死神が飛ぶ空

鉄乃 鉄機

前編

『死神ってのは普段は透明になれるローブを被っているが、鎌を振るう時だけはローブがはだけるんだ。だから連中は死に際の人間にだけは姿を見られちまう。つまりオレたちの方が上手・・に死神をやっているのさ――――』


 理由は分からないが、ふと、いつか同僚と交わした会話が頭をよぎって行った。会話を交わした三日後にMIA戦死判定を受けた彼の顔はもうよく憶えていないけれども、なぜかその言葉だけは脳髄にへばり付いている。

 〈ぼく〉は今、故郷にほど近い街の空を翔けている。

 他ならぬ死神の一員として。


『こちらグリム1隊長機、定刻通りミッションを開始する』

「グリム5、了解」


 壁一枚へだてた向こうで吹き荒れる風の気配に集中しつつ、卵型の操縦席に収められた〈ぼく〉はスロットルレバーを緩く押し込んだ。

 グリム5、それは死神としての〈ぼく〉に与えられた名前コールサイン

 そして乗り込む機体こそが、死神としての〈ぼく〉に与えられた身体だった。


 ――――SPADE-VB-13 ナイトリーパー


 <死神>の名を持つ高々度精密爆撃機が5機、ちょうど逆V字の形に並んで高度13000mほどの夜空を飛ぶ。それは一糸乱れぬ編隊を組む怪鳥の群れであり、人ならざる者・・・・・・たちと戦うために建造された極秘有人兵器の一個小隊だった。

 それら怪鳥たちのシルエットは、真上から見ることが出来たなら十字に近い。もっともそれは、装甲表面にあらゆる波長帯の欺瞞情報をリアルタイムで空中投影し続けることで、ほぼ完全な光学ステルス性を発揮するナイトリーパーの姿が見えればの話だった。

 肉眼、レーダー、赤外線検出装置、音響センサー、……いかなる目や耳をもってしても、ひとたび空に溶け込んだ<ぼく>たちを捉えることは出来ない。メタマテリアルと光学迷彩のローブを纏った<ぼく>はまさに透明な死神だ。


「光学迷彩、電磁迷彩、音響ステルス、いずれも作動良好。地上目標へのアプローチに入る。作戦エリアのパッシブ探査開始」


 ナイトリーパーたちはゆるい羽ばたきを繰り返しながら、徐々に高度を下げていく。

 それは硬い翼を持つ航空機のアプローチというよりは、柔らかい翼を持つ鳥とかコウモリの仕草に近かった。すなわち弾性翼だ。主翼の中にびっしりと掘り込まれた細かな溝は毛細血管や葉脈に似ており、その溝の中へ高圧の作動流体を流し込むことによって、羽ばたきなどという複雑かつ航空機らしからぬ飛び方が実現されている。


 <ぼく>がわずかに操縦桿を起こすと、作動流体の圧力遷移によって細長い主翼がねじれるように角度を変えた。冷たい風を掴んだ機体はゆったりと一定高度を飛翔し、獲物を値踏みするかのごとく地上に目を向ける。やや膨らんだ機首に埋め込まれた赤い単眼モノアイが、幾重ものレンズをせわしなく動かして地上目標を精密に探査している。

 誰に鎌を振り下ろすべきか、と死神の視線が地上を舐めまわしていった。


「目標を発見。やはり無数の甲虫型だ」


 〈ぼく〉の眼球運動と連動する超高精度暗視カメラは、その無機質な視線の先に人ならざる敵の姿を捉えた。

 約2万人の住民が住んでいたはずの小都市の中には、ぽつぽつと黒い影が蠢いている。炎と煤で赤黒く変色しつつある市街地の只中を、炎に照らされた甲虫型怪獣が這いずり回っているのだ。甲虫型とはいっても、その胴体から伸びる脚は4本であり、脚の先には哺乳類じみた手があり、胴体には肋骨があり、皮膚のような外組織の下にはたしかな内骨格の存在を感じ取れた。おまけに眼窩にはめ込まれた真っ赤な眼に至っては、多くの虫に見られるような複眼ではなく、立派なレンズ式だ。

 彼らの姿はまるで、外骨格生物のシルエットに収まるように人体を無理やり変形させたかのようだった。そのチグハグで醜悪な外見からは、40億年前から地球上において連綿と受け継がれてきた生物進化史に対する冒涜と、ダーウィン的進化システムへの無理解すら読み取れる。


