はあるが、詳しいことを教えてもらっているわけではない。そうなりたいが、そうなれるほど近づけてはいない。僕はファゴットよりは、料理の方が得意である。


 今日は吹奏楽部の打ち上げで、部室でみんな集まって、酒盛りをしている。メインディッシュは生春巻き。僕が用意した。生春巻きって面倒そうに思うかもしれないけど、皮で材料を巻くだけで成立するわりには娯楽性が高いし、そういう意味でパーティーに向いているので。


「玄野君、これよく分からないわ。どうすればいいの?」


 と白亜先輩が聞いてくるので、僕はその手に触れて、生春巻きの作り方を丁寧に説明する。生春巻きのことなどは本心ではどうでもよく、その手の温かさだけが僕の心をかき乱しているが、そんな僕の心を知っているのは神と僕自身だけだ。


 さて、食うだけ食ったらあとは適当に時間を潰す。誰かが「バトルドーム」というゲームを持ってきたので、僕は白亜先輩とその他の名前もどうでもいい二人と、それを遊んだ。バトルドームは、大雑把に説明すると四人で遊ぶピンボールのようなゲームである。きゃーきゃー言えさえすればどうでもいいので、僕は適当に遊ぶ。


 そんなこんなしているうちに、宴はお開きとなった。酔っ払いをタクシーに放り込み、家に帰す。吹奏楽なんてやってる連中は割とみんな金があるのでそれで困らない。最後に会場である僕の家に残ったのは白亜先輩と僕だった。なぜかというと、お互い大学の近くに住んでいるので。


「ねえ、玄野君」


 と白亜先輩が言う。


「飲み足りないわ。まだ、何か作れない?」


 などと白亜先輩が言う。


「じゃあ、花巻でも蒸しましょうか。冷凍のやつが冷凍庫に入ってるんで」


 と僕は答える。話は嘘ではない。たいした金額ではない、業務用スーパーに売っているのだ。うちのオーブンレンジには蒸し器機能があって、それを使えば二十数分くらいで冷凍状態から温め返せる。


「二十分くらいかかりますけど、いいですか?」


 と僕は聞く。


「よくないわ」


 などと白亜先輩が無体を言う。


「退屈するから、話でも聞かせて。あなたは何故、ファゴットを吹くの?」


 などと、白亜先輩は聞く。


「……あなたと一緒にいる時間を過ごしたかったからです」


 と、僕は正直にそう答えた。なぜって白亜先輩の瞳が、それを言え、と語っていたから。


「それなら、別に吹奏楽部に入らなくても、私に告白するだけでよかったのに」


 などと白亜先輩は言う。やばい。花巻が温まる時間のことを忘れそうになっている僕がいる。


「僕たちの関係が、この先どうなるか分かりませんけど、あなたと過ごした時間が、確かに僕の青春の中にあったと、そういう記憶が欲しかったんです。生春巻もいいけれど、火を通さなければ味わえない春巻だってあるのだから——」


 みなまで言わせてもらえなかった。先輩は僕に飛びついて、僕の唇を奪った。


 そのだいぶあとで花巻は食べたが、だいぶ冷めていた。それでも味はよかった。思い出に残る味だった。

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