第3話

「えぇぇぇぇ」素っ頓狂な声が出た。


「シー!シー!」ガイヤくんが人差し指を口に当ててシーシー言ってる。

 なにこれかわいい。


「なんでここに?!」

 芸能人が自宅付近をうろうろしてるとか現実味がない。


「家が近所で、仕事帰りにちょっと散歩気分で歩いてて……」


 ジーザス。

 神のきまぐれマジハレルヤ。


「そ、それでなぜスマホを投げ……?」


「あ……あのですね……」


 ガイヤくんはちょっと言いにくそうにして、頬を人差し指で掻きながら言った。


「この前、テレビ見てたら、スマホで動画撮影してるクリエイターさんを紹介してて、なんか、撮影したままスマホを投げたら面白い映像が取れるって言ってて、試してみたくなって……」


 申し訳なさと照れが入り交じったその表情、イイネ!


 しかし、またエラく思い切り投げたんだな……。


 自宅のマンション前の通りは特別広い道っていう訳でもないのに、そこでそれを試すとかなかなかの猛者、というか、ガイヤくんらしいなと思った。


「まず割れたガラス片付けないとですね。ちりとりとホウキ借りていいですか?あと掃除機も使わないとですね」


 コホンと咳払いしてガイヤくんがテキパキと話し始めた。


「あ!そ、ソウデスネ!」

 どこの国から来たのかというくらい上擦って訛った、恥ずかしい。


 片付けのことなんてすっかり頭から抜けていた。


 私の気持ち悪い訛りなんて聞こえなかったように普通にガイヤくんは続けた。


「軍手とかあります?なかったら近くのコンビニで買ってきますよ」


「あ!確かあったはず。ちょっと待ってくださいね!」


 というか、今……なんだこの状況……。

 推しが……推しが自分の部屋にいる……?


 接し方があまりにも自然なのでつい忘れそうになるけど、トップアイドルが自宅にいる状況を客観的に思うと全身が震え出す。


 もはや逃げられない状況なので仕方ないが、そもそも推しに存在を認識されてるとか無理すぎる。

 吸血鬼が日光浴してるようなものなのだ……。


 私がホウキで掃いたガラスの欠片をガイヤくんがちりとりで受けてくれている。


 小さいちりとりなので、ガイヤくんは目の前で屈んだ姿勢になっていて、つむじが……つむじが見える……!


 いやーん、つむじ貴重~。かわいい~フゥ〜。

 指でクルってした~い、わぁ~い。

 心の中で存分に叫び、小躍りすることによって、なんとか平静を保った。


「大きい欠片は大体取れたし、次は掃除機を……」


 掃除機のスイッチを入れようとすると、ガイヤくんが「そのままだと危ないです」とヘッドを外して、ストッキングありますかと聞いてきた。


「そのまま破片を吸うと掃除機が壊れちゃうかもしれないので……」と言う。


「詳しいんですね」


 言われた通りストッキングを吸口にはめながら、聞いてみた。

 なんでこんなに片付け方に精通してるんだろう。


「じ、実は……家で窓を割っちゃうことが子供の頃から結構あって……。親に怒られて、自分で片付けることも多かったんですよ」


 わんぱくな子供時代だったんだな…。

 男の子はそのくらいが普通なんだろうか。

 一人っ子で寂しかった幼少期、こういう弟がいたら賑やかで楽しく過ごせたのかも。


「失敗は成功のもとってやつですねぇ。今そのおかげで私、すごく助かってますよアハハハハ、フゴッ」


 あっと口を手で押さえた。

 おばさん笑いしてしまった、しかも豚鼻になったし、終わりだ、死のう。


「アハハ、そう言ってもらえるとありがたいです」


 えー気づかないフリしてくれましたー?

