第12話
CM撮影は、正直帰りたくなるくらい緊張するものだった。
スタッフの人は皆が皆、今日初めての撮影だという新人をリラックスさせようと優しく接してくれたけど、ものものしい照明器具とカメラやよく分からない機械も沢山あって、それらに向かうスタッフさんたちのプロ意識から来ているのだろう独特な張りつめた空気をヒリヒリと肌で感じる。
ディレクターさんやスポンサーさん、よくデザイン雑誌で作品を見ていた大手広告代理店のアートディレクターさんと、とにかく一見するだけで「この人偉い人だ」と分かるような見た目と自信に溢れた態度の人ばかりに取り囲まれているのだ。
スタジオ入りで挨拶をしただけでも、異様なほど上質な空気に呑まれてすっかり萎縮してしまっていた。
マネージャーのサトダさんは明らかにすごく心配して、おやつをくれたりネットで犬猫の癒し系動画を見せてきたりと赤ちゃんを癒すお母さんのように気を配ってくれた。
でもそんな萎縮と緊張は、衣装を着て、メイクをしてもらうことで消え去った。
メイクは武装なんて言葉はよく聞いていたし、私自身も、やはり今までの人生でメイクをしている時としていない時の“自分が成立する感じ”の違いは、体現してきていたので理解はしていた、しかし……。
メイクルームに居る全員が、息を飲んでいるのが分かる。
さっきまで自信に満ちて見えていた彼女たちの目に、畏れが浮かんでいるのが分かる。
畏れと言っても恐怖ではない。
もはや崇拝が近いだろう。
プロによる化粧とスタイリングで完成された“私”は、そういった対象になるくらいに神聖な、仰々しいまでのオーラと輝きを放っていたのだ。
撮影スタジオまでの通路、スタジオに入っても、“私”は周囲を圧倒し続けた。
この空間に居る誰もが、“私”を見て「美しい」と心から思っている。
誰もが“私”に魅せられて茫然としている。
“私”の美しさは人から語彙力だけではなく思考力さえ奪う力を持っている。
それらは私に、まさしく神にでもなったような万能感を与えてくれた。
時間も忘れて、私は“私”の美しさを惜しげも無く周囲に知らしめた。
撮影が終わるとスタジオは、超大作の演劇舞台の終幕のあとのように鳴り止まない拍手に包まれた。
まだ浮き足立ったような享楽的な雰囲気から抜け出せずにいると、マネージャーのサトダさんが抱きついてきて「良かったよぉー」と泣きながら言う。
ああ、と安心した。
私は仕事をちゃんと出来たんだなと、その時実感出来た。
ザワザワと騒然としたままの撮影スタジオをあとにして、その日はいつ眠りについたかも分からないくらい深い深い眠りについた。
CMのテレビ放送が始まると、私の周辺は一気に賑やかになった。
アルフレッド・プロモーションの新星としてワイドショーやSNSで大騒ぎになったらしい。
「話題騒然のCM美女は一体誰?!」
「美人という言葉では表現しつくせぬ美の体現者」
「全てが完璧。新時代のヴィーナス降臨か」
テレビや新聞、インターネットには連日数々の驚きと賞賛の言葉が並び続け、エトウ アイラは一躍時の人となっていた。
その後、有名ミュージシャンのMV出演や雑誌の表紙撮影、清涼飲料水のCM、ファッションショーへの出演依頼と次から次に仕事が舞い込んできた。
サトダさん曰く、仕事はたいぶ厳選しているけれどオファーが多すぎるため必然的に絶対数が多くなってるらしい。
それでもありがたいことに、まずは休みを重視して無理は絶対にさせないようにスケジュールを組んでもらえているようで、休みも睡眠時間も普通の会社員のように取れていた。
「君はもっとビッグになるぞ、日本だけじゃない。次は海外も目標に据えよう」
社長がそう言った次の月には、世界十五カ国で出版されているトップファッション誌からオファーがあり、日本人史上初、日本版と米国版の表紙を飾ることになった。
日本国内ではもう、エトウ アイラが載っていない雑誌は雑誌ではないような熱狂状態にあるらしい。
不用意な外出はパニックを起こす可能性もあるからと、控えるようにサトダさんから言われている。
しかし、私には鏡がある。
誰にもバレる恐れがない変装が可能なのだ。
久々に、元の私に戻ってみた。
ヒッと声を上げていた。
アイラの美しすぎる顔から、一瞬で元の一般人の顔に戻るのだから心臓に悪い。
私はいつの間にか、アイラの姿でいる自分に違和感を持たなくなってきていたのだ。
少し気分を落ち着けてから、カタギリ ヒロエの姿で街へ出てみた。
駅の広告もオーロラビジョンも高層ビルに飾られた大きな看板も、ほぼ全部エトウ アイラで埋め尽くされている。
本屋に行けば、エトウ アイラが表紙を飾る雑誌に人が群がっている。
「エトウ アイラだー、マジ憧れるー」
「他のアイドルとか女優とかと比べてもレベチだよね」
「ホントに同じ人間なのーって思っちゃうよー」
キャイキャイ騒ぐ女子高生たちを横目に、私も雑誌を手に取ってみる。
本当に綺麗。
エトウ アイラは私ではない。
でも私でもある。
不快なのか愉快なのか分からない気持ちになって、スっと本を元に戻す。
隣にあった雑誌が目に入った。
ガイヤくんが表紙の雑誌だった。
やっぱりかっこいいなぁ……。
打ち上げのあの日から今まで、もうずっとレグルスのことは見ないようにして生活していた。
忙しいけど新鮮な日々と、美しくいられる素敵な体験が傷を和らげたのか、以前と変わらない気持ちでガイヤくんを見ていられる自分に気がついた。
この表紙、かっこいいから買って帰ろう。
大好きなレグルスを前と同じように素直に好きでいられるようになったことが、ただ嬉しかった。
自宅に着いて買ってきた雑誌をソファで読んでいると、テーブルに置いていたスマホが鳴った。
マネージャーのサトダさんから着信だったので、すぐに出た。
「アイラちゃん?実はね、ドラマのオファーが来たんだけど、どう?受けてみない?」
言葉に熱を込めたまま、サトダさんは言う、
「レグルスのガイヤくんと同じ事務所のトキノ リラちゃんと共演だよ」と。
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