第10話

 元の顔のバックアップを取った。

 派遣先に別人が来たと報告されては色々と厄介だ。


 よし。毛穴や吹き出物が目立つこの肌から綺麗にしてみよう。


 私は、コピースタンプツールメインでレタッチする派だ。

 パッチやスポット修復ブラシも箇所によっては使うが、単純にスタンプの方が使い慣れているからだ。


 まず、自動選択ツールで耳を含めた顔、首、全身を選択して色相彩度で明度をいじる。

 肌を白くするのだ。


 北欧の人っぽい黄味も赤味も少ない白さがいいな。

 トーンカーブと、カラーバランスも使って色味も調節して、いい感じの白さにできた。


 心配していた背中など、映っていない範囲への適用も自動でやってくれたようだ。

 本物のソフトも早くここまで賢くなって欲しいなと思った。


 目の下のクマはなげなわツールで囲い、選択範囲をぼかして様子を見ながら明度を上げて薄くした。


 美白は七難隠すとはよく言ったもので、吹き出物や毛穴、肌の微妙な凹凸も目立たなくはなったが、更に綺麗にしていく。


 比較的綺麗な肌の部分をスタンプでコピーしてペチペチと荒れの目立つ部分に貼りつける。

 不透明度と流量は十%からはじめて、ここぞと言う時は数値を上げて調節、調節。


 ぺったりとした能面のような肌になっては困るので、レイヤーを分けてブラシでピンク色や地の肌色を濃くした色を塗り、ソフトライトなどで重ねるなどして理想のお肌を追求した。


 当たり前だけど、マウスもキーボードもないのですごく時間がかかる。

 指を二本にすることで右クリック左クリックの概念も使えるようだが、それでもやっぱり不便……。


 鏡面が指紋だらけになってきた。

 指以外の何か直感的に動かせるようなツールがほしいな。

 ペンタブのペンでも買って試してみようか。


 肌の補正がついに完了。


 自分の肌を肉眼で確認してみたけど、毛穴が埋められなくなっているということはなさそうだ。

 現に顔も身体もムダ毛は消されずに残っている。

 おそらく、サボテンが加工後も生命活動に支障が出なかったことと同じ原理なのだろう。


 疲れた。

 肌補正だけで、五時間ほどかかったようだった。


 今日は一旦ここまでにして明日続きを進めよう。

 理想の顔と身体を作り出すためだ、時間を惜しむことはない。

 バックアップデータを開いて元の姿に戻ると眠りにつくことにした。


 翌日もそのまた翌日も、ひたすらに鏡での作業を続けた。


 身長は百六十三センチくらいにしたい。

 足の長さを股下比率五十三%になるように伸ばして、細さを調節。


 細すぎるのはちょっと嫌だな、スマホで綺麗だなと思う足を見ながら似た感じに仕上げ、アキレス腱のでっぱり具合にこだわった。


 ウエストはグラビアモデルさんの水着画像を見ながら五十一センチになるようにフォルムを整え、ヒップは大きさより形と丸さを重視して作る。


 腕も細く長く伸ばす。

 なんか昔、肘の曲がるところがウエストの一番細いところにくるくらいが理想って聞いたことがある。こんなもんか?


 昔から、華奢なリングが似合う、すらっと長くて細い指になりたかった。

 手全体を選択して横幅を縮めて、手のひらの縦幅を調節してみた。

 うむ、いいんじゃないかな。

 今度、可愛い指輪を見に行ってみよう。


 バストはどうしようか。

 子供の頃からすくすく育って自胸で意味なくHカップあるけど……。

 大きさはともかく、形はおわん型にしたい。


 綺麗な丸さを出すため、ゆがみフィルタの膨張ツールで両方同じように膨らませてみた。


 乳輪と乳首が大きくなりすぎた!


