鍔凪乙女√神速の万重

瑠輝愛

序幕

万重《クレマチス》

 散った桜の広葉が、セントラルシティの街灯を湛える夜。

 春のアンコールを求める男たちが、春を売る女達の園へと足を踏み入れていた。

 闊歩する少女がいる場所は、そんな風俗街から少し外れていた。

 ポニーテールに超ミニプリーツスカートで、谷間を大きくはだけていた。

 歩くたびにミニスカがふわりとあがるので、男たちの注目の的だ。

 顔を赤らめた中年の男が、そんな少女の進行方向を塞いで笑顔を見せた。


「ねぇ君、いくら?」

「私は売りをやっていません! そこをどいてください」

「いいのいいの。体裁なんて繕わなくても。おじさん、私服警官に見える? セントラルシティじゃ売春なんて合法も同然なんだからさ。ちゃんと現金持ってるから、ね、ね」


 少女はもう何度目だ、とため息をつくと、黙ったまま男を押しのけて進んでいく。

 男の呼び止める声を無視して、人混みの中へ紛れた。

 その時、少女のピアスが反射するような色合いで点滅した。


『舞花、そっちは?』

「ダメ。殃我オウガはこのあたりにいるはずなんだけど」

『ていうかさ、酷いナンパばかりだなここ。あたしは援交なんてしてねぇっての』

「咲乙女の衣の弊害よね。私も何度も声かけられたわ」

『あたしなんか五分おきだわ。あのお尻丸出しみたいなスカート履いた達と同じに見えているって思うと、恥っず』

「ここがビジネス街とかだったら、私達の姿はタイトスカートのスーツとかだったんでしょうけどね。雫、無駄話はこれくらいにして探索に戻って」

『はいよ。もうおっさんどもキモすぎるから、屋上から探すわ』

「私もそうする」


 舞花と呼ばれた少女が今身につけているのは、実は未成年売春婦のような破廉恥なものではない。

 咲乙女の衣と呼ばれるゴシックロリータに近い服装だ。

 舞花の衣は漆黒で統一されている。


 チュチュのようなミニスカートから、スラリと伸びる太ももの途中を黒いニーハイソックスが艷やかなシルエットを描く。足元はリボンのパンプスだ。ウエストは衣の上からでも分かるくらいくびれていて、そのバイオリンのような形の中に確かに鍛え上げた肉体美が感じ取れた。

 豊かな胸の部分の露出はないものの、レースから少し谷間が透けていた。肩から上腕が少し露出していて、腕を上げれば脇が覗く。そして肘上から手首まで覆われた手袋を身に着けている。


