Ⅰ 没落の太陽

王宮の闇

Ⅰ-1 流言

 男は溜息を吐きながら、グラスに注いだ蒸留酒を口に運ぶ。

 既に夜中だ。

 しかし、窓から見える街は未だに煌々と明かりが灯り、その活気が見て取れる。

 南に魔王軍との前線を抱えているとは思えない賑わいぶりだ。

 普通であれば、終わりの見えない戦争をしている国が、こんなにも豊かに賑わう筈がない。

 だが、この国は違う。

 魔王との戦争状態は、既に一世紀を超えている。

 一世紀もの間、戦い続けているのである。

 南の前線では、おはようからおやすみまで敵が押し寄せ、それを城壁と弓と槍で凌いでいるのだ。

 優勢ではないが、劣勢でもない。

 そんな状況がここ十年続いている。

 その上で、この国の経済は正常そのものだ、異常と言えるほどに。

 それも全て、この男の手腕である。

 第四五代国王、ガーランド・フォン・バーテルバーグ。

 国内の産業を支え、他国と積極的に交易する事で、南部戦線で軍事費として消えていく物的及び人的資源を経済が強力に下支えする。

 ガーランドの考えた内線戦略のお陰で、王都の人々は自分達の国が魔王と戦争をしている事すら忘れる程に豊かだった。


「これが、有事下でなければな……」


 再び溜息を吐き、空になったグラスを置く。

 それを見て、従者が酒瓶を持って来た。


「いや、もういい。お前ももう休め」


 そう言って、ガーランドは従者から酒瓶を受け取る。


「はい、陛下。しかし、陛下もお休みにならないと……」

「私もすぐに寝る、心配するな」

「はい……」


 従者は心配そうにガーランドを見つめた後、礼をして部屋から出て行った。


「はぁ……」


 自分でグラスに酒を注ぎ、口に運ぶ。


「私はこの国の為に、出来得る限り尽力したつもりだ……」


 ガーランドは乱暴にグラスを置く。

 憤っている。

 国の為、国民の為と思い、身を削って政務に勤しんできた。

 しかし、それは誰にも感謝されないような事だったのか。

 玉座に就いて十年、誰よりも働いていた自分に突き付けられが信じられなかった。

 

 宮中でまことしやかに語られる噂話は、ガーランドへ言い様のない無力感をもたげてくる。

 ガーランドは街を見つめ続けた。



「定刻となりましたので、審議会を始めたいと思います」


 大将軍の任に就いているアブトマット・フォン・シグが言う。

 審議会とは、言わば王国の最高意思決定機関だ。

 出席者は、軍部トップの大将軍、国内の行政と外交を司る丞相、王国の財政を司る大蔵大臣、王国各所の教会に病院を併設し、王国の医療を支えている捌神正教はちしんせいきょうのトップである大僧正、そして国王である。

