-3- 舞花の喫茶店
記志はおもむろにメモ帳を取り出し、ものすごい速さで何かを書き留めていた。
「何しているの?」
「メモだよ。こうして、あった出来事を文字で吐き出していないと、頭が割れそうになるんだ」
店までもう少しなのに待てないのだろうか。
そして二階に店舗を構えるメイド喫茶のビル前に着いた時、記志があからさまに嫌な顔をした。
見え見えの演技をされるのが嫌いらしい。
「いいから、入るわよ」
「えぇ……」
舞花が階段を登り受付と顔を合わせた時、受付嬢は訝しんだ。
予約もしていないのに個室を使わせてくれと言ったからだ。
「いいから、個室に案内しなさい。繁忙期を除いて必ず一室あけるように、言い伝えているはずよ」
「え、お客様が当店に? どういうことでしょうか」
「これじゃ埒が明かないわね。マネージャー呼んでくれる?」
もうひとりの受付嬢が、マネージャーを呼びに奥に入った。
するとドタドタと音がして、大慌てでマネージャーがやってきた。
長い髪を結わえている三十代の女性で、黒縁メガネにタイトネクタイとインナーダウンベストにパンツルックだった。
そのマネージャーは舞花の顔を見るや、うやうやしく深々と頭を下げた。
「も、申し訳ございません、オーナー!」
「「お、オーナー!?」」
受付嬢二人が一斉に驚いた。
舞花はそれを見て、あきれ返ってしまった。
「私の顔写真、二人に見せてないの。この娘たち、新人でしょ?」
「申し訳ございません。今後このことがないように、研修しますので」
「今回は大目に見るけど、次の新人もこんな教育受けさせていたら、責任をとってもらうからね」
「はいっ」
新人二人も頭を下げて謝ってきた。
そして、さっそく二人を下げて研修を始めたようだ。
舞花が一言添えた。
「もしも、その新人たちを責めたら、ただじゃ済まさないわよ。いいわね?」
「はい! 肝に銘じます」
やっと個室に案内され、舞花はやれやれと肩をすくめた。
「新人が入ってくるのは、いいことね」
舞花が言うと、お冷をだしたツインテールのメイドが両膝をついて改めて謝罪した。
「申し訳ございません、オーナー。お詫びといっては恐縮なのですが、今回のお食事代はサービスにさせていただきます」
「ありがとう。もう気にしてないから」
「あの、ひとつ聴いてもよろしいでしょうか」
「何かしら?」
「なぜ新人をあんなにかばわれるのですか? 確かに落ち度はわたしたちにありますが」
「あなたは、知らなかったことに対して怒られると、理不尽に思わない? そして怒った人を快くは思わないでしょう?」
「確かにそうです」
「だったら、まずは覚えてもらうことを優先しなきゃね。もしもそれで繰り返し失敗するなら、その人の仕事中の考え方をじっくり聴いてアドバイスするの。私のお店はそんなふうになってほしいと、いつも思っているわ」
「ありがとうございます。オーナーと話すことができて、光栄でした」
「スタッフがお互いを好きにならなきゃ、お客様を好きになれないの。これマニュアルに書いてあるから、もう一度よく読んでおいてね」
「はい。それでは、ごゆっくりとおくつろぎください」
メイドは、畏まりながら個室を出た。
少年は空いた口が塞がらない、と言った様子だ。
「鳳凰院さん、ここのオーナーなのか」
「ごめんなさい、従業員の接客が至らなくて」
「いやいや、それはいいんだけどさ」
腰掛けて注文を適当に済ませると、あらためて記志に向き直った。
「話の前に、私のことは舞花と呼んでもらって構わないわ。名字で呼ばれると、色々面倒になるからね」
「それはそうだよな。分かったよ、舞花ちゃん」
「ちゃん……? まあいいわ。あなたのお父様、失踪しているそうね?」
舞花は直球の質問をした。
殃我に殺されたものは、存在がなかったことになる。記憶が急激に薄れ、ついには忘れてしまう。
記志が殃我でないとするなら、なぜこんな事が可能なのか。
流止として、知っておく必要があった。
