後編

 父は怪獣の突撃阻止任務で死んだ、らしい。

 南方のどこかにある重要拠点を守るために、どこかの戦線に配備されていたどこかの部隊ごと光線を浴びて蒸発してしまったのだと。詳しくは知らない。


 母は〈ぼく〉を守って死んだ、らしい。

 後方地域に突如として現れた小型怪獣から〈ぼく〉の住まう施設を守るために、自ら手榴弾を抱えて囮として肉塊になったのだと。真偽は分からない。


 幼すぎて何も憶えていなかった〈ぼく〉にとってそれはただの情報でしかなくて。士官学校で読んだ戦史の教科書に記されていた出来事の一つ一つと、さして変わりのない伝聞でしかなかった。きっとそれさえも戦意高揚のためにでっち上げられた死因なのだろうなと勘付いてしまえば、いやでも〈ぼく〉は初めから何も持ち合わせていない事に気付いてしまう。

 とても、とても薄っぺらい人間。

 後ろが透けて見えてしまいそうな人間。

 それが〈ぼく〉だった。


「だからきっと、罰が当たったんだよな」


 薄っぺらいルーツしか持たない〈ぼく〉だから、きっとよく見れば血さえも透明に違いない。

 そんな自分がナイトリーパーという極めてステルス性に長けた精密爆撃機に乗り込み、光学迷彩の衣を纏って透明・・な存在になれるのはきっとささやかな皮肉に違いなかった。死神として働いている時のぼくは透明でいることを赦されるから、その事にどうしようもなく安堵してしまうから、きっと受けるべき罰が当たったのだ。

 死神の翼で故郷に舞い戻る、という罰を。


グリム1隊長機より各機へ。目標を視認、熱紋識別により個体名<36号>との一致を確認。奴はすでに街の中心部まで浸透しているぞ』


 隊長機のカメラとデータリンクした視界に映し出されたのは、まるで小枝のようにビルをへし折りながら突き進む黒い塊だった。それは戦車ほどもあるようなハサミを振り回しては衝撃波で瓦礫を吹き飛ばし、自動迎撃システムの火線を気にする様子もなしに破壊を広げ続けている。赤外線の視野で土煙を透かしてみれば、そのシルエットは正確にはヤシガニとカブトガニを足して二で割ったような甲殻類じみた怪獣だと分かった。


 過去の遭遇記録に記された名は第36号。つまりは討伐に失敗した強力な個体だからこそ、こんな場所に現れているのは間違いない。

 しかし、真の問題はその大きさだった。


『随分とデカいな、過去の記録よりも成長している』

「全高は約80mと算出、これではもはや大型クラスの怪獣です」

『こちらの位置が割れれば終いだな。だが、せめて仕事はきっちりやって行く』


 ナイトリーパーに乗る5人全員が、言外に含まれた意味を察している。

 大型クラスの怪獣ともなればこの部隊での対処は絶望的であること、そもそも航空支援すべき地上部隊などもう地上には残っていないであろうこと。どちらも分かり切った事でしかなかったから、誰も何も言わずに隊長からの指示が届くのを待っているだけだ。

 汚染されたモノを焼き払え、と。


「……なんだ、もう終わってたんじゃないか」


 故郷を守るために戦うまでもなく、既に〈ぼく〉の育った街は滅んでいるのだ。先ほどまで罰だとか何とか考えていた自分自身がまったく、馬鹿らしく思えた。


 空虚な瞳が移すのは眼下の炎。

 高精度暗視カメラと繋がった〈ぼく〉の眼球は、既に見る影もなく煤けた街の至る所に視線を走らせていた。ゴマのように散らばる雑魚怪獣に、黒く焦げ始めた動かぬ死体に、あるいは子供のころに通った道路に、次々にレティクルが重なってはまるで間近で見ているかのような望遠映像がくっきりと映し出される。

 別に希望を探している訳ではなかった。

 ただ、いつも通りに死神の一員として、もう手遅れになった街を焼き払う為にロックオンを重ねていった。


「グリム5。ターゲットに照準完了、射撃準備よろし」


 何万回と押して来たトリガーに指がかかる。

 ここに家族はいない、幸せな思い出もない。

 それでも少しは動揺していいはずだった。


グリム1隊長機より各機へ、掃討せよ』


 けれども、平坦化された感情は波立たない。

 やはりやるべき事は一つだった。


「了解、発射ファイア


 5機のナイトリーパーたちは、その膨らんだ機首から伸びる砲口に再び光を宿した。毎秒10サイクルほどで照射されるパルスレーザーは不可視の矢となって万物を貫き、街を覆う炎さえ穴だらけにしてターゲットを射貫いて行く。

