第壱章 鍔凪乙女の日常
-1- いつもの朝
舞花と雫は朝稽古のため、地下室に入っていた。
ふたりとも咲乙女の衣を身に着けている。
雫の衣は、地肌の褐色とは対比の雪のように真っ白なドレスだ。
ヒールを履く脚はとても細く、白のニーハイに包まれている。覗く太ももからハイレグまで大胆に肌を露出していた。
そんな大胆カットのハイレグを強調するように、スカートも正面は大きく開けていた。後ろから見ればスカートのようになっており、Tバックのお尻を覆い隠すようなデザインになっている。
腰は雫の細さを更に引き立たてるような薄手で作られており、ヘソの形がくっきり分かる。
胸の部分は小さな花、スノードロップが散りばめられたアプリケで飾られていた。雫の胸の大きさも相まって、花園のようだ。
肩から手にかけては、舞花と変わらないデザインになっていた。
首から上は、ブロンドショートで褐色肌の生意気な顔が舞花を見据えていた。
雫は稽古用の槍を構えながら言った。
「ここに来て疑問だったんだけどさ、なんで稽古に衣着なきゃならねぇの」
「現場でも動けるようによ。衣を身に着けないと、力が半減するでしょ」
「でもここ、月鋼石で敷き詰めた部屋だろ。普通の稽古着でも変わらねぇんじゃ」
「それは、むしろ身体にウェイト乗せるような意味もあるわ」
「えっげつねぇ」
月鋼石とは特定の鉱山でのみ採掘される、非常に稀な性質を持った鉱石だ。
それは、触れた生物の体幹を狂わせてしまうこと。
人なら触っただけで立っていられなくなる。床がつるつるの氷になったような錯覚を覚えるだろう。
そんなマイナスの効果を補って余りある効能がある。
身体能力の強化と、殃我を討滅する聖炎の着火だ。
月鋼石を紡いだ衣服で動くと、通常の一・五倍以上の力を発揮できる。それにはもちろん、体幹強化訓練をしなければならない。
もう一つ、聖炎は殃我を完全に消滅することができる唯一の炎である。この世の穢れを祓い清めてくれるのだ。
稽古場の月鋼石は高純度九九・九パーセント以上だ。
訓練を受けていない人が入れば、たちまち平衡感覚を失って転げ回ってしまう。
訓練を受けていても、しっかりと体幹を意識していないとバランスを崩す。
それを身を持って知っているだけに、雫は苦い顔をみせた。
「質問タイム終了。今日こそ、私に一本取ってみなさい」
「覚悟しやがれ、姉弟子」
鼻を鳴らして、雫は素早い突きを繰り出した。
だが、あっというまに舞花の剣にいなされてしまい、柄を踏みつけられてしまった。
「マジかよ!?」
「さあ、こんな時どうするの?」
「蹴りだ!」
舞花の顎めがけて大きく蹴り上げた。
しかし、剣の峰に阻まれてしまう。
雫はそのまま舞花に掌底を貰って、ノックダウンとなった。
「チクショー、また負けた」
「バカね。相手の体勢が崩れてないのに、蹴りなんかあげたらダメでしょ。これが真剣だったら、足先吹っ飛んでたわよ」
「じゃあどうすりゃよかったんだよ」
「私なら槍を捨てて間合いを取るわ」
「槍捨てるって武器捨ててどうするんだよ」
「使えない武器に執着して命を落とすくらいなら、引きなさい」
「素手で戦うしかねぇのか」
「何言ってるの? 宝刀たる鍔凪なら、念じるだけで返ってくるでしょ」
「え、マジ!?」
「知らなかったの!? こっちがびっくりよ」
舞花にやってみてと言われ、雫は鍔凪から宝刀《
それを稽古用の
雫はそこから十数メートル離れてから、右手をかざして自分の愛槍に念じた。
「来い! 《氷雪乃牙》」
すると槍は震え始めた。かと思うと、木偶からひとりでに抜けて空中に浮遊した。
それから穂が雫に向けられたあと、一直線に向かってきた。
直前で穂の向きが変わり、雫の手にぴったりと収まった。
「わお! こいつは便利だわ」
「雫、今までどうしてたのよ」
「宝刀手放したことなんてなかったから、とくに困らなかった」
「それで危ない橋渡ったことが、何回あるの?」
「……あははは」
「まったく。これからは気をつけなさい」
「そもそも、師匠は教えてくれなかったぞ」
