少年王得友記
橘 泉弥
少年王得友記
父が殺された。逆賊として捕えられたのは母だった。
「何故ですか母上。何故父上を……」
両親は仲が良かった。良いはずだった。祭事には必ず並んで出席していたし、どこへ行くにも一緒だった。忙しいながら家族で過ごす時間も作っており、そんな時はよく笑顔で言葉を交わしていた。二人は心から愛し合っていると思っていたのに。
牢の中で刑の執行を待つ母に問うと、静かな声が返って来た。
「私は陛下を殺すために後宮へ来たのです。お前に語る事は何もありません」
「……父上を想ってはいなかったのですか」
「ええ。私にとってあの人は仇。愛情など欠片もありません」
その言葉が信じられなくて、更に言葉を求める。
「でも……」
「そのように振舞っていたのは、あの人を油断させるため。誤解なさいますな」
「……」
何も言えなかった。
母の処刑の日、零劉は胸に刻んだ。
人は裏切る。誰にも心を許してはならないと。
朝議の議題は、雇用機会の創出に関するものだった。
「今都では正規の雇用が少なく、日雇いの仕事で日々を生活している者も多いそうです」
「安定した職に就いている者とそれ以外で、大きな格差があります。経済の発展のためにも、この状況は改善すべきです」
尚書たちは各部署からの提案を上奏する。零劉はそれらに耳を傾けながら必死に頭を動かしていた。何か良い案はないか、学んだ知識や先人の教えを引っ張り出す。
「……以上、戸部ではこのような解決策の案が出ましたので、ご報告いたします」
「分かった」
そう言って零劉は考えこんだ。重役たちの見守る中、しばらくして口を開く。
「利叡川に橋をかけて欲しいという要望があっただろう。あれをやろう」
それは今尚書たちが出したどの解決策とも違ったが、誰も文句を言わない。もう慣れたものだ。
「いくつかの工務店と協力して、橋を架ける。その店には助成金を出して、雇用を増大させよう」
誰からも反論はない。言っても無駄だと全員が分かっているからだ。
「詳しい事は工部に任せる。頼んだぞ」
こうして今日の朝議は終わった。
国王が退出した後、尚書たちは揃って溜息をついた。
「今日も無駄であったか」
「全く、どうすれば良いのか」
いくら良い案をもってきても、国王は耳を貸さない。一人で解決策を考え、それを押し通してしまう。
「陛下のお考えがまともだから良いものの、このままでは独裁になってしまう」
「まだ御年十二でいらっしゃるのに。少し心配だな」
忘れ物を取りに戻った零劉は、最後だけ聞いた。
(臣下に心配をかけてはならない。もっと頑張らなければ)
今でも精一杯やっているつもりだが、まだ足りないのだろう。もっと政について学び、良い国王にならなければと拳を握った。
公務を終えて後宮に戻ると、いつも通り乳母に教科書を持って来るよう命じた。
「しかし陛下、少しお休みになられた方が……」
「うるさい」
零劉は乳母の言葉を一蹴する。
「そんな暇は無い。早く教科書を」
「……はい」
乳母は下女に命じて教科書一式を持ってこさせた。
零劉はすぐにそれを開く。もっと勉強して、尚書たちに認められなければと思っていた。
陽が傾いた頃、乳母がそっと零劉に声を掛ける。
「陛下、そろそろ一度お休みください」
「まだ勉強が終わっておらぬ」
「しかし、少し休憩を挟まれた方が、効率も上がるというものでは?」
「……そうだな」
乳母の言う事ももっともだと、零劉は二刻ぶりに腰を上げた。しかし、彼はそこで立ち尽くす。何をすれば良いのか分からなかった。
乳母は茶と菓子を持って来た。
「庭の菖蒲が満開でございます。ご覧になってはいかがでしょう」
「ああ、そうする」
