-2- 素人と達人


 ゼロナナの空間ディスプレイが展開し、舞花の目の前でヘッドラインニュースが流れていく。 

 普段の情勢を把握しておくことで、記憶から消されてしまう殃我事件のヒントに繋がることもある。突然矛盾する事件が起きたりする時、そこに必ず殃我が関係している。

 後ろから腰に手を回している雫が、ヘルメットの通信で聞いてきた。


「なんかあった?」

「これと言って特になにもないわ。ゴシップネタを国会で言い合っている日本は、相変わらず平和よね」

「平和ボケの間違いだろ」

「あ、女優の町向ケイコが離婚したって」

「早っ。慰謝料目当てかね」

「そんなところでしょ」


 流止として気にすべき事件はなかった。

 殺人事件や窃盗など、世の中は相変わらずだ。それでも記憶や存在が消されないだけマシである。

 繁華街についた。夜とは違って一般的な軒が連なり、売春が横行しているようにはとても見えない。もちろん、ネオンなんて光っていない。

 記憶までも食い尽くす殃我の痕跡を辿ることは、普通なら不可能だ。それでも、記憶の矛盾が短期間で整合されることはありえない。

 まだ、矛盾点を見つける余地はある。

 そんなことを考えながら、舞花はゼロナナを駐輪した。

 少し見た目が気になったので、雫に聞いてみた。


「私はどんな姿に見えていると思う?」

「今の時間は登校が多いから、学生じゃね? 着ているあたしらには鏡見てもわからないけどさ」

「そう。少女売春に見えないなら、なんでもいいわ」


 咲乙女の衣は、集団認識に作用した「大勢が思いこんでいるTPOの姿」に変わる幻術作用がある。昨晩は、未成年すら売春をしていたからかなり派手な格好にみられていた。今は落ち着いた学生姿に見えているらしい。