「あら、私も教わってないわよ?」
「なんで知ってんだよ」
「文献に書いてあったでしょ? あなた、勉学サボってたわね」
「サボってねぇーよ」
と、言いつつ視線をそらしていた。
大方、居眠りしていたのだろう。
基礎学問は教師がつかず、自主学習するのが流止の習わしだ。
舞花は肩をすくめながら、雫にタオルとドリンクを渡した。
喉を潤した後に、シャワー室へ向かった。
一階にあるシャワー室は三つ備え付けられており、セパレートされていた。
舞花は咲乙女の衣を脱いだ。その下は下着も身につけていない裸だ。汗で蒸れていない素材で通気性が高い。
一週間以上選択しなくても、匂うことはない。もしもおもらししても、簡単に水洗いで落ちてしまう。
それでも、洗濯できる時になら毎日でも洗っていた。
洗濯かごに放り込んだ。
そしてシャワー室に入ろうとしているとき、雫の意外そうな視線に気がついた。
「雫、何やってるの。あなたも脱ぎなさいな」
「おまえ、生えてないんだな」
「な!? あんたね! どこ見てんのよ」
「脇毛もないのか」
「もうっ。先に浴びてるからね」
急に意識されてしまったので、舞花は真っ赤になってしまった。
生まれつき体毛が薄く、産毛もほとんど生えてこなかった。
初潮が来た時、生えてくることを複雑な気持ちで見守っていたが、結局つるつるのままだった。
メイドのルイに悩みを打ち明けたら、他の女性が聴いたら羨ましがることだから、悩むことなんてないと言われた。
だから今日まで忘れていたのに、雫に指摘されてあらためて自覚すると恥ずかしいったらない。
となりで浴びている雫を見てやろうと、セパレートから顔を出して覗き込んだ。
ちょうど雫はT字カミソリを使って、下の毛を手入れしているところだった。
「しっかり生えてるんだ……」
「ば、バカ! 覗くな。あたし、濃くて手入れ面倒なんだよ」
「生えないよりマシよ」
「胸はでかいくせに、下はお子様なんだな」
「言ったわね。これでもちゃんとウエストはくびれているんですからね」
雫はシャワーを出したまま、お腹を突き出して指をさした。
「あたしだってほら!」
「ウエストは私のほうが細いわ! まだまだね」
「太ももはムチムチのくせに何言ってやがる! 見ろ、あたしの針金のような美脚を」
お互いの女性らしい特徴をぶつけ合いながら、口喧嘩になってしまった。
もう自慢するところがなくなったところで、舞花が雫の頭を撫でた。
不意をさされた雫は、丸い目で驚いた。
「なんだよ。身を乗り出して急にどうしたんだよ」
「あなたの褐色の肌は綺麗で、そしてルックスも申し分なくかわいいわよ」
「とつぜん殊勝になってどうしたよ。あれだけ言い合ってたのに」
舞花はセパレートから飛び降りて、雫の個室シャワーに入った。
意図がわからないまま動揺している雫に、もう一度頭を撫でてあげた。
舞花は笑顔でいった。
「互いに容姿でいがみ合っても終わりはないもの。だったら、褒めるのが一番の終わらせ方よ。そうは思わないかしら」
「なんか気持ちわりぃよ」
「そうかしら。よく手入れされた金髪ね。これ地毛なの?」
「生まれつきだけど?」
「なら、似合ってて当然ね。ねえ、雫」
「なんだよ?」
「この私に勝てるんだから、自分に自信を持ちなさいな」
「も、持ってるよ!」
「そう。ならいいんだけど。じゃあ私は、シャワーの続き浴びてくるから。邪魔して悪かったわね」
シャワーから出た舞花は、お気に入りのフリル付きブラウスとオニールブランドの黒ロングスカートに着替えて、ダイニングに向かった。
遅れてやってきた雫に、またその格好? と呆れてしまった。
雫は緩いスウェットTシャツで、肩ブラ紐が見えている。生まれつきの褐色肌のせいで、ますますライトブルーの肩紐が目立ってしまう。
「デニムショートパンツに、そんなTシャツの着崩し方……、まったくもう、いくら女しかいないからって」
「普段着くらい好きにさせてくれよ。舞花は、Theお嬢様な格好だな」
「この屋敷の当主ですから、これくらい当然よ」
