-4- 魔骸ノ宴

 赤い月が峠の上にまで登って、いびつな巨大さを見せつけてきた頃。


 ゼロナナで走る舞花は、羅針盤の八咫蝶を頼りに山道を走っていた。

 もう山は夏だ。

 森の香りが夜でも強く感じる。

 そして、追い抜く風は心地よいと言うより、生ぬるい。

 

 《魔骸ノ宴》には、広い場所が必要になる。

 伝承によれば、大きな結界陣を描き、そこに殃我と人を交じらわせて上位の存在にする。

 上位の存在とは、災厄の殃我とも鬼神ともいわれているが、文献によって諸説ありわからない。


 当然だ。


 殃我に関わればその記憶は消えてしまうのだから。

 ここで舞花も、先人たちと同じ疑問にぶつかった。

 人から殃我になったのに、今更人と融合して何になるのかと。

 

 とにかく今言えることは、斑目皇という殃我は記志と融合しようとしているということだ。

 狙いはおそらく、記志のもつ完全記憶能力だろう。

 急がなければならない。


 前方の森の中に、淡い灯りが見えた。

 ゼロナナのマップを確認するも、ここには建造物はない。

 八咫蝶も同じ方角を指している。


「あそこね」


 できるだけゼロナナで森まで寄せつけた。

 森の中に入ると、樹に登った。枝葉の広い広葉樹が生い茂っていた。

 そして枝から枝へ、次々と飛び移った。

 細かい枝や葉っぱに構わず、つぎつぎと進んでいく。

 周りは肉眼では暗くて全く見えないが、巫術の基礎《巫眼》でほとんど力を使わず暗視できる。

 樹がオーラのように、ぼぉっと輝いてみえるのだ。

 はっきりと見えるわけではないし、しかも見える範囲は狭い。


「おっと」


 今のように、踏み外すことも珍しくない。

 すぐ下の枝に足がつき、なんとか転落はまぬがれた。

 枝が折れていたときも、まるで枝があるかのように輝いてしまう。

 だから、落ちないように高めの枝を使って飛び跳ねていく。


 垂直に飛び上がって、生い茂る木々の上から周囲を見渡してみた。

 どうせ向こうは、こちらが向かっていることくらいとっくの昔に気がついている。


 だがこれは予想外過ぎた。

 空一面が、見たことのない飛行する殃我の群れだった。

 群れに、舞花は対処を考えあぐねた。

 しかしここで立ち止まってはならない。

 襲いかかってくるガーゴイルのような殃我の身体をつかんで、鉄棒のように回った。

 殃我の背に乗ると、それを踏み台にして飛び跳ねていく。

 ただ踏みつけるだけではなく、攻撃の意思をもって蹴りつけているので、聖炎が着火して燃えていった。

 

 踏みつけるだけでは避けきれないので、鍔凪から《万重乃煌》を顕現させた。

 特攻してくる殃我たちを、次々と切り払っていく。

 その最中、鍔凪から流れ込んでくる戦いの記憶が蘇ってきた。


「そうだったのね。こいつら見たの、今日で二度目か」


 懐の巫術札の枚数を確認した。

 残りはもう五枚しかない。これを使えば、来たる斑目皇戦は苦戦するかもしれない。

 それが敵の狙いであろうとも、この殃我を見逃してしまえば人に危害が及ぶだろう。


 指を鳴らして五枚の巫術札に術をかけると、殃我だらけの夜空に放った。

 先ほどと同じく聖炎の輝きを放つ式神蝶だ。

 ガーゴイルたちに突撃すると、青い炎が燃え盛る。

 半径数メートルのガーゴイルにも引火していく。そうして次々と誘爆し、夜空一面が光る雲となった。

 

