-5- 魔法使いの嘲笑
鳳凰院家屋敷の門に、多数の殃我が押し寄せていた。
その数、十数体はくだらない。
屋敷の結界で侵入を阻んでいるものの、突破されるのは時間の問題に思えた。
ルイは監視モニターから目を離さないようにしながら、咲乙女の衣に着替えていた。
髪を衣の外へすいてまとめていたところに、雫が入ってきた。
純白の咲乙女の衣の出で立ちで、額の汗をぬぐっていた。
「おいおい、こりゃ映画の撮影か? こんな大量の殃我が一気に現れるなんて、聞いたことないぞ」
「ええ。古文書級ですよ」
「しかたねぇ、行ってくるわ」
「雫様、いけません!」
「あたしがやらなきゃ、他に誰がいるっていうんだよ」
「その大汗、巫力が尽きかけている証拠です。このまま出ていっては、咲装どころか満足に戦えないまま、犬死です」
「そんなこと、あたしが一番わーてるってんだよ! でもよ、ここを守らなきゃ舞花と記志の帰る場所がなくなるじゃねぇか」
『聞こえているの?』
監視モニターの集音マイクが作動し、殃我の中の女がフォーカスされた。
あの中に人間がいることに驚いた二人だが、彼女もすでに殃我であるなら不思議ではない。
出方をうかがうため、女の言葉を聞くことにした。
『聞こえているていで話すわよ。こほん。今すぐ屋敷を開放しなさい。さもなくば、あなたのお仲間である図塚記志の命は保証しない』
「なんですって!?」
「おいっ。図塚は舞花が助けたんじゃないのかよ」
「申し訳ございません」ルイが伏せ見がちに答えた。「記志くんの救出に失敗したと、ついさっき舞花様から報告がありました」
「あの舞花が失敗した? 嘘だろ」
「こちらの現状はお伝えしてあります。今向かっているところです」
「私が乗ってきたゼロナナは?」
「それもすでに」
『図塚記志を開放してほしければ、屋敷を開放しなさい』
「あなたたちの目的はなんですか?」
ルイは毅然とした声で、マイクに向かって喋りかけた。
ここで相手にこちらがおびえていると思われたら、それこそおしまいだ。
『あら、話せるのね。お金持ちの屋敷は違うわね』
「図塚記志をどうするつもりですか」
『さあ。私はただ、皇の言うとおりにしているだけよ』
「オウ? あなた達の主ですか?」
『そうよ』
「皇は今どこに? 直接話しをさせてください」
そんな話が通じる相手か! と雫はルイを止めた。
しかし、ルイは首を振ってみせた。
女の返答はすぐに返ってきた。
『バカね。交渉できる立場なわけないでしょう? 交渉てのは対等のカードを持った上で成立するものよ』
「……やはり」
ルイはマイクを切ってつぶやくと、雫に言った。
それに驚いた雫は、大げさに否定してみせた。
「彼らには知性があります」
「はぁぁぁ!? このピンチでおかしくなったのかよ? 本能だけで欲望を貪るあいつらに、知性なんてあってたまるかよ」
「普通は雫様の言うとおりです。ですが彼女は、『交渉』といいました。ここはうかつな行動をさけ、できる限り籠城すべきかと」
「舞花が帰ってくる前に全滅しちまう! あたしは行くぜ」
「お待ちください! ……行ってしまわれましたか。舞花様、お早くお戻りください」
ルイはまさに天に祈るように、両手を結んだ。
雫は屋敷の門のところまで行くと、《氷雪乃牙》を構えた。
穂先につららを三本作り出すと、それを殃我めがけて弾丸のように射出した。
結界破壊に夢中になっている殃我の腹に命中し、聖炎の炎が巻き上がる。
「へへぇん、ざまぁみやがれ。この結界は内側からならスルーできるんだぜ!」
そのとなりの殃我にも聖炎が燃えうつることを願った。だが、その火は軽く焦がすだけですぐに消えてしまった。
やはり一体づつ倒していくしかない。
雫は、
顔から汗が吹きだし、目の前すら見えなくなってきた。
