答えて、正解とはなんだろう

羅船未草

自分たちが考え、答えと決めているもの

「空は青い」

一般的にそこらで歩いているヒトに問うてみるとその答えが返ってくるであろう。



そもそも、青とは?そして色とはなんだろうか。この『青』というものを知るためには、小さい頃に色に関する文献、または親に聞き、『答え』として


「それはね、お空の色だよ」と帰ってくるのが通説だろう。

そしてその親も小さい頃、また同様に、そのまた親も同様に『答え』を教えてもらう。



そこで、『答え』というものを極限まで遡っていくとそこに残るのはなんだ?


答えは、無い、、



全ての物事において、人間の思考においても一緒だと思うが、

何かを、数学においては『1』思想においては『軸』をいつの間にか決め、それを元にして考える。


例に、それは概念的な宗教においても、元を辿っていけばその開祖にたどり着くと思うが、聖典と呼ばれる


(筆者自身、無神論者なので、それぞれの集団または個人で信仰されている対象の、

それぞれが正しいと信じているものの考えが記されたものは、何と呼ばれているわからない。そのためここでは聖典と呼ばせていただく。)


『開祖の考え』というものが記された書物さえも、もしかすれば、ヒトの目に一瞬映らなかった瞬間に何かしらの手が加えられていて、それが考えとは違う方向に進んでいたとすれば、それはその人物の描いた聖なる書物でも何でもなく、ただ誰かの、思想が書かれた紙の束に成り下がる。



それが大衆的に正しいと思われようが、それはただの『紙』なのではなかろうか。



この圧倒的偏見から来る私自身の考え方からすると、ヒトとヒトの争い、もとい

小競り合いから世界を巻き込んだ戦争と呼ばれるものから全てにおいて、


『答えはないもの』では無いだろうか。


大衆的に考えられている『悪』というものを許容しているわけでは無いのでそこは勘違いしてはならない。



現在、世界では大々的に「この人物が正しい!」などや「いやこの人物こそが正しい!」と、わかりやすく言えばこのように発言できる場で、それぞれの『正義』について語っているわけではあるが、先ほどの私からの思想から言わせて貰えば、『不毛』の一言だろうか。



私はヒト、 と  呼ばれるものにはどこかしら思想できる部分があり、それ一つ一つの

『答え』というものがあると考えている。


感情というものを抜きにすれば、力を合わすことができれば、限りなく『答え』にたどり着くであろうが、そこはどこまで行っても『答え』では無い、つまり

『無』である。



そこで難しいのが『選挙』というものだ。


ここには、それぞれの候補者の、『正義』というものが大々的に公布され、

『選挙権』というものを所持するヒトたちが、それぞれの正義に近い公布を掲げている人物に投票し、票を一番多く獲得した人物が政権という

「それぞれの国にある方針を決める力」を得ることができる。


日本ではその『選挙権』というものを獲得するためには、

日本国籍を持ち、かつ十八歳以上という条件を超える必要があり、それを超えれば基本的には得ることができる。


勿論、現在『選挙権』を所持しているヒトからすればわかり切っている事だろうが。


もし知っていなければ、その条件に達していない『子供』と呼ばれるヒトが

「こいつ馬鹿だなー」と、脊髄で、鼻をいじりながらそう言っていたと認識してくれると助かる。


話を戻そう。


『正解』というものはヒトと呼ばれるものそれぞれにあるが、今回の場合、完全なる正解というものにたどり着けていないヒトが、同種であるヒトの頂点に立ち、生活方法を定める。これほどまでに不安定なことがあろうか、いや無い。


元々、政権に苦言を呈するのならば、皆が『正解』というものを実体化した『全知全能』という概念的なものになり、そのヒトたちが私たちを統治するべきなのである。

なぜならそれが『答え』だから。


まあ、批判を批判するわけでは到底ない。

それが無理だからこそ、答えに近づくために皆で意見を出し合い手を取り合って極限まで近づいて行くのでは無いだろうか。


聞く耳を持てと言ったことがある方は、自分が全てのことに持って聞く耳を持ってから発言してほしい。そのような意思に強い方であるならすまない。


何を言っているかわからないだろうが、すべてを理解できるのは『全知全能』だけなのでそれが正解だ。批判をしないと私が嬉しい。


だからこそ『ニュース』という正解の情報という皮を被ったどこの手が加えられているかわからないものに振り回されるのでは得策では無いと考える。


よくある哲学的な考えで、『人間は何の為、どんな理由で生まれてきた?』等の質問だが私の意見と同じように答えは探しても『無い』

だからといって

「答えがないなら考えるのやーめた、自分は寝る!」というふうに逃げるのではなく

個人の正義を出し合い『全知全能』というものには到底たどり着く事はできないが、たどり着こう、そう努力しようとするのが、人間が正義というものを確立させるため、もとい


『答え』を導き出すことのできる私たちに残された最後の道なのでは無いだろうか。

私の人生の答えはこうだと考えている。


皆は一体どれを○生の『答え』と定義するのだろう。今一度、これはこうという常識と呼ばれるモノを空っぽにして自分にある『答え』を考えてみようじゃ無いか。

もしかすればまた違う目線で世界を見ることができるかもしれない。




そんなことより誰か糖分を持ってはいないだろうか?ブドウ糖が足りず頭が動かんのだよ。





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