-2- ご褒美

 舞花たちは殃我を特定したことで、捜査のやり方を決めることが出来た。

 《牙柩鬼ガキュウキ》は、一気に大勢の人を喰らう習性がある。

 だから、突然テナントに空きが出たかどうかを調べればいい。

 いくら殃我といえど、人の記憶を改竄出来ても書面やデジタルの帳簿までは改竄できない。

 それでも舞花たちは、急ぐ必要があった。


「今すぐにでも調査して、不自然な物件を見つけましょう」

「舞花様、お待ちを」

「でもルイ、こうしている間にも」

「焦るお気持ちは分かります。ですが、外から見て判断できるテナントはほとんどありません。定休日のオフィスだってあるのですから」


「だったらどうするの?」

「セントラルシティの不動産ネットワークにアクセスして、賃貸情報を調べます。そこから突然空きが出来たテナントをピックアップしていきます」

「どのくらいかかるのかしら?」

「改竄された記憶で、正しいデータが修正されてしまいかねません。ですから、できるだけ速やかに行います。お任せください、一晩で終えてみせます」


「凄いわ! 私だってセントラルシティの物件の多さは知っているけど、それを一晩でやっちゃうなんて」

「すぐ、お屋敷に戻りましょう」

「待って」


 舞花は重大な点を見落とすところだった。

 それをルイに伝える。


「殃我の被害者関連の記憶は消えてしまう。それは私たちだって例外じゃないのよ。最悪、帰っている途中で忘れてしまうこともありえるわ」

「ですが、ここで見張っていてもそれは同じことです。《牙柩鬼ガキュウキ》……でしたか? 発見して、駆けつけている最中に忘れてしまうでしょう」

「ホント、どうしたらいいの……」


 舞花は胸下に腕を組んで、壁にもたれた。

 いくら考えても、いいアイデアが出てこない。

 殃我の殺戮現場をすぐに目撃出来たなら、なんとか間に合う。

 しかし、怪しい現場となると別だ。

 調べていくうちに、どんどん記憶が薄れてしまう。


 そして《牙柩鬼ガキュウキ》討滅の任務を忘れて、他の任務に行ってしまうことだってありえる。

 今までは、こういうビジネス街での任務はなかったので、怪しいところを調べればすぐに見つかった。

 こうしてビル群を見渡すと、すべてが怪しく思えてくる。

 まるで、素潜りして深海を調査している気分だ。

 広範囲の索敵は、初めてのケースだった。

 その時、右ピアスが点滅して巫術通信が入った。


《舞花? こちら雫。そっちは?》

「殃我の種類が、《牙柩鬼》……でいいのよね?」ルイの頷きを確認して「ということまでは掴んだわ。これから捜索よ」

《大丈夫か? 忘れかけているぞ》

「ええそうなの。急がないと」

《だったらさ、ここにうってつけのやつがいるじゃん》

「誰よ」

《図塚記志》

「あ! そうか、そうだったわ! 図塚くんの完全記憶能力なら」

「しかし、彼はまだまともに護身術も出来ません。危険です」


 ルイが心配そうに進言した。

 確かにまだ最前線につれてくるのは、まだ早い。

 しかしオフィスの変化を捉えることができるのは、記志しかいない。

 舞花はそれでも、とルイと雫に言った。


「今から、自走モードのゼロナナをそっちに向かわせるから。それに図塚くんを乗せて」

《分かった。あたしも行くんだな》

「あんたは留守番よ。そこなら忘却の影響が少ないでしょ。一時間ごとに通信して、教えてほしいの」

《わかったよ。しかたねぇな》


 それから一時間後。

 ゼロナナの排気音とともに、それに跨った記志が必死にしがみついてやってきた。

 その手足は、ベルトで固定されていた。


「ご足労ありがとう、図塚くん」

「雫ちゃんがこのバイクに跨がれっていうから、言う通りしたらベルトが鞭みたいに飛んできて縛り付けたんだぞ。しかも勝手に走り出すし、……俺は免許持ってないんだぞ」

「早速で悪いんだけど、手伝ってくれる?」

「おい! 人の話を……、いや今は後回しだな。殃我探しを手伝えばいいんだな?」


 ゼロナナから降りると足腰がふらついていたので、思わず舞花がカバーに入った。

 男の子の身体は筋肉質で硬い。

 やっぱりルイの胸のほうが……。

 任務に集中しなければ! と記志の身体をちゃんと立たせた。

 月鋼石で作られたものに、特殊訓練を受けてない素人が触れば体幹を崩す。だから半ば強引だったが、ゼロナナに命じてベルトに縛り付けさせた。

