Ⅰ-2 安酒
「陛下、よろしいでしょうか」
アブトマットはガーランドの自室の扉を叩いた。
「大将軍か、入れ」
「アブトマット・フォン・シグ、入ります」
入室したアブトマットは敬礼する。
「2人で話したい、外してくれるか」
「はい」
ガーランドは従者を下げる。
従者が部屋を出た後、扉が閉まるのを確認して、アブトマットが話し始めた。
「南部戦線の慰問に関してですが……」
「俺とお前の仲だ、とりあえず座れ。畏まるな」
「では……」
そう言って、アブトマットはソファに腰掛けて溜息を吐いた。
この2人は元々幼馴染。
歳も近く、幼少のころから共に育った為、誰もいない場所では昔と同じく、砕けた口調で話すのが信頼の印となっている。
「お前はどう考えている?」
「南壁の兵士達を思えば、慰問は必要だと俺も思う。しかし、時機が悪い……」
「暗殺の話か」
「うむ……、カルカノにも探らせてはいるが、全く尻尾が出ない。どうだ、1杯」
ガーランドはアブトマットにグラスを見せる。
既に夜だ、大将軍としての本日分の仕事にもある程度片を付けてきたアブトマットに酒を断る理由もない。
そのまま頷いてグラスを受け取る。
「ただの噂だという線は?」
ガーランドがアブトマットのグラスに蒸留酒を注ぐ。
何の信条かはアブトマットにも分からないが、ガーランドは自室以外では蒸留酒を飲まない。
宮中で出される酒は王国東部で醸造された最上級の
芳醇な香りと、絶妙な味のバランスのその葡萄酒は文句なしに旨いのだが、水の様に際限なく飲める分、有難味がない。
だからなのか分からないが、ガーランドは自分用の蒸留酒を自室に何本か置いている。
高級な蒸留酒ではない、むしろ街でよく見かける高くも安くもない酒に過ぎない。
しかし、そういう一般的な酒を好んで飲んでいるのは、やはり何かしらの意思の様なものがあるのだろう。
幼馴染であるアブトマットにも、それが何なのか分からなかった。
自分のグラスに酒を注ぎ一口飲んだ後、ガーランドが口を開く。
「ここまで広がったのだ、元々がただのデマであったとしても、それを耳にして本気でやろうという輩が出てきてもおかしくないだろうとカルカノが言っておる」
「
アブトマットは溜息を酒で流し込む。
不味くはないが旨くもない酒の筈が、妙に苦い気がした。
「お前の所ではどれだけ掴んでいる?」
既に2杯目を口を付け始めたガーランドが言う。
「ほとんど変わらんよ……」
アブトマットも諜報部隊を持っている。
大将軍直属で、公式には存在しない部隊だ。
とは言っても、カルカノの持つ情報網から比べてれば脆弱。
王国内での活動が限界で、収集できる情報も少ない。
「ガーランド、首謀者がカルカノである可能性も考えた方がいいかもしれん」
「何だと?」
アブトマットの言葉に一瞬顔色を変えたガーランドだが、すぐに冷静な顔に戻る。
この男の恐ろしい所はここだろう。
ある可能性が示されれば、それを瞬時に分析、考察する。
審議会の全員が切れ者もしくは曲者である事は事実だが、この国王こそが真のソレだろう。
「宮中の貴族は誰も信じるな」
アブトマットの言う通りかもしれない。
自分を対象とした暗殺に関する情報を探らせ始めて1ヶ月はゆうに超えている。
ここまで何も出ないとなると、噂の出所がカルカノの所からと言う可能性もある。
誰が敵で、誰が味方なのか。
ガーランドは慎重にそれを見極める必要があるだろう。
それが出来ない限り、南壁への慰問など危険過ぎる。
「しかし、考えようによっては慰問に行く方が安全かもしれんな……」
ガーランドがボソリと呟いた。
「何?」
アブトマットは目が点になった。
「私を暗殺するという噂は、まだ地方には広がっていないのだろ?」
「まぁ、そうだな。私の情報部もこの件に関しては、中央、特に宮中でのみ広がっている節があるという見解だ」
ガーランドは空になったアブトマットのグラスに酒を注ぎながら言う。
「カルカノも同じ事を言っていた。そこは正しい情報なのだろう。これは首謀者が宮中にいるという事ではないか?」
「確かに……。しかしだ、仮にお前の暗殺に成功したとしても、お前の子に王位が移るだけで、正直誰も得をせん」
それを実行して何かしらの利益があるから事件や陰謀が起きる。
暗殺だけではない、政治もそうだ。
ならば、ガーランドが暗殺される事で得をする人物を洗えば自ずと犯人に近付くのがセオリーなのだが、今回に関してはその限りではないのだ。
だからこそ頭を抱えているのだが。
再び酒を飲んで、アブトマットが続ける。
「結局、お前が死んだところで今までと変わらん政治が続くだけ。地方の貴族や役人にとっては尚更関係がない」
「だとしたら、暗殺計画すら意味をなさないではないか。俺を暗殺する事で、世の中の何かを変えようとしているのではないか?」
「変えた所でどうする?魔王軍を食い止めるだけでも、歴代の国王は四苦八苦していたのだぞ?それが、お前が国王になってからどうだ?荒廃した王都が息を吹き返したではないか」
「それは私一人の手柄ではない。お前を始め、審議会の面子のお陰だ」
ガーランドとはこういう男だ。
自らの手柄を誇らず、部下を立てる。
だからこそ審議会はガーランドについて行くのだ。
ある種、彼独自のカリスマ性と言えよう。
「世辞を言っている場合ではないぞ、お前の命が掛かっているのだ」
「分かっている。しかし、宮中のみで蔓延している噂ならば、宮中を出てしまえば暗殺の懸念からも遠ざかるのではないか?」
突拍子もない意見だが、ガーランドのこの発言は全く的を得ていない訳ではない。
首謀者がいるが故に噂が立つ。
ならば噂が蔓延しきっている宮中から、噂が全く広がっていない地方に出れば、首謀者の手中からも逃れることが出来るのではないか。
ガーランドの意図を酌む事は出来るが、アブトマットは職務上安易に頷けないのが現実だ。
「だが、ホイホイと宮中から出られる身分ではないだろう……」
「なぁに、南部戦線の慰問はお前が言った通り重要だ。しばし私が王都を離れれば、お前の部下でもっと深く探れるのではないか?」
「道中で狙われたらどうするつもりだ……」
「そこは、誇り高き我が王国軍が護衛に就いてくれるのだろう?大将軍閣下?」
ガーランドはいたずらっ子の様な笑顔をアブトマットへ向ける。
それを見て深い溜息を吐くアブトマット。
「命に代えても陛下をお守りしますよ、国王陛下」
わざとらしいやり取りに2人が同時に吹き出した。
こうして、国王の南部戦線視察の決行が決まったのであった。
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