Ⅰ-5 孺子

「では、初めから。現在、王国には名家と呼ばれる貴族が複数存在します。その中で最も貴いされる9つ、全てお答えください」


 婆やがヘンリーに質問する。

 日も高くなってきた昼前、座学の時間である。

 9歳になったヘンリーはガーランドの長子である為、王位継承権一位。

 国王になる事を約束されている。

 その為、国王としての教育が不可欠になる。

 特に権力を持つ貴族に関しては、その系譜、婚姻関係、バーテルバーグ家との力関係など事細かに記憶しておけねばならない。

 でなければ、子細な事ですらその家系は勿論、その貴族が抱える配下達の反感を買う可能性があるからだ。

 とは言ってもヘンリーはまだ9歳、遊びたい盛りである。

 既に朝からの座学で集中力は切れ、今にも外へ飛び出すようにソワソワしていた。


「バーテルバーグ家、シグ家、フローコード家、ガイルース家、ユマーラ家、ルーインバンク家、ファイノー族、ドカンジ族、ジョルーン族」

「正解です。ではその内、最古三家は?」

「バーテルバーグ、シグ、フローコード」

「最古三家とは?」

「王国建国の際に最も尽力した三つの貴族。『フォン』を冠する三家」

「まぁいいでしょう。王国の建国時に中心となった貴族であり、現在も残っている王国で最も歴史のある家系です。ヘンリー様はバーテルバーグ家の次期当主であり、次期国王なのですよ」

「分かってるよぉ」

「では、最古三家、各貴族の紋章と標語、与えられた城をお答えください」

「はぁ……」


 ヘンリーは深々と溜息を吐いた。


「ヘンリー様」

「バーテルバーグ家、『貴き光たれ』、太陽とユニコーンの紋章、主城は王都スプリングフィールド城、代々の居城は東方のアーモリー城。シグ家、『この剣の折れるまで』、心臓に刺さる剣の紋章、居城は南のゾーン城。フローコード家、『我が沈黙を聞け』、フクロウの紋章、居城は東のオリバー城」

「よろしい。では勲三家とは?」

「ガイルース、ユマーラ、ルーインバンクの三貴族を指す。王国の発展に貢献した貴族。『ヴァン』を冠する三家」

「では、その紋章と標語を」

「ガイルース家、獅子の紋章、『咆哮は猛る』、ユマーラ家、天秤の紋章、『借りを作らず』」

「ユマーラに関してはそちらの方が有名ですが、標語ではありません」

「……、節度、博愛……」

「『忠信、博愛、節度』順番も正しく覚えて下さい」

「『忠信、博愛、節度』……」


 足をブラブラと揺らしながら面倒臭そうに数回口に出す。


「ユマーラの現当主であるラハティ氏は現大蔵大臣です。審議会の一員である方の家系に関しては、一切の間違いなく正しく覚えて下さい」

「……」

「ルーインバンク家は?」

「杖に巻き付く蛇の紋章。標語は……、何だっけ?」

「はぁ……、『全てを御手に捧ぐ』です」

「『全てを御手に捧ぐ』……、神様に全部任せるって事?」

「少し違います。確かに、そのような意味合いも含みますが、人に出来る努力を全てやり尽くし、それを神に見て頂き、神のご意向のままに生きる、という意味です。努力なしには神に祈っても意味がありません」

「ふぁ~ん、全てを御手に捧ぐ、か……」

「捗っているようね」


 ヘンリーは嬉々として声の方向を見た。

 そこにはヘンリーの母であり、この国の第一王妃、ツェリスカ・バーテルバーグが王妃近衛隊クイーンズシールド数人を連れて立っていた。


「母上!」


 椅子から飛び降りたヘンリーはツェリスカに抱き付いた。


「あらあら、お勉強の途中でしょ?」

「王妃様がいらしたのです、勉強など後回しです!」


 その一言に婆やは小さく溜息を吐きながら、広げていた教材の片付けを始めた。


「その様な事では、立派な王にはなれませんよ?手間を掛けますね、婆や」

「ヘンリー様は既に上の空でしたので、どちらにしても同じでありましょう」

「ほら、ヘンリー。婆やを困らせてはいけません」

「ちゃんと勉強してたもん!それより、象棋チャトランガをしましょう!強くなりましたよ!」

「まあ、象棋ばかりやっている訳ではないでしょうね?」

「ちゃんと勉強もしてます!」

「婆や」

「はい、私は昼餉の準備を致します。王妃様もこちらでお食事を?」

「ええ、頂くわ」

「母上!早く行きましょう!」


 ヘンリーはグイグイとツェリスカの手を引いていく。

 向かう先はテラスだ。

 広いテラスは様々な植物が美しく茂り、まるで楽園の様だ。

 そこには1つの東屋ガゼボが立っており、そのテーブルの上に象棋の盤面ボードが設置されている。

 ヘンリーとツェリスカはその盤面を挟んで座り、駒を動かし始めた。


「なんだ、象棋をやっているのか」

「えぇ、お勉強もそっちのけで」


 婆やの隣にガーランドが立っていた。


「ツェリスカに先を越されたか」

「陛下も混ざってきていかがですか?」


 婆やの口調は刺々しかった。

 現状、ヘンリーの勉強は全て婆やが面倒を見ているが、10歳になれば軍事、政治など各項目で専属の家庭教師が付くようになる。

 それまでに基礎知識を一定水準まで学ばせなくてはならないのだ。

 見て分かる通り、ヘンリーは勉強が嫌いだ。

 集中力も長く持たない。

 そのせいで婆やの予定から遅れ気味になっているのだ。


「私に怒りを向けるでない、婆や……」

「このままでは間に合いません」

「たまには良いではないか。それに、ヘンリーはツェリスカに似て象棋の才能がある。象棋は兵法に通じる。良い事だ」

「戦は遊びではありません。あの一つの駒に、何千、何万という命が乗るのです」

「分かっておる」

「陛下がお分かりであろうと、ヘンリー様はまだご理解しておりません」

「手厳しいな、婆やは」


 ガーランドは小さく笑いながら部屋から出る。


「ヘンリー様とお会いにならないのですか?」

「先客がおるからな。後でまた来る」

「ちゃんとヘンリー様とお話下さい。最後にお話されたのは二ヶ月も前ですよ?」

「忙しくてな」


 再び婆やが溜息を吐く。

 ツェリスカは定期的にヘンリーに会いに来ているが、ガーランドはそうではなかった。

 政務で忙しいとはいえ、これは良くない傾向である。

 また、婆やにはガーランドがヘンリーを避けている様に見えていた。

 この様な事が続けば、国王が王子を冷遇している、王子は国王の子供ではないのではないか、などという噂が立ってもおかしくないのだ。


「陛下、何故そのようにヘンリー様を避けるのですか?」

「避けておる訳ではない」

「その様にしか見えません」

「……、私は政務に戻る。ヘンリーの事を頼む」


 ガーランドはそう言い残して去って行った。


「全く……。陛下がそう言えばそうなる、という事を、未だに本当の意味でご理解しておられぬ様だ……」


 婆やの誰に投げかけた訳でもないその言葉は、誰にも聞かれる事なく霧散したのだった。

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