第93話-我も幸せじゃ
夢の中で、グラシーナさんは「ふじの」と名乗っていました。砂漠の中で、綺麗なカミナリ様と二人きり。カミナリ様は、自分と同じように黒髪で黒い目で、綺麗な着物を着ていました。
ふじのはお腹が大きくて、砂漠は暑くて、苦しくて。でも、カミナリ様が降らせてくれる雨のおかげで、水には困らなかったし、暑さも和らぎました。でも、夢の中でふじのは段々と弱っていきます。
がんばらなきゃ、この子を産むまでがんばらなきゃ。夢の中で、カミナリ様の降らせてくれる雨だけを頼りに、ふじのは懸命に命をつなぎます。
やがて何台もの馬車で商人達が砂漠に現れました。ふじのも久しぶりに食べ物を口にします。ああ、これでようやくこの子を安心して産むことができる。商人の荷物の中には薬もあり、簡単な手当ならば出来るような者もいました。
間もなくふじのをひどい痛みが襲います。腹が、腰が裂けそうです。でも、その痛みは、ふじのが待ち焦がれていたものでもありました。どのくらいの時間痛みと闘っていたのか。最後の力をふりしぼると、ふっと体が楽になりました。入れ違いに、赤ん坊の元気な産声が響きます。
「男の赤ん坊じゃ!元気な赤ん坊じゃ!」
カミナリ様がそう教えてくれる声を聞きながら、ふじのとしての記憶はそこで終わります。
「ものごころ付いた頃から、何度も繰り返し見るんです」
グラシーナさんは苦しげでした。
「小さな頃は、それが普通だと思っていたんです。他の世界の経験を、みんな記憶として持っているんだと」
リュングが驚いたようにグラシーナさんの顔を見ました。
「そう、私が家族や友達にそう言った時にも、みんな驚いていたわ」
リュングがバツが悪そうに縮こまりました。
「いいの。今ならわたしの方が普通じゃないんだってわかっているから」
でも、子どもの頃は傷ついたでしょう。
リュングはなんとか言葉にしようと思いましたが、その前にラキ様が声をかけました。
「では、そなたは、ふじの なのか?」
食い入るようにグラシーナさんのことを見ています。
グラシーナさんはゆっくりと首を振りました。
「いいえ。わたしはグラシーナです」
ラウザーはホッとして、思わず尻尾を手放しました。パタン、と音がして尻尾が床に落ちましたが、誰も、リュングさえもそれには気付きませんでした。
「ふじのという女の人の記憶は今でも時々夢で見ます。でも、それはまるで本で読んだ知識のようにわたしの中にあるだけで、<わたし>では無いのです」
グラシーナさんの言葉を、ラキ様はゆっくりとかみしめているようでした。グラシーナさんは、ラキ様をあらためてみつめると、深々とお辞儀をしました。
「<ふじの>を助けてくださって、ありがとうございました」
グラシーナさんの表情はとてもすっきりとしていて、話し始めた時のような苦しげな様子は全く見当たりませんでした。
「夢の中で、最後を迎える時、ふじのはとても満ち足りた気持ちでいるんです。カミナリ様への感謝と、産まれてきた子どもへの愛情と」
グラシーナさんは静かにラキ様を見つめました。ラキ様はゆっくりと目を閉じて、そして再び開くとニッコリと微笑みました。
「なれば、我も幸せじゃ。ふじのは幸せに逝けたのじゃな。それが聞けただけで、良い」
周りで二人の話を聞いていたリュングもラウザーも、ブランも、ホッと息を吐き出しました。と、気付くと部屋の入口に縦に顔が並んで覗き込んでいます。ドンちゃんと食いしん坊さん、黒ドラちゃん、そして一番上にはテルーコさんが。
「あ、えっと、お話終わったかな~?と思って……」
黒ドラちゃんがおずおずと言うと、ブランが優しく「黒ちゃん達だけにしてごめんよ。気になる品物はあったかい?」と聞いてくれました。
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