零劉は縁側へ行って腰を下ろし、乳母から緑茶を受け取る。一口飲み、傍に座る乳母に声を掛けた。
「凛香、どうすれば尚書たちに認められるだろう?」
三十代の乳母は少し考えた後、ゆっくりとかぶりを振った。
「私はただの乳母ですから、政治の事は分かりかねますわ」
「そうか……」
「ええ」
肩を落とす主人に、凛香は穏やかに言葉を続ける。
「私に分かるのは、陛下が懸命に努力なさっているという事だけです。もう少し、楽になさっても良いのでは?」
「それは駄目だ」
零劉は強い口調で言う。
「余は未熟だ。早く立派な国王にならねば」
「左様でございますか……」
鹿威しの音が、閑静な庭に響く。菖蒲は政の問題など無視するように咲き誇り、橙の陽が降る五月の夕方を謳歌していた。
二人がそれを見ていると、突然奥の茂みが揺れた。
零劉は湯呑を置いて身構え、凛香は帯に隠した武器に手を掛ける。庭の空気は張りつめ、今にも割れそうだった。
茂みの揺れが大きくなる。庭の空気はさらに張る。
飛び出してきたのは、一人の少年だった。歳は零劉と同じくらいだろうか。髪はぼさぼさで靴も履いておらず、薄汚れた木綿の服には泥が付いていた。
「曲者だ!」
凛香が叫ぶ。すぐに近衛が飛んで来て、逃げようとする少年を捕らえた。
「お前、なぜ城に入り込んだ?」
零劉の前で、将軍が少年の尋問を始める。
「目的を言え」
縄で縛られ刀を突きつけられているというのに、少年は怖気づかない。
「目的なんかねぇよ。親方から逃げてたら、迷い込んだだけだ」
飄々と、しかし力強く質問に答える。
「嘘を申すでない。悪さを働く気だったのだろう」
そう言われ、少年はぎっと将軍を睨んだ。
「お前ら、暇だからって俺を悪人にしたいんだろ。ご苦労なこった」
「こいつ!」
近衛の怒りをよそに、零劉は少年をまじまじと見る。官吏でも劉家でもない者が城に来るのは珍しい事であったし、一般人と思われる子どもが国王の前に現れるなど、めったに無い事だ。
少年はどうやら労働者のようであるし、上手く話を聞ければ、今朝の議題のより良い解決策が見つかるかもしれない。
「少し、その者と話がしたい」
零劉は近衛に声をかける。将軍は拝礼して数歩下がり、少年は尖った眼差しを国王に向けた。
「先刻、お前は『親方から逃げてきた』と申していたな」
「だから何だってんだ」
その返しに、場がざわつく。
「陛下に向かって何て口を!」
近衛があからさまに慍色を示す。
「まあ良い」
零劉はそれをたしなめ、身を乗り出した。詳しい話が聞けるなら、少々不敬でも構わないと思った。
「そなた『親方』の元で働いているのか?」
「悪いかよ」
「給与は如何程だ?」
「答える義理はないね」
ふむ、と零劉は考える。この少年は自分の事を良く思ってはいないようだ。すぐに話を聞きだすのは難しいかもしれない。
「その者を中へ。隅々まで洗い、清潔な服を着せてやれ」
「陛下!」
将軍が驚いて声を上げる。
「恐れながら、此奴は城に忍び込んできた怪しい人間ですぞ。間者かもしれませぬ」
「良いではありませんか」
凛香がその言葉を遮った。
「陛下がこう仰っているのです。早くその子どもを連れてきなさい」
将軍は訝し気に零劉を見る。
「頼んだぞ」
王がそう言うと、将軍は拝礼し少年を連れて下がっていった。
半刻の後、零劉の前に少年がつれてこられた。身綺麗にして絹の着物を纏っても、その鋭い眼光は変わらない。胡坐をかき、暗い光を宿した双眼で零劉を睨んでいた。
「余はそなたの話が聞きたい。そなた、その齢でどのような仕事をしている?」
少年は、零劉の問いに答えず嘲笑する。
「国王ってのは礼儀も知らねぇのか? 初対面の人間と話すなら、まずは自己紹介だろうがよ」