 撃つ。

 撃つ。

 撃つ。

 その度に膨大な熱量に貫かれて消し飛んで行く家々、電柱、次の瞬間にはよく遊んでいた公園が灼熱のクレーターに変わっていた。

 およそ10秒足らずで100を超える目標を撃破してもなお、第36号怪獣がこちらを見つけた様子はなかった。当然だ。どこかに何かがいるということくらいは気付いているらしかったが、さしの大型怪獣も人類最高クラスのステルス性を誇るナイトリーパーを捕捉するまでには至らない。


 にもかかわらず、第36号怪獣は甲殻類らしいアゴをぱっくりと縦に裂き始めたかと思えば、その大口の底に禍々しくも美しいチェレンコフ光を宿し始めていた。青白い輝きは瞬く間に強さを増して行き、桁違いの出力で電離させられた大気はまるでオーロラのような極彩色に色づき始める。

 死神たちの間にレーザー通信が走った。


『こちらの位置も掴めていないのにここで撃つ気か。全機散開ブレイク


 隊長機の指示が飛ぶや否や、逆V字の編隊を組んでいた5機のナイトリーパーは即座に散らばった。最大推力での全速離脱、〈ぼく〉もまた強烈なGに骨を軋ませながらナイトリーパーに急旋回マニューバを行わせる。

 遂に光が噴き出したのは、その直後の事だった。

 第36号怪獣の大口の底に溜まっていた光は一瞬にして弾け、彼方に伸びる無数の糸となって夜空を切り刻み始めたのだ。それはいわゆる拡散ビームタイプの照射パターンと呼ばれるもので、ナイトリーパーのような航空機にとっては最も恐れるべき対空攻撃の一つだった。人類が未だ手にできないほどの超高出力荷電粒子砲の嵐が、夜空を寸分の隙間なく照らし上げる。


 当たれば死ぬ。

 すっきりと澄み渡った脳内には浮かぶのは、ただひたすらに明白な事実として突き付けられた死の予感。何千本、あるいは何万本と伸びる拡散ビームの奔流の間を飛ぶためのルートを必死で頭に巡らせながら、〈ぼく〉は飛行プログラムに自動算出させたランダム回避パターンを淀みなく実行する。

 そうして永遠かに思える数秒を潜り抜けた頃に、ちょうど〈ぼく〉の視界の端でグリム1隊長機の識別反応が消えた。


グリム1隊長機、ロスト』


 少し遅れて高精度暗視カメラを向けてみれば、火を噴きながら力なく落ちて行く隊長機の機影が見て取れた。別に隊長の腕が悪かったからではない、皆経験豊富なパイロットたちだった。たまたま振るわれた死神の鎌が誰かの首を刎ね飛ばしたに過ぎない。

 その数秒後にはシステム上の現場指揮権がグリム2副隊長に譲渡され、彼は地面に激突するよりも早く、速やかに部隊ネットワーク上でも死亡を認定される。


 地上から噴き上がる光は弱まり、ゆっくりと収まりつつあった。

 隊長機を失った〈ぼく〉たちナイトリーパー部隊を横目に、地上の第36号怪獣は満足げにその大口を閉じつつある。発射の余熱でドロドロに溶けた鉄に足を浸しながら、怪獣はまるでゲップでもするかのように呑気に冷却煙を吹き出しているのだ。

 その突き出た眼球はぎょろぎょろと上空を睨み、見えないはずのナイトリーパーたちを探らんとして無機質な殺意をみなぎらせている。既に再発射の準備を始めているらしかった。


グリム2副隊長より各機へ、目標に再発射の予兆あり。撤退する』


 副隊長が下したのは極めて合理的な判断だった。

 戦友の仇討ちなどと言って、ここでこれ以上貴重なナイトリーパーを失う訳にはいかないからだ。ナイトリーパーの働きで助かる人間は決して少なくない。戦術偵察もまた後続部隊を生かすためには重要な任務、〈ぼく〉もそれを分かっていたから異論は何一つなかった。

