03 Love,

 一度もふれたことがないのに。その、一度のキスだけで。


 耐えられなくなった。


「好きだった」


 声が。


「好きだった。好きだった、のに」


 震える。


「俺は。あなたのしあわせのために。あなたに触れることが、できなくて」


 あなたのことが。


「あなたのことが」


 好き。


「好き」


 好きだと言うのに。


 こんなにも、時間がかかって。


「好きだ。離れたくない。俺は」


 俺は。どうしたいのだろう。


 彼女。


 手が。


 やさしく、頬に触れてくる。


 拭われて、はじめて。泣いていることに、気付いた。


 彼女に、触れたい。抱きしめたい。


「待ってね?」


 彼女。なみだ。


 電話を、かけている。


「すいません。わたしです。明日の婚約についてです。はい。お断りしようかと、思っています」


 言葉が。


「いえ。冗談ではありません。婚約を、破棄します。支持基盤も何も関係ありません。私個人のことです。あなたがたに詮索されることではありません」


 彼女。


 電話を切って、こちらに駆け寄ろうとして。


 また着信。


「もう、かけてこないでください」


 彼女。それだけ言い捨てて。


 携帯端末を。


 地面に、派手に叩きつけた。


 彼女の低いヒールが。


 携帯端末を。


 踏みつける。


 何度も。何度も。


「はあ。はあ。あ、ごめんなさい。つい」


 彼女。抑えつけていた思いが、全て、携帯端末に。ぶつけられたのか。


「違うの。冷静です。この携帯端末、位置情報を基地局から探知できるタイプなので、壊すのがいちばんなの」


 壊れた携帯端末の亡骸を、あわてて拾おうとしている。


 伸ばされた、その手を。


 握った。


「俺が拾う。けがしたらいけない」


 携帯端末の亡骸を、ひとつひとつ、丁寧に拾った。


「あなたは、けっこう派手なんだね?」


「わたし。はずかしい。わたしも、こんな。携帯端末ぶっ壊す女だなんて、思わなかった」


「いいんじゃないかな。ただイエスとしか言わない女よりは、ましだよ」


「きらいに、なった?」


「ぜんぜん」


 携帯端末の残骸を拾い終えて。


 立ち上がろうとした背中が。


 柔らかく、暖かくなる。


 抱きつかれている。背中。


 そして、それが離れて。


 目の前に、彼女が。


「行こう。もうすぐ、四時に。なるから。最初の電車に。乗りましょう。ふたりで」


「そうだな。ふたりで」


 彼女。


 一回だけ、目の前でくるっと回って。


 こちらに手を伸ばして。


「わたしを、この夜の街から。朝陽の前に連れ出して」

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