-3- 《牙柩鬼》

 記志が目を覚ますと、そこは殺人現場を目撃したビルのオフィスの中だった。

 ビジネス用の机が並べられているのに、誰ひとりいない。まだ定時には早い時間のはずだ。

 詳しく調べるため立ち上がろうとするも、手足が何かに縛られて拘束されていた。

 しかも、ルイが隣りにいないことに気がつく。


「ルイさん! ルイさん!」


 記志は大声で呼びかけるも、ルイの返事はなかった。

 ジーンズのポケットにスマホがあるのか、手荷物はどうなったのか、確認しようと皮膚の触覚を研ぎ澄ました時、カーペットの上を歩く靴音が聞こえた。

 そこに視線を向けると、大したことない胸をはだけたブラウスに、タイトスカートを履き低めのヒールを鳴らす女性だった。

 今まで犯罪に巻き込まれたことがない、イジメはあったがそれでも安寧の暮らしをしてきた。

 そんな記志でも、脊髄が凍りつくような感覚を、この女の正体を教えてくれた。


 ――この女が殺人鬼だ。


「騒がしいと思ったら、目が覚めてたのね」

「ここはどこだ? ルイさんをどこにやった?」


 その刹那、記志の顔に蹴りが何発も見舞われ、大アザが出来た。

 女は記志の顎をヒールのつま先で持ち上げると、害虫を見るような目で見下ろした。

 そして怒りを吐き捨てるように言った。


「私の瑠衣を呼び捨てにしていいのは、私だけよ! アンタ、瑠衣の一体何なの!? おっぱいに顔をうずめるなんて、この強姦魔!」

「痛っ……、俺は強姦なんかしていない。あれはあの人の厚意で――ガハッ」


 今度は腹をくりかえし蹴られた。

 この常軌を逸した暴力に、普通でない何かを感じた。

 殺意とかそういうものじゃない。恐ろしいまでの何かを。

 その恐怖とあいまった痛みで、顔が歪んでしまう。

 

「嘘よ! この嘘つき! 私の瑠衣が私以外に気を許すものか!」

「ゴホ……ゴホ……。あの人は何処だ?」

「私の愛の巣にいるわ。ほほほ、どう? 嫉妬した?」

「そんなことより、ルイさんは無事なのんだろうな」


 今度はサッカーのように蹴られた。

 その瞬間肋骨の折れる音が、たしかに響いた。

 