 もはや見間違えようもない。遥か下方で炎上する街を我が物顔で歩く異形は、紛れもなく、人類の天敵たる怪獣・・たちの姿だ。その身体から放たれる瘴気とでも言うべき毒性のガス代謝物は、地上をほの明るく曇らせていた。

 怪獣たちと同じ真っ赤なナイトリーパーの眼球カメラアイの向こうで、〈ぼく〉が見知った街は今や霧中に沈んでいる。


「やつらもひどいもんだ。何のためにこんなことを」


 この光景に憤ってみせるのがヒトとしての義務であるかのような気がして、あまり感情の無い独り言が口から漏れ出た。


 怪獣、彼らは突如として地球に湧いて現れた融合生命体だ。

 原初の一体たる<第一号怪獣>は全高600mを超える超大型級だったが、華奢でひ弱なやつだった。そいつはとても弱かった。当時の人類の科学技術ですら、徹底的な核爆撃によってなんとか駆逐することが出来たくらいだけれども、それこそが最初にして最大の罠だった。第一号怪獣は脆くて壊れやすい身体に、たっぷりと怪獣の因子をため込んでいたのだ。まるで熟したホウセンカの実から勢いよく種が弾き飛ばされるように、合計で200Mtを超える戦略級水爆の起爆の衝撃は、第一号怪獣の身体から無数の怪獣因子を撒き散らしてしまった。


 結果として、南太平洋の国々ごと怪獣を消滅させて得られた戦果の代償は、あまりに大きかった。5度にわたる爆撃を経て、対流圏から成層圏に至るまでまんべんなく撒き散らされた怪獣の因子は、もはやどこへ飛散したのかを捕捉することも、隔離することも、ましてや回収も無力化もできなかった。一部の学者が各地で生態系の異常な変異を報告し始め、第一号怪獣が<播種たねまき型>であったことが判明した頃にはもう何もかもが遅かった。

 数年後には地球に住まうあらゆる生命体が怪獣の因子を取り込み、そのうちの数%ほど――その多くはなぜかヒトと同じ真核生物だった――が人類文明圏に牙をむき始めたのだ。


 怪獣はヒトを襲う。

 怪獣はヒトだけは模倣しない。

 理由など知らない。確実に分かっていることは、彼らが人類文明圏を憎んでいるかのように街々を襲い、慣性制御や重力制御や荷電粒子砲、未だ解析不能な空間位相シールドといったオーバーテクノロジーの数々を宿した身体で、人類を徹底的に滅ぼそうとしているという事だけだ。

 だから人類も怪獣たちの技術を取り込んで、彼らに対抗し得るマシンの数々を作り上げた。ナイトリーパーの超広域波長高精度カメラアイに使用されている露光チップにしても、元はと言えば彼らの網膜を解析して開発されたものだ。


 トリガーボタンに〈ぼく〉の指がかかる。

 ナイトリーパーのパルスレーザー砲が眼下を睨む。

 それは死神の鎌が振り上げられた瞬間だった。


『各機、掃討せよ』


 発射ファイア。夜空に溶け込んだ5機のナイトリーパーが、遥か下方の街に向けて光速の刃を突き立て始める。定格出力で毎秒10発のサイクルで放たれるパルスレーザーの瞬きは、砲身の向いた先にある目標物を次々に焼いて行く。否、あまりにレーザーの発振出力が高いから、消し飛ばして行くと言った方が正しい表現かも知れない。

 発射、怪獣の頭部に細い穴があいた。

 発射、ビルの壁面が蜂の巣に消し飛んだ。

 発射、毒に侵された死者たちが煙となった。


 ナイトリーパーのカメラは極めて優秀だ。レーザーの爆発的な熱量で消し飛ぶ怪獣の筋線維も、熱輻射でどろりと蒸発して行く人間の内臓も、まるで焼けた匂いが鼻先に漂ってきそうなほど鮮明に見せてくれる。

 だから<ぼく>は、知らないとは言えなかった。先ほどレーザー狙撃して蒸発させた男の胸が実はかすかに上下していて、まだ息があったという事実を。もう確実な死を待つだけだったとはいえ、一人の人間をこの手で殺したという罪を。

