第11話

「あの、君、芸能界に興味はないかな?」


 壮年も後半に差し掛かっている男性だった。

 高級品なのだろうか、テカテカと光沢のあるスーツに襟を立てた赤の柄シャツを着た、かなりアバンギャルドな感じの人だ。


 男性の派手な身なりに一瞬驚いたが、このまま立ち止まってはまた時間がかかりそうだ。


「すみません。ありません」


 目も合わせず冷たい声でそう言って立ち去るのが最善。

 今日一日で、こういうスキルが磨かれたような気がする。


「名刺だけでも!いつでも連絡ちょうだい!」


 程よい距離を保ちながら、私の行く手を完全に封じてきた。

 やるな、この人……!

 黙って名刺を受け取ると、サッと引いてくれた。

 タチの悪い人でなくて良かった。


 停まってくれたタクシーに乗り込み、まだ手の中にある貰ったばかりの名刺を見てみた。


“アルフレッド・プロモーション 代表取締役社長 タグラ ススム”


 テレビでも良く耳にする大きな事務所の名前が書いてあった。

 今人気のある女優やモデルは大抵この事務所の子だ。


 あの人、偉い人だったんだな。

 そして、確かここにはあのトキノ リラが所属しているはず……。


「――?!」トキノ リラのことを考えた瞬間、嫌な記憶にいっせいに襲われた。


『やだ~ブッサイク~!!ねぇ見える?見えてるよねぇ、自分の顔ォ!!』


『ドブスはドブスの国で生きてろよ!身の程を知れ!』


『顔だけじゃなくて頭も欠陥品なのね。なんでそれで生きてられるの?』


『さっさと消えなよォ!見苦しいんだよ存在自体がぁ!!』


『アハハハハハ――……』


 あの日彼女がこれでもかと投げかけた罵声の数々が、したくもないのに脳内でリフレインしはじめた。

 その残響は瞬く間に重なり、グワングワンとうねるような反響音を経てゴォーという轟音に変わり私の精神を蝕むように響き続ける。


「――お客さん!!大丈夫ですかぁ?顔、真っ青ですよ!」


「あ、……はい……、大丈夫です……」

 とは言ったものの、手も足もガクガクと震えて止まらないし、汗は滴り落ちるほど流れて呼吸がしづらく心臓は破裂しそうなくらいに早く脈を打っている。


 こういう症状には覚えがあった。

 確か、パニック障害の症状がこれに似ているのではなかったか。


 自宅マンションに着く頃には落ち着いてきたが、まだ手足に微かな震えが残っている。

 私自身、彼女が私の中でここまでトラウマのような存在になっていたとは予想外だった。


 自室に着くなり好きな入浴剤を入れてお風呂に浸かり、夕食を食べながらテレビを見ようとリモコンの電源ボタンを押した。


『アハハハハ……!』


 リラの大きな笑い声がテレビから流れた。


 吐き気がこみ上げ、走ってトイレに駆け込む。

 胃の内容物を吐くだけ吐いて、洗面所で顔を洗った。


「傷つき過ぎよ……」鏡に映る、真っ青な顔の“私”にポツリと独りごちた。


 ――やだわ、ヒロエったら。そのくらい傷つけられたんじゃない。


「そうなのかな、……彼女が言ったことは事実でしょ?」


 ――やだわ、ヒロエったら。変な力に頼ってまで顔を変えたのはなんのため?


