ノラウサギと「どっかーん!」
ラウザーの運ぶ籠の中、リュングはだんだん遠ざかるホーク伯爵領から視線を前に向けました。下には2年前にたどった大きな川沿いの街道が続いています。少し先を飛ぶ黒ドラちゃんは、気持ち良さそうにぐんぐんと空を進んでいました。
「陽竜様、古竜様に前回と同じように村々に降りてくださるようにお伝えください」
リュングが籠からラウザーに話しかけると、ラウザーが声に魔力を乗せて黒ドラちゃんに話しかけます。
「おお~い黒ちゃ~ん、前みたいに色んな村に降りていくんだってさー!」
「そーなのー?わかったー」
黒ドラちゃんも魔力を乗せた声で答えます。
最初に寄った村ってどこだったっけ?なんてドンちゃんたちに聞きながら、少しスピードを落として、黒ドラちゃんはそのままナゴーンの空を飛び続けました。
一方、ラウザーの運ぶ花籠の中では、マシルがモッチと一緒にリュングを困らせ始めていました。
「ねー、どっかーん!まだぁ?もうつく?すぐつく?」
「ぶいん?」
「お城はまだまだ先ですよ。前と同じように、色々な村に降りて、ナゴーンの人たちとお話ししながら進むんです」
「どっかーんが、いい!すぐどっかーんに行く!」
「ぶぶぶいん!」
「夕方にはお城(どっかーん)に着きます。でも、今日はゆっくりと進むんですよ」
「どっかーんいこう!はやくいこう!」
「ぶぶい~~ん!」
「はあぁぁぁ……」
騒ぐ二匹の勢いに、リュングが、これはどうしたものかとため息をついた時、ラウザーが叫びました。
「マシル、ほら、あの村に降りるぞ!最初の村だ!」
「どっかーん!?」
ラウザーの声にマシルが籠から身を乗り出し、あわててリュングが後ろから支えます。
「花火は無いですけど、お祭りの準備はされているみたいですね。キレイな飾り付けがされています」
リュングの言葉にマシルは一瞬がっかりした表情になりましたが、村の広場に大きく描かれた絵を見て、すぐに目を輝かせました。
「ニクマーン!」
「ぶいーん!」
それは、黄色、白、赤の三色の砂で描かれた、三匹のニクマーンの絵でした。
2年前、お城で起こった不思議な出来事は、竜飛記念日のいわれとして、国中の民の知るところとなっていました。
金、銀、銅の代わりに、黄色、白、赤の三色のニクマーンの絵や人形もよく出回るようになりました。
だから、黒ドラちゃんたちが飛んでくる今日のために、上からよく見えるようにと広場に大きな絵を描いてくれたのでしょう。
「ニクマーン!ニクマーン!」
もうマシルは大喜びです。さっきまで「どっかーん!」しか口にしなくなっていたのに……とリュングはおかしく思いながらも、ちょっとホッとしました。
まずは、黒ドラちゃんがゆっくりと降り立ち、花籠を置くと食いしん坊さんたちが籠から顔を出しました。
「可愛い~~~!」
周りで見守っていた人たちからため息混じりの歓声が上がります。
続いて、ラウザーが降りてきました。花籠が置かれるもの待たずに、人々が駆け寄ります。ラウザーはナゴーンでは人気者なのです。
「ニクマーン!!」
突然、子どもっぽい甲高い声が響いて、花籠から白い毛玉のようなものが飛び出してきたことで、人々が驚いてわっと後ろへ下がりました。
けれど、すごい勢いで飛び出してきた姿をよくよく見れば、ごく可愛らしく見える白い小さなウサギです。
「あ、すみません、その仔、ノラプチウサギなんです、ちょっと皆さんの歓迎に興奮してしまったみたいで、すみませんね、すみません、すみません」
リュングが謝り慣れた様子で籠から降りてくると、人々の間にほっとした空気が流れました。
この二年間、リュングもラウザーと一緒に、ナゴーンには複数回訪れていて、この村の人たちとも顔なじみです。時々やらかすラウザーの尻拭いのせいで、リュングはすっかりトラブル対処はお手の物になっていました。
「ニクマーン!」
一方、マシルの方は周りの人たちの反応なんてお構いなしです。目の前に大きく広がる三色のニクマーンの絵に夢中でした。