「そうだ。なんで分かった?」
「ちょっと小耳に挟んだからね」
「店のオーナーだからか。ずっと聞き回っているんだけど、誰も知らないっていうんだ。早く手がかりをみつけないと、母さんが……」
「お母様が、どうかされたの?」
「父さんの失踪と同時に倒れたんだ。その時に父さんの記憶を忘れてしまって。勤めていた会社にも連絡したんだ。だけど誰も知らないって」
「それはお気の毒に。ご家庭は大変でしょう。他にご家族やご親戚は?」
「一人っ子で他にいない。親戚はみんなこの街の外で、近くに頼れる身内なんていない」
「そうだったのね」
舞花は腕を胸の下に組んで、一時考え事をした。
記志が話しかけようとした時、舞花がそれをさえぎるように言った。
「図塚くん、この鍔を見ててほしいの」
「刀の鍔?」
舞花は記志が殃我でないかどうか、見定めることにした。
殃我ならばこの場で斬らなければならない。
しかし、鍔凪が照らした光はただの反射光だった。青の反応を示すことはなかった。
これで記志が人間であることが確定した。
続いて記憶消去をためしてみた。
指を鳴らして旋律を奏でた。これが巫術の呪文となる。
今回は自分に関わる全てではなく、部分的なところにとどめた。聞き込みはまだ終わっていないからだ。
旋律が終わった時、舞花が訪ねた。
「私の名前、覚えてる?」
「鳳凰院舞花だろ?」
「やっぱり。あなた、完全記憶能力者ね。それもかなり強力な」
「どうしてそれを」
そのとき、ちょうどコーヒーとホットケーキが運ばれてきた。
コーヒーを啜りながら、どうしたものか悩んだ。
忍び蝶が反応するわけだ。
こんなレアなケース、古文書でしか読んだことがない。
見聞きしたもの全てを記憶し、決して忘れない完全記憶能力者は、殃我の影響すら受けないと記されている。
しかし、殃我の凄惨な記憶を保持し続けることは、流止の訓練もましてや巫力もない一般人に耐えられるわけがない。
その文献にも、最後は悪夢に殺されたとある。
死因が抽象的すぎるが、殃我が直接にしろ関節にしろ関わっているのは間違いないだろう。
色恋沙汰のことも、なんとなく察しがついた。
近くに勉強のできる、そこそこかっこいい男子がいたら、惚れてしまうのも無理はない。
でも、彼本人にはその気がなかったところを見るに、大方、彼のことを楽しそうに話すのだからそれに嫉妬した挙げ句、振られたのだろう。
とりあえず雫に巫術通信で連絡を入れて、ここに来てもらうように言った。
「さっきからなにを独り言をぶつぶついっているんだ?」
「ごめんなさい。知人を呼んだの。捜索を手伝ってくれるかもしれない」
「本当か? 助かるよ」
記志は父親の特徴を細かく伝えた。それは忍び蝶で聞いたものを同じだった。
それを聴いた舞花は頷きながら背もたれに身を預け、両腕を組んだ。
そして、真剣な目を向けるように話した。
「もし、お父様が亡くなられていたら、どうするの?」
「覚悟はしている。さっきも言ったけど会社に連絡しても、そんな名前の人は在籍していないとか言われるし、明らかに普通の事件じゃない」
「そうね。聴いた限り普通じゃない。ならば、何かのトラブルに巻き込まれて殺されていた可能性もあるわ」
「無事でいてくれたら、それでいいんだ。だけど」
空気が重くなってきた時、先程のメイドといっしょに雫が入ってきた。
急な金髪褐色少女の乱入に、記志はどきまぎしているようだ。
紹介したあと、指を合わせてパチンッと弾いた。
部屋の空気が異質になっていき、胸がすうっとしていく。
それに記志も気がついたのか、辺りを見回し始めた。
「結界を起動させたの」
「結界?」
「外の空間と室内の空間を隔離したわ。たとえ室内に盗聴器が仕掛けられていても、外部に会話が漏れることはない」
記志の怪訝な顔は最もだと、舞花は頷き足を組んで見せた。
記志の視線が下にいったのをみて、まったく男の子って……と肩をすくめた。
それよりもここから先の話は、外に聞こえていいものじゃない。