 少なくとも、操縦桿を倒しかけたその時までは。


「グリム5、了解――――いや、待ってくれ」


 〈ぼく〉の眼球と連動するカメラシステムは、第36号怪獣の目と鼻の先で動く小さな何かに釘付けになっていた。生体特有の動体パターンを検知したカメラが映像を拡大、補正された画像を目にした〈ぼく〉はそれがボロボロの服をまとった少年と少女である事に気付く。


「生存者を発見。子供だ、子供が2人いる」


 先ほどまで暴れていた大型怪獣の足元で生身の子供2人が生き延びているなど、まったく信じがたい幸運だった。崩れたシェルター隔壁の中にうずくまっている所を見るに、恐らくビルの地下に二人だけで身を潜めていたものの、ビーム発射の余波で地下構造物ごと巻き上げられてしまったらしい。

 よりにもよって怪獣のすぐ目の前に飛ばされてしまったのは、これまでの幸運を帳消しにしても余りある不運ではあったが。


グリム2副隊長よりグリム5へ、間に合わない。撤退せよ』


 副隊長の判断は正しい。

 それでも〈ぼく〉は未だ戦闘高度を維持し、怪獣の周りをぐるりと回り込むような旋回飛行をやめなかった。否、子供たちの行方から視線を引き剥がせなかったから、やめられなかった。


 第36号怪獣が、足元の小さなヒトの存在に気付いたのだ。

 人間よりも遥かに大きな眼球にぎろりと見据えられた少年と少女は、なおもその場を離れようとしない。怯えて動けない訳ではない、少年は片足が既に毒に侵されて腐食しているから逃げられないようだった。少女もまた少年を見捨てまいとしてその場に留まり続けたものだから、二人は逃げ出すという選択肢さえ失ってただ竦むしかなくなっている。


「見捨てていれば、せめて一人は逃げられたのに」


 助けは間に合わない。もう2人とも手遅れだ。

 〈ぼく〉の透徹な理性は既に、これから数秒後に起こる出来事を見てきたかのように説明する事が出来た。彼らはきっと動けぬままに怪獣に踏み潰され、毒性ガスに侵された死体となって二次汚染源となってしまう。だから〈ぼく〉はレーザー砲で焼き払ってからいつものように離脱するのだ。そして〈ぼく〉はどこかで鎌を振るった本当の死神を呪って、早く〈ぼく〉の番にしてくれないかと願うのだ。


 死神として働く〈ぼく〉は透明だから。

 今は見つめることしかできないから。

 そんな風に考えていた〈ぼく〉は、だからこそ視線の先で起こったことに驚きを覚えた。それは驚きというにはあまりにも微かな心の揺動だったけれども、少なくとも描いていた景色が覆されるくらいには脳髄が揺さぶられる衝撃だった。


「投げているのか、石を」


 もう座して死を待つだけに思えた少年は、しかし手に取った瓦礫を怪獣に投げつけていた。

 それは石だ。恐らくは数百万年前の原始時代に初めて人類が手にしたはずの、ヒトが人ならざる獣たちを狩るために投げ始めたはずの武器を、少年はこの期に及んで手に取ったのだ。石は怪獣の顔にも届かない放物線を描きながら、ナイトリーパーのレーザー砲ですら貫けない外殻に当たり、コンと軽い音を立てて転がって行く。


 何度も、何度も石は投げられた。

 少年だけでなく少女も投げ始めていた。

 それは全く何の意味もないちっぽけな抵抗に過ぎないけれども、彼らはまだ生きようとしていた。誰がどう見ても確定しつつあるはずの死の運命を、彼らは人類が最初に手にした技術の一つを以て気高く拒もうとしているのだ。


「ぼくは」


 少年と少女が手にしているのは石ころ。〈ぼく〉が手にしているのは、人類が誇る最先端の技術を凝らして建造された高々度精密爆撃機の操縦桿。それなのにどうしようもなく、自分の方が無力な存在に思えてきたのはただのセンチメンタリズムだったのだろうか。しつこく離脱を呼び掛けてくる僚機の通信音声が聞こえなくなるほどに、〈ぼく〉はカメラの先で繰り広げられる抵抗に理性を揺さぶられていた。