 慣れないバイクと相まって、かなり披露していたのだろう。

 それでもやってもらわねばならない。

 ふと記志の顔を見上げると、顔を真っ赤にしており、そっぽを向いていた。


「なに? 意識しちゃってるの? 高校生にもなって」

「悪いかよ! 女子となんてろくに喋ってないし」

「ほら、もう歩けるでしょ!」

「イテッ」


 記志のお尻をパンを叩くと、しっかりと二本足で立った。

 ちょっとした照れ隠しの入ったお尻打ちだったことは、どうにか気づかれなかったようだ。

 ルイがこほんと一咳置いて、現状を細かく説明した。

 記志は相槌を打ちながら聞き、殃我の習性について質問を返していた。


「要するに俺の役目は、突然大勢の人が消えた地区を見つけ出せってことか」

「そう。私達じゃ、目の前で消えたのでない限り分からない。数百メートル先で起こったとしても、駆けつけたときにはその記憶はなくなっているしね。だから君の力が必要なの」

「分かった。俺の力が役に立つなら」


 舞花が立てた作戦はこうだ。

 ルイと記志が組んで、高所からビル郡を監視する。

 舞花はその中を常に飛び移りながら、巡回する。

 舞花が先に見つければそれで良し。

 記志の発見が早ければ、ルイから連絡を受けた舞花が現場へ向かう。


「ふたりとも、任せたわよ」

「承知しました」「まかせとけ」

「いい? 殃我を発見したら、巫術で目印をつけて即離脱すること。私への通信は二の次で構わない。もしトラブルが起きたら、必ず私に通信すること」

「はい」

「記志くんもよ。ルイの言うことをしっかり聞きなさい。単独行動取ったら、ルイも危険に晒すのだからね」


 記志は強く頷いた。

 そして、舞花の合図で二手に分かれた。


§§§§


 ルイと記志は、オフィスビル群を俯瞰しやすい屋上に来ていた。

 しかし、双眼鏡もないのにビルの中を覗くのは無理がある。それに、窓ガラスの鏡面反射で中を見ることはまず無理だ。

 任せて、とルイは片膝をついた。それから小さな端末を取り出す。先程、舞花の前で解錠してみせたものと同じだ。


「図塚様、これを」

「あのさルイさん」


 記志は巫術のカードを受け取ってから聞いた。


「はい? なんでしょうか」

「ルイさんだけどうして名前で呼ばれているんですか?」

「流止になったものは、名前で呼び合うのが通例です。私は舞花様にスカウトされてから三年経ちますが、名字で呼ばれたことはありませんよ。舞花様と雫様も同様です。ですが……これは伝えておいたほうがいいでしょう」


 ルイは話しながら、端末らしきものを操作している。

 するとディスプレイらしき窓から、オフィス街を示す立体的なマップが浮かび上がった。

 端末を持って左右に動かすと、羅針盤のように立体マップが動く。

 その様子を見ながら記志が返事をした。


「どんなことですか?」

「任務中、第三者がいる可能性がある場合、つまりこういう外出時のことですが。基本的に、鍔凪乙女のことを名前で呼ぶのは禁じられています」

「そうだったんですね。でもなんで?」


「尊敬と畏怖を込めて作られた慣例だと聞いています。鍔凪乙女は選ばれし戦士であり、常に最前線で命をかけて戦う。流止の民はそんな彼女たちに、憧れているのです」

「舞花ちゃんたちって凄かったですね」

「それはもう。お一人お一人が一騎当千の戦力ですからね。ですから、他の流止の前で『ちゃん』付けはしないでくださいませ。少なくとも反感を買ってしまいます」


「じゃあ、様付け?」

「いえ。鍔凪の名前で呼ぶのが敬意とされています。舞花様は《万重クレマチス》、雫様は《雪雫スノードロップ》ですね。名前で呼んでよいのは、鍔凪乙女が心を許した人だけです」


 ルイは誇らしげにそういうと、端末セッティングを続けた。

 記志はこの話をした本題に入った。


「それから……。俺のことも名前で呼んでくれませんか。なんか一方的に名前で呼ぶのは、悪い気がして」

「では、記志様」

「様も、甲冑の騎士で呼ばれているみたいでこそばゆくて」

「それでしたら、記志くんと呼ばさせていただきますね」

「俺が年下なんだから、敬語はなしでいいですよ。こんな時に言うのもなんだけど、俺一人っ子です。本当はお姉さんが欲しかったんですよね。ルイさんってその、理想のお姉さんって感じがして」