 実際のところは人に尋ねないと分からないが、さすがに「今私の着ている服は何に見えますか」なんて聞くわけにもいかないので、成り行きに任せるしかない。

 潜入捜査などでは有能な能力なのだけど、TPOが曖昧な場所では不便である。


 だから、混乱を避けるために最初は式神を使う。

 辺りを見回し、誰もいないことを確認するとスカートのポケットから巫術札を三枚出した。

 幾何学文様が書かれたこれに向かって、指鳴らしで軽快にリズムを刻む。

 すると、札が浮遊して折り紙のように畳まれていくと蝶の形に変わった。

 やがて命を吹きこまれたように羽ばたき始めた。

 次々と蝶の式神が出来上がり、舞花の周りで舞っていた。


「それじゃあたしも蛇を出しますかね」


 雫は舞花と同じく巫術を幾枚かの札にかけると、手からどろりと溶けたように落ちて、蛇の姿に変化した。

 蛇型の利点は、どんな隙間や水中地中に潜りこめることだ。

 探索の点でいえば、蝶型より蛇型のほうが優れていると言える。

 蝶は低空を飛び、周辺を探索するので範囲は広いが見逃しも多いため、怪しいと思った地点には出向かなければならない。

 こればかりは生まれ持った術者のセンスによるので、舞花が別の生き物を模倣することはかなり難しい。


 舞花は式神たちにマップを見せるため、左手首のチェーンから鍔凪を取り出した。

 蝶たちは蜜を吸うように、口ストローを鍔凪に当ててから、目的地へ飛び去っていった。

 腰を下ろした舞花は、蛇たちにマップ見せた。

 すると細い舌を伸ばしてチロチロとなめはじめた。そして、人の小走り以上の速さで散開していった。

 一般人には見えない魔骸蟲まがいちゅうを、こうやって見つけ出す。


「雫、ここからは二手に分かれましょう。この区画の西から攻めて。私は東からいく」

「はいはい。姉弟子様のおっしゃるとおりに」

「こらっ。魔骸蟲退治も鍔凪乙女の立派な仕事よ。雑魚だからって、一匹だって見逃しちゃダメなんですからね」

「分かってるよ。蟲が人に取り付いたら、殃我になっちまうからな。サボらねぇって。行ってくるわ。あ、終わったらどこ集合?」

「例の喫茶店にしましょ」

「はいよっ」


 これが流止ルトの任務だ。

 鍔凪乙女は、流止の中でも別格の存在として畏れ敬われているが、威張っているわけではない。

 むしろ自ら進んで前線におもむき、死と隣り合わせの任務を行う。

 そうでない流止も、巫術を使う討伐隊として活動している。

 魔骸蟲や殃我の討滅のほとんどは、そうした彼女たちの活躍によるものだ。


 鍔凪乙女は、実績そのものは多くない。

 その理由は希少性だ。

 鍔凪に選ばれたものは、舞花たちを含めて全国に四人しかいない。

 他の二人は、北海道と沖縄にそれぞれ一人づつ配属されている。

 それでも畏怖を抱かれているのは、ひとりひとりが一騎当千の力をもっているからだ。

 殃我一体を倒すにたった一人で挑めるのは、鍔凪乙女だけだ。

 そうでない流止は、五人以上のチームを組んで連携し、やっと討滅できる。

 それができるのも練度の高いチームの話で、ほとんどはもっと人数を必要とする。

 練度を上げるのは並大抵のことではない。

 

 式神の蝶が舞花のもとに一匹帰ってきた。

 指でリズムを刻んで、蝶が聴いてきた音の再生を命じる。


 ――ブーン・ブブブ・ブブーン・ブッブッブッ……。


 街の喧騒の中から、はっきりと異質な虫の羽音が聞こえた。


「ああ、いつものやつね。場所は?」 


 蝶は来た道を戻り、舞花を先導した。

 腕が入るくらいの路地裏の前で蝶が旋回する。


「ここね。いたいた、魔骸蟲・虹蝗こうこう


 建物の隙間の奥に、シロアリのようにびっしり詰まった群れがいた。

 見た目はバッタの姿をしているが、虹色の透明な身体をしている。水たまりに浮いた油のような色だ。

 それは魔骸蟲の油ではないか、と言われている。

 そんなキモいものは確かめたくもない。

 虹蝗はこちらに気がついても、逃げるどころか一向に警戒しようとしない。

 人を恐れるどころか、寄生してくる蟲どもだ。そんな一人前の生物本能なんぞ持ち合わせていないのだ。

 

 手品師のように手を立てると、そこから月鋼石製の短刀がにょきっと現れた。

 正確に狭い路地へ、短刀を投げ込んだ。

 見事|虹蝗に命中する。

 その瞬間、聖炎がボッと燃え上がり、一瞬にして群れが焼かれて消えた。

 舞花が手首を後ろへ降ると、短刀はひとりでに戻った。

 柄尻にチェーンが付けてあったのだ。


 他にいないか鍔凪のマップを確認しているとき、もう一体の式神が戻ってきた。


「忍び蝶? 何があったのか聴かせて」


 舞花は指を二回鳴らした。

 すると蝶から音声が再生され始める。


《昨夜ここに父さんが来ていただろ?》

《知らないって》

《酔っ払うと顔がすぐ真っ赤になる中年オヤジだよ》

《子供がこんなところ来ちゃいけないよ、帰った帰った》


 先程から聞き込み風景の録音が流れていた。

 この少年になにかあるのか?

 舞花は訝しんだ。

 

 式神、忍び蝶は特別製だ。

 先程放った式神とは別のもので、二十四時間セントラルシティを旋回している、洞察力を高く設定してある。

 怪しい人物、特に殃我に関わりがありそうな人物を見かけたら追跡するようにしてあった。

 昨晩の売春殃我も、忍び蝶が探し出してくれたものだ。そこにあたりをつけて、巫術札の探知結界を張っておいた。


 声の少年は、行方不明の父親を探しているようだ。

 繰り返し特徴を言っては、知らないと返されていた。

 舞花はもしかしてと、鍔凪を額に当てて昨夜の映像を探った。

 顔を真赤にした中年男性が、殃我の女とまぐわっている姿が脳裏に再生された。

 

「確かに特徴は一致するわ。仮に被害者の家族だったとして、どうして覚えていられるの? 殃我に関わる記憶は、遅くとも一晩で忘れてしまうはず。私たち鍔凪乙女だって、覚えていられないのに」


 少年が殃我の可能性が高い。

 それならば記憶保持に納得できる。

 殃我の出来事を覚えていられるのは、殃我だけだ。

 これが流止たちの活動を難しくしている要因の一つである。

 単純に、戦った経験がきれいサッパリ消えてリセットされるようなものであり、こういった外部記憶で記録していないとすぐ忘れる。鍔凪のない流止は、もっぱら動画撮影で記録している。