「ぎゃああああああ!」

「名前で呼ぶな! 今度言えばその不味そうな脚、食いちぎるわよ」


 記志は言い返せなかった。

 全身にめぐる痛みで、それどころではないからだ。

 返事がないことに苛立った女は、もう一度足を振り上げた。


§§§§


 気がつくと、見知らぬ天井が見えた。

 ルイは何者かに連れ去られた瞬間を思い出し、記志の姿を探した。

 同時に状況を把握するため、外敵がいないかに全神経を集中した。もしそうなら、記志を守るためにもすぐさま迎撃体勢を取らなければならない。

 目視できる敵影はいない。

 気配で察知できる人も、記志もいない。

 ならば、訓練どおりにするまでだ。

 今は命の危険はとりあえずない。

 それが将来的に訪れるかもしれない。

 その備えのために、次に状況把握だ。


 ルイは起き上がれるか試みた。

 手首手足と腰に何かで縛られてしまっていた。

 真っ白なシーツの上で頭を立てて、下を見た。

 しかし胸が邪魔で見えない。

 いつも寝ている姿勢なら、ある程度乳房が潰れているはずだ。  

 だが、ワイヤーがその根本から縛り上げているせいで、風船を立てたような形になっていた。

 先端部分は咲乙女の衣のおかげで現れていないものの、はっきりと場所を主張するように尖っていた。


「ぃや……」


 思わず頬を赤らめてしまった。

 恥ずかしがっている場合じゃない。

 ワイヤーが黒くて、材質がはっきりとしなかった。

 たわませようにも、きつく引っ張られていて身動きが取れない。


 だが万策尽きたわけではなかった。

 幸いなことに、指は縛られておらず自由に動かせた。

 これなら巫術を使うことができる。

 考えうる術を思い出していく。

 この状況を打破できる巫術は、二度と使うまいと心に決めたアレしか思い浮かばなかった。

 こんなとき、頭が悪ければ色々とあがくことだってできるのだろう。

 だけどルイの頭の回転の速さは、最新AIすら凌ぐ。


「これ以上胸が大きくなったら、責任とってもらうんだから!」


 誰に向かってでもない言葉をつぶやくと、中指と親指を弾いた。そのまま、一六ビートのリズムを刻んだ。

 すると、咲乙女の衣に蒼光が駆け巡った。


「あふっ、……くぅっ……」


 ルイが苦悶の表情を浮かべながら、手を握りしめた。

 身体がえびぞりになり、縛られている胸が顔の方へ揺れ下がった。


「ハ!」


 気合とともに全身の筋肉が、一気にボンッと盛り上がった。

 むろん、大胸筋も膨れ上がってバストサイズまでパンプアップした。天井をつく勢いだ。

 身体の変化に耐えるため、深呼吸で耐える。

 まるで、フルマラソン後の選手のようである。

 身体の変化が落ち着いたところで、拘束しているワイヤーを引っ張った。

 歯を食いしばり、両腕の上腕二頭筋をこれでもかと隆起させて、拳を力いっぱい握りしめた。


「ぐぅぬぅぅ……。ちーぎーれーろ!」


 バッキィィィィィィィィィィン!

 ワイヤーが、目の前で交差した。


 鼓膜を突き破るような甲高い金属音がして、ワイヤーは見事に引きちぎれたのだ。


 そしてまとわりつくように巻かれている、胸のワイヤーを両手で引きちぎった。

 先ほどとおなじ音とともにワイヤーが吹き飛ぶと、おっぱいが激しく上下左右に揺れた。

 落ち着かせるため、乳房を抑えこんだ。


「あぁん、もう! やだ!」


 すぐに身体を起こすと、同じように足首に縛られたワイヤーを引きちぎった。

 やっと自由に身体が動かせるようになったルイは、ベッドから立ち上がる。

 そして巫術を解除するため、拝礼するように両手を合わた。

 すると、みるみる手足が細く戻っていく。

 流石にこの変化は激しすぎて、肩が上下に揺れるほど息が上がってしまった。


「巫術《手力男命たぢからをのみこと》。習った時はあまりの身体の変化に二度と使うまいと思ってたけれど……」


 胸がここまで大きくなってしまったのも、この巫術を使ったのがきっかけなのをはっきりと覚えている。

 そして、また数センチの盛り上がりに、うなだれてしまった。


 息を整えながらワイヤーを調べてみた。

 やはり鋼鉄製のワイヤーで、太い針金を何重にも編み上げたものだった。

 他の火炎系では、焼き切る火力が足りない。それにその手の巫術が苦手だった。

 手首をみると、咲乙女の衣が丈夫なおかげで、擦り切れていなかった。痛みもない。


 この間も警戒は怠らなかった。

 誰も来ていないところを見ると、見張りすらいないらしい。

 

「記志くんはどこ?」


 舞花様はまだ到着していないのか?

 それとも、ここは発見したオフィスと違う場所だったのか?

 とにかく、ピアスの巫術通信で連絡を取る。

 

「ぎゃああああああ!」

 