 丞相は切れ者として知られるウィンチェスター・フォン・フローコード。

 ウィンチェスターは三十代と若輩ながら歴代優秀な文官を輩出しているフローコード家の現当主を務めている。

 また、現大蔵大臣のラハティ・ヴァン・ユマーラは商人上がりで、王国随一の商社・ユマーラ会の元代表取締役だ。

 この二人の功により、王国は今や世界有数の一大交易国家へ成長した。

 そして、大僧正カルカノ・ヴァン・ルーインバンク。

 彼は宗教界、医療界のトップでありながら、世界中の教会を隠れ蓑に諜報活動を行う事で世界一の情報網をも持つ諜報員の元締めだ。

 その情報収集力は異常とも言え、カルカノは世界の何処で何が起きているか、全てを把握していると言われる程である。

 そんな三名と、世界最強と名高い王国軍のトップであるアブトマットを加えた四名が、現国王の側近中の側近、王国を支える王国の柱だ。


「まずは私からよろしいですか」


 アブトマットはそう言って、南部戦線の現状を伝える。


「あまり芳しくありません。兵士達の士気は下がり切っており、疲弊しきっています」

「それはいつもの事であろう。五年前から陛下が導入した休暇制度もある。最近の兵士は、精神的に弱くなっておるのではないか?」


 アブトマットの言葉を鼻で笑いながらラハティが言う。


「南部にどれだけの金をつぎ込んでいると思っておるんだ。儂とウィンチェスターが必死になって稼いだ金を、南部は湯水の様に浪費する」

「しかし、我等が止めなければ魔王軍は人の生活圏を一瞬にして蹂躙するでしょう」

「そんな事は魔王軍の進撃が始まった当初から言われておるが、未だに魔王軍は南壁の向こうだ。陛下、南壁に回している軍事費を減らしましょう。多少減らした所で、魔王軍は壁を超えませんぞ」

「戦場に出た事のないラハティ殿には分からないのです」

「言葉を返すが、そう言うお主もを知らんだろう、大将軍?」


 アブトマットは凄い剣幕でラハティを睨むが、ラハティは馬鹿にした様な顔でアブトマットを見下している。


「まぁまぁ、落ち着いて下さい、お二方」


 間に入ったのはカルカノだった。


「審議会を開く度に喧嘩をされては、進めなくてはならない話も進みませんよ」

「貴方の所にも情報は届いているでしょう、大僧正猊下」

「その通りです、大将軍閣下。ここ一ヶ月程は負傷者が増える傾向にあります。南壁が疲弊しているのは確かです、陛下」

「戦死者の数は?」

「変動ありません。負傷者だけが増えている形です」


 アブトマットはガーランドへ資料を渡しながら答えた。


「陛下、私に一つ提案があるのですが……」


 申し訳なさそうにアブトマットが進言する。


「辞めんか、大将軍!どうせまた金の掛かる事であろう!これ以上南壁に金を吸われては、ただでさえギリギリである王国経済が破綻しかねん!」

「それに関しては、私も同意見です」


 今まで沈黙を貫いていたウィンチェスターが口を開いた。


「大将軍閣下が仰りたいのは、南壁の兵士達を激励する為に、陛下直々に慰問をしろと言うものでしょう?」

「その通り。さすれば、兵士達の士気も上がり、負傷者の数も減るかと……」

「そんな精神論で負傷者が減るのならば、この世に金など生まれんわ」

「陛下もお暇ではないのですよ?南壁に出向く間、王宮は主不在となり、良からぬ事を考える輩が出てくるかもしれません」

「ご自分の事を仰っているのか、丞相?」

「私にはそんな野心も実力も胆力もありませんよ、大将軍閣下」

「辞めんか、お前達」


 流石にガーランドが割って入る。

 仮にも王国の行く末を決める審議会なのだ、もう少し仲良くやって欲しいのが正直なところ。

 まぁ、その筋のトップを務める者達だ、仲良く手に手を取り合ってやれと言う方が無理なのかもしれない。

 しかし、ここまであからさまに牙を剝き合うのも頂けない。

 ガーランドは頭を抱えながらグラスに注がれた葡萄酒ワインを口にする。


「陛下のお耳にも既に入っていると思いますが、陛下のお命を狙う輩がいるのですよ?南壁遊山などしている場合ではありません」


 ウィンチェスターが言っているのは、ガーランドを暗殺する計画があるという噂の話だろう。

 既に中央にいる貴族の間に広まっているのは間違いない。


「ウィンチェスターの言う通りだ。陛下、儂は陛下が玉座にお座りの限りは、王国の為に大蔵大臣を務めますが、それ以外の者にこうべを垂れる気などサラサラありませんぞ?」


 何かと協力する事が多いからだろうか、ウィンチェスターとラハティは割と意見が合うらしい。


「南部戦線への慰問についてはまた考える……。とりあえず、一旦休憩だ……」


 頭に血が上った状態で審議会など進められない。

 ガーランドは溜息を吐きながら、皆を一時解散させた。

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