 ガイヤくんマジこの世に舞い降りた天使。


 ガイヤくんが、窓の補修は危ないので慣れてる自分がやりますと言ってくれたので、私はコロコロでカーペットに潜む更に細かい破片を掃除することにした。


 せめて労いのコーヒーでも入れようとキッチンに向かおうとしてハッとする。

 缶チューハイとあたりめが、テーブルの上に鎮座したままだったのだ。


 ……きっともう見られただろうけど、片付けよう……。


 ガムテープとビニール袋で我が家の割れた窓を、ガイヤくんが治してくれている……。


 もしこれが夢でしたって後から言われても、光の速さで納得できるくらい嘘みたいな話だ。


「とりあえず風と雨は防げるようにしてあります。このマンションの管理会社さんか大家さんの連絡先もお聞きしておいていいですかね。こちらからも連絡して、事情を説明しておきますので……」


「何から何まですみません……」


「あとそうだ、鏡も割っちゃって……この分ももちろん弁償しますので……」


 こちらも割れて危ないのでとガムテープでぐるぐる巻きにして新聞紙で包んで更にビニール袋で梱包してくれた。


「いえいえ、こんなのネットで適当に買った激安の姿見なんで。インスタントですけどコーヒーいれたんで、良ければ……」


「ありがとうございます!頂きます。いやいや、完全に俺が悪いので全然気にしないでください。怪我もなくて良かったです、本当に申し訳ないです」


 スマホ投げた奇行を差し引いても、いい人すぎて怖くなってきた。


 見た目が良くて性格もいいとか、天による依怙贔屓が露骨だ。

 神さえもガイヤくんの美しさの前に平伏しているとでもいうのだろうか。


「わぁーこのカップ可愛いですね!この猫の顔もかわいいし、取っ手が尻尾になってるんですね!」

 コーヒーを飲もうとしたガイヤくんが、カップに気づいてくれた。

 私の一番のお気に入りのカップだ。


「えー本当ですか?そのカップ、中学生の頃の陶芸教室体験で作ったやつなんです。気に入ってて、もう二十年くらい経つのにまだ使ってるんです」


「すごい!器用なんですね!こんなの自分で作れるんだー、おお、底に名前まで掘ってある……!かっこいい……!」


「いやいやそんな……結構簡単なんですよ、あれって……」


 会話が終わってしまった。


 天下のアイドルさまに気安く話しかけられる存在ではないのは承知しているけど、無言でいるのも失礼だろうと軽く質問してみることにした。


「お仕事忙しそうですね、体調は大丈夫ですか?」


「あ!ありがとうございます。最近忙しくさせてもらってて、確かに休みが少ないですけど良い経験だと思って気力は充実してます!」


 言ってから気づいた。

 ファン相手に疲れてますとか言えるわけないじゃん。

 私は馬鹿だな。


「私たちファンはレグルスにすごく沢山元気を貰ってるんで、ファンにできることは少ないですけどメンバーの皆の元気と健康をいつも祈ってます!!」


 私に限らず、大袈裟でなくレグルスを生きがいにして毎日を過ごしてる人は多いはず。

 アイドル活動のお礼、なんていうとプロ相手に逆に失礼かもしれないけど、せめて温かい気持ちを伝えたい、そう思った。


「嬉しい!ありがとうございます!」


 満面の笑みを浮かべてガイヤくんが私に御礼を言ってくれた……。

 ガイヤくんの笑顔の破壊力が高すぎて、心臓が止まるほどの衝撃を受けた。


 ヤバい、笑顔が太陽並に眩しい。

 直視し続けると死んでしまうかもしれない。

 ていうか無理、眩しすぎて見ていられない。


 直接見ないように、ガイヤくんの背後のキャビネットに飾ってあるサボテンに焦点を合わせることにしよう。

 あらやだ、サボテン枯れかけちゃってるな……。


 少し雑談をさせてもらって、夜ももう遅いからと解散することになった。


 ガイヤくんは最後も「すみませんでした」と一言添えて、通りの向こうに消えて行ってしまった。


 とんでもない夜だった。


 今はガイヤくんが使ったコーヒーカップを洗うか否か、それが最大の問題となった。


 防腐処理という選択もある。

 しかし、人として大切な何かを失う気もしないでもない。

 これは難題だ。


 夢オチの可能性もまだ捨てきれないなと考えながら、ガイヤくんを思って眠りについた。

 夢じゃなかったら明日は、姿見を買いに出掛けてもいいかもしれないな、なんて思いながら。

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