 これで全ての殃我を討滅できる。

 そう確信した舞花は、外縁の最後のガーゴイルを踏みつけて、それらの大群から離脱した。


 しばらく空を滑空していると、森の中に大きな円の敷地が見えてきた。

 そこから月に照らされた白い影が飛び出してきて、舞花の剣と切り結んだ。


「あなた、さっきの巫影体の本体ね」

「覚えていたとは。そうか、鍔凪の記憶か」


 舞花と女は、同時に着地すると互いに向き直って構えた。


「ちょっと待った!」


 舞花が見上げると、純白の咲乙女の衣を身にまとった褐色の少女が、華麗に空転しながら降りてきた。

「とうっ」と、着地すると舞花に微笑んだ。


「待たせたな、《万重》」

「《雪雫》、あなた怪我は?」


 舞花の巫影体の記憶によれば、かなりの重傷だったはずだ。

 雫の身体を回すが、傷一つなかった。


「えへへ。治った」

「治った!? 一体どうやって?」

「そんなことより、あいつはあたしが引き受ける」


 突然の伏兵に訝しんでいる女に向かって、雫は《氷雪乃牙》を構えた。

 舞花は、無理なんてさせられないと断った。

 しかし、雫は怒気を強めていった。


「バカ! あたしのことなんかより、図塚の救助が先だろうが」

「分かった。あなたがそこまで言うなら、もう止めない。気をつけて、あいつはかなりの手練よ」

「負けねえよ! あたしは異世界転生者チートだぜ」

「任せたわ」


 舞花が一気に女に向かって駆けると、大きくジャンプし、弧を描くように真上に舞った。

 女は生物的な死角をつかれてもなお、迎撃しようとする。

 それを雫は槍で阻止した。


「行かせねぇ。てめぇの相手はあたしだ」


 舞花は着地すると、振り返らずに斑目皇のいるであろう場所へ走っていった。

 辺りは暗い。

 赤い月は光りを出さないのか。

 巫眼を一度も解除していないにも関わらず、森に入る前にみえた淡い光はみつからなかった。


 八咫蝶が遅れてやってきた。

 ここまで飛行速度が落ちているのは、舞花の巫力も弱ってきているからだ。

 手をかざして、八咫蝶が感じている殃我の方角と位置を、頭に叩き込む。

 そして、八咫蝶の使役を解除した。

 ここから先は……。


 突然鋭い金属音が鳴り響き、舞花の剣と何かが切り結ばれた。

 これは死角からの不意打ちだ。

 《影法師》を構えていなかったら、さっきの一撃で即死だったかもしれない。

 かすかに、土や草を踏みつける音は聞こえてくる。

 でも正確な位置がつかめない。

 

 巫眼でも見えない敵、つまり殃我だ。

 この術はあくまで生命力を可視化するものであって、闇に紛れた殃我をみることはできない。

 さっきの女は白い格好だったから、月に照らされてくれていた。

 この闇は向こうの術かもしれないが、解呪する暇は与えてくれそうにない。

 