零劉ははっとして居住まいを正した。
「そうであったな。余は零劉、この国の王である。そなた、名は何と申す?」
「燕侑だ。肩書は何もねえ」
「そうか。宜しく頼むぞ」
「おう」
少年の気分を害さぬよう、零劉は気を付けて話を切り出す。
「そなたの職業について教えて欲しい。今は何の仕事をしている?」
燕侑は、態度こそ変えないものの先刻よりは穏やかな眼で、質問に応じた。
「親方の所で土方だよ。今は庄屋の家建ててんだ。さっきあんたが気にしてた給与は一日百文、季節不問。これで満足か?」
「ふむ、参考になる」
零劉が考え込んでいると、燕侑がずいと身を乗り出した。
「お前、変な話し方するな」
「変? 余は国王らしい話し方を心掛けているだけだ」
零劉はむっとするが、少年の方は片頬笑む。
「お前、おもしれぇな。友達になってやる」
「友達……?」
知ってはいるがよく理解できない単語だ。零劉は困惑して乳母を見るが、凛香はただ優しく微笑むだけだった。
「俺、明日もここに来てやるよ。仕事が終わったら遊ぼうぜ」
「しかし……」
「な、決まり。じゃあまた明日」
燕侑はそう言って軽く手を挙げ、駆け足で行ってしまう。部屋に残された零劉は、しばしの間呆けていた。
「……まあ、もう少し話が聞けるのなら、好都合かもしれぬな」
そう自分を納得させ、日課の勉強に戻るのだった。
翌日、宣言通り少年は来た。守衛に捕まって。
「よう零劉、遊びに来てやったぜ」
縄で縛られ今度は槍を突き付けられ、燕侑は不敵に笑っている。
「放してやれ。余の客人だ」
零劉が言うと、守衛は訝しがりながらも燕侑を解放した。
「さて、何して遊ぶ?」
燕侑は部屋に入り込み、零劉に話しかける。
「土木仕事の話が聞きたい。詳しく話せ」
「詳しくって?」
「雇用はあるか? 今はどんな仕事が多い? 国の制度をどの程度知っている?」
零劉の質問に、燕侑は丁寧に答えていく。しかし、すぐに飽きたようだった。
「ただ話しててもつまんねえよ。遊ぼうぜ」
そう言われて零劉は困る。
「遊びなど、将棋か囲碁しか知らぬ」
「しょーぎ? しょーぎって何だ?」
凛香に将棋盤を持ってこさせ、零劉は遊び方を教える。
「将棋の駒は八種類ある。これが歩で……」
一通り説明するが、燕侑はよく分かっていない様子だ。
「まあ、勝負しながら学べばよい」
そして一局打ってみるが、勝ったのはもちろん零劉だ。
「ふーん、難しい遊びだな」
燕侑は悔しがる様子も無く感心する。
「俺、明日も来てやるからさ。また勝負しろよな」
そう言って手を振り、燕侑は帰って行った。
「全く、せわしない奴だな」
零劉は一つ息をつき、燕侑に聞いた話を紙にまとめ始めるのだった。
翌日も翌々日も燕侑はやって来た。将棋も少しずつ上手くなり、対局も長くなってくる。零劉とも打ち解け、街の話以外の会話も多くなった。
「お前さ、大人になったら何になりたい?」
「余は王だ。大人になっても変わらぬ」
「ふうん。国王ってぇのは大変なんだな」
燕侑は適当に返事をして、自分の夢を語り始める。
「俺はさ、いつか親方より偉くなって、でっけぇ屋敷を建ててやる。で、そこに母ちゃんと住むんだ。すげぇ夢だろ」
「そうだな」
零劉は、次の一手を考えながら相槌を打つ。将来を自分で決められる燕侑の立場が、少し羨ましい気がした。
「俺は格好よく生きてぇんだよ。何かあっても言い訳なんかしねぇ。男ならそうやって生きろって、死んだ父ちゃんが言ってた」
「王手」
「あっ」
毎日を繰り返している内に季節は巡る。油蝉が鳴き始め夏も本番になる頃には、零劉は燕侑の来る毎日にすっかり慣れていた。