 雫への連絡は真意を確かめてからでいいだろう。

 見習いとはいえ、鍔凪乙女をもうひとり引き連れて扱うには、大げさすぎると思えた。


 舞花は忍び蝶が録音した場所に向かうため、その蝶を先導させた。

 しばらく道を進んだ時、蝶の中から顔が浮かび上がってそれとぶつかってしまった。


「あいたたた」


 一瞬ホラーに思えてしまい、完全に不意をつかれてしまった。

 派手に尻餅をついてしまったので、お尻をさすりながら視線を前に上げると、男の子がこちらを見てじーっとしていた。

 舞花が訝しむと、その視線の先に気が付き慌ててスカートを抑える。


「ちょ、何見てんのよ!」

「うわわわ、み、見てない。縞パンなんて見てない」

「見たんじゃない!」


 実際の舞花はノーパンの上に咲乙女の衣を身に着けていて、クロッチ部分は他と同じく濃い黒一色なのだが、咲乙女の衣の幻惑効果で男の子にはそう見えたのだろう。


 ――縞パンに見えただなんて、どうして私の趣味が分かったのかしら?


 咳払いをして、舞花はすっと立ち上がった。

 たかが素人の体当たり程度で転んでしまうなんて、鍔凪乙女として恥ずかしい失態だ。

 実際に見られえていないのはいえ、恥ずかしいのは変わらない。向こうは素肌の上のパンツを見たわけなのだから。


 男の子は立ち上がると、舞花を見下ろした。

 身長は一八○センチはあるだろうか? 肩幅もがっしりしておりなかなかに引き締まっているように思えたが、何かのスポーツをしているわけじゃないようだ。体幹が連動してなさすぎて、筋肉のバランスが悪い。