 警戒しながら舞花は鞘を持ち上げて、刀身に擦った。

 すると刀身に聖炎がまとわれて、辺りが明るくなっていく。

 同時に、墨のようなものが払われていき、切り株や草が月の光に照らされて見え始めた。

 聖炎で術が解除できてほっとしたところ、低くて威厳のある声が憎たらしく言ってきた。


「忌々しい炎だ。今度は俺を屠る気か? 鍔凪乙女」


 晴れた闇の向こうには、西洋甲冑にも似た青白い鎧が立っていた。

 だが、脚は見えない。

 そして、身体は舞花の身長の倍以上はある。

 あの右手に持っている諸刃の剣で攻撃していたのだ。

 甲冑の胸の部分は透明で、人の顔が透けて見えた。


「図塚くん! おまえが斑目皇か。彼に何をしたの?」

「ママから聴いたのか? まあいい。こいつは、まだなじまぬが、俺の身体の一部になってもらった」

「まさか魔骸ノ宴は、すでにもう」

「今から死ぬやつに、いちいち答えていられるか!」


 斑目皇は一瞬にして間合いを詰め寄り、左手で舞花を捉えた。

 殺気が放たれていない攻撃では、影法師の構えは反応しないのだ。

 動きが見えなかった。

 明らかに神速に達している。


「このまま握りつぶしてもいいが、やはり出来ぬか。その衣、本当に邪魔だな」


 舞花か歯を食いしばり、握りつぶされないようにするのが精一杯だった。火花が激しく散るも、斑目皇の手には全く引火しなかった。

 咲乙女の衣は、装着者の巫力によって質が決まる。

 舞花でなく雫がこれをくらっていたら、たとえ万全だったとしても気絶は免れなかっただろう。

 斑目皇がつかんだ手を振り上げると、舞花に急激な遠心力がかかって投げ飛ばされてしまった。

 受け身を取ることも出来ず、切り株へ叩きつけられてしまった。


「……かは!?」


 もんどりをうち、ようやく立ち上がることが出来た。

 出血も打ち身もないが、脳震盪でくらくらしてしまう

 頭を振り払い、《万重乃煌》の柄の握りを確かめた。

 間髪入れずにやってくるはずだ。

 そして叩きつけてきた両刃を、いなせず受け止めてしまう。

 赤い火花と青い火花が混ざりあう。


 その光に、囚われた記志の顔が照らされていた。

 ほぼ皮膚から侵食されており、血管が脈動しているのが分かる。

 記志に意識はなく、目を閉じていた。


「図塚くん! 目を覚まして!」


 全く反応がなかった。

 だが、一途の望みをみつけた。

 《万重乃煌》の反射を受けても、記志の顔は青い光を放たなかったのだ。

 完全に殃我になっていないのは分かった。

 しかし、圧倒的な力に押されてしまい、舞花は片膝をつかされようとしていた。このままでは踏ん張りが効かなくなり、一気に崩されてしまう。


 舞花の顔がゆがみ、息を吐きながら歯を食いしばった。

 せめて、咲装できる隙が作れれば。


 その時、斑目皇の顔に聖炎の塊が放たれた。

 不意打ちでできた隙を逃さず、舞花は両刃を払って間合いを大きく離した。

 その流れで鞘に納刀して、一気に抜刀する。


「咲装!」


 咲乙女の衣が、漆黒の花びらとなって散る。一瞬で真っ白な花びらに変わり、絹のような柔肌を包み込み繭となった。

 足首から鎧が装着されていき、ビキニが着飾されていく。両手にも篭手が装着されて、青ストライプのショーツにミニスカートのパレオがひるがえる。

 ビキニのつぼみが花開き、大きな白万重しろまんえのワンポイントが現れた。

 舞花が剣を払うと、白い花びらは散り去って、ビキニと鎧の剣士が姿を表した。


「鍔凪乙女《万重クレマチス》、推参! お前を討滅し、図塚くんを救い出す!」

「《万重》様!」

「ルイ!? どうしてここに」


 呼びかけに振り向くと、そこには咲乙女の衣を身に着けたルイが駆け寄ってきた。

 両手には大量の巫術札があった。


「これを」

「まさか、これを届けに?」


 数百枚はある巫術札を受け取ると、手から消えていった。鍔凪乙女の鎧は、小物程度なら別の場所に転送して保管できる。

 自分の意思で自由に取り出せるのだが、その場所は舞花も分からない。


 斑目皇が顔にまとわりつく聖炎に、まだもがいていた。その様子から目を離さないようにして、ルイと話す。


「ルイ、あの術は?」

「《雪雫》様のアイデアです。複数枚の札を束ねて、聖炎弾を作り上げました」

「さすがね」


 通常、巫術には射撃に類する術式がない。すべて身体の内部に作用するからだ。

 式神を飛ばしてしまうのも、かなりの荒業である。それでも威力はかなり低く、素体に近い殃我にしか通用しない。

 それを分かった上で、雫は巫術札を束ねて威力を倍加した聖炎の弾を作ったのだ。

 並列的な構造なのに、直列につないで巫術を組み上げるなんて、練り上げようとすれば熟練者でも数日以上はかかる。

 それを思いつきでやってしまうとは、異世界転生者とはここまで規格外なのか。

 

「《万重》様にも一〇発ほどあります」

「そんなに。助かるわ、ありがとう。でもね、問題と希望が同時にでてきちゃったの」

「なんでしょうか?」


 舞花はルイに記志の現状について、できるだけ簡潔に説明した。

 ルイの顔に、悲しみのような陰りがのぞいた。けれど、すぐに顔を上げて言った。


「斑目皇の真の狙いは、記志くんの完全記憶能力だと思います。だからこそ、顔だけ外に出して完全に取り込まないようにしているのです」

「理由を推理している暇はないけれど、ルイが言うなら間違いないでしょうね。それで、助ける方法はある?」

「《神魔の儀》しかありません」


 斑目皇についた聖炎が消えかけたので、舞花がさっそく聖炎弾を撃ってみた。

 剣を振って放つと、斑目皇に向かって弧を描くように追尾して命中した。

 あまりの高性能に、舞花は舌を巻いた。

 それを見ていたルイは続けた。


「実は、流止の禁呪です。これを使えば、追放や鍔凪の剥奪も覚悟しなければなりません。本来は、元老院と識子さまの許可が必要なのですが」

「いいわよ。もしも掟を守って図塚くんを見殺しにしたら、私は一生後悔する。それに、あんな強大で邪悪な殃我をここで逃したら、セントラルシティは壊滅よ」

「わかりました。私はどこまでもお供します」

「いいえ。罰は私一人で負えばいい。どんな事があってもルイも守るから」

「舞花様……はっ失礼しました」

「いいわよ。どうせ向こうも私の本名なんてとっくに知られているわよ、あの女から」


 舞花は神魔の儀の方法を聞いた。

 長いので、巫術通信をもちいた、ささやき声による高速会話を行った。

 舞花はうなずくと、剣を構えた。


「雫も必要ね」

「呼びかけてみます」

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