さっきまでモッチが頭の上に乗っていたはずですが、どうやらこの村の花からはちみつを集めるために、別行動を選んだようです。
「ニクマーン、しゃべる?しゃべる?」
マシルは、その辺りに立っている人たちに一生懸命話しかけています。
話しかけられた方は、竜飛記念日で話題のノラプチウサギが珍しいやら可愛いやらで、なんと答えたら良いのかわからず、笑顔ながらもみな口ごもってしまっていました。
そこへ、若いけれど落ち着いた声が響きました。
「残念ながらそのニクマーンはしゃべらないんだ。でも、そんなに気に入ってくれたならその三色のニクマーンについて、少しお話しを聞いていってくれるかな?」
マシルの前に現れた人は、大きな白い布を頭から被り、金の刺繍のある髪飾りで縛っていました。同じ布を服のように体に巻き付けていて、不思議な格好をした男の人です。
南の地方特有の砂のようにこんがりと焼けた肌の色、布の隙間から見える髪は豊かな金色の巻き毛、そして、海のように深く美しい青い瞳をしていました。
興奮して飛び跳ねていたマシルは、吸い込まれるように青い瞳にビックリしてかたまってしまいました。
マシルが自分の話を聞くために静かになったのだと思い、男の人は穏やかに微笑みます。そして、マシルにもわかるようにと、ゆっくりとニクマーンの絵を説明し始めました。
「この黄色い砂はね、東の砂漠でだけ採れる砂なんだ。普通の人には見つけられないけど、わたしの一族はこれを見つけるのがすごく上手でね」
「きいろニクマーン?」
マシルが黄色いニクマーンの線のところに近寄って、ふんふんと匂いをかいでいます。
男の人はその様子を微笑ましそうに見守ってから、隣の白いニクマーンを指さしました。
「こっちの白い砂は南の村の浜辺で採れるものなんだ。サンゴっていう海の中のキレイなお花みたいなものが枯れると砂浜に集まるんだよ。それをさらに細かくして砂にしている」
「しろニクマーン?」
今度は、白いニクマーンの線のところに近寄って、前足でちょんちょんと触っています。
マシルの前足にはザラッとした白い粒がつきました。ふんふんと匂いを嗅ぐと、マシルのお鼻に白い粒がちょっとだけついて、ブチのような模様になりました。
男の人はちょっと笑ってから、マシルのお鼻の砂を軽く払ってくれました。
男の人がマシルを優しく抱き上げます。
「それからね、そっちの赤い砂は北の丘の上の岩ばかりのところで時々見つかる真っ赤な岩をすりつぶしたものなんだよ。どれもとても鮮やかな色だろう?」
「あかニクマーン!きれい!」
マシルが声を上げると、男の人は満足そうにうなずきました。
「あ、あの、申し訳ありません。いきなり騒がしくしてしまって」
リュングが丁寧に礼をした後、男の人にお詫びを伝えています。けれど、男の人は気にしないで、と言うように軽く頭を横に振った後でマシルに話しかけました。
「今日はステキな竜ご一行様をお迎えできると言うんで、皆でこの絵を描いたんだよ。お空からもよく見えたかな?」
「ニクマーン!見えた!大きい!見えた!」
マシルが大喜びで男の人の腕の中で目をキラキラさせて答えています。その声を聞いて、男の人も、周りの人たちもとても嬉しそうにうなずき合っていました。
そこへ、ようやく歓迎の人混みを越えて、ラウザーと黒ドラちゃんたちが現れました。
マシルが見知らぬ男の人の腕に抱っこされているのを見て、ドンちゃんがあわてて飛んできます。
「すみません、うちの子がご迷惑をおかけしてしまいましたか?」
心配そうなドンちゃんの声に、男の人が優しく応えました。
「いえいえ。我々のニクマーンの絵をこんなに喜んでいただけるとは、本当に嬉しいことです」
男の人がゆっくりとマシルを足下へ降ろすと、マシルはその周りをぴょんぴょんと跳びはねました。
「ニクマーン!キレイ!大きい!ザラザラ!」
飛び跳ねるマシルの姿に笑顔を見せた後で、男の人はラムルさんと名乗りました。それを受けてリュングが黒ドラちゃん達に紹介してくれます。
