第13話 レオの過去-2

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 しとしとと降る雨。身震いするような冷たい空気。黒い服を着た人々は土に掘られた大きな穴を取り囲むようにして立っている。その穴の横には黒く染められた棺が置かれていた。棺の蓋には王冠と天秤の絵柄が彫られ、その上に重ねるように白い花束が供えられていた。場にそぐわないタンクトップの男が二人、棺の前後を持ってゆっくりと持ち上げる。棺は静かに穴の中に置かれた。男たちは錆びの入ったスコップで土をかけ始めた。土と湿気の匂いが辺りを包む。雨上がりのどこか爽やかな日の香りではない。もっと苔むした、鬱屈とした香りだった。

 国王騎士団の制服を着たレオは、横に並ぶ父を見た。父の顔には深い皺が刻まれていたが、その瞳には感情が浮かんでいなかった。ガラスの向こうの景色を見るみたいに、ただぼうっと棺を見下ろしていた。それから父の隣に立つ長兄スファンを見た。彼は黒い喪服を着ていたが、欠伸を噛みしめていた。次兄のカイはここには居なかった。


「彼女の安息を、心よりお祈りいたします」


 牧師はレオの父に向ってそう言った。牧師はレオの方を見もしなかった。一家の責任者たる父親にさえ挨拶をしておけば最低限の仕事はしたことになると考えているのだろう。式が終わり、周囲の人々はこの場からまばらに去っていっている。父は「感謝する」とだけ牧師に伝えると、人々に紛れて帰っていった。スファンもその後を追った。

 棺にすっかり土が盛られていく様を、数人だけ残った参列者達と一緒にレオは見続けた。水分を含んだ、苔の混ざった黒土がスコップから落ちる。次第に棺は土で見えなくなり、穴もほとんど埋められた。やっと周囲の地面と同じ高さまで土を被せると、タンクトップの男たちはスコップの裏側でしっかりと土を押した。まるで二度と出てこられないようにしているみたいだった。それから、1人でやっと持てるくらいの長方形の石を土の上に置いた。表面がツルツルした、汚れ一つない石だ。


『カレン・カンタレラここに眠る』


 石にはそう刻まれていた。

 棺を埋めた男達は帽子を取ってレオに会釈をすると、街の方へと去っていった。レオから少し離れたところで、「今日の晩飯どこに行く?」と会話しているのが聞こえた。

 レオは墓の前に片膝をついた。雨足が強くなってきた。雨粒が地面に当たり、ボツボツと音を立てている。レオはグローブを外して右手で墓に触れる。墓石は酷く冷たかった。

 日が暮れるまで彼は墓石の前に居たが、辺りが暗くなってくると墓から立ち去り、一度城へと戻った。その頃には全身びしょ濡れになっていた。兵舎の自室に戻って私服に着替える。彼の全身は冷え切り髪の毛も濡れたままだったが、そのまま兵舎の事務所に寄った。事務所の壁面傍の棚にある紙の束の中から、外出届を一枚取り出して氏名欄にペンでサインする。それから事務所内の窓口にその紙を提出した。窓口係の男はレオの顔を覗き込んでから、内容も精査せずに外出届に赤い判子を押した。


「明日の昼までにお戻りですね。隊長殿の場合、忌引き休暇もお取りいただけますが」

「・・・それはまた後で考えます。とりあえず、外出届のみ受理をお願いします」

「では、確かに承りました」


 そう言って窓口係は腰を折った。レオはその場を後にした。

 それから彼はあてどなく街を彷徨った。実家に戻ろうという気にはなれなかった。街道に、仕事帰りの男たちが群れを成して歩いている。頭に巻いたタオル、長袖のシャツに動きやすさを重視したズボン。全身が薄汚れている所を見ると、恐らく大工たちだろう。どこかで新しい家でも建設中なのだろうか。街道の逆側を見ると、母子が手を繋いで歩いていた。民家からは魔法結晶の光が漏れている。肉が焼ける匂いもしてくる。夕食の支度をしているのだろう。

 街には日常が落ちている。いつでも表面的な平和がある。それぞれの家庭の中にどんな闇を抱えていようと、外から見ている分には幸福な家庭ばかりに見える。母の死という現実が、どうも夢のようだった。国王騎士団として懸命に働いている内に自然と実家から足が遠ざかり、母に会う回数も減っていた。一か月前に会った時には病気で臥せっていたが、母はまだ笑顔を見せる余裕があった。それなのに、あっという間に母の容体は悪くなり、ついには亡くなってしまった。余りにも突然だったからか、もう二度と会えないということが実感出来ない。休暇を取って兵舎から帰れば、実家にまだ母の姿があるような気がしてしまう。


「・・・はぁ」


 レオはため息をついた。すっかり冷え切った体が震えだした。いい加減に実家に帰るか、もしくは宿を取るかしなければ凍えてしまいそうだ。実家には帰りたくないが、1人で宿に泊まりこの感情を持て余すのも恐ろしかった。そんなレオの視界に、ビールの看板が映り込んだ。『オプロ』という店名も書かれている。今のレオにとってはこれ以上素晴らしい場所は無いように思えた。彼は迷うことなくオプロの扉を開けた。