 慌ててネットで検索した画像を見て、理想的な胸に色々と調整した。


 サイズはFカップくらいでいいや。

 Hカップってなんかデカ過ぎて不便だったのよね。

 ブラジャー買いに行ってもサイズないし。


 理想のセクシーな鎖骨づくりも苦心した。

 片方、なんとか良きように形成した鎖骨をなげなわで選択して、左右反転させて配置してなんとかいい感じに仕上がった。


 そしていよいよ顔の加工、変更のフェーズに入ることになった。


 顔の繊細さは分かっているつもりだったが、ここまでとは……。

 ある程度は、ゆがみフィルタの顔ツールで補正できるけどそれではあくまでもちょっと顔が整った『私』なのだ。


 仕方がないのでツールを駆使して目や鼻の造形をいじることにしたけど、これがまた苦行レベルの作業だった。


 中でも一番難しいのが目だ。


 顔の印象全てを決めると言っても過言ではない目。

 一ミリなんて話では済まない、ゼロコンマで変更しただけでもガラッと印象が変わるし違和感が出てしまう。


 顔全体に対してのサイズ感も変に大きくなり過ぎないように気を遣った。


 そういえば今まで仕事ではレタッチをすることはあっても、顔貌をまるっと完全に変えてしまうなんて業務は経験がなかった……。


 3Dデザイナーさんなんかだったら、得意分野だったろうか……。


 買ってきたペンタブのペンも駆使しつつ、なんとかパーツパーツを整えていく。


 何かの漫画で、顔の造形一ミリ二ミリ程度のことで一喜一憂する人間は愚かしい、なんてセリフを読んだことがあるけど本当に相違ないなと思った。


 美醜の差なんて、こんなにちょっとのことだったんだ。

 でもそんなちょっとの差が、人間の世では大きな差になるのだ……。


 睫毛、眉毛は繊細に一本一本書き足していく。


 眉毛は普段のメイクに似た作業なので簡単だった。


 睫毛増毛もそこそこに気を消耗するものだったが、まぶたの二重を作る作業では気が狂うかと思ったほどだ。


 単に線を引いただけでは二重になってくれないので、ゆがみを使ってまぶたを弛ませ二重まぶたを再現することになったからだ。

 神経衰弱で死んでしまうかと思ったので、何日もかけてゆっくり作り上げた。


 工程途中の顔はどんなホラーメイクよりも忘れられないインパクトと恐怖を与えるものだっただろう。

 ハロウィンで仮装する機会があったら、またこの鏡を使ってもいいかもしれないな、なんて思った。


 結局、全身隅々まで理想通りに仕上げるのに二ヶ月近くかかった……。


 そして休日の今日、やっと出来上がった新しい私の姿でお出かけしてみることにした。

 毎日毎日夜遅くまで頑張って完成させたので、寝不足気味だ。


 マンションのエントランスで私は一人、全身に汗をかいて緊張していた。


 もしかしたら、変化して見えているのは私だけで、他の人にとってはいつもの私、もしくは異形の化け物になっている可能性すらあるかもしれないのだ。


 いつもの自分という認識ならまだいい、化け物が出たと、とんでもない大騒ぎになったらどうしよう。

 警察に捕まって、実験動物みたいにされたらどうしよう。

 恐る恐る、周りの人の様子を窺いながら歩を進めていく。


 それが杞憂だと気づくまでに、時間はいくらも必要なかった。


 駅までの十分程度の道を歩くだけで理解できた。


 通りすがる人たちからの目が違う。


 男の人は特に分かりやすい。

 私の姿を見るとすごくソワソワして、チラチラ見て意識してるのにスマホを見てる振りをして素知らぬ風を装っている。

 すごい勢いで二度見してくる人もいたり、何度も同じ人とすれ違うことになったり。


 あれらは明らかに好意の目だ。


 大丈夫なようでホッとした。

 このままこの身体と顔に似合うお洋服でも買いに行こう。


 しかし街中に出ると、大変だった。


 声を掛けてくる人が多すぎる。

 モデル、アイドル、ホステス、キャバ嬢、ナンパ、カットモデルに、よく分からないネズミ講の類もあれば宗教の勧誘まで……。


 酷いと声を掛けられて断った後、二、三歩進んだだけでまた止められるので全然目的地に辿り着けない。

 普段から声を掛けられ慣れている人なら、こういう人たちのあしらい方を心得ているのだろうけど、慣れていない上に手練の人もいて断るのにも時間がかかって疲れてきた。


 美人の苦労のひとつとして、街中で声をかけられて大変って聞いたことがあったけど、嫌味だと思ってました本当にゴメンなさい謝るからもう声を掛けてこないでくださいドビーにお洋服をください。


「ちょっと!何見てんのよ!」


 またか。

 目の前に居たカップルの女の子がそう怒ると、彼氏を引っぱたいて帰っていく。

 今日同じ感じの、何回も見た。

 なんか本当にゴメン……。


 こうなった後の男の人と、うっかり目を合わせてはいけない、今日の数時間で学んだ事だ。

 最初、殴られて気の毒だなと思って視線を送ってしまい、目が合ってしまった。

 そうすると、殴られた男の人がハーメルンの笛吹き男の物語みたいにフラフラと私のあとを着いてきたのだ。


 怖いので交番に駆け込んで、男の人はお巡りさんに羽交い締めにされてた。

 彼女に殴られた上にお巡りさんに職質されたりする可哀想な男の人をまた増やしてはいけない……。


 そうしてお店にやっと着いても、洋服ひとつ買うのも大変だった。


 店員さんのグイグイ来る感じが、いつもの比じゃない。

 これも着てみませんかと勧めてくれるまではいいのだけど、お店のSNSに上げたいからと写真を撮られたあげく、あれもこれもと何十着と持ってくる人も居た。


 休憩するためにカフェに入っても、窓際の席に案内されて通行人にすごく見られるし落ち着かない。

 もしかして、お店の宣伝的なものに利用されているんだろうか。


 仕方ないのでまだまだ熱いコーヒーを急いで飲んでサッサとお店を後にした。


 検証はもう充分、というか懲り懲りだ。

 疲れているし、タクシーで帰ろうかなと思っていると、「すみません」と男の人の声がした。


 またか、とは思ったけどつい振り返っていた――。

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