死神が飛ぶ空

鉄機 装撃郎

前編

『死神の前で人は死ぬ。それは人が死ぬべき時に現れるからなんだってな』


 ふと、いつか同僚と交わした会話が頭をよぎって行った。会話を交わした三日後には骸となった彼の顔はもうよく憶えていないけれども、なぜかその言葉だけは脳髄にへばり付いて離れてくれない。あるいはそれはささやかな予言だったのだろうか。

 〈ぼく〉は今、故郷にほど近い街の空を翔けている。

 他ならぬ死神の一員として。


『こちらグリム1隊長機、定刻通りミッションを開始する』

「グリム5、了解」


 壁一枚へだてた向こうで吹き荒れる風の気配に集中しつつ、卵型の操縦席に収められた〈ぼく〉はスロットルレバーを緩く押し込んだ。

 グリム5こそが死神としての〈ぼく〉に与えられた名前コールサイン

 そして乗り込むこの機体こそが、死神としての〈ぼく〉に与えられた身体だった。


 ――――VB-13 ナイトリーパー


 そう名付けられた高々度精密爆撃機が5機、ちょうど逆V字の形に並んで高度10000mの夜空を飛ぶ。それは一糸乱れぬ編隊を組む怪鳥の群れにして、人ならざる者・・・・・・たちと戦うために先端科学の粋を凝らして建造された有人兵器。

 そのシルエットは真上から見れば十字に近い。まるでコウモリの羽のように膜を張った翼で時おり羽ばたきを繰り返しながら、やや膨らんだ機首に埋め込まれた赤い単眼モノアイは地上を舐めまわすようにせわしなく動いている。

 敵はどこにいるのか、と。


「目標を発見」


 〈ぼく〉の眼球運動と連動する高精度暗視カメラは、無機質な視線の先にたしかに人ならざる敵の姿を捉えた。遥か下方で炎上する街を我が物顔で歩くその異形は、もう何度見たとも知れない人類の天敵たる怪獣・・たちの姿だ。

 せいぜい一万人が住んでいたであろう小都市の中にぽつぽつと蠢く黒い影、炎に焼かれて赤黒く照らされた市街地の中に、赤く照らされた甲虫怪獣が這いずり回っている。その身体から放たれる瘴気とでも言うべき毒性のガス代謝物は、地上をほの明るく曇らせていた。

 〈ぼく〉が見知っていた街は今や霧中に沈んでいる。


「ひどいもんだ」


 まるで感情の無い独り言が口から漏れ出る。

 怪獣、彼らは突如として地球に湧いて現れた融合生命体だ。

 最初の一体こそ核の火で駆逐することが出来たけれども、南太平洋の国々ごと怪獣を消滅させて得られた戦果の代償はあまりに大きかった。結果として世界中に怪獣の因子を撒き散らしてしまったものだから、数年後には地球に住まうあらゆる生命体が怪獣の因子を取り込み、そのうちの数%が人類文明圏に牙をむき始めたのだ。


 怪獣はヒトを襲う。

 怪獣はヒトだけは模倣しない。

 理由など知らない。確実に分かっていることは、彼らが人類文明圏を憎んでいるかのように街々を襲い、重力制御や荷電粒子砲や空間位相シールドといったオーバーテクノロジーの数々を宿した身体で人類を滅ぼそうとしているという事だけだ。

 だから人類も怪獣たちの技術を取り込んで、怪獣たちに対抗し得るマシンの数々を作り上げた。今度はお前たちの番だとでも言うかのように。


 トリガーボタンに〈ぼく〉の指がかかる。

 ナイトリーパーのレーザー砲が眼下を睨む。

 それは死神の鎌が振り上げられた瞬間だった。


『各機、掃討せよ』


 発射ファイア。夜空に溶け込んだ5機のナイトリーパーが、遥か下方の街に向けて不可視の槍を突き立て始める。毎秒10発ほどのサイクルで放たれるパルスレーザーの瞬きは、砲身の向いた先にある目標物を次々に焼いて行く。否、あまりにレーザーの発振出力が高いから、消し飛ばして行くと言った方が正しい表現かも知れない。

 発射、怪獣の頭部に細い穴があいた。

 発射、ビルの壁面が蜂の巣に消し飛んだ。

 発射、毒に侵された死者たちが煙となった。


 ナイトリーパーのカメラは極めて優秀だ。

 だから、カチとトリガーボタンを押し込んで行く度に消し飛ぶ怪獣の筋線維も、蒸発して行く人間の内臓もはっきりと見せてくれる。先ほどレーザー狙撃して蒸発させた男の胸が実はかすかに上下していて、もう死を待つだけだったとはいえ、まだ息があったということも。

 その事実に〈ぼく〉の指は震え――――なかった。


「怪獣ならびに汚染源の焼夷消毒、八割を完了」

『続行せよ』

「了解」


 5機の死神たちは、なおも空から数百本のレーザーを浴びせかける。

 汚染源。すなわち怪獣の毒を浴びた人間たちの成れの果てを焼き尽くし、さらなる二次被害が広がるのを防ぐ事もまた重要な任務だ。〈ぼく〉たちのナイトリーパー部隊が極めて高い機密度で存在を秘匿されているのは、とても重要だけれども、誰もやりたがらないような仕事を遂行するからに他ならない。