「お前さ、街に遊びに行ったりしねぇの?」
ある夕方、燕侑が言った。
「ずっと城に籠ってんじゃん。たまには出掛けようぜ」
「しかし……」
零劉が城内ですべき仕事は多い。早く官吏達に認められるよう、勉学にも励まねばならない。久方振りに街へ行ってみたい気もするが、外をふらつく時間など、無駄な気がした。
「良いではありませんか」
主人の迷いを察したのか、凛香が口を挟む。
「実際に民の暮らしをご覧になるのも、勉強になるでしょう」
そうかもしれない。零劉は考えを改める。百聞は一見に如かずというし、自分の治める街や人々を実際に目で見るのも大切だろう。
「分かった。街へ行こう」
「そうこなくちゃ」
燕侑が笑うので、零劉もつられて嬉しくなるのだった。
翌日、公務が終わった零劉は、お忍びで街に出る準備をした。
「あれ、御付きは凛香さんだけでいいのか? 最近、反王政派が動きだしてるって噂だぜ」
「凛香は国一番の暗器遣いだ。心配ない」
そして零劉は、数年ぶりに街へ出た。
城下の街は今日も活気に溢れていた。商店街では客を呼ぶ声が重なり、人の行き交う中を棒手振が歩いている。季節の所為もあってか、やかましい程だった。
しかし零劉がふと路地裏に目をやると、地べたに茣蓙を敷きうずくまる男がいた。
国の恩恵は国民全員には行き渡っていない。貧民層にどう手を差し伸べるか。課題は多い。
顔を曇らせる零劉の腕を、燕侑が引っ張る。
「今日は遊びに来たんだぜ、仕事なんて忘れろよ」
「そうだな……」
そうは言いつつ、考えずにはいられない。
零劉の顔が晴れないのを見て、燕侑はまたその腕を引っ張った。
「ほら、団子でも食おうぜ。凛香さん、金あるか?」
「少しならございますよ」
三人は傍にあった甘味処に入る。そこで団子を三本買うと、店の外に置かれていた長椅子に座った。
「いっただっきまーす」
燕侑はすぐ団子に噛り付いた。
「お前も喰えよ。美味いぞ」
「うむ……」
零劉は気乗りしなかったが、空腹気味だったので団子を口に運んだ。
「……美味い」
下町の安い団子が、こんなに美味だとは思わなかった。
「だろー? 団子ってぇのは美味いもんなんだよ」
のんびり団子を食べながら、大通りの活気を感じる。熱気と声と太陽と。甘味処の軒に吊るされた風鈴だけが、涼しかった。
「お、何か始まるみてぇだ」
目の前の大通りに人が集まるのを見て、燕侑が言った。
「大道芸だな。こりゃついてるぜ」
少年の笑顔につられ、零劉も人混みに目をやる。人々の隙間から、何とか派手な着物に鉢巻をした狐面が見えた。
「始まるぞ」
笛の音が聞こえる。狐面は両手を大きく広げ、声を張った。
「さあ皆様御立合い! これからお見せ致しますのは、世にも不思議な奇術でござい。空飛ぶ猫に消える犬、踊る人形もございます」
そんな奇術などある訳がないと思いつつ、零劉はついつい見入ってしまう。
そして狐面の言った事は本当だった。猫が空を歩き、今いた犬はぱっと消える。藁人形は踊り出し、紙の虎は火を吐いた。
この半刻の大道芸を、零劉は時間を忘れて見ていた。
最後の挨拶を終え、狐面は宙返りして姿を消した。残されたのは青い狐火。観衆が投げた銭は、その中へと消えるのだった。
「すごい!」
零劉は目を輝かせる。
「すごいぞ燕侑! あれは一体どうなっているのだ?」
隣を見ると、燕侑は笑顔を見せた。
「笑ったな」
「何だ?」
返答の意味が分からず聞き返す。
「お前が俺といて笑ったの、初めてだぜ」
「そうか……」
思えば零劉本人にも、最近笑った記憶が無い。仕事や勉学に追われ、何かを楽しむ余裕を忘れていた。しかし、今こうして笑っているのが良い事なのかどうか、零劉には分からない。少々複雑な思いを抱えて、凛香と城に帰るのだった。
