終章
識子
数日後。
戦いの傷も癒えた頃に、八咫鷲から伝令があった。
舞花と雫は咲乙女の衣を着て、流止の里にある本殿に呼び出されていた。
禁呪である神魔の儀を執り行ったことへの、釈明と処分をうけるためである。
本殿の中は荘厳というよりも、天井がひたすら高くて、壮大という言葉がよく当てはまる。
赤い装束の近衛兵たちが、槍や剣を抜き身にして舞花たちを三列で見張っていた。
床は青い絨毯で敷き詰められており、舞花たちのいる中央の通路には紫のカーペットが通っている。
近衛兵たちが回れ右をして、中央の高御座に現れた妙齢の女性に敬礼をした。
腰まで伸びた髪は艷やかでクセがない。
顔は端正で、シミひとつない。目は切れ長で鼻筋が通っていて、唇は小さい。
肩に羽織ったケープは複雑な刺繍が施されていて、流止の長であることを表していた。
くるぶしまで伸びたローブを身にまとっているので、身体の線は現れていないが胸はなだらかなカーブを描いていた。
見た目の歳は三十代後半に見えるが、実際は百歳をとっくに超えている。それを信じないものも、里には多い。
そして彼女は、先代の鍔凪乙女《万重》だった。
舞花たちも近衛兵に倣う。
女性が手をあげて、なおれの合図をおくった。
女性の咳払いが反響した。
それが響き渡るように、除々に静かになっていく。
真剣な目をすえて、口を開いた。
「鍔凪乙女《万重》の鳳凰院舞花、同じく《雪雫》の雪代雫よ。ここに呼ばれた理由は、すでに聞いていますね」
「はい、識子様」
「はい、識子師匠」
識子と呼ばれた女性はうなずくと、まずはねぎらいの言葉を伝えた。
「こたびは、強大な親殃我討滅を果たしてくれたこと、感謝します。ここ数ヶ月で起こっていた頻発する殃我出没は、その斑目皇の仕業で間違いないと調査結果が出ました」
流止には殃我を探知できる特殊な式神の使い手が、少なからず常駐している。
むろん、識子はその筆頭である。
里からの招集が遅かったのも、その調査のためだろう。
識子は続けた。
「親殃我は本来、二名以上の鍔凪乙女が対処しなければならない任務でした。幸運にも、セントラルシティにいたのですから、そこも喜ぶべきことでしょう。本来、鍔凪乙女をひとつの管轄区に置くことは異例なことなのです。雫が見習いだということも、功を奏しましたね」
鍔凪乙女は、舞花たちを含めて四人しかいない。
他の二人は北海道択捉島と、沖縄の尖閣を中心に守っている。
この二つは、日本の霊的結界の鬼門となっているのだ。
もし仮に、雫が戦力にならなかった場合は、どちらかが守りをあけることになる。
たぶんそれはありえない。
舞花一人で対処することになっていただろう。
考えたくもないことだが。
そんな想いを知ってか、識子は舞花に微笑んだ。
そして、話は続いた。
「そして、ここからが本題になります。禁呪を行使したことです」
機械人形のように物静かだった近衛兵たちが、ざわつき始めた。
模範となるべき鍔凪乙女が、二人揃って禁忌を犯したことが今でも信じられない、といった様子だった。
識子はケープを払って聞いた。
「なぜ禁呪をおこなったのです? まずは、舞花。言いたいことはありますか?」
舞花は一歩進んで、胸に手を当てて敬礼をした。
「はい!」
この大広間に響き渡る返事を聞いた識子は、うなずいて発言を許可した。
舞花はもう一度敬礼をしてから、口を開いた。
「仲間を救うためです」
「その仲間は少年でしたよね? 殃我に対抗できない彼にそこまでの価値があるのですか?」
「あります。彼は、殃我との記憶を全て覚えることが出来る、完全記憶能力者の持ち主です。彼を失えば、殃我対策はさらに百年は遅れるでしょう」
「そんなもの以前に、人を救うのがあたしらじゃねぇのかよ師匠!」
「雫に発言を許可した覚えはありませんよ。今は黙りなさい」
たまらず割り込んできた雫に、識子は強く諭した。
これ以上何も言えず、雫はうつむいて黙ってしまった。
舞花は雫の頭を撫でてから、発言を続けた。
「彼を救うためには、禁呪の行使は避けて通れませんでした。もしも、掟に従い元老院の支持を伺っていたら、今頃街は壊滅していました」
「それは禁呪を使わずとも、成し遂げられたのではありませんか」
「いいえ。斑目皇の力は強大そのものでした。咲装した私は全く刃が立ちませんでした。二人で力をあせて、禁呪の効果もあいまって、初めて成し遂げられたのです」
「結果論にしか私には聞こえません」
識子がため息交じりにそういうと、今度は雫に発言を求めた。
雫は不器用に敬礼すると、頭をかいてから言った。
「なあ、師匠。あんたいつも言ってたじゃねぇか。人を助けることを最優先にしろって。あたしもそれに大きく共感したんだ。だから目の前の図塚を助けたんだ。これのどこがわりぃんだよ」
「禁呪が失敗したらどうなるか、知らなかったとは言わせませんよ」