「ぼくは……これでいいのか」


 その時、少年がこちらを見た・・

 ゾッとした。平坦化処置を受けてもなお背が泡立つほどの戦慄に晒された〈ぼく〉は、怪獣の姿越しにこちらを見つめてきた少年を改めて見返してみる。


 光学迷彩が解けているのかとも思ったが、ただの錯覚だった。

 徹底したステルス性を追求して光学的にも電磁的にも限りなく不可視の存在に近付いたナイトリーパーを、人間が、ましてやただの肉眼で捉えることなど絶対に不可能だ。少年の視線はまたすぐに怪獣の方へと戻ったからただナイトリーパーの背後で上りつつある朝日に、目を取られていただけらしかった。

 ただ、それだけの偶然だった――はずなのに。


「違うな。見つめているだけなんて、違うよな」


 背後の陽光に透かされつつある〈ぼく〉は、完璧な理性によって満たされていたはずの脳内にチリリと火花が走るような感覚を味わっていた。透明だったはずの自分自身を見据えたように見えた少年の視線が、光学迷彩を纏ってもなお、まだ透明になり切れていない〈ぼく〉の何かを炙り出してくれた事に気付いてしまったから。

 たとえそれが錯覚だったとしてもかまわない。


 時にパイロットは操縦桿越しに愛機に感傷じみた想いを伝えることがあるという。今伝えるべき想いがあるとしたら、この物言わぬ死神にただ「ついて来てくれ」と伝えたかった。眼下のちっぽけな彼らが石ころを掴んだように、〈ぼく〉は改めてナイトリーパーの操縦桿を握りしめる。

 覚悟はもう、固まっていた。


「グリム5より各機へ、我は生存者の救出にあたる」


 制止する声をどこか遠くに聞きながら、〈ぼく〉は最大推力で動力降下パワーダイブを始めていた。これが間違いなく愚かな命令違反に他ならないことも分かっていたけれど、〈ぼく〉は押し込んだ操縦桿を引き上げようとはしない。ナイトリーパーの弾性翼は恐るべき速度で流れて行く空気を捉え、今や長いイオンスラスタの尾を引いている機体を意のままに導いてくれる。


 これではもう、ステルス性など望めたものではない。

 夜空に流れる青白い流星と化した死神は瞬く間に音速を超え、第36号怪獣の背に向けて距離を詰めつつあった。それでも敵が未だにこちらを振り向いていないのは、敵が足元のちっぽけな少年少女たちを灰に変えようとしているからだ。小さな出力で再び荷電粒子砲を発射しようとしているのだろう。単に踏み潰せば事は済むだろうに、怪獣というやつは人間を葬ることに全力を尽くす存在なのだ。

 怪獣と少年少女たちの距離は100mもない。

 間に合うか、と〈ぼく〉の手に汗が滲む。


「させるかああぁ!」


 次の瞬間、第36号怪獣が大口の底より解き放った荷電粒子の嵐はまっすぐ少年少女たちを目指して飛び始めた。その射線に割り込むように、ほとんど墜落するような勢いで突っ込んだナイトリーパーはイオンスラスタを巧みに噴射して地面に降り立った。もはや死神の証たる光学迷彩の衣を脱ぎ捨て、生身の身体を晒したナイトリーパーは既に飛行機ではない。


 鮮烈な青白い光が迫る。

 黒い死神が立ちはだかる。

 ほんの一瞬、黒と白の鮮烈なコントラストに彩られた一帯は、ほとんど爆発するような光と音に飲まれてホワイトアウトして行った。やがてその光も消え失せて夜闇と白煙が辺りを押し包む。数秒の沈黙を経て煙の中から立ち上がるのは2つの巨大なシルエットだった。


「低出力のビーム照射なら、なんとか……耐えられたか」


 一つは第36号怪獣。

 もう一つは黒い人型ナイトリーパー


 ナイトリーパーはただの爆撃機ではない。人類が対怪獣用に作り上げた兵器の一種、人型を備えることで初めてその怪物たる真価を発揮するマシンの一つだ。人型に変形することで配置を最適化されて最大稼働し始めた慣性制御装置イナーシャル・キャンセラが唸りを上げ、今しがた防いでみせたビームの残滓を受け流して黒いボディを艶めかせる。

 盾代わりにした主翼の一枚はほとんど吹き飛んでいたものの、人型形態へと変形したナイトリーパーは未だ健在だった。その機体の陰でうずくまる少年少女たちを見届けたなら、〈ぼく〉は突如として現れた黒い巨人に目を見開く2人に向けて機外スピーカーを開く。