「……悔しかったのよ……」


 ――そうよね、ヒロエ。分かるわ、あんな酷いことされたんだもの、当然だわ。


「…………本当、酷いわ。美しく生まれたっていうだけで、こんなに人を傷つけるのも赦されるのかしら……?」


 ――やだわ、ヒロエったら。赦されるはずがないじゃない。


「そうねヒロエ、赦されないわよね」


 ――そうよ、ヒロエ。あの子にも、好き勝手した代償を払ってもらわなくちゃ。


「そうよね、ヒロエ。分かるわ、だって私は私自身を完全に否定してまで、この姿を手に入れたんだものね……」


 ――そうよ、ヒロエ。もう準備は整っているわ。


「私に……できるかしら……」


 ――できるわ。自分を信じて。



 翌日、アルフレッド・プロモーションの社長さんから貰った名刺に書かれた番号に電話をしてみた。

 是非会って話したいと言われ、事務所に招かれた。


 まずは話を聞いて色々決めようとしていたのに「君のためのCM撮影の仕事がある」とか「間違いなく近年稀に見るスター」とか「金銭面の心配はいらない」とか色々言われて入所する運びになってしまった。


 派遣契約中だから、すぐ入所は難しいと伝えると、次の契約更新まで事務所に籍を置いたまま通常通り派遣先で働いていいと言う。


 社長直々のスカウトだからなのか、そもそも芸能界とはこういうものなのか、まだなんの仕事もしていない新人の私に都内の一等地の高層マンションの一室を用意してくれた。


「レッスン受けさせてもらえるのにお金払うんじゃなくて、貰えるんだ……」

 ホテルみたいに綺麗な新しい自分の部屋で契約書を見ながら、一般感覚との違いに驚いていた。


 派遣先との退職に向けての交渉、前のマンションからの引越し手配や、事務手続きもろもろ、ややこしいことは全部マネージャーさんがやってくれた。

 騙されているどころか、ちやほやされ過ぎてこれから殺されるんじゃないかと思ってしまうくらいだけど本当に大丈夫なんだろうか。



 一ヶ月後、派遣先を契約満了で辞めると本格的にボイストレーニング、演技指導、ウォーキングにダンスといったレッスンが始まった。

 週三でのジムとエステに英会話も促されるままに通うことになり、忙しくはあるけれど学んだり健康を保つことが仕事になるという新鮮さがあったので楽しくもあった。


 そんなある日、社長から呼び出されてマネージャーさんと一緒に社長室に行くと、第一声「CM決まったよ!」と社長がはしゃいだように言ってきた。


 入所を決めた日に社長が言っていた言葉を思い出した。

 ――あれ、本当だったんだな。


 いよいよ芸能界デビューになるから芸名とキャッチコピーを決めたので本人の意見も聞かせて欲しいということだった。


“センチメンタルなルーナ”

 エトウ アイラ


 社長曰く、月の女神のように神々しく神秘的なイメージで売り出していきたいらしい。

 キャッチコピーが少し恥ずかしいけれど、特にこうしたいという希望もない。

 これが私の新しい名前になった。


「あの……でも社長、私こういうの初めてで、レッスン受けてますけどまだ二ヶ月も経ってないしいきなりCMって言われても上手くできるか……」


「大丈夫!立って、後ろを振り返る、これだけでいいから!」

 社長が猛烈に立ち上がり、キレキレに振り返る動作をして言う。

 この人は本当にいつもエネルギーに満ちてて凄いなと思う。


 それから、と社長が続けた。

「有り体だけど、誰でも最初は初心者だから。特別上手くやろうなんて考えなくていいんだよ。一番大事なのは、アナタらしさ、これだけなんだから」


 私らしさ、か……。

 とは言っても、今の私は今までの私ではないし、なんだかピンとこない。


 自宅マンションのトレーニングルームの大きな鏡で“私”の姿を確認する。

 うん、どこからどうみても綺麗。

 顎を突き出してみても、横顔でも、大きく口を開けて笑ってみても、寝転がった姿でさえも芸術品みたいだ。


 CMは大手化粧品メーカーのメイク用品のものらしい。

 あそこのCMって洗練されたエキゾチックなイメージで、憧れの女性像とはかくあるべき、みたいなのが多いのよね。


 ちょっと、表情の練習しとこう……。

 セクシーだったり、あどけなさだったり、この顔と姿だったら自由になんだって表現できる、そんな自信が湧いてきていた。

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