「落ち着いて聴いてほしいのだけれど、私達はあなたのお父様のことを知っているわ」
「本当か? 父さんはどこにいるんだ」
「おちついて。その前に言っておきたいことがあるの」
舞花はそういうと、雫と視線を交わした。
なんだ? と察しの悪い雫に肩を落としてしまった。
舞花はしかたなく、巫術通信でこれから話すことを一秒間のささやき声で伝えた。
すると雫が驚いて同じく返信し、やめとけと首を振った。
もう一度雫に説明すると、今度は納得した。
そんなやりとりに訝しんだ記志に、あらためて視線をあわせた。
「この世には、人に認識されない存在がいる」
「なんだよ藪から棒に」
「まずはよく聴いてて」
真剣な舞花の目をみた記志は、それまでと打ってかわった雰囲気をさっして姿勢を正してくれた。
舞花は続けた。
「たとえ目撃されたとしても、すぐに忘れさられる鬼がいる。たとえ人を殺していたとしても、目撃者はそれを忘れる。しかも、被害者の知り合いたちもその被害者のことを忘れてしまう。そんな人の記憶を存在ごと消し去ってしまう鬼を、私たちは
「そんなもの、いるわけないだろ」
「あなたのお父様を殺した犯人は、間違いなくその殃我よ」
「何の冗談だ! 第一、俺はこうして覚えているじゃないか」
記志が立ち上がったとき、舞花はまっすぐに彼の目を見た。
「じゃあ聞くわ。あなた以外にお父様のことを覚えている人は、いないのではなくて?」
「それは……偶然だ」
「偶然、お母様が愛する夫の記憶をなくしたの? 偶然、会社の同僚たちが忘れたの? 偶然が重なれば、それは必然よ」
舞花は掌を見せて、記志に座るように促した。
そして闇に生きる者以外は知り得ない、不可思議な真実を語り始めた。
「
「それが本当だとして、どうしてふたりとも覚えているんだ」
「これよ」
舞花は手首にくくりつけてある鍔凪を、再び記志に見せた。
一輪の
「その花、
「さすがね。そのとおりよ。私たちはクレマチスと呼んでいるけれど。そして、これが殃我との戦いを記録してくれている」
「そんな鍔が? とても電子端末のようにみえない」
「じゃあ、見せてあげるわ。ちょっとじっとしてて」
舞花がテーブルに手をつくと、前かがみのままゆっくりと鍔凪を記志の額に付けた。
その瞬間、記志の眉間が険しくなった。
「なんだ、頭に映像が?」
「目を閉じて。不鮮明だけど、図塚くんのお父様を殺した殃我が映っているはずよ」
記志は言われるまま目を閉じた。
フラッシュバックのように流れてくる映像、そこには派手な格好をした女子高生が、中年男性を殺すシーンが、低い解像度ながら映し出されていた。
「間違いない、俺の父さんだ……。こんなことって……、夢じゃないのか」
「残念ながら、
舞花は鍔凪をゆっくり剥がすと、腰を落ち着けてからそれを手首に戻した。
とつぜん記志は泣き崩れた。
父さん、父さんと、ただひたすら繰り返していた。
舞花と雫が視線を交えると、お互い頷いた。
しばらく、そっとしておこう。
ドリンクの氷がすっかり溶けてしまった頃、記志は涙を拭って舞花たちに向き直った。
「ごめん。かっこ悪いところ見せちまった」
「お父様のために泣いてあげることができたのだから、恥ずかしいことなんてないわ。殃我の被害者は、そんなささやかな弔いすらしてもらえないもの」
「父ちゃんだって、喜んでると思うぜ」雫ははにかんだ笑顔で言葉を送った。
「あの化け物は最後に燃えて消えてしまっていた。それをやったのはお前たちってことか。あと、『あの御方』てやつがこいつをけしかけたのか?」
「それはまだわからないわ。ここから先は、私たち殃我を討滅する者に任せて。それが仕事だから」
「仕事? お前たちはいったい何者なんだ?」
舞花が説明しようとしたとき、雫が肩をもって止めた。
「おい。そこまでこいつに教える必要はないだろ。知ったら戻れなくなるぞ」