五体目を討滅しきったところで、《氷雪乃牙》の顕現が溶けてしまい元の鍔凪にもどってしまった。
「ちくしょう、数が多すぎる……」
咲乙女の衣も重くなってきた。汗を吸ったせいではなく、月鋼石に身体が耐えきれなくなってきたのだ。
肩で大きく生きをしながら、なんとか倒れずにいる。
すると、モニター越しでみた女がこちらに歩いてきた。
結界の前まで来ると、数が減られた殃我をみて笑った。
「まったく、役立たずとはこのことね。人質がいるっていうのに、抵抗するなんて……。ん?」
女は雫をみて訝しんだ。
「あら? あなた、どこかで見覚えが……」
「うるせぇ。あたしは知らねぇよ。それに流止は初めから覚悟を決めてんだ。お前らの好き勝手になるかよ」
「あ、思い出したわ。その黒い肌、その卑しい目つき。お前、呪われた奴隷女の
エレティックという言葉をきいた途端、雫の目から生気が消えていった。
うろたえる雫に、女は笑い話のように続けた。
「おまえ……、なんでその呼び名を知っている……」
「だって、私も異世界転生してきたんだもの。私は元魔法使いレイナ。奴隷と違って、ちゃんと立派な名前がありまーす」
「わたしはもう、奴隷なんかじゃない」
「転生したって、お前はしょせんエレティックでしょ。路上で貴族や平民の便所になっていたじゃない」
「やめて……」
ほとんどは性欲処理奴隷として扱われていた。
しかし、ほんとうに便所として排泄物を食べさせられたことも、一度や二度じゃない。
転生前の世界の奴隷に人権はなく、殺しても何をしても罪に問われることはない。誰も同情しない。誰も助けてもくれない。
身ごもれば腹を蹴られて堕胎させられ、便をもようしてもらせば、それを食べさせられる。
最後に与えてくれた家族からの暖かなプレゼントは、飢餓を救うための生贄姫だった。
腐っても王族の血筋だから。
「あんたが生贄で死んでからかしらね、王族の姫君だってしったのは。ほんと笑えるわ、あのくそったれどもの姫君にエレティックが生まれてたなんてさ」
「もう……聞きたくない」
「翌年は豊作でさぁ。みんな言ってたわよ、肥溜めを生贄にしたから良かったて」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
雫の中で何かが、ぷつんと切れた音がした。
いっそのこと飢えで、みんな死んでくれればよかったのに!
そう願ってたのに!
雫は渾身の巫力で《氷雪乃牙》を顕現し、レイナと名乗った女に怒りを突きつけた。
「ばぁーか」
「あ……」
結界の外に釣り出されてしまった。
形になったはずの《氷雪乃牙》はまたたく間に消え、雫は全ての巫力を使い果たし、立っていられなくなった。
月鋼石の副作用、体幹狂いが襲ってきたのだ。
レイナはしてやったりと笑い、殃我たちに命令する。
「おまえら、このエレティックを殺せ。犯してもいいわよ」
巨躯である殃我が三体取り囲んできた。
我先にと女をもとめる野獣のように、他の殃我を押しのけるものもいた。
雫の咲乙女の衣に魔の手が伸びる。
雫はそれに怯えて後ずさりするが、背中にも殃我がいた。
とうとう捕まり、衣を引き裂かれてしまう。
その捕まえた手に一瞬火花が散るも、聖炎となって燃えることはなかった。
月鋼石から紡がれた繊維で編まれたこの衣は、殃我にとって触れることが出来ぬ茨だったはずだ。
だが今では雫の巫力は底をつき、衣も電飾が壊れたような火花を散らすのが精一杯だった。
そんなささいな火傷にかまうことなく、衣は無残にもを引き裂かれていく。
下に下着すら付けていない雫の乳房や腰から下があらわになった。
「そんな。イヤ! イヤ!」
最後の抵抗も虚しく、もはや衣はボロ布と同じになってしまった。