 オプロの中は人でごった返していた。備え付けられたテーブルだけでは足らず、床に座って酒を飲んでいる者までいる。彼らはレオの事を見ると少し訝し気な顔をしたが、すぐに思い直したように顔を逸らした。店の中は食べ物と酒と汗の匂いが充満していて、熱気に包まれていた。お祭り騒ぎとはこういった事を言うのだろうなとレオが思ったほどだった。

 店に入って右手側の壁には、無数の依頼書が貼り付けられている。どうやらフリーの冒険家や傭兵向けの依頼書らしい。今までこの国で生きてきたが、この酒場の存在は知らなかった。いつも城の周辺を警備したり雑多な魔物を討伐したりしていたが、傭兵の存在に興味を向けたことは無かった。彼らは国で対処しきれない魔物の討伐や、国が放置しているが地方の民が困っている時に個別に出される依頼をこなすことで生計をたてている。まるで国王騎士団の真似事の用で、正直レオは傭兵のことが好きではなかった。無法者か、良くて怠惰な人間だと思っていた。だからいつもだったらすぐに踵を返してこの店から出ていっただろうが、今日だけはそんな気力が湧かなかった。


「ビールと、豚定食1つ」


 丁度空いたカウンターの席に素早く滑り込むと、カウンターの向こうにいるスタッフの男にそう伝えた。男は不愛想に「あいよ」と返事をした。レオはカウンターに肘をついて、店内の様子を見渡した。包帯を頭に巻いている者、ケロイド状になった古傷を持つもの、片腕が無い者など様々な傭兵達が居る。だが、どの傭兵たちも酒を片手に楽しそうに騒いでいた。「次の依頼は報酬がいい」だの「今日は儲かったからおごってやる」だのと大声で叫んでいる。何て気楽なんだろう、と思う反面彼らの傷を見ているとレオは妙な気持ちになった。王国騎士団の中には、あんなに傷を負った隊士が居るだろうか。


「時化た面してんな、兄ちゃんよ。サービスしとくぞ」


 カウンターの向こうから、男がビールと豚定食をレオの前に置いた。それから最後に貝のオイル煮が置かれた。驚いてレオが男を見ると、男は知らんぷりしてさっさと立ち去ってしまった。「ありがとう」とだけ呟いて、レオはビールを一気に喉に流し込んだ。炭酸が喉と胃を強く刺激した。突然胸のあたりが痛み出し、一滴涙が零れた。レオは慌てて拳で涙を拭うと、豚のチャーシューを口に突っ込んだ。上手かった。不思議と、生き返った心地がした。


「はぁ!?だから、この依頼は元々私が受けたもんだって言ってんだろ!!」


 後ろから女の怒鳴り声が聞こえた。レオは咀嚼しながら振り向いた。金髪の女が隣の男に向かって怒りの表情を浮かべていた。一方、黒髪を1つにまとめた男の方はニコニコ笑いながらも「いや、実際に倒したのは俺だから報酬は折版にするべきだ」と冷静に進言している。


「倒したのは私だ!首だって私が切った!」


 そう言って女はオオオニガメの首を掴み上げた。恐らく血抜きの処理を施したのだろうが、青ざめたカメの生首が妙に気味悪い。


「俺が居なかったらセリーニはやられてた」

「イリオが居なくても、1人で余裕だった!」

「いいや!絶対余裕じゃなかった!!」


 バン、と片手をテーブルに叩きつけ、セリーニと呼ばれた女は立ち上がった。その勢いに流されてイリオも立ち上がる。2人はじっとにらみ合っている。周囲の男達が「やれやれ!」と2人を焚きつける。何て下賤な奴らなのだろう、とレオは呆れた。もし自分の第三隊でこんなくだらない喧嘩が起こるようなことがあれば、絶対に止めるだろう。だがこの呑み屋オプロでは誰かが喧嘩を止めることも無く、ましてレオが止める暇もなかった。先に手を出したのはセリーニだった。セリーニはオオオニガメの首を持っているのとは逆の手で思い切りイリオの頬を殴った。イリオは思い切り吹き飛ばされて、レオの足元へと転がりながら滑り込んできた。「大丈夫か」とレオが声をかけると、イリオはむくりと起き上がった。その頬は赤紫色に腫れている。


「おお、兄さんどっかで見たことある気がするな」

「そんな事を言っている場合ですか」


 レオはセリーニの方を見た。こんな大男を一発で殴り飛ばすなんて、女とは思えなかった。自分の母や、兵舎で働いている事務の女性達とは大違いだ。

 セリーニはズカズカと此方に歩いてくると、ズボンのポケットから取り出した依頼書とオオオニガメの生首をどんとカウンターに置いた。カウンターの男に向かって「報酬よろしく。50万で」と言った。カウンターの男はイリオとセリーニを交互に見てから少し考えた。それから「セリーニ6のイリオ4。30万」と言った。