 死神の前で人は死ぬ、それは人が死ぬべき時に現れるから。

 もしもそうでない者の前に現れたとしたら、それは――――


「君たちはまだ死ぬべきじゃない、だから!」


 彼らは死なせない。

 死なせてはならない。

 躊躇なく操縦桿を押し込んだ〈ぼく〉は、今まで抱いたこともないような熱量の想いに任せて怪獣へ機体を突撃させた。ナイトリーパーの全高はせいぜい50mに過ぎないが、不意を突かれた敵は、その華奢な体躯に秘められた意外なまでの馬力も相まってずるずると後退し始めた。今はとにかく少年少女たちから遠ざけなければならない、〈ぼく〉は慣性制御装置イナーシャル・キャンセラをフル稼働させながら機体よりも遥かに重い相手を郊外へと押しやって行く。


 決して崇高な覚悟を抱いてパイロットを志した訳でもない〈ぼく〉にとって、なぜそうしているのかは自分自身が一番分からなかった。けれども、彼らのちっぽけで気高い抵抗を目の当たりにしてただ善くありたい・・・・・・と思った。

 それだけだった。

 たったそれだけの為に、この薄っぺらい、けれども透明にはなり切れていなかったらしい命をここで懸けてみようと思えた。自分でも意識せぬ間に上がっていた口角はなぜか笑みを形作っていて、〈ぼく〉はパイロット失格だなと自嘲しながらも更にフットペダルを踏み込む。


「距離は、取った!」


 不意打ちで押し出した第36号怪獣の巨体は、敵自身がこじ開けて来た道を逆戻りするように郊外へと押し出されていた。

 しかし、敵とて黙っているばかりではない。振り上げられたハサミが棍棒のように振り下ろされるや、ナイトリーパーの華奢な機体には慣性制御能力を超えた凄まじい衝撃が走る。それもそうだ、おおよそ駆逐艦にも等しい数千トンの重量物が超音速で叩きつけられればただでは済まない。先ほどまでの攻勢が嘘のように弾き飛ばされた死神のボディは、衝撃波を放ちながらそのままの勢いでビルに叩きつけられる。


「ぐ……っ!」


 衝撃で朦朧とした意識を取り戻す間もなく、煙の向こうに光が走る。

 ほとんど反射的にスロットルレバーを押し込んだ〈ぼく〉は、次の瞬間、機体の足元数mを掠っていった荷電粒子の束に息を呑んでいた。これは先ほどの低出力ビームなどとは桁が違う、当たればナイトリーパーの薄い装甲など一瞬で蒸発させられるクラスのビームだ。もう主翼を盾にして防ぐような真似は出来ない。


 咄嗟に飛び上がっていたナイトリーパーは手近な平地に着地、損傷した個所から火花を走らせながら一歩も退くことなく怪獣を睨んでいた。

 しかし、劣勢は明らかだ。

 ナイトリーパーはそもそもステルス性を活かした高々度爆撃に特化した機体であって、積極的に近接戦闘するようには作られていない。少年少女たちから目を逸らすために戦っているのだから光学迷彩システムも使えない。対して敵は分厚い甲殻を背負った巨大怪獣クラスの個体だ。正面切って戦うのがいかに無謀であるかは分かり切っている。


「相性は最悪だな」

グリム2副隊長機よりグリム5へ』


 唐突に入ったのは、怪獣との攻防で目を向ける余裕もなかった僚機からの通信だった。

 しかも、光学迷彩を展開している間に使うレーザー通信ではない。今度こそ驚愕した〈ぼく〉が白みつつある空を見上げてみれば、そこには青紫の背景に漆黒のボディを晒す3機のナイトリーパーが飛んでいた。ステルス性を失えば被撃墜リスクが高まるにも関わらず、だ。


「光学迷彩を解いた?!」

『我らの任務は近接航空支援から阻止任務へと変更、援護する。宣言したなら……任務を果たせ』


 空にようやく姿を現したナイトリーパーたちの姿は、当然ながら第36号怪獣にも見えている。敵にとっては見えない鬱陶しいハエを叩き落とすチャンスが来たのだ、この時を待ち望んでいたとばかりに再び荷電粒子砲の再チャージが開始された。姿を隠してさえ一機が撃墜された拡散ビームが放たれてしまえば、残りの3機もただでは済まない。貫くには出力が足りないと知りつつも放たれたパルスレーザーの嵐は、果たして甲殻の上に弾けて行くだけだった。