「メイド一人しかいないのに?」
「あなた、まだルイを過小評価しているの? 彼女についていけるメイドがいたら、ぜひ紹介してほしいわ」
「凄腕だからって、こんな広い屋敷を一人で掃除するの大変だろ?」
「私は構いませんよ」
ワゴンを押してきたルイが、会話に割って入った。
その上には朝食が二食分あった。
「申し訳ございません。ですが、私の話題になっていたようですから」
「構わないわルイ。食事の用意をお願い」
「かしこまりました、舞花様」
メイドのルイに食事を給仕してもらっていた。
支度が終わると、ルイは舞花の隣りに立った。
広く長いダイニングテーブルの上座に舞花が座っている。その右手前には雫が欠伸を噛み締めていた。
「雫、はしたないわよ」
「朝の五時に叩き起こされて、あんな激しい稽古やらせるからだろ」
「当然です。
いつもの食事に、ひとり増えるだけでこんなにも違うものなのか。
取り留めのない会話しかなかったのに、今では雑談に花が咲くようになった。
雫に初めて会ったときの印象は、モデルように綺麗な、金髪褐色美少女だった。
でもいざ話してみると、口調は乱暴でまるで女の子らしくない。作法もめちゃくちゃで、敬語すら話せない。
そんな彼女の面倒を見てくれと、師匠でもある識子から頼まれたときは「厄介事を頼まれたものだ」と思ったものだ。
しかし見た目に反して、細腕から繰り出す槍の連撃はなかなかに鋭い。そして槍を強引にもっていくパワーもある。
殃我との戦いはそこまで心配していないが、日常の立ちふるまいが問題だ。
気崩れたTシャツがだらしなく落ちないのは、バストが大きいせいだ。舞花と同じくらいだけど、雫のほうがフィギュアドールのように張りがあった。
ノーブラのときも崩れない。でも、上向きの乳首が透けて見えるので、舞花やルイが強くとがめた。
髪は本人いわく天然で脱色系のショートヘア金髪だ。
でもあくびをかみしめたり、耳の穴に指を入れたりとか、せっかくの可愛らしい顔が台無しだ。
対象的に、ルイの姿はいつもの通り清潔だ。
濃い緑色を貴重としたメイドドレスで、足元まで広がるロングスカートが作り上げるシルエットは三角形を象っていて、とても落ち着いたデザインだ。夏服なので袖は短く、そこから伸びる腕は薄手のシルクのような透明なグローブで覆われていた。
何よりいつも目を引くのは、豊かすぎる胸とその美貌だ。
舞花も大きいつもりだが、Iカップのルイには流石に負ける。
整えられたロングヘアに三日月まぶたの三白眼は、舞花でなくても癒やされてしまうだろう。
規律正しいふるまいをこなすルイに比べて、舞花ときたら大きな口を開けてあくびを噛みしめていた。口を隠そうともしていない。
でも、舞花が叱るときはあくまで雫に向けてだ。
ルイと比べるようなことは絶対にしなかった。
「また欠伸。そんなんじゃ、一人前の鍔凪乙女になれないわよ。中途半端な
「ビキニだけでもいいもーんだ」
「差し出がましいようですが」ルイが言った。「舞花様は雫様の身を案じているのです。少しは耳を傾けてはいかがかと思います」
「まったく、堅苦しいな」
ルイは舞花に視線を戻して、タブレット端末を差し出した。
「殃我が言っていたという《あの御方》の件についてです」
「他所の管轄によれば、『聴いたこともない』か。流止の里も同じ回答か」
「一般的な敬称でしたから。それに殃我が誰かを敬うというのは、文献でも記されていないことです」
「そこなのよね。やっぱり考えすぎ、なのかしらね」
舞花は食後のコーヒーをひと啜りして、胸の下で腕を組んだ。
鍔凪に記録された音声によれば、殃我は確かに畏怖の念を込めて言っていた。
だがたった一体の殃我がそれを口走っただけでは、何の確証も得られない。
理性も知性も失い、欲望にまみれた悪鬼の戯言という可能性もある。
《あの御方》の件は、一旦保留にしておくしかなさそうだ。
§§§§
舞花は咲乙女の衣を身につけるため、自室で全裸になった。
これは対殃我を想定した特殊スーツというべきものだ。