 いや、実は違うな。

 〈ぼく〉は自分自身を心の中で嗤った。


「誰も知りたくないから、なんだよな」


 〈ぼく〉だってこの仕事をやりたくはない。

 やりたくはないけど、必要なことだから。

 必要なことだから、再びボタンを押し込んだ。


 機体の高精度暗視カメラ越しに見えたのは、何度か買い物に来たこともある商店街が穴だらけに消し飛んで行く一部始終。それを〈ぼく〉は動揺もなく、罪悪感もなく、すっきりと透き通った理性で満たされた脳髄によってすんなりと理解した。

 感情平坦化のマインドコントロール技術があればこそ、今、夜空を飛んでいるナイトリーパーのパイロットたち5人は平静を保っていられるのだ。子供を撃っても震えなくなる、怪獣を目にしても憎しみを覚えずに済む。そういう処置を受け入れた数年前に〈ぼく〉は晴れて死神の一員に加わる資格を得たのだから、ある意味ではありがたい事だった。


 この時代で食べて行くために、〈ぼく〉は死神をやっている。

 すでに助からないほどに毒に侵された人々を、その苦しみごと蒸発させている。


グリム1隊長機より各機へ、我らは怪獣ならびに汚染源のピンポイント排除を予定通りに完了させた』


 この街での任務は概ね終わった、と隊長は言っている。

 逆V字編隊の先頭を飛ぶ隊長機の主翼下には、およそ人間サイズの小さな葉巻型の物体が吊るされている。それはパルスレーザー砲で丁寧に片づけた街をきれいにする為の、仕上げ作業をするべく最後まで残されていた道具だった。


『総員、投下の後に光学迷彩システムを解除。退避のために直ちに高度を取れ。3、2、1、投下開始ドロップ


 隊長機から葉巻型の物体が投下されたのを見届けながら、即座に操縦桿を引く。加速に伴うGが身体をグッとシートに抑え付けてくるのも構わず、〈ぼく〉の機体は隊長機の後を追って黒い夜空に舵を切った。

 雲海を抜けてさらに上昇する5機のナイトリーパーたちは、航跡に微かなイオンスラスタの燐光を曳きながら闇夜を最大推力で退避。上下も分からぬような真っ黒な世界を飛び続けて十数秒が経った頃に、雲海のさらに下から強烈な光が弾けた。雲海を突き刺してなお余りある光の束が、光学迷彩を解いた5機の死神たちのボディを鮮烈に照らし上げる。


 無事に小直径戦術核弾頭が起爆したのだ。

 今頃はきっと地上の街は全てが焼き尽くされて、怪獣たちが撒き散らして行った毒性物質ごと街はきれいに掃除されたはずだった。核弾頭の威力というものは案外限定的だから、怪獣たちは事前に撃ち殺しておかなければならないけれども。人間は結局のところ、汚れたモノを掃除するにはもろとも火で焼いてしまうのが効果的だと考える生き物らしい。

 禁忌の抑止力としても、全てを決着させる最終手段としても、もうとっくに意義を失った核兵器が投下される意味などそれくらいに過ぎないのだった。


『任務は完了した。総員、よくやった』


 それは嬉しさも達成感もない、ただの報告。

 それでも『これで終わりだ』と告げられた瞬間、どこかでホッと胸をなでおろした自分がいたような気がして、〈ぼく〉は感情平坦化の処置が少し弱まっているのかも知れないと疑ってみる。帰還したなら軍医に相談するべきかもしれない。いや、絶対にするべきだと強迫観念じみた声が頭の中に響いた。

 感情を殺したいのは、なぜだろう。死神の腹に収まり、死神の脳髄となって働く〈ぼく〉にはよく分からなかったけれどもとても恐ろしい予感があるのは確かだった。


 何か必然的な、とても恐ろしい予感。

 自分はいつか然るべき罰を受けるのではないのだろうかという考えが、何年も前から脳裏にこびりついて離れてくれないのだ。それはいつか同僚に死神の話を聞かされたからなのか、あるいは戦場の兵士にはつきもののオカルティズムの類なのか。答えは未だに分からないままだったけれども、そう思っていたからこそ、〈ぼく〉は隊長機から不意に送られて来た緊急通信にどこか因縁めいたモノを感じてしまった。

 来るべきモノが来たのだ、と。


『……グリム1隊長機より各機へ。20分ほど前に大型敵獣によって北方の防衛ラインが突破されたらしい。現在我らが最も近い空域にいる、近接航空支援を行うべく現場に急行する』


 その報せを聞いてわずかに顔の皮膚が引きつったような気がした。それはただの反射行動に過ぎないけれども、動揺なんてありはしないけれども。

 北方の防衛ラインが突破されたという事はつまり、ちょうど今頃は、〈ぼく〉の生まれ育った街が怪獣に蹂躙されていることを意味していたから。


「グリム5、了解。追加任務を受領する」


 この時代、ナイトリーパーに乗れば最も死神に近い存在となるはずの〈ぼく〉は、どこかで鎌を振り上げているかもしれない本当の死神を呪った。その鎌で誰かの命を刈り取るのならば、早く〈ぼく〉の番にしてくれないかと願いながら。

 ナイトリーパーが切り裂く夜空はこの日も、一部の隙もない闇に満たされていた。

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