 それは彼らとて承知している。


 だから今だった。

 今こそ、この瞬間こそ、彼らがナイトリーパーの持つ戦術的/戦略的価値を承知の上でそれでも作り出してくれた時間だ。


「了解!」


 翼をもがれてもう飛べないハエなど、敵にとっては大して興味を引くものではないらしい。

 ゆえに好機だ。〈ぼく〉は敵の意識から愛機が消えていることを確信すると、もはや全体の30%も機能していない光学迷彩機能を展開しつつスラスターを吹かした。ステルス機の名がすたるような情けない状態だったが、この数百mの距離を詰めるには決して不足ではない。損傷してもなお恐るべき静粛性で突進するナイトリーパーは、空に大口を向けている怪獣の腹に向けてその鋭い進路を定める。


 チャンスは一度、失敗は許されない。

 だが、それだけの価値はあると思えた。

 まだ死ぬべきではない者を守るために、いつか訪れるかも知れない平穏の世界を手繰り寄せる為に、そのために自分が生きて来たのだとしたら、それは無意味なことではない思えた。さながら少年少女たちが投げた石のように、それ自体は捨て石だったとしても、いつかどこかにいる者の想いへと繋がるのかもしれないと初めて思えたから。

 それを証明するためにこそ、

 〈ぼく〉は今、初めて自分の望みで鎌を振るう。


「ここでえぇ!仕留める!!」


 まるで地上を這う流星のように怪獣の懐へ飛び込んだナイトリーパー、その動きに怪獣の対処はほんの一瞬だけ遅れた。それはほんのコンマ一秒にも満たない遅れに過ぎなかったが、死神が捨て身で突き出した拳を止めるにはあまりにも大きな後れだった。

 比較的脆弱な怪獣の腹を、黒い拳が突き破る。

 慣性制御装置イナーシャル・キャンセラを最大稼働させて極限まで増大させた運動エネルギーは、あくまで自衛用兵装に過ぎない高周波振動クローにさえ、分厚い甲殻を貫き通すだけの破壊力を与えていたのだ。あるいは石よりも先に人類が武器にしていたかもしれない武器、すなわちただの拳は、大型怪獣に致命傷を与えられるだけの必殺の弾丸と化していた。


 静寂の後、辺り一帯におぞましい断末魔が響き渡る。

 体内のビーム加速器官を突き破られた第36号怪獣が、己が放とうとしていたビームの奔流に体内を焼かれつつあるのだ。分厚い甲殻を突き破れなかったビーム束は体内へと反射し、やがてほとんど体外にビームを漏れ出させることもなく終息していた。


「第36号怪獣、討伐……完了を、確認」


 激震に耐えた後、〈ぼく〉は目の前で死体と化した怪獣の巨体を見上げ、ようやくこの戦いが終わったことを確信した。後で死体の無毒化処理は必要になるがそれは自分たちの仕事ではない、今やるべきことは決まっていた。

 肘から先が砕けた右腕を垂らしながら、ナイトリーパーは傷ついた機体に鞭打ってゆっくり歩み始める。やがて歩みを止めた先には意識を失ったままの少年少女たちがいた。彼らを無事な方の左マニピュレータで慎重に抱え上げると、〈ぼく〉はようやく息をつく。


「生存者を回収した。グリム5、これより帰投する」

グリム2副隊長、了解。後続部隊の回収地点へ向かえ』


 僚機たちは光学迷彩を解いたままゆっくりと上空を飛行している。それはつまりこのまま無事に友軍と合流できるという意味らしかった。

 上を見上げた拍子に、つーっと顔に血が伝う。

 その時になって初めて〈ぼく〉は戦闘時の衝撃でコックピット内壁にぶつけた箇所から出血している事を知った。この身体から流れ出す血は透明ではない、紛れもなく赤い血だった。


 ナイトリーパーは合流地点を目指して東へ歩み始める。

 一部の隙もない闇が明け、ささやかではあるが確かな夜明けの陽が照らす大地へと。場違いな場所に現れた死神は、故郷に一つ一つ巨大な足跡を刻み付けながら、去っていった。

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