 その事実に〈ぼく〉の指は震え――――なかった。


「怪獣ならびに汚染誘引源の焼夷消毒、八割を完了」

『続行せよ』

「了解」


 5機の死神たちは、なおも空から数百本のレーザーを浴びせかける。

 汚染誘引源。すなわち怪獣の毒を浴びた人間たちの成れの果てを焼き尽くし、さらなる二次被害が広がるのを防ぐこともまた重要な任務だ。怪獣たちの体液はそもそも強い化学毒性を持つと同時に、ある種の集合フェロモンを含んでおり、毒に侵された人間を目印として、また新たな群れを呼び寄せるという厄介な効果があるのだ。だから死体は、フェロモン成分の構成分子ごと徹底的に焼き払わなければならない。

 そのために便利なのが、不可視のステルス爆撃機部隊だ。

〈ぼく〉たちナイトリーパー部隊が極めて高い機密度で存在を秘匿されているのは、とても重要だけれども、誰もやりたがらないような仕事を遂行するからに他ならない。


 いや、実は違うな。

 だいぶ良心的な言い方をしてしまったものだと、〈ぼく〉は自分自身を心の中で嗤った。


「誰も知りたくないから、なんだよな」


 そう、誰も知りたくないから<ぼく>たちは必要だ。

 〈ぼく〉だってこの仕事をやりたくはない。

 やりたくはないけど、必要なことだから。

 必要なことだから、再びボタンを押し込んだ。


 機体のカメラ越しに見えたのは、ささやかな商店街が穴だらけに消し飛んで行く一部始終。

 この切羽詰まった時代にあって、ここはまだ牧歌的な文化を残している貴重な街だった。美味いパン屋があったので何度か立ち寄ったこともあった。それを〈ぼく〉は消し飛ばした。動揺もなく、罪悪感もなく、すっきりと透き通ったままの理性で、自らが消滅させたものをすんなりと理解した。

 感情平坦化のマインドコントロール技術があればこそ、ナイトリーパー部隊のパイロット5人は平静を保っていられるのだ。子供を撃っても震えなくなる、怪獣を目にしても憎しみを覚えずに済む。数年前にそういう処置を受け入れたことで、〈ぼく〉は晴れて死神の一員に加わる資格を得たのだから、ある意味ではありがたい事だった。


 この時代で食べて行くために、〈ぼく〉は死神をやっている。

 すでに助からないほどに毒に侵された人々を、その苦しみごと蒸発させている。


グリム1隊長機より各機へ、我らは怪獣ならびに汚染誘引源のピンポイント排除を予定通りに完了させた』


 この街での任務は概ね終わった、と隊長は言っている。

 逆V字編隊の先頭を飛ぶ隊長機の主翼下には、およそ人間サイズの小さな葉巻型の物体が吊るされている。それはパルスレーザー砲で丁寧に片づけた街をきれいにする為の、最後の仕上げ道具だった。


『総員、投下の後に光学迷彩システムを解除。すぐさま推力増強装置オーグメンタを起動し、爆発半径からの退避のために直ちに高度を取れ。3、2、1、投下開始ドロップ


 隊長機から葉巻型の物体が投下されるのを見届けながら、<ぼく>は即座に操縦桿を引く。

 さらにコンソールパネルを操作して推力増強装置オーグメンタを起動、イオンスラスタの出力を戦闘推力ミリタリーパワーから限界推力マックスパワーへ。その瞬間、<ぼく>の身体は見えない巨大な手でシートにグッと押さえつけられた。強烈な加速に伴うGが肺を押し潰そうとして来るのも構わず、〈ぼく〉の機体は隊長機の後を追って黒い夜空に舵を切る。


 ナイトリーパーたちは今や、不可視でもなければ無音でもなかった。

 本来ならわずかな燐光さえも発さないはずのイオンスラスタは、推進剤に推力増強用の超重元素イオンを添加されたことで、夜空に天の川よりもうっすらと輝く筋を描いている。音響迷彩システムも解いているため、恐らく機体からは人がささやくほどの音が漏れ出てしまっているだろう。

 明るすぎるし、うるさすぎる、これではいつ対空迎撃能力を持つ怪獣に撃ち落されても文句は言えない。だが、それにも構わず雲海を抜けてさらに上昇する5機は、航跡にほんの微かなイオンスラスタの燐光を曳きながら、闇夜を最大推力で退避。


