第2回 鶴の恩返し
大陸の遙か東に、小さな島国があった。
人はみな小さく。男は髪を犬の尾の様に、女は銀杏の様に結っている。
街は総じて綺麗で、汚物が街道に捨てられていることもなく、水は澄み、食は魚や草が中心。肉はあまり食さないらしい。
地元の暦を引用すると、江戸。とある農村の出来事である。
雪解け間近のとある農村の片隅で、三人の家族が暮らしていた。
男の名はイチ。両親と共に農閑期の副業である養蚕と機織を手伝っていた。
そろそろ畑の手入れでも思い、ある日、田の様子を見に出かけた。すると、冬の間に仕掛けておいた、狩用の罠に、一羽の鶴が掛かっていた。イチは罠を外し、鶴を逃がしてやった。
それからしばらくたったある日。寒の戻りで小雪舞う日暮れ時、家の戸をトントンと弱く叩く者がいた。
男が戸を開けると、そこには背が高く、細く白い若い女が立っていた。
「実は隣国へ嫁入りする途中だったのですが、あいにく足を怪我していて、思うように歩みが進まず、このような刻限になってしまいました。よろしければ今夜、一晩。軒を貸していただけませんでしょうか」
「それは気の毒に。是非もない。どうぞ中へ入りなさい」
イチは女を招き入れ、夕餉を馳走し、空き部屋に布団を敷いて女をもてなした。
翌朝、女が家族に手をついて懇願する。
「実は、今回の縁談。わたくしは乗り気でありません。相手側が一方的に、あたしを嫁に娶りたいと言い、親同士の間で、一方的に決まったことなのです。お願いがございます。どうかわたしを、ここにいさせてくださいませんでしょうか。もちろん、働きます」
家族は困惑した。
イチは言う。
「おいてやりたいのはやまやまだが、家は見てのとおり貧乏農家。満足な食事も出せん」
「それでは、機織機を貸していただけませんか」
「働くというのかい。それはかまわないが」
イチは女を機織機のある部屋へ案内した。
「では、反物を織らせていただきます。できればひとりで作業したく存じます。仕事の間、部屋は覗かぬようおねがいします」
「わかった」
イチが部屋を出ると、さっそく、機織機の音が聞こえてきた。
夕方になって、部屋から女が出てきた。
手には、一反の生地が。
綿にもかかわらず、絹のように、きらびやかな輝きのあるそれは見事な物だった。
「これはすごい! きっと高く売れるだろう」
「それでは、わたくしを置いてくださいますか?」
「もちろんだとも」
「ありがとうございます」
「そういえばまだ、名前を訊いていなかったね」
「ツル。と申します」
「ツルさん、どうぞよろしくお願いします」
こうして、ツルはイチの家に住むこととなった。
ツルの織る反物は、高値で売れ、食事の内容も良くなっていった。
しかし、日がたつにつれ、ツルはやせ細っていくばかり。そこでイチは、精のつくものをと、鯉や泥鰌など買ってきて、ツルに食べさせた。ツルはその恩に報いようと、さらに美しい反物を織るようになる。
とうとう、絹地に鶴の羽が七色に輝いて舞う反物を織って見せた。その反物は見る角度によって、青や黄や赤に輝く、真に美しいものだった。
売りに行った呉服屋も、目を丸くして驚いた。
「いったいどうやってこんな反物を織ったんだい」
「実は最近、腕の立つ職人を迎え入れたんだ」
「そいつはどういう奴だい」
「素性は知らないが、細面の若い女さ」
「お前の女かい」
「馬鹿言え。そんなんじゃねぇ」
「それにしても見事な仕事だ。いったいどういう技なんだ?」
「さあ」
「さあだって? おめぇ、織ってるところを見てねーのか」
「織ってるところは見るなと言われてる」
「おめー馬鹿か。職人が仕事を見せねぇって、そりゃ絶対、訳ありだ」
「訳あり?」
「たとえば、他の職人の腕を盗んだとか、反物自体盗ってきたとか」
「そんな馬鹿な」
「一度、確かめる必要があるな」
家に帰り、ツルに呉服屋の話をした。
「ツル。一度でいいから、織っているところを見せてくれないか」
「それだけは…。それだけはご勘弁ください」
「それじゃあ、これだけは約束してくれ。決して、盗んだものじゃあないんだな?」
「はい」
「わかった」
翌日。呉服屋の旦那が若い衆を連れてやって来た。
「腕利きって職人の、仕事っぷりを見に来たぜ」
家の奥から機織機の音が聞こえる。
「ちょっと、上がらせてもらうぜ」
「待ってください。旦那。困ります」
「おい」
「へい」
若い衆がイチと家族を押し止める。
機織部屋の戸を開けると、そこにはなんと、一羽の鶴が機織機を動かしてた。
「な、なんだこりゃ」
唖然とする一同。
「ば、化け物だ」
「ひえぇ」
呉服屋たちは、腰を抜かしながら家から飛び出して行った。
イチは恐る恐る鶴に近づく。鶴は自らの羽を糸に編み込んで、柄を作っていた。
「お、おまえは、ツルなのか?」
鶴は、ツルの姿に変貌する。
「やっぱり。どうしてこんなことを」
「あたしは、春先、あなたに助けられた鶴でございます」
「あの時、罠にかかっていた」
「そのご恩を返しとうございました」
「身を削ってまで…。ツルよ、もう十分だ。恩は返してもらった」
「お世話になりました」
ツルは、鶴の姿に戻って空へ飛び立った。家の周りを、名残惜しそうに旋回した後、山の方へ飛び去って行った。
ツルが織った反物は、極上品として、藩主の元に届いていた。その出来の良さに、藩主はさらに買い取りたいと、件の呉服屋に命じたが、断りの申し入れがあった。理由を問うても、できませんの言ばかり。腹を立てた藩主は、直轄の部下を呉服屋に向かわせた。
「恐れながら申し上げます。あの反物は化物の作ったものにございます」
化物があのような反物を作れるものかと、直接、イチの元にやってきた。
「あの反物は、化物が作ったというが、真か?」
「はい」
「化物が作ったものを殿に献上したこの責任、どうしてくれる!」
「私が、腹を切りましょう」
こうしてイチは、藩主の部下に囚われた。
藩主御前で、イチの切腹が執り行われようとしていた。
イチが短刀を腹にあてがったとき、空から一羽の鶴が舞い降り、短刀を振り払ってイチに抱きついた。
鶴は、若い女ツルへと姿を変える。
「お待ちください! お殿様に申し上げます。わたくしが作った反物が、厄や呪いをもたらしましたでしょうか」
「確かに、そのようなことは起きておらん」
「ならばせめて、不幸が起こらない事が証明されるまで、機織をさせてください。なにかあったときは、その時こそ、わたくしを処罰してください」
「確かに、鶴は長寿の鳥として、帝にも献上する。それに、我が妻も気に入っておる」
「ならば、是非に」
「城内に、そなたらの屋敷を建てよう。禄も与える。そこで生活しながら反物を織るがいい」
「寛大なる処置。誠にありがとうございます」
イチとツルは、城内の屋敷で生活をしながら、反物を織り続けた。
ツルは、自らの羽の代わりに、色鮮やかな虫の羽や、草花、顔料を織り込んで、素晴らしい反物を織り続けた。
その着物を着た者は、とても長生きをしたという。
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