「こちらは、この領の次期領主となる方です」
「じきりょうしゅ?」
首を傾げる黒ドラちゃん達に、ラムルさんが教えてくれました。
「今の領主は私の父です。ながらくこの地を治めてきました。しかし、私にも跡取りが出来たことで、この辺で引退したいと言い始めましてね。それで、この竜飛祭を区切りに私が継ぐことになったんです」
そうちょっとだけ照れたように微笑むラムルさんの後ろから、赤ちゃんを抱っこした女の人が現れました。
「赤ちゃん!」
「ぶぶいん!」
「かわいい!」
黒ドラちゃんたちが目をキラキラさせると、ラムルさんが愛おしそうに赤ちゃんを腕に抱きました。
「実は、私が妻のリーハに結婚を申し込んだのは、前回ホーク伯爵の劇場で、ノラウサギダンスが披露された夜なのです」
「まあっ!」
ドンちゃんと食いしん坊さんが顔を合わせました。
「じゃあ、ひょっとして……」
「ええ、ご夫妻の熱いダンスにあてられまして、柄にもなくプロポーズなんてものを」
ラムルさんの言葉を、リーハさんは嬉しそうにうなずいています。
「仕事仕事と。忙しいとばかり言っていて、なかなかはっきりしてくれなかったのです。それがあの夜は……」
「どっかーん!!」
突然マシルが叫んで、リーハさんはびっくりした顔をした後で「ええ、どっかーんでしたね」と笑ってうなずいてくれました。
ラムルさんがラウザーと黒ドラちゃんに向き直り、あらためて丁寧にお辞儀をしました。
「記念すべき今日と言う日に、バルデーシュから皆様をお迎えできたことを心より嬉しく、そして光栄に思います」
黒ドラちゃんたちも慌ててお辞儀をします。
「どっかーん!」
再びマシルの声が響きました。見れば、どうやって乗ったのか、いつの間にか花籠に乗っています。頭の上にはちゃっかりモッチが戻っていました。
「ははは。ゆっくりここの祭りを楽しんで頂きたいところですが、皆様はこの先も立ち寄る場所がたくさんお有りでしょう」
ラムルさんの言葉に、リュングが申し訳無さそうにうなずきました。
「ありがとうございます。お二人のステキなお話を聞くことができて、ノラウサギダンスを披露した者として、誇らしい思いです」
食いしん坊さんとドンちゃんは、もう一度揃ってラムルさん夫妻と挨拶を交わしました。
ラウザーが、周りを囲んでいた人たちに大きく尻尾を振ってお別れしています。
黒ドラちゃんとドンちゃんたちも、周りに集まる人たちに笑顔で手を振りました。
もっとお話を聞きたい気もしますが、この村以外にもまだまだたくさんの村に寄っていかなければならないのです。
名残惜しく思いつつ、竜飛記念日を祝う声に包まれながら、黒ドラちゃんたちは飛び立ちました。
眼下を流れる大きな川沿いには、少しずつ離れて村が見えます。
どの村でも、今日は竜飛記念日を祝うために、お祭りが開かれていました。風に乗って歌や楽器の音色もとぎれとぎれに聞こえてきます。次に降りる村の場所をドンちゃんたちに聞きながら、黒ドラちゃんは音に合わせて尻尾を振りふり、楽しい気持ちで飛び続けました。
すべての村でお祭りに顔を出すことは出来ませんでしたが、黒ドラちゃんたちはどのお祭り会場にも、空から花びらを巻きました。
前回のお話を聞いたゲルードが、魔法で花びらを出す箱を黒ドラちゃんたちに持たせてくれていたんです。
花びらが降ってくると、人々は大喜びで黒ドラちゃんたちに手を振ってくれました。
「やはりゲルード様の魔法は素晴らしいですね。魔法で作った花びらに、本物の花の香りがする」
尊敬するゲルードの魔術に触れ、リュングがうっとりと目を閉じて花の香りを吸い込んでいると、マシルが「どっかーん!」とひときわ大きく叫びました。
ビックリして目をぱちくりとさせながら、大声をたしなめようとしたリュングでしたが、マシルとモッチがずっと前の方を夢中で見入っていることに気付いて言葉を飲み込みました。
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