 そのとき、男の叫び声が響き渡った。

 ほぼ間違いなく記志のものだ。

 ルイはすぐにその声のもとへ向かうべく、通路を駆け抜けた。


『ルイ? どうしたの?』

「舞花様、ルイです」

『おちついてルイ。何があったの?』

「記志くんが危ないんです」

『え? 彼なんてここにいたっけ』

「舞花様、後で!」

『ちょっと、ルイ!?』


 舞花の殃我に関する記憶が薄れている。

 おそらく、雫の定時連絡直前なのだろう。

 今細かく状況を説明している暇がない。

 僅かに空いたドアを発見し、そこへ飛び込んだ。


 柱に縛られた記志と、身体を痛めつけている女の姿が見えた。

 直ちに巫術札を投げ入れて、記志に防御結界を張り巡らせた。

 間一髪、ダメ押しの追撃を防ぐことが出来た。

 邪魔をされた女がこちらを見たとき、ルイははっとした。


「成宮さん?」

「ふふふ、私の瑠衣が待ちきれずに来てくれたわ」


 昔の苦い記憶が蘇る。

 会社勤めだったころ、ルイは孤立させられるイジメにあっていた。そしてセクハラも受けていた。その中心にいたのが成宮だ。


 まさかとは思うが、確認しなければならない。

 ポケットになっている胸の谷間に手を入れて、そこからコンパクトを取り出した。

 月鋼石を磨いた鏡を成宮に向け、光を反射させる。

 それは青い炎のような輝きを放ち、彼女が殃我であることを決定づけた。


 記志の保護を最優先にするべきだ。

 しかし、ルイは戦闘が苦手だ。そうでなくても、殃我と相対するには、流止は五人以上のチームを組まなければ勝ち目がない。

 超AI思考をフル回転させているとき、成宮らしき女が聞いた。


「それにしても、どうやってあの鋼鉄ワイヤーを切り抜けたの? 私と瑠衣の邪魔をするやつが他にもいたのね」

「そんなことよりも、その男の子を開放してください!」

「嫌よ! こいつはあなたの身体が目当ての変態野郎なのよ。男なんてみんなそう。食べる以外の価値なんてないのよ」


「やはり、殃我と交渉するなんて無理な話でしたね」

「あら? 私と戦う気? いいわよ。この男を拷問にかけた後で、食べ尽くして愛してあげようと思ってたけど」


 ルイは胸の谷間から、巫術札をできるだけ多く引き抜いた。

 殃我成宮、いや、《牙柩鬼》は不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと舌舐めずりをした。

 予め術を込めた五枚の札を、《牙柩鬼》に向かって投げた。


 しかし《牙柩鬼》は三枚をすべてはたき落とし、二枚をかわしてしまった。

 床に落ちた札は、一瞬だけ青い炎をあげてすぐに燃え尽きてしまった。


「あはははっ。それさっき見たやつね。ちょっとだけ熱かったけど、大したことなかったわ」


 ルイが目印として投げた巫術札は、《牙柩鬼》によって消されてしまっていたのだ。

 ルイの頬から汗が一滴、滴りおちた。

 残りの防御巫術でどれだけ凌げるか、いや凌げないのは明らかだ。

 成宮が唐突に言った。


「気に入らないわね」

「何が、でしょうか」

「どうしてあなた、笑っていられるのかしら。そこは恐怖におののき、私に命乞いをするところでしょ?」

「そうですか、笑っていますか私。……ありがとうございます、殃我に感謝をいう日が来るなんて思いませんでした。

「わけわかんないわよ!」


 《牙柩鬼》が攻勢にでた。背中から触手が伸びた。

 それをルイは札を使った結界で防ぐ。

 しかし、一撃で結界が壊されてしまう。最も強い強度は記志に使ってしまっていた。

 次々と壊され、跡がなくなった。


 《牙柩鬼ガキュウキ》が勝利を確信して、触手を一斉に振り下ろした。

 死を覚悟した刹那、同時に触手が弾き返った。


「大丈夫? ルイ」

「舞花様!」


 それは、鍔凪乙女に咲装した舞花だった。

 成宮に剣先を向けると、舞花は啖呵を切った。


「よくもウチの大事なメイドに手を出してくれたわね、サイコレズ。いや、殃我《牙柩鬼》。この鍔凪乙女《万重》が、お前を討滅する!」

「お前か! 瑠衣を私から奪った泥棒猫! 絶対に殺してやる」


 舞花が来てくれただけで、ルイの心は安心感と頼もしさに溢れた。

 鍔凪乙女は決して負けない。必ず討滅してくれる。

 ピアス通信を開いたまま、発振器の代わりにしていたことに気がついてくれたことにも深く感謝していた。


 ルイは記志に駆け寄った。

 そして、術を仕込んでいない巫術札を取り出し、指を鳴らして応急処置の巫術を形成して記志の患部に貼っていく。


 戦いの様子をみると、既に成宮は殃我に変化しており、舞花が数多の触手を神速の剣で捌いているところだった。


§§§§


 舞花はルイにいくら呼びかけても返事がなく、なのに通信を開けたままなのを訝しんでいた。

 ビルの屋上までジャンプで駆け上がった。


「あれ? 急いでここに来たはずなのに。なんで慌ててたんだっけ??」


 大したことはないのだろう。

 それは置いといて、ルイの意図することを考えていた。

 記志は屋敷で待機していたはずだし、今は魔骸蟲のパトロール時間だ。

 しかし、なにか重要なことが抜け落ちている気がする。

 気のせいか?