股を強引に開かれた雫の眼前に、柱のような殃我のイチモツがそびえ立った。
――ああ、せっかくこの世界できれいな身体のままでいられたのに。やっぱりあたしは魂まで奴隷なんだ。何度やり直してもそれは変わらないんだ。
潤にさえ捧げなかった純血が、今まさに散らされようとしていた。
身体を持ち上げられ、整った陰毛下の秘裂に柱があてがわれた。
その刹那。
周囲を大量の蝶が飛んできた。
あまりの五月蝿さに、殃我は雫を離してそれらを振り払おうとする。
レイナは何をやっているんだと叱咤した。
「あんたら、とっととエレティックを犯しなさいよ。……ちょ、なにこのチョウチョ? なんで? ハチみたいに痛い、痛い!」
意識が遠のいていく雫が蝶の群れに見とれていると、聞き覚えのある声がささやいてきた。
それは頼もしく、そして目標である人の声だ。
「雫、遅れてごめんなさい。よく頑張ったわ」
「まい……か?」
「ええ、そうよ」
漆黒の背中越しに、ポニーテールを勇ましく振った舞花が優しく微笑んだ。
その笑みは、哀しみからじゃなく、戦士として戦ったものへの賛辞だった。
舞花は、剣を横にひらめくように薙ぎ払った。
殃我たちの身体が、次々と上下にスライスされていく。
またたく間に、聖炎に焼かれていった。
優勢だったのに一転して窮地となったレイナは、杖を地面に叩きつけて、怒りを吐いた。
「鍔凪乙女ぇぇ。死徒のガキはどうした」
「とうぜん、討滅したわ」
「あのガキ、時間稼ぎも出来ないのか」
「殃我を引き連れるなんて、あんた人間じゃないわね?」
「人間だボケ! そこの汚らしい奴隷女エレティックといっしょにするな!」
舞花が雫を再び見た。
雫は目をそらし、裸体を隠すように身を丸くした。
舞花は《万重乃煌》の切っ先を、レイナに鋭く振り下ろした。
レイナは小さな悲鳴を上げてふるえた。
「私の大切な妹弟子を侮辱するなんて、覚悟は出来ているのでしょうね?」
「こ、この!?」
眉間にシワを寄せるレイナの目が、聖炎の青い輝きを放った。
鍔凪の宝刀から反射する光を見たとき、殃我ならばその反応を示すのだ。
舞花はそのまま剣を突き押した。
レイナはそれをなぜか避けることが出来ず、目と鼻の間の骨である蝶形骨を砕き、脳を貫いた。
聖炎が顔から燃え広がり、美形だった顔が焼けただれていく。
もがき苦しむレイナに舞花が言い捨てた。
「醜い死がお似合いよ、トンガリ帽子の魔法使いさん」
「ギィギャアアアアアアア!? あははははは」
「何がおかしいのかしら」
「私も囮だったんだよ。お前はまんまと騙されたわけだ。今頃は皇があの男を……」
「知ってた」
「あ!?」
「だからすでに本体が向かってるわ」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあ……」
レイナは、舞花の言っていることが理解できずに消滅した。
舞花は片膝をついて、雫を抱きかかえた。
「雫、大丈夫?」
「舞花……。あんたもしかして巫影体?」
「そうよ。本体は図塚くんを追っている」
「バカ! その術は巫力と力を分けてしまうものでしょ。いくらあんたでも」
「落ち着いて。蝶のゲートで本体に戻れるから。本体に伝えたいことはある?」
「これ」
「これ? ん!?」
雫は最後の力を振り絞って、舞花と唇を重ねた。
舞花は振りほどかず、雫が離れるのを待った。
「じゃあ、頼んだぜ」
「あんた、無茶ばかりして。わかったわ、でも返事は期待しないでね」
「……」
雫はすでに気を失っていた。
頭を撫でてから、ゆっくりと寝かせた。
そしてルイに治療を任せた舞花の巫影体は、式神の蝶に円形のゲートを作らせてそこへ飛び込んでいった。
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