いつの間にか零劉は、夕方燕侑に会うのを楽しみに、公務に励むようになっていた。それも順調で大きな問題は無く、おおむね平穏な日々を過ごしている。
今日の昼から始まった会議も、議題は今年の農作物の収穫高予測の報告という平和なものだ。
「……以上が、伊尤地方の米の収穫高予測でございます。この内一割二分を、非常用に備蓄させる予定で……」
「多くはないか? 一割で十分であろう」
「恐れながら陛下、この地域では出生率が大幅に増加しております。先の為にも、二分は必要かと」
「ふむ、成程な……良かろう。民の暮らしを圧迫せぬ程度にな」
官吏達の間に騒めきが起きた。あの何でも一人で決めてしまう陛下が、官吏の話を聞き、採用したのだ。尚書たちにとって、これは衝撃だった。
その日の仕事を終えて自室に戻ると、いつも通り凛香が待っていた。しかし、いつもより顔が優しい。
「何やら嬉しそうだな」
声をかけると、凛香は上品に微笑んだ。
「最近、陛下が明るいご様子なので、嬉しいだけですわ」
「明るい……?」
自覚の無かった零劉は、少し眉をひそめる。
「それは良い事なのか? 不真面目ではないのか?」
「勿論良い事ですわ。お身体だけが健康でも真の健康とは言えませんもの」
「そうか」
なら良かった。零劉は安堵し、おやつの葛饅頭に手を伸ばすのだった。
「やっほー零劉。遊びに来てやったぞー」
暮七つ頃になると燕侑が遊びに来る。それから陽が沈むまで二人で遊び、夕餉を食べて就寝準備にかかる。
今日も一日充実していたし楽しかった。明日はどんな日になるのだろう。わくわくしながら布団に入る。灰色で窮屈だった日々が、今は鮮やかに踊っていた。
布団に入ってどれくらい経っただろう。零劉が眠りに落ちかけた時、微かな物音がした。意識を覚醒させ、目だけ動かして様子をうかがう。
天井板が外れ人が降ってきた。そいつは音も無く着地し、そっと零劉に忍び寄ってきた。その右手の短刀が、月光を反射して光る。
零劉は跳び起きて刺客と対峙する。彼が起きていた事に慌てたのか、刺客は零劉に跳びかかってきた。斬撃を避け、零劉は刺客に背を向けぬよう注意しながら襖を蹴破る。
隣の部屋で控えていた近衛が、すぐさま刺客を取り押さえた。
そして城は大騒ぎになる。零劉は怪我をしていないか医務官に隅々まで調べられ、詳しい話をと問い詰められる。城中の武官を集めて厳重警戒態勢が敷かれ、空気が張り詰める。
昨日までの平和が嘘のように、城は朝を迎えるのだった。
事件の翌日から、燕侑が遊びに来なくなった。警戒態勢の中城に入れないのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「凛香、余は何かしたのだろうか」
「私にも心当たりは無いのですが……」
仕事が忙しいのだろうか。病気になったりしていないか。何事も無ければ良いのだが。零劉は友を案じながら退屈な日々を過ごした。
結局二人が再会したのは、風に秋を感じる朝方だった。
「……どういう事だ……?」
久し振りに会った燕侑は、縄で縛られ刀を突きつけられていた。
刺客を城に手引きした犯人として。
「どういう事だと訊いている!」
零劉は混乱する頭で声を張る。信じられなかった。燕侑が自分を裏切ったなどと、信じたくなかった。
「陛下、この者は刺客を城内に招き入れ、陛下を殺そうとした逆賊でございます。即刻、死刑に処すべきかと」
「黙れ!」
ここまで逆上したのは初めてだった。怒りなのか悲しみなのか、熱く激しい感情が身体と頭を支配する。
零劉は逃げた。その場に立ってなどいられなかった。
(黙れ! 黙れ黙れ黙れっ!)
