第12話 セリーニの過去-1

 窓の外から子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。セリーニは1人用の小さなベッドから勢いよく起き上がると、窓を思い切り開けた。朝の澄んだ空気が部屋に流れてくる。両腕を上げて大きく欠伸をすると、その場で軽くストレッチをした。

 窓から入り込む光が、部屋の真ん中にあるテーブルを照らしている。セリーニはその上に置いてあったパンを手に取ると、そのまま齧り付いた。パンはなかなか噛みちぎれない。両手で持って思い切り引っ張ると、やっと噛み切ることができた。ボソボソしたパンを流し込む為に、玄関横についているキッチンからミルクの入った瓶を持ってくる。テーブル横の椅子に座ると、瓶のままミルクを勢いよく飲んだ。口の端からミルクが垂れる。彼女はそれを手の甲で拭った。外からは相変わらず子供達の笑い声が聞こえてくる。


「うるさいな」


 そう悪態をつくと、セリーニはぼうっと窓から外を見た。窓から差し込む光が彼女の眼を射す。腹立たしそうにその日差しを睨みつけ、椅子から立ち上がった。

 洗面所に行って蛇口を捻る。蛇口からは冷たい水が勢いよく流れた。セリーニは両手でバシャバシャと顔を洗うと、横に引っかけてあったタオルで軽く顔を拭いた。水滴が顎を伝って床に落ちた。

 次に、蛇口の横に置いてあった馬の毛で出来たブラシを取った。乱雑に髪の毛を梳かす。彼女の金色の髪の毛が、数本ぶちっと音を立てて抜けたが彼女は気にする素振りも見せない。それから居間に戻り、外出用のジーンズとTシャツに着替えて腰のベルトに刀を差した。肩まで伸びた髪の毛をヘアゴムで一つに結ぶ。窓を閉めると、セリーニは部屋から出ていった。

 家を出ると、向かいに住んでいる女性が箒で家の前を掃いていた。ふくよかな体系のその女性は、花柄のワンピースの上に腰エプロンを巻いている。彼女の足元を見ると、煙草の吸殻や使い終わった薬草、食品の包み紙などのゴミが一か所に集められていた。


「あら、セリーニちゃん。おはよう」

「おはよ」

「これからお仕事?」

「うん。まぁ、あればだけど」

「気を付けて行ってきてね」

「ん」


 セリーニは入り組んだ街道を進み、ビールの絵が描かれた看板の店に入った。看板には絵の他に『オプロ』という店名が記載されていた。店に入ると一番奥にカウンターがあり、入口からカウンターの間に4台ほどの丸テーブルが置かれている。それぞれに4脚の椅子が備え付けられていた。


「よう、セリーニ」


 入口近くで朝からビールを飲んでいる筋骨隆々の男が片手を上げた。彼の筋肉はそのワイシャツを今にも破いてしまいそうなほど大きく発達していた。


「よ」


 セリーニはそれだけ言うと、すぐに右に曲がった。男は不服そうに口を尖がらせたが、すぐに気を取り直してビールを飲みだした。

 入口から見て右手側の壁には、壁一面に画鋲で紙が留めてある。それぞれに異なる筆跡で『依頼書』と記載されていた。セリーニは壁の正面に立って依頼書をじっと見つめた。後から来た男がセリーニの横から手を伸ばし、壁の上の方に貼られた紙をひったくっていった。彼女は男が持って行った依頼書を横目で見た。報酬は5万ゴールドと記載されていた。再び壁に視線を戻す。どの依頼書も、大体5~10万ゴールドが相場のようだ。

 カウンターで食事をしていた2人組がこちらへやってくると、5万ゴールドの依頼書を壁から剥がして店から出ていった。剥がされた依頼書の下から現れた古びた依頼書に、20万ゴールドと記載されている事をセリーニは見逃さなかった。彼女は即座にその依頼書に手を伸ばした。


バン!!!


 20万ゴールドの依頼書を、二つの手が叩いた。一つはセリーニの手、もう一つは大きな筋肉質の手だった。


「――ん?何だ、女か」


 同じ依頼書を取ろうとした男はセリーニよりも頭一つ分背が高い。少し長い黒髪を後ろで一つに結び、背中にはホルダーに入れられた大剣を背負っていた。彼の空色の瞳にセリーニの姿が映り込んでいる。


「おい、これは私が取ろうとしたんだ。手を退けろ、ウド野郎」

「はっ!?これは俺が先に取ったんだ、お前こそ手を退けろよ」

「――チッ」

「うわ、今舌打ちした?女のコなのに可愛くないなぁ」


 セリーニの右眉が、ピクリと動いた。


「誰だか知らない男に可愛いとか思われたくもねぇわ!!このクソが!」


 ゴッと鈍い音と共に、男は吹き飛ばされた。セリーニの蹴りで吹き飛ばされた男は店を揺らすほどの衝撃で壁に突っ込んだ。木造の壁には大きな穴が開いてしまった。周囲から悲鳴が上がる。埃や木片と共に天井から落ちてきたネズミが、慌てて外に逃げていく。