「はぁ!?何でよ。私の依頼じゃん」

「確かにそうだが、助力があったのは確かだろう」と男。


 イリオはしたり顔をしているが、彼は未だにレオの足元に座ったままだ。恐らく殴られた時の衝撃でまだ上手く立てないのだろう。


「・・・私7のイリオ3、45万」

「セリーニ6のイリオ4、35万。これ以上は出さん」


 セリーニはイライラした様子で頭を掻いた。だが男の顔を見て諦めたようにため息をついた。


「わかったよ。現金で今すぐ」

「あいよ」


 カウンターの男は奥にあるドアから消える。しばらくすると、2つの布袋を持って奥の部屋から出てきた。その布袋の大きい方をセリーニに、小さい方をイリオに渡した。セリーニはズシリと重みのある布袋を受け取ると少しだけ嬉しそうな表情を見せたが、すぐに元の真顔に戻った。そして踵を返してこの呑み屋から出て行ってしまった。


「いやぁ、相変わらず愛想が無いよなぁ」


 ふらふらと立ち上がりながらイリオはそう言った。自分に話しかけられているのだと気が付いて、レオは「はぁ」と間の抜けた返事をした。


「よく見るからさ、どんな奴なのかなーって思ってたら、見たまんま!」

「・・・よく話しかけようと思いましたね」

「だって女の傭兵なんて珍しいだろ?気になってな」


 頬を腫らしておいて、よくそんなことが言えると思った。呆れを通り越して少し感心するくらいだ。


「まぁ、国王騎士団にも女性はまだまだ少ないですからね」


 そう言ってしまってからレオは後悔した。国王騎士団と傭兵は馬が合わないことの方が多い。きっとこのイリオとかいう男にも拒絶されるのだろう。そう思ったが、その予想は間違いだった。イリオは「やっぱり!」と叫ぶと、レオの隣の席にどかりと腰を下ろした。その席は先程まで別の客が座っていたのだが、イリオとセリーニの喧嘩に巻き込まれまいと避けるように席を空けたのだ。イリオはカウンターの男に頼んでビールを一杯持ってきてもらうと、レオにそのジョッキを向けた。レオは『乾杯』と言う気にはなれず、小さく「献杯」と呟いた。


「――誰か死んだのか?」とイリオ。

「先日、母が」


 いい年をして母親のことを話すなんて、少し気まずかった。だが、今後会うことも無い見知らぬ男ならそれもいいだろうと思った。


「そりゃあ残念だったな・・・。こんな所に居ていいのか?」

「どこに居ればいいのか分からないんですよ。実家に戻っても、母の死を悲しむ人間なんて居ませんから・・・」

「・・・」


 イリオはビールを煽った。顔が赤くなっている。


「そうか・・・俺は王国騎士団っていうのは嫌な奴ばっかりだと思っていたが、お前みたいに母親思いのやつも・・・いるんだなぁ・・・うっ・・・うぅっ」


 嗚咽が聞こえるので具合でも悪いのかと隣を見ると、イリオは目からボロボロと涙をこぼしていた。レオは虚を突かれて、黙ってしまった。


「なーんか見たことあると思ったんだけど、やっぱりアンタ第三隊のレオ隊長だよな?」

「そ、そうですが・・・」

「そうかぁ・・・うっ・・・アンタみたいな立派な息子を持って、お母さんは幸せだっただろうなぁ」


 イリオは鼻から垂れた鼻水をズズッと吸い取った。カウンターの男が顔を顰めてティッシュを寄越した。イリオは礼を言ってから、大きな音を立てて鼻水をかんだ。イリオの左隣に座っていた男が嫌そうな顔をして席を移動した。だがレオは移動しようとは思えなかった。


「俺は兄弟の中では出来損ないですから。母には苦労も心配も必要以上にかけました」


 何でこんなこと、この男に話しているのだろうとレオは思った。だが隣で自分以上に悲しんでいる男を見て、安心したような、悲しいような、不思議な気持ちで満たされた。実家で一人虚無に包まれて耐え忍ぶよりも今の方が何倍もマシだという事だけは理解できた。


「レオ隊長、駄目な子ほど可愛いっていうじゃん。俺はアンタの母親のことをよく知らないけどさ、きっとアンタのこと可愛かったんだと思うよ。じゃなきゃアンタがそこまで悲しむ訳ない。自分を愛してくれなかった母親が死んだって、アンタは悲しまなかっただろうよ」


 そうだろうか。レオは考えた。兄に理不尽な目に遭わされて、弱くて出来の悪い息子を母は愛してくれていただろうか。いつも傷の手当てをしてくれて、父の眼を盗んで夕食やデザートを食べさせてくれた母親。レオは無意識の内にその答えを知っていた。ずっと昔から。


「そう・・・かもしれませんね」


 そう呟いて、イリオの方を見た。イリオはカウンターに突っ伏して、涙を流しながら眠っていた。ついさっきまで会話をしていたというのに、人間というのはこんなに早く眠れるものなのか?レオは呆れてビールをさらに煽った。脈がドクドクと波打つのを感じた。頭がクラクラしてくる。これ以上飲む気になれず、椅子に座ったまま隣の壁にもたれかかった。そのまま眠りにつき、目が覚めた頃には朝になっていた。「閉店だよ」とカウンターの男が言った。イリオの姿は無くなっていた。

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