「ここで突き放しても、諦めるような人には見えないわ。いずれ殃我に狙われてしまう。それに完全記憶能力は流止にとって希少よ」
「分かった。そのかわり師匠には舞花から言えよ」
「ええ。そのつもり」
あらためて記志に向き直り、胸に手をおいて自分を誇示した。
「私達は流止という、古より殃我を討滅する組織の一員よ。そしてその中でも最前線に立ち、剣を振るう者を《鍔凪乙女》というの。この鍔はその証」
雫も、やれやれと鍔凪を記志に見せた。
「クレマチスに、スノードロップか」
舞花はうなずいた。「そのとおり。だから、殃我のことは私達にまかせて図塚くんはこの一件から手を引いてほしいの」
「黒幕がいるなら、ほうっておけないだろ。また犠牲者がでてしまう」
「もうお父様の仇はいないのよ?」
「それでもだ。自分だけよければそれでいいなんて、父さんと母さんが一番嫌いなことだ」
食い下がる記志に、舞花はなんとか止めようと試みた
「こうしてあなたに真実を伝えたのは、あなたに身の危険があることを知ってほしいから。これ以上関われば、いずれ狙われるわ」
「やめておけ」雫が付け加えた。「男には殃我と戦う力はないんだ。流止にも男はいるけど、みんなおとなしくしている。足手まといだからな」
記志は突拍子もない事を言ってきた。
「だったら、俺にあんたたちの任務を手伝わせてくれ」
「雫も言ったでしょ。男は、殃我に対抗するための力である巫力が生まれつきないの。これは霊力みたいなものだけど、性質はぜんぜん違う。持たない者は殃我と戦えない」
「仇を打ってくれた恩も返したい。だから、戦いの外で舞花ちゃんたちを支えたいんだ。さっきそういう人だっているようなことを言っていただろう」
「でも、私はあなたのお父様を助けることは出来なかった。仇を打ったのとは少し違うわ」
「いや」記志は頭を振った。「舞花ちゃんを責めても父さんは喜ばないよ。最善のことをやった、と思う。それに父さんの犠牲は無駄じゃなかったんだ。それだけでも誇りに思うよ」
「立派なのね。あたなも、お父様も」
「ああ、今でも尊敬してる。酒が玉に瑕だけどな」
記志は涙をこらえながら、鼻をすすった。
そしてあらためて拳を握ってみせた。
「だから、俺は君たちをバックアップしたいんだ。雫ちゃんもさっき言っていただろう。男もいるって」
一旦雫に目を合わせてから「あなたって、本当勘がいいのね。そのうち、モテなくなるわよ」
「端からモテてねぇよ。なあ頼む!」
「私は仲間に引き入れるために言ったんじゃないの。せめてセントラルシティの外に出てほしいと思って。少なくとも、ここよりは安全よ」
記志はそれでも食い下がった。
その問いかけは舞花たちに、いや流止にとってとても魅力的なものだった。
「それに俺にしかできないことがあるだろ」
「図塚くんにしか出来ないこと? ……まさか」
「ああ! 俺が殃我の記録係をやる。それ以外でも殃我がらみの事件で役に立てるんじゃないか?」
「ダメよ! 殃我との戦いは命がけなのよ。何のためにここまで明かしたと思っているの? 殉職した流止が年間で何人いると思っているの?」
「絶対に役に立ってみせる。無茶なことはしないし、舞花ちゃんたちの足手まといには絶対にならない」
舞花はなんとか説得を試みるものの、内心は折れかけていた。
記志の言う通り、殃我の記録をきちんと残せるものがいれば、流止全体の戦力にどれだけ貢献できるかわからない。
動画で残そうと、鍔凪で記録しようと、そのときの感情や思惑まですべて記録できるわけじゃない。
それをあとから見返しても、「他人事」になってしまうのである。
どこかで、誰かが作ったフィクションじゃないのと勘ぐってしまうのだ。
舞花はしばらく胸の下に腕を組んでじっと考えた。
そして仕方がない、と頷いた。
「分かったわ」
「本当か!」
「ただし! あなたにはテストを受けてもらいます」
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