「それでも、成功する自信はあった!」
「根拠なき自信は、身を滅ぼしますよ!」
識子の一喝に、雫はただ口をパクパクして黙ってしまうしかなかった。なにも言えなかった。
たしかに言うとおりである。
すべて識子が正しい。
そして、舞花はゆっくりと息を吐いて覚悟を決めた。
「すべて、私が命令したことです。先輩の立場を利用し、そして屋敷の主である立場をふるって、禁呪を持ちかけるよう誘導しました。全ての罰は私が受けます」
「ほんとうなのですか? 雫」
雫が反論しようとしたが、舞花が手を引っ張った。
そして目をじっと見据えた。
その覚悟ある目に、雫は何も言い出せなかった。
《ちょっと待ちなさい! お嬢ちゃん》
突然聞こえた、可愛らしい響きに近衛隊や識子があたりを見回した。
子供が入っているはずがないのにと。
しかし声はさらに響いた。
《ここよ、スノちゃんはコーコ》
「ちょ、おまえ。出てくんなって言ったろ!」
《何よ雫ちゃん。このままじゃ舞花ちゃんが一人で罪を背負うことになるじゃない。そんなの、クレマちゃんも黙ってないわよ》
雫が鍔凪に向かって話しかけているのを見た識子は、それについて説明を求めた。
雫がしまったと顔をしかめながら、鍔凪を掲げた。
「《雪雫》が喋っているんだよ」
どよめきが悲鳴にも似た声にかわり、騒ぎになりかけた。
そんなこと前代未聞であると。
識子は手を一拍叩いて、場を制した。
「静かになさい」収まるのを待ってから、再び雫に聞いた。「本当なのですか?」
「そうだよ」
《だからいってるでしょ、お嬢ちゃん。声しか聞こえないけれど、ちょっと前に雪汝を止めようとしたお嬢ちゃんでしょ? あのときは助かったわ》
識子はお嬢ちゃん呼ばわりされるのを不快に思って、咳払いをしてみせた。
するとスノちゃんは笑った。
《だって、偉くなったって言っても、千年以上生きてる私からしたらねぇー。それとも名前で読んだほうがいいかしら。識子ちゃん》
「もう、お嬢ちゃんで結構です。《雪雫》」
《私が喋れるようになったいきさつについては、長くなるけどどうする?》
「ぜひ聞かせていただきたいものです」
スノちゃんは、雫に起こった出来事をかいつまんで話した。エレテックという蔑称と前世については、伏せてくれた。
《分かった?》
「まさかあの雫が深淵にいたるとは、信じられません」
《信じなくてもいいけど、本当よ》
「それであらためてお聞きしますが、舞花をかばうおつもりですか?」
《かばうも何も、実は禁呪が無理だったら別の道をすすめようとしてたのよ。でもね、すごいの。二人が儀式に入った瞬間、スノちゃんビビビってきちゃった。千年ぶりの快感ってやつかしら? この二人なら間違いなく成し遂げられるって》
「こういいたいのですか? 責任はあなたにあると? スノ……」
《スノちゃん! スノードロップって名前長過ぎるもの》
「こほん。スノちゃんが悪いと?」
《あら? そうなるわね》
続けてスノちゃんは、儀式中のサポートの詳細まで話した。
聞けば聞くほど、スノちゃんなしでは失敗していたであろうということになってきた。
識子はやれやれと頭を抱えた。
「鍔凪に罰を与えるなど、それこそ前代未聞です。それに貴重な鍔凪を追放するわけにも行きません」
《じゃあ、罰はなしってことで》
「いいえ」
《なんでよ?》
「それでは皆に示しがつきません。刑を軽くしてでも、罰を受けてもらわねばなりません」
「罰なら私も受けます!」
「今度は誰ですか?」
扉から現れたのは、メイド服を着たルイだった。
肩で息をしながら、スイカップすぎる胸を抑えていた。
舞花がルイのもとに駆けつけた。
「あなたどうして来たの。屋敷で待っているように言ったのに。それに図塚くんは?」
「もうしわけございません。居ても立ってもいられなくて。記志くんなら安定剤が効いて眠っています」舞花を押しのけて、ルイが前に出た。「識子様!」
舞花は意外なルイの行動に驚いて動けなかった。
今までそんなことは一度も見せなかったのに、ルイが舞花の前に立った。
「舞花様と雫様が罰を受けるなら、私も同罪です!」
雫も歩をすすめて、ルイのとなりに立った。そして鍔凪も掲げた。
舞花は、すこしこぼれた涙を拭って、そのとなりに立った。
その様子を見ていた識子は、大きくため息をついてしまった。
「やれやれ……。あなた達には困ったものです。わかりました。望み通り、全員に処罰を下します。沙汰があるまで、自宅に謹慎です。いいですね」
《ええ!? お嬢ちゃんそれはひどくなーい? ここは一切お咎めなし。みんなの涙に免じて許します、の流れでしょぉ?》
あの雫が周りの空気を読みながら、なんとかスノちゃんを落ち着かせた。
舞花たちは言われたとおり、屋敷でその時を待ったのだった。
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