 上下も分からぬような真っ黒な世界を飛び続けて十数秒が経った頃に、雲海のさらに下から強烈な光が弾けた。分厚い雲と煙を突き刺してなお余りある光の束が、光学迷彩を解いた5機の死神たちのボディを鮮烈に照らし上げる。


 無事に小直径戦術核弾頭が起爆したのだ。

 今頃はきっと地上の街は全てが焼き尽くされて、怪獣たちが撒き散らして行った毒性物質ごと街はきれいに掃除されたはずだった。核弾頭の威力というものは、装甲化された目標に対しては案外限定的だから、雑魚怪獣たちは事前に撃ち殺しておかなければならなかったけども、これが最も便利かつ合理的な浄化プロトコルだ。それに比較的きれいな・・・・・・・戦術核弾頭だから10年も経てば人は住めるようになる、と<ぼく>は聞かされている。


「弾頭によって放射性物質が飛散してしまう点は、問題ないのでしょうか?」


 地上付近からぐんぐんと伸びて来るキノコ雲を見下ろしながら、かつて隊長にそんな質問を投げかけたことがあったのを思い出す。

 その時、隊長はどう答えたらいいやらという様子で、「我々にとって最悪のケースとはなんだと思う?」と逆に問い返して来たのだった。


 それから幾度となく、怪獣たちの襲来によって滅ぼされてきた街を見て来た今なら、隊長がなにを伝えたかったのかがわかる。放射性物質が撒き散らされたとしても怪獣は寄ってこない。だが、毒を残されれば怪獣たちは街に寄ってくる。一度でも街に寄り付かれてしまえば、やがてはその地域一帯に営巣されて人が住むことは叶わなくなる―― それこそが今の人間にとっての最悪・・なのだと、<ぼく>はこの数年で知った。他のあらゆる被害は、たしかにそれよりはマシだった。

 禁忌の抑止力としても、全てを決着させる最終手段としても、もうとっくに存在意義を失った核兵器が投下される意味など、怪獣毒の分解・浄化程度に過ぎないのだ。


『任務は完了した。総員、よくやった』


 任務の完了。それは嬉しさも達成感も伴わない、ただの事実。

 それでも『これで終わりだ』と告げられた瞬間、どこかでホッと胸をなでおろした自分がいたような気がして、〈ぼく〉は感情平坦化の処置が少し弱まっているのかも知れないと疑ってみる。帰還したなら軍医に相談するべきかもしれない。いや、絶対にするべきだと強迫観念じみた声が頭の中に響いた。

 感情を殺したいのは、なぜだろう。死神の腹に収まり、死神の脳髄となって働く〈ぼく〉にはよく分からなかったけれどもとても恐ろしい予感があるのは確かだった。


 何か必然的な、とても恐ろしい予感。

 自分はいつか然るべき罰を受けるのではないのだろうかという考えが、何年も前から脳裏にこびりついて離れてくれない。それはいつか同僚に死神の話を聞かされたからなのか、あるいは戦場の兵士にはつきもののオカルティズムの類なのか。答えは未だに分からないままだったけれども、そう思っていたからこそ、〈ぼく〉は隊長機から不意に送られて来た緊急通信にどこか因縁めいたモノを感じてしまった。

 来るべきモノが来たのだ、と。


『……グリム1隊長機より各機へ。20分ほど前に大型敵獣によって北方の防衛ラインが突破されたらしい。現在我らが最も近い空域にいる、近接航空支援を行うべく現場に急行する』


 その報せを聞いてわずかに顔の皮膚が引きつったような気がした。

 北方の防衛ラインが突破されたという事は、つまり、ちょうど今ごろは〈ぼく〉の生まれ育った街が怪獣に蹂躙されているということだ。動揺なんてありはしないつもりだったけれども、通信への返答はわずかに遅れてしまった。


「……グリム5、了解。追加任務を受領する」


 この時代、ナイトリーパーに乗れば最も死神に近い存在となるはずの〈ぼく〉は、どこかで鎌を振り上げているかもしれない本当の死神を呪った。その鎌で誰かの命を刈り取るのならば、早く〈ぼく〉の番にしてくれないかと願いながら。

 ナイトリーパーが切り裂く夜空はこの日も、一部の隙もない闇に満たされていた。

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