 そのとき、ピアスが別の点滅色に光った。この着信音は雫からだ。

 舞花は応答すると、雫が開口一番言った。


『《牙柩鬼ガキュウキ》どうなった? 見つかったか』

「なんのこと?」

『やっぱ忘れちまってたか……。あのな、舞花とルイと図塚くんは《牙柩鬼ガキュウキ》を探していたんだぞ』


 雫が初めから順を追って説明した。

 舞花はようやく思い出しかけた。


「そうだった……わね。ありがとう雫。じゃあ、ルイの回線から聞こえてくる会話の相手が殃我か」

『マジかよ。何やってんだよ!』

「記憶改変は本当に厄介ね。まだ頭がもやもやする……。ん?」


 目の前のビルから、青い閃光が放たれて消えたのを目撃した。


「ルイの巫術札だわ! 雫、行ってくる」

『早く終わらせてこい、鍔凪乙女ヒーロー


§§§§


 触手をやすやすと弾かれた《牙柩鬼ガキュウキ》は、叫び声とともに身体が巨大化していった。

 人型の白鬼がうつ伏せになって浮いている。しかし、よく見ると、胴体から足のような付け根がみえた。

 つまり、あれは足の見えない蜘蛛ということだろう


 突如、舞花の身動きが取れなくなった。

 身体が見えない糸で巻きつけられてしまったのだ。

 両腕と両足が、大きな力で広げられて、吊るされていく。

 胸が縛られ、乳房の形があらわになった。しかもクロッチ部分まで糸を這わせて縛り上げている。


「くっ、なんてパワーなの? 鍔凪乙女の力を上回るなんて」

「ガー、キュキュキュ♪ お前をすりつぶして、脳みそかき回して、ま○こ引き裂いて子宮引き釣り出して、肛門からクソぶちまけさせて、一番惨めで苦しい殺し方をして食ってやる!」

「そういうセリフは、殺している最中に言うものよ」

「今がその時だろうが」

「そうかしら」


 舞花は不敵の笑みを浮かべると、宝刀《万重乃煌ばんじゅのきらめき》を手放した。

 落ちた宝刀は、オフィスの床に突き刺さってしまう。


「ガー、キュキュキューキィ♪ とうとう観念したか」


 舞花は左手を大きく広げた。

 すると落ちたはずの宝刀が、ひとりでに浮いて戻っていく。

 舞花に近づいたその時、腰の鞘に刀身が擦れて青い火花を散らせた。

 手元に戻ったときには、その火花から青い炎が湧き立ち、刀身を包み込んだ。


「烈装・聖炎剣!」


 舞花は宝刀をくるりを回すと、周りの見えない糸が燃え盛った。

 あっという間に糸はとけ、舞花は床に着地することが出来た。


「ガキュ!?」

「お前はすでに討滅しているわ」


 いつの間にか後ろに立っていた舞花に、《牙柩鬼》が振り返ろうとしたとき、身体が真っ二つにズレ落ちて、そのまま青い炎である聖炎が燃え上がって消失した。

 舞花は宝刀を祓って聖炎を消すと、ゆっくりと鞘に収めた。

 咲装を解除しようとしたとき、鋭い気配がして、後ろをすぐに振り返った。

 そこは殃我が壊した壁で、外が見えているだけだった。


「気のせい、かしらね?」


§§§§


 ミニスカートとTシャツとスニーカーの、質素な格好をした少女がビル工事現場の鉄筋の上で両足を振りながら座っていた。


「「あーあ。あのOLさん、やられちゃった。いい悪意と欲望にまみれていたのにねー」」


 少女と少年の声が同時に発声される言葉は、とても神秘的であると同時に畏れも伴っていた。

 そして笑顔で横を向いて、隣りにいる女性に話しかけた。灰色のレオタードで身体の線がくっきりと現れている。そして胸元の上には長いマフラーをしていた。


「「ねぇねぇ。パパは元気?」」

「しばらくは動けないわ。無理にあなたを産んだせいでね」

「「そんな怖い顔しないでよ。それだけの価値がボクにはあるでしょ? それにしてもグルメだよね。熟成した殃我しか興味ないなんてさ」」


「なぜ《牙柩鬼ガキュウキ》に加勢しなかったの? 二人がかりなら鍔凪乙女を仕留められたでしょ」

「「それ本気で言ってないよね? いくらボクでも若い殃我くらいの戦力で勝てるわけないじゃない。あははは」」

「皇が腹をすかせているわ」

「「分かっているってば! パパには別の殃我を行かせたから。今頃美味しい夕飯になってるよ」」

「揺動だったってわけ?」

「「ボク賢いでしょ。褒めてもいいよ」」

「ふんっ」


 死徒と呼ばれた少女(?)は、鉄筋の上に立つと腕を頭にくんで歩き始めた。


「「鍔凪乙女を助けるんじゃないかって、思ってたけど」」

「あれは敵よ! それに、私はもう里を捨てた」

「「ちょっと、逆ギレはなしだよ。そんなに怒ると、小ジワ震えるよ、お義母さん」」

「ところで、次の依代ターゲットは?」

「「もうっ。これから探そうと思ってたのに、やる気なくしちゃうな」」

「子供ぶってないで、とっとと行きなさい」

「「そっちこそ。まあいいや。じゃね~」」


 マフラーの女性は溜息をつくと、ショートヘアの髪をかきあげてビルの上から飛び降りた。


「皇のために」

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