 化粧は十七歳という年齢もあって控えめで、リップクリームを塗って日焼け止めのファンデーションを付けているくらいだ。

 髪型は腰まで伸びたポニーテールを黒いリボンで結んでいる。後れ毛が顎のあたりまで伸びていて、顔立ちも相まってお嬢様の雰囲気があった。

 幻惑で服装は変わっても、髪型まで変わってしまうことはない。


 こんなゴスロリお嬢様なたたずまいでも、周りからは学生売春婦にみえてしまうのだ。

 着用者の意思ではどうにもならないのが玉に瑕だが、潜入捜査にはうってつけだ。こうして怪しまれずに探索出来ているのも、衣のおかげと言える。

 とはいえ、これ以上売春婦と間違われては、たまったものではない。

 舞花は入り組んだ路地に入り、目の前で舌を求め合う男女などお構いなしにジャンプした。

 壁を三角飛びのように蹴るたびに、脚に幾何学模様の蒼い閃光が流れる。忍びさながらの身軽さであっという間にビルの屋上にたどり着いた。


 ネオンのせいで、満月以外の夜空の光は視認できない。

 舞花はすぐに下を見下ろすと、左手首の腕時計の下に巻いてある鎖を解き放った。

 そこから刀の鍔のような物を引き抜くと、掌に乗せて指を鳴らした。

 するとこの区画の立体地図が照らし出される。

 その時、赤く点滅する地点があった。その場所である隣りのビルへ軽快に飛び移った。


「やっとしっぽをつかんだか。雫、私の巫術札結界にが殃我の足取りをとらえた」

『分かった』

「今そこに向かっている。できるだけ早く合流して」


 鍔凪の立体地図を二本指で開くようにして拡大する。

 すると透けて見えているビル下の様子も、同様に拡大された。

 レーダーの位置と同じ地点にいて怪しい少女がいた。金髪に染めた髪ということ以外、人混みでよく分からない。

 よく観察すると、中年男性がついてきていた。裏路地に入ろうとした時、手をつないでいるのが一瞬見えた。


「しまった!」


 舞花は慌ててビルから跳躍すると、周りのネオン看板には目もくれずその裏路地へ降り立った。バレリーナの着地のように柔らかく身体を曲げて、足から全身へ幾何学の蒼光そうこうが流れていく。

 高さにして二十メートルはあっただろうが、舞花にとってこれくらいの高さならどうということはない。


 鍔を再び取り出すと、宙で縦方向に回転させた。

 するとどこからともなく現れた白い花びらが、鍔に集まりだし日本刀のような刀へと具現化した。

 刀身に花びらの刃紋が浮かび上がった、いつ見ても美しい宝刀だ。

 一緒に具現化した鞘に刀を収めると、警戒しつつ奥へ進んでいく。

 殃我が罠を張っている可能性が高い。

 でもできるだけ急いがなければ、先程の男性が食われてしまう。


「くぅぅぅ~!?」


 男性の言いようのない叫びが聞こえ、舞花は慌てて駆けつけた。

 そこで見たものは、まさに事後だった。

 金髪で厚化粧の少女は乳房を顕にして、何も履いていない大股を開いたまま、舌鼓をうっていた。

 舞花は睥睨へいげいしながら、鞘に手をかけた。


「念の為聞くけど、さっきの客はどうしたの?」

「こってりして美味しかったわ。誰かさんが、何も仕掛けてない罠を警戒していた間に、私も二回はイっちゃった♡」


 少女が不敵に笑うと真上へ、月まで届くかと思わんばかりのジャンプをしてみせた。


「逃がすか!」

「舞花」

「雫、丁度いいところに来たわ。現場の記録お願い。私は殃我を追う」

「分かった」

 

 雫と呼んだ褐色肌の金髪少女にそう頼むと、すぐさま舞花も跳躍する。

 ビルの壁を三角飛びし、屋上に上がる。周囲を見回すと、それらしき影がビルをジャングルの木を飛び移るかのように飛んでいっていた。

 いくら咲乙女の衣で人を超えた速さが出せるとは言っても、あの距離では追いつけない。


「ゼロナナ!」

 