柱を拳で殴っても、感情は収まらない。足元に落ちた雫を見て、自分が泣いているのだと知った。
「陛下……」
凛香の声がする。差し伸ばされた手を振り払い、零劉はその場で泣き崩れた。
どれくらい泣いただろう。泣き疲れて気が付くと、東の空にいた太陽が、もう高く昇っていた。
(話さなければ……)
傍にいた侍従に、燕侑を連れて来るよう命じる。零劉は重い身体を引き摺って、再び友の前に立った。
「何か、申す事はあるか?」
「……」
「燕侑っ!」
少年は答えない。ただその鋭い眼を、国王に向けるのみであった。
「……分かった」
零劉は固く拳を握る。自分の立場は理解している。私的な感情に流されてはならない事も重々承知している。そして出すべき命令も、分かっていた。
「……その者を、逆賊として極刑に処せ」
「御意」
その二日後、零劉は燕侑が処刑された事を知った。秋雨が静かに降る、冷たい日だった。
零劉は公務をしなくなった。一日中部屋に籠り、出される食事にも手を付けない。
「陛下、お身体に障ります。どうかお食事を召し上がってください」
凛香の声にも反応しない。ただ部屋の隅でうずくまり、燕侑の事を考えていた。
(なぜ……)
どうして燕侑が自分を裏切ったのか、どうしても分からなかった。友達だと思っていたのに。信じていたのに。やはり人を信じてはならなかった。もしかしたら、燕侑は最初からこの為に城へ潜り込んだのかもしれない。
そう思っても、彼との思い出は次々と脳裏に浮かぶ。仕事の話を聞くために城へあげて、将棋を教えて。最初の頃の燕侑の眼は少し怖かった。将来の事や家族の事も話した。
そこまで思い出してはっと気付く。燕侑には母親がいたはずだ。どうしているだろう。
「凛香、燕侑の母親を、探してくれぬか」
「御意」
そう命令した事に大きな意味はない。ただ彼の母親なら、何か分かるかもしれないと思ったのだ。
燕侑の母親はすぐに見つかった。刑部が反王政派の本拠地を突き止め捜索を行った際に、保護されていたのだ。
城にやって来た母親は、深く深く頭を下げた。
「この度は息子が大変な事を致しました。本当に申し訳ございません」
「……」
その謝罪をどんな感情で聞けばよいのか、零劉には分からない。ただ黙ってその声を聞いていた。
「陛下」
凛香が横から声をかける。
「燕侑様の母君は、反王政派に捕えられておりました。燕侑様は母を解放してほしければ協力しろと、脅されていたようです」
それを聞いて、まず沸き上がったのは安堵。そして後悔。
燕侑は自分を裏切ってはいなかった。母を人質にされ、仕方なかったのだ。
しかしなぜ弁明しなかったのか。事情を話せば、多少の減刑もあったかもしれないのに。
その時になって、不意に燕侑が以前言っていた事を思い出す。
「俺は格好よく生きてぇんだよ。何かあっても言い訳なんかしねぇ」
また雫が頬を伝った。
「燕侑は馬鹿だ。余に言い訳すべきだった。何が格好よく生きたいだ。死んでは何の意味も無いではないか。本当に……」
泣き腫らした目に涙が沁みる。それでも感情の詰まった雫は止まらない。責めるように寄り添うように、衣の袖を濡らした。
燕侑の母親は、いっそう深く頭を下げる。
「陛下、息子を許せとは申しません。ただ、息子が陛下を心の底から友人だと思っていた事、これだけはどうか、お疑いになりませぬよう、深くお願い申し上げます」
「分かっている」
時に人は裏切るかもしれない。しかし、信ずるに値する者は確かに居る。友として、側近として臣下として、零劉と共にあろうとしてくれる者は確かに居るのだ。
命を賭して気付かせてくれた友に礼を言い、心の中の彼と生きる事を誓って、零劉は涙を拭った。
かつてこの国に、齢十二にして即位した王がいた。摂政も置かず独裁に近い政治をしていたが、ある時を境に、尚書や官吏の話に耳を傾けるようになり、成長してからは善く国を統治した。
彼が在位していた五十年間は『朱倭国の平和』と呼ばれ、大きな混乱の無い安穏な時代だったという。
そしてその零劉王は、名君として今でも語り継がれている。
少年王得友記 橘 泉弥 @bluespring
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