「ふふふ。では、私のことは『ルイ姉さん』と呼んでもいいのよ」


「わ⁉? そ、それは流石に……。色々確定しそうで」

「確定?」

「あ、こっちの話。色々注文付けて悪いけど、俺の方は今まで通りルイさんと呼ばせて貰えませんか」

「いいわ。この任務をちゃんと手伝ってくれたら、お姉さんがご褒美あげるわね」


 三日月の三白眼の瞳が柔らかく微笑んだ。

 記志はそれに顔を真赤にしながら、胸をたたいて返事をした。

 ルイはそれを聞くと、先程手渡した巫術カードをさして言った。


「記志くん、これをこめかみにつけて」

「こう?」

「そう。視界に変化があったら教えてね」

「分かりました」


 ルイは端末のタッチセンサーパネルであるパッドをなぞっていく。

 記志の視神経の反応と巫術を、ゼロコンマの感覚で調整する。

 しばらくして、記志が声を上げた。


「うわ!? 大きくなった!?」

「視野が拡大されたわね。今何が見えてる?」

「え、えっと……。ルイさんの、おっぱい」


 記志の両目に飛び込んできたのは、スーツ姿なのに大事な部分だけが切り抜かれた、ランジェリー丸出しのルイだった。

 ここに来る前にスマホで過激なグラビアを見ていたせいもあり、ルイと舞花をそのような格好で見ていたのだ。

 ルイは胸ごと記志を向いて、叱るように言った。双丘がたわわに揺れた。


「記・志・く・ん?」

「ご、ごめんなさい! 真面目にビルを見ます」

「まったくもう。一番近くのビルの窓に合わせるから、視線をそちらに向けてくれる?」


「はいっ。……ビル窓の中がはっきり見えてきました」

「よし。これを最低倍率に設定してっと。記志くん、こめかみに当てている札を、指で上下になぞってみて」

「ええと。おお、ズーム倍率が変わっていく」

「百倍まで拡大できるようにしたわ。でも目が疲れたら瞼を閉じてね。それから身体が怠くなったら休憩して。脳の視神経にも負荷をかけているから」

「了解です」

「私は反対側のビル群を見張るから」


 ルイは両手で指を鳴らすと、ピースサインを作って、脇を上げるように横に構えて覗き込んだ。

 指を開くと広角になり、狭めていくとズームになる。巫術の双眼鏡である。

 この範囲では異常は見つけられなかった。

 万が一に備えて警戒しつつ、次の方角へ移った。


 記志の目に飛び込んできたのは、夕暮れの窓に身体を押し当てて情事を重ねているカップルだった。こんなマンガみたいなと、本当にあるのか。しかも演技では絶対に出せない熱量を感じた。

 記志は目を瞑って己を自制した。ルイが隣りにいるのに、他人のセックスシーンを覗いてはダメだ。

 しかしその頃、ルイも同じシーンを目撃して顔を真赤にしてしまった。

 自分の谷間に手をうずめて抑え込み、好奇心になんとか抗う。しかし、男の物を女が加えて首を振っている姿に、目が離せなかった。

 自分の口が開きかけたとき、記志が声をかけた。


「異常なし、次西側に移りましょう」

「しょ!?」

「何かありましたか?」

「いいえ。そう、って言っただけよ」


 記志の気配に気が付き、慌てて視線をそらした。こんなところを見られては、沽券に関わる。

 そんな様子でお互いハプニングに合いながら、五つ目のビルに登り、陽がもう沈もうとしていた頃だ。


「ルイさん、ひっ、人が……たくさん飛び散って……何かに吸われていきました」

「そこよ、よくやったわ記志くん。顔色が悪いわよ、大丈夫?」

「前もって説明受けてなかったら、吐いてたかも」


 ルイは記志の背中を擦るために傍に駆け寄った。

 すぐさま離脱、というわけには行きそうにない。


「現場は何処?」

「近くのビルから数えて西へ六つ目の、十三階で、東側区画です」

「記志くん、よくやったわ」


 ルイは目印となる巫術札をそこへ投げ入れた。

 遠い距離だが、端末が地点を記憶しておりそこへ自動で追尾する仕組みだ。

 そして普通なら、目撃した瞬間に既に記憶から失われているはず。完全記憶能力の記志だからこそ詳しく伝えられたのだ。

 ルイは記志の頭を撫でながら通信した。

 記志にはそれが下半身をガチガチにする十分な引き金になった。

 ルイの大きなブラが背中に当たって、この上ない極上の柔らかさを体験していたからだ。

 思わず、小さくつぶやかざるをえなかった。


 ――やはり巨乳は素晴らしい。


「――畏まりました。舞花様は現場に駆けつけるそうよ。すぐにここを離れましょう」

「はい!?」

「どうかしたの?」

「い、いえ。なんでもありません」

「そう。じゃあ、はい。ご褒美」

「はい? わっぷ!?」


 背の高い記志の顔を抱き寄せ、ルイの胸に顔が文字通り沈んだ。

 背徳的な心地よさとはこの事を言うに違いない。


「少しは落ち着いた?」

「とっても温かいです」

「体温を感じられたならもう大丈夫ね。すぐにここを離れましょう」


 顔を上気された記志は心此処にあらずの生返事をして、ルイの手に引っ張られた。

 ビル屋上の扉に手をかけたその時、一瞬で視界が真っ暗になった。


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