 ピアスの通信機を通して、愛用のバイクに命じた。

 舞花が飛び降りると、そこに赤い色をしたバイクYAMAHA MT-07改が無人のまま走り抜け、舞花を見事にキャッチした。

 ノーヘルのまま、フルアクセルで加速する。


「まずい。この方角はセントラルシティ玄関の大橋じゃないの」


 大橋は近隣都市をつなぐ八車線の大道路だ。

 上り下りともに、セントラルシティを外周する道にも別れていて、環状線のような役割も担っている。

 この道路を利用されたら、追跡が困難になってしまう。

 殃我の気配を察知することは、舞花たちには出来ない。しかも探知する方法は限られているのだ。


 このまま逃がすわけにはいかない。

 舞花は一○○キロ近い速度のまま両手を離すと、腰の柄に手をおいて鯉口を切った。


咲装しょうそう!」


 その瞬間、咲乙女の衣が真っ白に染め上がったかと思うと、花びらのように散り分かれて、舞花が生まれたままの姿になる。

 そのまま花びらは流れていかず、風に逆らい舞花にまとわり付き、瞬く間に白いビキニ水着に姿を変えた。

 いや、ブーツは鎧のように金属で生成され、手首には篭手もある。

 これこそ、舞花の鎧だ。

 バイクのAIがそれを識別する。


 バイクのカウルに変化が起こり、粘土のように形が変わっていき、流線型のカプセル型となった。

 そして、フロントの計器類のスピードメーターのレッドゾーンがグリーンゾーンに切り替わり、更に加速を促した。

 もはやロケットと化した舞花とバイクは、あらゆる景色を吹き飛ばす。

 ポニーテールをたなびかせながら、激しい風圧を避けるため低姿勢を取る。ちょうど、ビキニスカートの青いストライプショーツを突き出す格好になる。


 セントラルシティの県境である大橋にたどり着いた。

 殃我である少女は、人の姿のまま鉄塔を渡っていた。

 追いついた舞花は、高速で回るゼロナナを制御し、鉄塔へジャンプさせた。

 殃我がこちらに気が付き振り返った瞬間、ゼロナナが体当りして大橋下の道路に突き落とした。

 舞花はゼロナナを乗り捨て、そこに向かって着地した。

 ふらふらになりながらも立ち上がった少女は、吹き出る白く穢れた液体に構わず殺意を向けてきた。


「こうなったら、お前を殺してあの御方に認めてもらう。私が必要だったって言わせてやる」

「あの御方?」

「うるさい!」


 少女は服を破ると乳房を持ち上げて、気合とともに弾いた。

 あまりの卑猥さに舞花がドン引きした時、少女に異変が起こった。

 身体がどんどん膨れ上がり、服が破れ肌が雪のように真っ白になり、腕や顔が鬼のような大きさになった。乳房も運動会の大玉なみにでかくなって晒されていた。

 そして、殃我の特徴として脚が完全に消えていた。

 少女だった面影はいっさいなくなり、鬼の姿へと変わってしまったのだ。


 その刹那、姿まで消え去った。

 舞花の真後ろに殺気をともなって現れて、巨大な拳を振り下ろした。

 舞花はあっけなく貫かれたかに思えた。

 しかしそれは残像だった。

 本物の舞花は殃我の後ろに現れて、刀を上から振り下ろした。

 殃我は身を翻してギリギリでかわして、間合いを取った。

 すさまじい高速移動のぶつかり合いで、突風が巻きおこる。


「なんなんだ、私のスピードに付いてこられるだと?」

「鍔凪乙女・万重クレマチスは神速を司る。スピードで私に勝てるものなど、この地上に存在しない!」

「クレマンだかなんだから知らないけど、私のスピードに勝てるわけないんだよ!」


 そう言うと、殃我は霧のように姿が消え去った。

 舞花はその動きを目で追いつつ、すぐに追いかけた。


「クレマチスよ! いちいち下品な殃我ね」


 神速の中なら、殃我の動きは相対的に大したことはない。

 勝敗は一瞬で決着した。

 鉄塔で暴走するやつのすぐ背後まで追いつき、有無を言わさず横一閃に薙ぎ払った。


 殃我の上半身はわけが分からないまま空中に放り出されて、切り裂かれた腰を見ていただろう。その後ろにいる、鍔凪乙女の勇ましい姿が地獄への手みあげとなった。


 斬り裂いた殃我の半身は、青く燃え広がった。

 その聖炎で燃え尽きるのを最後まで見届ける。


「このクソビッチがぁぁ! 男も知らねぇ処女丸出しのくせして膜破って追いついてそんなにうれしいかぁぁぁぁ――」


 燃えながらなおも罵声する殃我の下品さに、舞花は呆れ返っていた。

 それからゆっくりと納刀すると、ビキニ鎧が花と散り、元のゴスロリ姿に戻った。

 刀も同じく花びらと散り、元の鍔である鍔凪に戻った。


 雫に通信をつなぐ。「雫お疲れ様。あなたが結界で車を足止めしてくれたおかげで、やりやすかったわ」

『ちょっと渋滞になっちまったけど、すぐにおさまるだろ』


 《あの御方》という言葉に、どうもひっかかりを感じた。

 殃我は単独で行動して、己の欲望を満たす悪鬼だ。誰かを慕うなんて感情は、生前から消えてしまうはずだ。

 今それを考えても仕方がない。

 舞花はゼロナナを通常フォームに戻すと、メイドのルイが待つ屋敷に帰った。


§§§§


 とある小さな家庭で、悲劇は起きた。

 高校に上がったばかりの少年が、台所の冷蔵庫を開けた時、ふと言った台詞がいけなかった。


「母さん、お父さん遅いね」

「お父さん? 何を言っているの? お父さんはもう昔に亡くなったでしょ」

「冗談よしてよ。今朝、母さんの弁当もって会社に行ったじゃん」

「え、あれ、え、あら……」

「母さん!?」


 母は急に意識が途絶え、気を失った。

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