 セリーニは壁から依頼書を剥がすと、それをジーンズのポケットに突っ込んだ。


「ってえ~。何てことすんだよ!」


 壁の穴からヨタヨタと出てきた男は周囲を見回した。店の中は砂埃で視界が悪かった。バーテンが慌ててカウンターから出てきて窓を開けると、徐々に砂埃が外に流れていった。だが、そこにはセリーニの姿は無かった。


◆◆◆


「ここらへんなんだけどなぁ」


 そう呟いてセリーニは地図を広げた。依頼書に記載された簡易的なマップと自分が持っている地図を照らし合わせる。街の北西にある森林を流れる川。この中流あたりに、バツ印が書き込まれていた。セリーニは地図から顔を上げて周囲を見回した。周囲には森が広がっており、右手には川が流れている。川の周りに転がっている大きな岩の上に、彼女は飛び乗った。


「出没地域はこの辺り・・・時間は朝から昼で、肉食・・・と」


 きょろきょろと辺りを見渡すが、特に生き物の気配は無い。ため息をつくと、セリーニは岩の上にゴロンと寝転がった。晴れ渡る空には雲一つ無い。優しい風がふいて木々の青々とした葉を揺らしている。森の中から現れた茶色いウサギが、水を飲もうと川に近寄ってきた。ぴょん、ぴょんと跳ねてセリーニの居る岩の近くまで来たとき、岩の下から何かが現れてあっという間にウサギを喰ってしまった。


「―なんだ!?」


 驚いて体を起こす。ウサギの白い毛が周囲に舞っている。岩の下をじっくり見つめていると、何かが蠢いているのが分かった。次の瞬間、セリーニが乗っていた岩は突然グラグラ揺れだした。慌てて飛び降り、その岩から距離を取った。岩の下から丸太のような手足が伸び、最後に大きな口を開いたカメの頭が現れた。


グオォォ!!


 その咆哮に驚き、辺りの木々から鳥たちがバッと飛び去った。

 セリーニよりも2倍ほどの高さがある大きな甲羅はまるで岩のように丸く、所々に深緑の苔が付いている。甲羅の下から伸びる足の肌はまるでレンガのような赤茶けた色をしており、鋭いカギ爪が生えていた。大きな口には牙は無いが、ウサギを顎の力で噛み砕いて飲み込んだ。口の端から血があふれ出る。額には一本の角が生えている。真っ赤な目がギョロリ、とセリーニを見た。

 大きなカメはとてもカメとは思えないような素早い動きでセリーニの方へ突進してきた。セリーニはすぐさま右に飛びのく。彼女に齧り付こうとしたカメは宙を噛んだ。その隙にセリーニはカメの横っ腹を思い切り右こぶしで殴りつけたが、カメは「グッ」とくぐもった鳴き声を漏らしただけだった。

 カメの鋭いカギ爪が薙ぎ払うようにセリーニを引っ掻いた。彼女は慌てて後ろに飛びのいたが、腕に三本の切り傷が刻まれ鮮血が噴き出した。


「いって!!」


 血がダラダラと垂れる腕を押さえながらカメを睨みつけた。カメは舌なめずりをしながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


「――だから俺がやるっていったろ!!」


 カメの後ろから突然人影が現れた。その影はカメの甲羅に飛び乗ると、上から思い切り大剣を甲羅のど真ん中へと突き刺した。カメがこの世のものとは思えない悲鳴を上げて、セリーニは思わず手で耳を塞いだ。それから、その人影はセリーニの横に飛び降りた。


「アンタ、さっきの」

「おう、イリオだ。よろしく」


 カメの血がついた大剣を肩に担ぎながら、イリオは片手を上げた。


「何。追いかけてきたの」

「あそこの依頼はいつも見積が適当なんだ。これじゃ20万ゴールドどころか二倍は取れそうなモンだ」

「・・・へぇ」

「ま、交渉は倒してからだな!」


 そう言ってイリオは大剣を前に構えた。カメの甲羅のてっぺんは大きく割られ、ヒビから血が溢れ出している。怒り狂った様子のカメは、さらにこちらに突進してきた。セリーニは刀に手をかけると、カメの方へと突進していく。その様子に驚いたイリオが静止したが、一切足を緩めることなくカメの直前まで来ると、セリーニを喰おうと口を大きく開いたその瞬間に首を一太刀で切り落とした。首は血しぶきを上げながら地面に転がった。返り血がセリーニの金髪を赤く染める。

 カメの胴体は首を失っても前へ進み続け、セリーニを思い切り突き飛ばした後にやっと動かなくなった。突き飛ばされたセリーニは地面に倒れ込み、そのまま気を失った。


「おい!!」


 地面に倒れた彼女の所へとイリオは慌てて駆け寄った。大剣を地面に置き、セリーニの頬を軽く叩く。セリーニは一瞬目を開けたが、まだ気がはっきりしない様子だった。イリオは腰に下げていた革製の水筒を取ると、セリーニに水を飲ませてやった。ごくり、と喉が動く音がする。セリーニの目がゆっくり開いて、瞼の下から緑色の瞳が現れた。


「無謀なやつだなぁ」

「・・・50万」

「は?」

「報酬、50万で交渉してやる」


 彼女の言葉を聞いて、イリオは堰を切ったように笑い出した。

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