首から下をワンピースで着れるに設計されており、材質は月鋼石をつむいだ強靭な繊維である。ニーハイソックスも上腕半分から指先までのグローブも、実は見えない細い繊維でつながっている。
ところどころ肌が露出しているが、月鋼繊維の効果や術式により守られていた。無論、何も覆われていない首から上もである。
この衣を初めて身につけたときは、本当に苦労した。
十歳の頃なので、正確には似た材質の別の服だ。
身につけた途端、身体のバランスが取れず立っていられない。それどころか這いつくばることすらままならなかった。
月鋼石は、人の体幹を狂わせる性質を持つ。
物心付く前から、月鋼石の稽古用武器を持って慣らしていた。
それでも、全身に襲ってくる《崩し》に耐えることができなかった。
ここまで聞くとただの呪いのアイテムに思えるが、それを補って余りある性質もあわせ持つ。
素肌に身に着けたとき、身体能力が向上する。
体幹を矯正しているかだとか、色々言われてるが定かではない。
不思議なことに、筋力強化を意識したり巫力を使ったりすると、幾何学模様のキレイな蒼光がながれるのだ。
「いつみても、かっこいいわ。今じゃパソコンがこんな光り方するらしいけど」
舞花はこのエフェクトを、結構気に入っている。
クールに見えるし、発光しているわけではないから潜入のとき邪魔にならない。それでも目立ちたくないなら、巫力を押さえればいいだけだ。
そして何より重要なのは、殃我に対して有効であるということだ。
殃我のあらゆる攻撃を防ぐことはできないが、生身では死んでいたところを助かった例は、いっぱいある。
「ルイのおかげで、咲乙女の衣は着心地良くなったわ。初めはゴワゴワしてたり、胸やお尻のサイズがあわなくて、任務中いつも気になってたけど。今じゃまるで肌着みたいな感覚だもの。それをルイに相談したら、今度はレオタードみたいな着心地に改良してくれて、ほんっと大助かりよ」
ルイには、感謝してもしきれない。また今夜、お礼を伝えておこう。
着替えをすませた舞花は、自室に備え付けられたポールの柱を掴んで滑り降りた。
これは車庫につながっている。
結構な落下スピードで、短いジョットコースターのようなものだ。
でも神速の
車庫に着地すると、YAMAHA MT-07改――ゼロナナが待っていた。
主を見るや、月鋼エンジンをスタートさせアイドリングを始めた。
咲乙女の衣同様の蒼光が全身を巡っていく。ただこれはメンテのためにカウルを外しているからであって、取り付けてしまうと光が流れなくなる。カウルも月鋼石で出来ているが、より耐久性をあげるために合金にしてあるためだ。
ゼロナナの点検を始めたとき、雫が遅れて降りてきた。
「雫、純白の衣だいぶ板についてきたじゃないの。可愛いわよ」
「……!」
「あら、顔真っ赤よ」
「うるせぇ! 少し暑いだけだ」
色は舞花の提案だった。
日焼けのような褐色肌に黒の衣では、あまりにもダーク過ぎるだろうということでルイに仕立てて貰った。
出来上がるとまるでウェディングドレスような純白で、これには雫も躊躇いを隠せなかった。舞花が絶対に似合うから、と強く進めて今日で二日目の卸したてだ。
ちなみにスカートのフロント部分が開いているのは、雫のアイデアである。ゴスロリ過ぎるデザインは趣味じゃないから変えてくれと、ルイに要望していた。
舞花と雫がゼロナナにまたがると、フロントに掛けてあった額当てをつけた。
するとそこからシャッターのようにパネルが展開し、あっという間にフルフェイスヘルメットに変わった。
ポニーテールは、最後に吸い込むようにシュルッとヘルメットに収納された。
アクセルを開けると、車庫が自動が開き、徐行で五分ほど走ると屋敷の門に辿り着く。
門も自動で開き、舞花を送り出した。
この屋敷はセントラルシティの郊外にあり、中心地に行くまでに一時間はかかってしまう。
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