 顔は中の上あたりで、誰が見てもブサイクには見られないだろう。

 舞花はそっぽを向くと、その場を立ち去った。

 ただの事故にこれ以上時間を掛けていられない。


「ま、待ってくれ」

「何よ!」と舞花が言った時、忍び蝶が彼の周りを周った。


 この変態が例の会話の……。

 と腕を組んで胸を乗せると、やれやれとため息を付いた。


「謝らせてくれ。ごめん!」


 高い身長を九○度まげて、深々と謝罪してきた。

 流石に舞花は恐縮し、周りを気にしながら言った。


「私も急いでいたからよ、こちらは気にしてないから」

「そうか。それから聞きたいことがある」

「なにかしら。ナンパ?」

「違う違う。俺が聞きたいのは、父親のことだよ」

「なんだか、込み入った話のようだし、行きつけの喫茶店で話しましょうか」


 舞花は少し長い話になるからと、少年を連れて歩いた。記憶保持について気になるからだ。

 目的の店まで距離があるので、となりに並んで話しかけた。


「あなた名前を聞いていなかったわね。私は鳳凰院舞花」

「え!? あの大地主のお嬢様!?」

「名前を聞いているのだけど」

「悪かった、俺の名前は図塚記志だ。にしても驚いた、お嬢様がお供も連れずに立った一人で、こんな風俗街にいたとは」

「変な想像はよしなさいよ。私は、ここで働かなくても食べて行けてるわ」

「そりゃそうだろうな」

「歳は? 高校生に見えるけど」

「十七、高二」

「あら、少し若く見えたわ。私も十七よ」

「はぁ……。この背丈なのに童顔なの気にしてんだぞ。どこの高校通ってんだ。お嬢様学校だから、聖霧峰セント・きりみね女学園?」

「通ってないわ」

「マジで? てっきり教養とか身に付けなきゃならないのかと」

「これでも、社交界に出ても恥ずかしくない作法は学んでいるわ。学歴社会なんて教科書にしか出てこないでしょ」

「まあ確かに。あ、俺はダイサンに通ってる。第三セントラルシティ学園」

「それじゃあ、あちらにいる五人はあなたの友達?」

「あ、あいつら……」


 記志の顔があからさまに嫌がっていた。

 友達というわけではなさそうだ。

 それに、みなガラの悪い格好をしている。様々な柄が入ったワイシャツをはだけて、単色のシャツを見せている。デニムパンツにバッシュなスニーカーだ。

 近づけば見に覚えのない因縁をつけられて、カツアゲしそうな連中といえばしっくりくる。

 その中の一人が唾を吐き捨てながら言った。


「図塚、てめぇまた女連れとはな……。ムカつく野郎だぜ」

「この人と大事な話があるんだ。後にしてくれないか」

「ナンパかよ! クソが」


 記志が慌てて否定した。


「違う。だから、大切な話をするだけだ」

「うるせぇ。俺の彼女寝取った恨み、ここで晴らす! いくぞおまえら」


 合図とともに、一斉に殴りかかってきた。

 それを皮切りに、五対一のケンカが始まった。

 舞花は一歩引いて、それを遠い目で眺めていた。

 色恋沙汰らしいが、詳しい経緯がわからないし、むやみに介入するのも気が引けた。

 それに素人同士のケンカなら、死人まで出ることはないだろう。気が済むまでやらせるのがいいと思った。


「やっぱり、多勢に無勢か。彼もなかなか頑張っているけれど、戦意がなきゃね」


 記志はいじめグループと戦うつもりはないらしい。

 世の中、平和な態度を見せて暴力が止まるほど甘くない。日本ではそれをなかなか教わらないそうだ。


 そろそろ止めに入ろうかと思った時、記志が二人の同時攻撃を、腕でガードした。

 それをきっかけに流れが変わった。

 五人の攻撃が、全く当たらなくなったのだ。

 記志に格闘経験があるように見えないし、今もそんな動きは見せていない。

 そして反射神経でもない。それなら初めからあんなに袋叩きになっていない。


 つまり、五人の動き全てを、見切っているというこだ。

 これにキレた男の一人が、長めのナイフを抜いてみせた。

 その男の奇襲に、やはり記志は反応できなかった。

 それをみた舞花が、ふらりと近づいた。

 その刹那、ナイフが宙を舞って落ちた。

 舞花のハイキックが、男の手を跳ね上げたのだ。


「いい加減にしなさい。さすがにケンカじゃ済まないわよ」

「このアマ! 俺がパンツ見せられたくらいで手加減すると思うなよ! マワしてやる」

 舞花はスカートを抑えながら、「最低! アッタマきた」と怒った。


 男たちは予め準備していた武器を抜き放った。どれも刃物であり、中にはショートソードなみの大きいものまである。

 男が奇声をあげて振りかぶってきた。

 舞花はその上腕を掌で受け止め、同時に足を払った。

 受け身すら取れなかった男は、アスファルトに叩きつけられ悶絶する。

 それを見てもなお向かってくる男たち。


 続く突きに対して、半身でかわして男の顔を掴みそのままアスファルトに叩きつける。

 そこへ真後ろからきた一撃を、肩で潜り込んで脇を背負いあげた。そのまま一本背負いで、またアスファルトに叩きつけた。

 その流れるような格闘術をみた男の一人は、尾っぽを巻いて逃げていった。

 ちなみに、衣に閃光は一切流れていない。巫力をこめてしまうと、彼らの頭が潰れたトマトになってしまう。

 そして残るは、ショートソードを構える男だけだ。

 舞花は言った。


「あなたも逃げたほうがいいわよ。私こうみえて、古武術の免許皆伝なの」

「丸腰に、この剣がま、負けるか。いやぁぁぁぁぁぁ!」

「仕方ないわね」


 最後の男が、真横へ大きく剣を払った。

 が、舞花が一瞬で懐へ入って肘鉄を鳩尾へめりこませた。

 男は泡を吹いて膝をつき、そのまま伏せるように倒れた。


「図塚くん、怪我は?」


 顔の傷を指で抑えて、笑ってみせた。


「けど、強いんだな。だったら、最初から助けてほしかったかな」

「無闇矢鱈に正義を振りかざす気はないの。目の前の殺人ならともかく」


 特殊訓練を受けた流止の身体能力は、一般人よりはるかに上だ。

 ましてや一騎当千をうたう鍔凪乙女では、格闘家が束になってかかってきても太刀打ちできない。

 いちいち他人のトラブルに介入したら目立ってしまい、ゆくゆくは殃我討滅の妨げになるだろう。

 だからこそ流止は、闇に生きる。

 それを記志に話すことはせず、しっかりしなさいと檄を飛ばした。


「面目ない。俺の体質が原因なんだ」

「体質?」

「ごめん、まだ言えないんだ。それより店は近いのか」

「ええ。すぐそこよ」

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