Ⅰ-6 想念
ツェリスカは扉をノックした。
既に日は沈み真夜中だ。
「誰だ?」
中からガーランドの声がする。
「私です」
「ツェリスカか、入れ」
扉を開き、中へ入る。
「陛下、お話が」
「お前が訪れるなど珍しいな。二人だけで話す、お前達は下がれ」
ガーランドは従者と
ツェリスカもそれに倣い、
「で、話とは?」
「ガーランド、もっとヘンリーとの時間を増やせないのですか?」
ツェリスカのその言葉に、ガーランドは軽く溜息を吐きながら蒸留酒を口にした。
「お前も婆やと同じ事を言うのか」
「年々、ヘンリーと過ごす時間が減っています。このままではあの子が不憫です」
「仕方あるまい、政務なのだ」
「政務政務と、いつもそう……。あの子は貴方の子なのですよ?」
ガーランドは黙っていた。
「ガーランド……」
「分かっておる……。しかし、ヘンリーはお前に似て賢い。理解しているだろう」
「理解していても、納得している訳ではないのですよ?……、南部戦線へ視察へ向かわれるそうですね」
「あぁ、前線の士気が下がっておるからな」
「何でしたら、ヘンリーも連れて……」
「ならん」
ツェリスカの言葉を遮るように、ガーランドはキッパリと言い放った。
「お前も聞いているだろう、私を暗殺しようとしている者がいる事を」
「ええ、勿論。ガーランドの命を狙うとあらば、ヘンリーの命も狙うでしょう」
「分かっておるのなら、何故そんな事を……」
「王国の中で最も安全なのは国王の近くではありませんか?」
ツェリスカの言う事も一理ある。
国王は常に国王近衛隊に守られている。
その壁には蟻の通る隙間もなく、万が一にも暗殺など出来ない筈なのだ。
「勘違いをするな、ツェリスカ。確かに、国王近衛隊は命に代えても私を必ず守る。しかし、それが分かっている上で、暗殺計画の噂が流れているのだ。つまり、国王近衛隊を躱す自信があるという事だ」
だとすれば、ガーランドの近くは安全ではないという事になる。
「ヘンリーは留守番、お前もだ。王宮内は私の近くよりも安全な筈。噂される暗殺は私に対するものであって、お前やヘンリーは対象となっていないと考えられる」
自分で口にして、やはり変だと思うガーランドだった。
自分を殺しても、王位はヘンリーに移るだけだ。
暗殺首謀者には何の利益があるのか。
「……、縁起の悪い話をしても?」
ツェリスカは一層真剣な声色になった。
「構わん」
「ガーランドが暗殺されたとして、王位はヘンリーが継ぎます。しかし、ヘンリーが15歳になるまでは摂政を立てる事になるでしょう」
「……、つまり、首謀者は摂政になる可能性がある者……、アブトマット、ウィンチェスター辺りという事か」
「カルカノ氏も捨てきれませんよ。今以上の権力拡大を狙っているのであれば、更に玉座へ近付きたい筈」
ツェリスカの言う事は正しい。
今、ガーランドが死んで、ヘンリーが成人するまでは約6年ある。その間に王国の政治システムを作り変えてしまえば、ヘンリーが成人した後も権力を振るう事が出来る。
国王を完全な傀儡とする、これが首謀者の真の目的なではないかとツェリスカは考えているのだ。
「ヘンリーは私が守ります。しかしガーランド、貴方は大丈夫なの?」
「国王近衛隊も王国軍もいる、心配は要らん」
「アブトマットを信用なさるのは危険だと言っているのです。彼の配下を使って探りを入れているのでしょう?彼が首謀者であった場合、情報が上がって来ないのも頷けるのでは?」
「それはそうだが、しかしそうは考えづらい……。幼い頃から共に育ったのだぞ?」
「だから余計にです」
ガーランドは溜息を吐く。
「もう分かった……。私は休む、お前も休め」
「ガーランド!」
「話は明日だ、時間はまだある」
「……」
ツェリスカは不機嫌そうな顔つきで部屋を出て行った。
「そういうお前も首謀者の可能性があるではないか……」
ガーランドは呟く。
そう、ツェリスカが首謀者でない確証もまた存在しないのだ。
ヘンリーの摂政として、太后となったツェリスカが実権を握る可能性もある。
自らの妻を疑うのはどうかと思われるかもしれないが、それも致し方ない。
ガーランドとツェリスカの間に、夫婦としての情などは一切存在しないからだ。
元々、ガーランドが第一王妃として娶る予定だったのは別の女性で、その女性が不慮の事故で亡くなった為に、ツェリスカと結婚したという経緯がある。
二人の間には初めから愛などなかったのだ。
ツェリスカは、バーテルバーグ家の古くからの仕える筆頭家臣の一つ、ファイファー家の出身。
生粋の武家で優秀な騎士を何人も輩出し、王家を支えてきた。
しかし、国王となる事が約束された者が配下の者と結婚するのは異例。
むしろ、他国の有力王家の娘を娶る事が通例であり、元々ガーランドと結婚する予定だった女性も隣国の王家の娘で、幼い頃からの許嫁であった訳だが、その国とは決していいとは言えない関係ではなかった。
だからこその婚姻だったのが、その国の内乱で王家にも犠牲者が出たのだ。
彼女はその一人だった。
許嫁として大人達の思惑で出会わされた二人だが、二人は深く愛し合っており、彼女をなくしたガーランドは数年荒んだ生活を送ったのは王国でも有名な話。
そして、ガーランドは未だに彼女を愛していた。
それはツェリスカも気が付いている。
二人は未だに夫婦になる事が出来ていないと言える。
ツェリスカを恨んだ事はないが、妻として重んじた事もまたなかった。
それに対して、ツェリスカはガーランドを恨んだ事もある。
むしろ恨まない筈がない。
しかし、時が経つにつれてそんな感情すらなくなっている。
今は互いに干渉し過ぎない程度の付き合いで、ガーランドは政務に、ツェリスカはヘンリーに没頭している状態。
事実上の仮面夫婦と言えるだろう。
そんな関係上、ガーランドはツェリスカすら疑っているのだ。
ヘンリーが成人するまでの間、自分が実権を握り、成人した後も母親という立場を利用してヘンリーを操る事が出来る。
首謀者としての動機は十分にある。
ツェリスカの権力欲をガーランドは知っている。
ガーランドが玉座についてしばらく、ツェリスカはあれやこれやと意見してきていた。
少しでも自分の家系に有利になるようにだ。
それが見え透いていたため、ガーランドはツェリスカを無視し続けた。
ツェリスカが口出しをしなくなったのは、ヘンリーを身籠ってからだ。
何故、ツェリスカが口出しをしなくなったのか、それは火を見るよりも明らかだった。
誰も信じられない。
ガーランドは巨大な王宮の中で、事実上孤立無援なのだった。
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